一本満足
続きます。
───火曜日。え、まだ火曜日なん?
廊下の掲示板にある日めくりカレンダーを見て愕然。昨日が濃密過ぎたからかとても平日の二日目とは思えない。「あ、俺疲れてる」って思いながらトイレの鏡に映った自分を見る。毛先は切ったりしてるものの、一月半前くらい前に染めた茶髪を完全に放置しているからか根元から結構な長さが黒。しかも茶髪部分が明るめだからプリン状態だ。
「これはツートンカラー」
湧き上がって来た謎のポジティブソウルが俺にそう言わせた。しかも何だかシャレオツ。もはや自己暗示に近い。前は生え際の色とかめっちゃこだわってたけど、今はどうでもよく感じた。まだだ、まだ活力が足りない。思い出すんだ昨日の夏川を……怒った顔、恥ずかしがる顔、拗ねる顔……ふひひ。はいオッケッ!
何だかんだ落ち着いた朝を過ごすのは久々な気がする。家を出てコンビニで涼んで昼飯買って校門をくぐる。学校のお上からの呼び出しも厄介事も無くボーッとしていられるだけの朝は最高だ。そうだよ俺に足りないのは一人の時間なんだよ。もうっ、みんな俺を離してくれないんだからんっ。
廊下は爽快。数多の教室から漏れ出る空調の冷気のお陰で俺の汗が引いていく。カモン平穏、あばよ脇汗。
「こんにちは快適空間」
「……朝だけど?」
「細かい事ぁ気にすん──あ、おはようございます夏川さん」
「ちょ、ちょっと何で急に畏まるのよっ」
昨日あんな事があって普通に振る舞えるとお思いですか女神様。よく考えたらいつもの事のような気がしないでもないけど気軽に会話ってちょっと無理じゃないですか? 気まずいよパトラッシュ………いかんいかん、やっべ気まずいだけで天に召されるとこだった。嗚呼。今日もふつくしい。
「あー……おはよ、夏川。あと芦田」
「おはよー、今日も暑いねー。煽いでよさじょっち。煽げ」
「ほんっと暑いわっ。日焼け止め足りるかしら?(裏声)」
「アンタキモいからやめなさいよそれ」
女子トークに混ざるには女子に成り切るしかなくない? そうじゃないと付いてける自信ないんだけど。え? 普通で良い? んだよ最初に言えよ。
芦田が夏川の席に居るってのはよく見る光景だけど、夏川が芦田の席に話しに来るなんて珍しい光景だ。さすがの夏川も昨日の芦田の迫力には勝てなかったか。わかる。昨日の芦田は怖かった。そして夏川は可愛かった。
「ああそうだ、早速だけど夏川。いつになんの?」
「え!? そ、その……いつになるって」
「幻の妹、愛莉ちゃんに会わせたいって……」
「だ、誰が幻よっ……愛莉はそんなんじゃ──」
「まぁ俺にとっちゃそうだったんだよ」
「うっ……」
俺にとっちゃ〝名前を言ってはいけないあの人〟だったからな。何だかんだ返事してくれてた夏川が、前に口にしたときはマジで一週間ガン無視状態だったのはトラウマ。俺にとっちゃ愛莉ちゃんは畏怖の対象でもあったりする。写真を見る限りじゃ天使なんだけどね。存在を疑いはしなかったけど、あんまり話題に出て来ないもんだから夏川は一人っ子という印象が強い。あと自分の姉が女神っていう概念を持ってなかったから。理由は言わずもがな。
「ちょ、ちょっと待って!じゅんびっ、準備してから言うから……!」
「ホームセキュリティの準備ね、わかった」
「言ってて悲しくならないの……」
機器設置からコース選択、月々の支払い契約についての取り決め、レスリング女王のスケジュール調整などなど、することはたくさんあるだろうからな。
「てゆーか愛ち、さじょっち一人だけ連れてくつもりー?結構ヤバくない?」
「えっ、あ!?」
え、結構ヤバいの? それはどういう意味でしょうか……俺一人だといつ襲われるか分かったもんじゃないからとか? や、そこまで警戒してんならそもそも俺を会わせなくて良くない? いや会ってみたいけどさ。
「け、圭っ!次のバレー部の休みとかはっ……!」
「大会前だからねー……正直キツいかも」
「……」
たはは……と頭の後ろを撫でる芦田に夏川は絶句したように口をパクパクさせた。えぇ……そんなショック受けちゃうの可愛い──ンんっ。まあ芦田の人と人との緩衝材っぷりは半端ないからな。こういった事にはありがたい存在なのかもしれない。何より〝夏川愛華と佐城渉〟だからな。
「じゃあ何ヶ月後かになる感じ……?」
「何ヶ月も経つ前に二組目があるんじゃない?」
「え、なに二組目って?」
「それだけ愛ちと愛ちゃんは大人気って事だよ」
「ええ……? そんな事になってんの?」
白井さんや佐々木のグループが一組目だとして、まだ二組目があんのか。多分だけど山崎はアウトかな、アイツのお調子者っぷりは古賀や村田と絡む以前の問題で悪影響だから。そう考えると二組目もほぼ女子だけって事になんの? なら別にどうぞどうぞって感じだわ。是非とも女子同士でキャッキャキャッキャと神秘的な戯れをしてほしい。そして写真を僕におくれ?
「そ、それはっ……めよ」
「え?」
「ダメって言ってんの! だってそれじゃ……愛莉が佐々木君を──」
「え、佐々木?」
「あ、な、何でもない!」
「佐々木を殺せば良いのか?」
「や、何でもないって言ってるよさじょっち……」
佐々木ィ……!よく分からんが俺の本能がお前を痛め付けろと告げているぞぉ!夏川の口からお前の名前が出てきただけでムカつくぞぉ!
「ま、準備ができたら教えてくれよ、空けるから。是が非でも」
「え? そ、そんな無理しなくてもいいわよ?」
「やだ、絶対行く」
「駄々っ子か」
いやまぁその、なに? 平穏が第一ですけれども? 良い思いができるなら別に積極的に参加しないでもないって感じと言いますか、はい。合法的に夏川と一緒に居られるのが幸せっていうか? てか今までの違法だったん……?
「……な、何よっ……急に積極的になったり……」
「え? だって夏川が良いって言うから」
「ちょッ……な、なに聴いてんのよ!」
「や、だってこの距離感──お? 叩く? 叩いちゃう? 目醒めちゃうよ? 俺目醒めちゃうよ?」
「キモい!馬鹿!」
「ありがとうございます!(覚醒)」
あぁ何この至福の時間……昨日の疲れが吹っ飛ぶわ。夏川が俺と普通に話してくれてるってのがもうね。こんな最高な事ってある? 夢でも見てるみたい。こんなの二度と無いと思ってた。割とマジで。
「あ。さじょっち、愛ち逃げたよ」
「───ハッハッハッ」
「聴いちゃいねぇ」
◆
えげつないレベルで時間の流れを遅く感じるようになった。昼に達するまで一秒一秒を肌で感じる。それもこれも夏川が俺を家に連れ込む宣言(飛躍)をしたからだろう。いつになるか分からない瞬間がかなり待ち遠しく感じる。相対性理論を唱えたアインシュタインに姉貴直伝のバックドロップを決め込みたい所存。
姉貴と言えばそういや今日は生徒会室に来るように言われてない。ぶっちゃけ俺も時間を置きたいから万々歳、結城先輩込みで気まずいのなんの。
というわけで昼になって直ぐに食堂に直行すると、何故だかいつも埋まってる窓際のカウンター席が取れた。普通に座れたもんだから良いの?良いの?と周囲を見回してしまったよ。そんなわけでありがたく座らせていただく事にする。外は暑いからな……お前とはもう会いたくないよ。え?お前だよアポクリン汗腺。
気分は上々、そのおかげか今日はコンビニで一本で満足しちゃうバーを二本買ってしまった。もう一度言う、二本である。それに加えて菓子パンも買ってあるからたぶん栄養過多で俺はもうどうにも止まらなくなると思う
てか一本食っただけじゃ全然満足しないんだけど……足りねぇよ、量的に。
「その後ろ姿は……佐城か?」
「んん……?」
呼ばれて飛び出てないけどジャジャジャジャン。教室から飛び出せばそこはもうダメージが適用される戦場。ていうか面倒事の転がる世界だ。クラスの奴らがそんな確認するように話しかけてくるわけないしな。
振り返れば四人席に座る三人の女子。そう、これももう一度言う、女子である。うち二人は最近知り合ったばかりの先輩達だ。何つーか、よくもまぁ見つけてくれたなという感じがする。
「あ、どうも……うす」
振り返って頭に手をやり首を上下に稼働。後輩男子の挨拶なんてこんなもんだろう。てか何もしてないのにはぐらかすような素振りをする俺がいる。風紀委員の集団なんて普通に考えたら恐怖しかないっつの。
「………」
「待て待て普通に食事を再開するんじゃない」
「えぇ……ダメ?」
「そこは普通〝相席は良いか〟と頼み込むところだろう」
「いや面子。面子がヤバくないすか」
四ノ宮先輩、稲富先輩、もう一人の女子生徒も漏れなく腕に〝風紀〟の腕章を装備している。それってこんな昼の時間も付けてなきゃダメなん? 麻痺・毒耐性が付くとか? だったら俺も欲しいんだけど。
「こんにちは!佐城くん!」
「あ、はい。こんにち───え?」
そんなメンツの中の一人、小柄で大きな赤いリボンの目立つ小動物のような女の子が元気良く俺に手を振った。こら、子供が勝手に高校に入っちゃいけま──あ、ちょ、四ノ宮先輩? 腕掴む力強くないすか? ごめんなさい。
だがしかし、何度見直してもその少女は稲富先輩だった。気丈にというよりは、それはもう嬉しそうに俺に対してにこやかな顔を向けている。え、そんなに俺に会えて嬉しいの?
「ちょっと先輩? 誰ですかあの天使」
「訂正しろ、大天使だ」
「あの……目がマジなんですが」
たった数日の間に稲富先輩は進化したようだ。キラキラポワポワした感じがもうひたすらキラキラキラキラとしている。何というか頭撫でたいというより撫でられたい感じになっている。一周回って撫でてみたい気持ちもあるけど。
「佐城くん! 一緒に食べましょうよ!」
「え、え?」
「佐城、ゆゆもそう言っている。わかってるな?」
「あ、はい」
何なのこの連携……アタッカーとサポーターのコンビネーションが異常なんだけど。あっという間に捕獲されて───え、ちょっと待って……もしかして俺いま女子三人に迎え入れられてる? 待ってそう考えたら凄いアガッて来た。満足度ハンパない、あの栄養バーってそんな恩恵あんの?
二本でドーピング。




