厄日(女難)
続きます。
“お優しい姉”。俺にそんな姉ちゃんはいない。それなのに今日ここまで俺たちがやって来れた理由はなんだよ。理不尽な苛立ちをぶつけられようと憎まれ口を叩かれようと、一切遠慮なんかしてこなかったからじゃねぇの。それが帰る場所だったからじゃねぇのかよ。
「俺をパシって、礼の一つも言わず我が物顔でリビングのソファーに寝そべって、文句言いながらスマホを弄って肉まんを頬張ってる女王様───それが姉貴だろ、そうじゃねぇならそいつは俺の姉貴なんかじゃない」
「うっ……あ、アンタ………」
俺はドМじゃない。だから叩かれたいわけじゃないし理不尽にパシられたいわけでもない。姉貴が姉貴のまま優しくなってくれんのなら願ったりかなったりだ。でも、腹に溜まるもんはどうしようもねぇだろ。外ならまだしも、家の中でまで自分を抑えつけてほしくなんかない。そんなの俺は望んでない。
「───少なくとも、そんな姉貴が一番好きだね」
「なっ……」
「だから、気を遣うなんざ迷惑なだけだからやめろ」
頼むから、ホントに。
恥ずかしい。言っちゃったよ何なのこの茶番。結果的に姉貴に『姉貴は姉貴のままで居てくれ』って言っただけじゃねぇか。ホントマジで結城先輩この恨み一生忘れねぇかんな。俺もう二度と姉貴の前で真面目な話なんかしない。
「……」
「……何だよ」
「……別に。何でも」
何か言いたげに見てくる姉貴。文句有んのかと見返すと真顔で返された。言いたいことは解る、『コイツこんな事言えんだな』とか思ってんだろどうせ。
自分が苦々しい顔をしてんのがわかる。それをただ黙ってじっと見てくる姉貴も何だか気に食わない。
睨み返してると、姉貴がようやく口火を切った。
「ホントに良いの。アタシがアンタに優しくしてやる最後のチャンスなんだけど」
「や、何で最後のチャンスなんだよ。普通に優しくしろよ」
「はあ?アンタ、どっちなわけ?」
いやそういうことじゃなくない?イジめる気満々かよ怖ぇよ何なんだよこの姉。0か100しかねぇのか。気遣わなくても特に何の用も無しに気まぐれで肉まん買って来てくれても良いのよ?何ならハーゲンも少しくらい分けてくれたって───
「はあ?」
「はあ?って。何回訊き返しゃ気が済むんだよ」
「や、そうじゃなくて。アンタ、後ろ」
「はん?後ろ?なに訳わかんねーこと───」
後ろを向く。屋上に出る扉。そこからずんずんとこっちに向かってくる女子を一生懸命止めようとするバレー部の女子。
ん?んんんん?あれおっかしいな幻?何でこんなところにクラスメートしかも片方は好きな人が居んの?しかも何かめっちゃ怒ってない?
「夏か───」
「アンタ自分のお姉ちゃんに向かってなんて口利いてんのよッ!!!」
「ぐおッ!?」
え、ちょっ、胸倉っ……ええっ!? 何で何で!? 何で夏川がそんなに怒ってんの!?てか何でこんなとこに居んのッ!!? 姉貴? え? なんて口って……もしかしてさっきの聴かれてたってこと!?
「ええ……?」
「バッカじゃないのアンタは!“クソ女”なんて言ったらお姉さんが悲しむでしょうが!早く謝りなさい!」
「ちょっ、愛ちストップ!さじょっち止まってる……!完全に固まっちゃってるから!」
超キレてる夏川を宥める芦田。よく見なくてもまだバレー部のユニフォームのままだ。プロテクター付けたままとかデモ隊抑える女性機動隊員かよ。おっふ、夕焼けに照らされた脚マジやべぇな……。さすがバレー部なだけはある。
「あ、あの……芦田………?」
「ゴメン!マジごめん!大丈夫!最後の方しか聴いてないから!!」
「……」
何これどうなってんの?俺どうすれば良いの……?てかやっぱ聴かれちゃってたの?
掴まれた胸倉のとこを押さえたまま立ち尽くす。やっと手を離した夏川はそれでもまだ芦田に掴まれて止められていた。姉貴より怖いんだけど何で?昼の事もそうだけど俺何かした?最近ってか、今まで迷惑かけた事を報復しようとしてるとか?だったら甘んじて受け入れるけど。
困惑する最中、ふと後ろを見ると呆然としてる姉貴と目が合った。全然悲しんでない。こっちもこっちで夏川と芦田の急な登場にびっくりしてるみたいだ。二人を交互に見ながら目を見開いてる。
そろりと俺に目を合わせると、呆れた感じに目を向けてきた。
「……アンタ」
「何も言うな頼むから」
切なる願い。大口を叩いときながら女々しい声しか出なかった。このタイミングで夏川に反抗して姉貴に物申すほど肝は据わってないんです。何だろう……何かね、アタシ、もうどうでも良くなって来たの。
「ちょっとアンタ聴いてんの!?年上に対する態度ってものがあるでしょうが!そんなんで愛莉に悪影響与えたらマジで許さないからね!!」
「は、はぁ……?」
「ちょ、あのねさじょっちっ……!これには深ーい訳があんの!ちょっと付いて来てくんない!?ホンット!とりあえずアタシを助けるためと思って!!」
「お、おお……」
よく分からんけど芦田に従って付いて行くしかあるまい。目の前で夏服の女神と健康肌のスポーティーガールが組んず解れつな事になってんのをもうちょっと見てたい気もするけど。
「渉」
「………」
呼び止められる。呼び止められちゃったかー。
夏川と芦田の登場でさっきまでの空気が有耶無耶になった感が否めない。や、まぁそれで良いんだけど。でもだからっていつもの姉貴っぽく機嫌悪くなってたらやだなぁ……。怒ってない?怒ってないよね?
「アタシは、アタシに奴隷のように従ってくれるアンタが一番好きだよ」
「………。程々に頼むぞ、ホント」
この姉、自分がとんでもない事を言ってんのに気付いてんのかね。これでドン引きしない俺も俺っていうか。
で?結局怒ってないの?なら別に良いんだけど。後でハーゲンとか請求しない?おい怯えまくってんじゃねぇか俺。
どうせ家でまた顔を合わせる。だから別にこれ以上追及しようとも思わない。きっとまた帰ったらソファーにはしたない恰好のまま寝転がってんだろ。んで、邪魔っつったらうるさいっつってまた足蹴りしてくるんだどうせ。このいい加減さこそが俺と姉貴。
結局、何が問題で何を解決できたかなんてわからないままだった。
◆
最終下校時間も過ぎ、何故か夏川と芦田とファミレスに入っていた。時間も時間だから晩飯は要らないってお袋にメッセージすると『警察だけには捕まんなよ』とよく見たら犯行を止めようとしてない有り難いお言葉を返された。お袋……。
席について適当に注文を済ます。3人分の水を注いでテーブルに置くと芦田が直ぐに話す体勢になった。急いで制服に着替えたのか皺が寄ってる。何か夏川だけじゃなくて芦田もちょっとムッとしちゃってるし、怖いんだけど……。
「とりあえず、お姉さんとの会話を聞いちゃったのはごめん。さじょっちを探してて……屋上に向かってくとこ見つけて、それで思わず……」
「ああ、そゆこと。まあ別に」
「う、うん……ごめん」
小っ恥ずかしいこと言った憶えは……あるけど。まあ別に俺と姉貴に限った話だし、わざわざそれを話題に出されることもねぇだろ。
気恥ずかしさを隠すように軽いトーンで返すと、芦田は気を取り直すように少し俺に顔を近付けて小声で話し始めた。
「それでさ、今日の愛ち……なんかヤバかったらしいじゃん?」
「ああ、今日もヤバかったな」
芦田の問いかけに対してヤバいくらい可愛かったななんてニュアンスで返すと、心を読まれたのか白い目を向けられた。さすが俺と夏川を間近で見て来た芦田だ。察する力が違う。
当の夏川はというと、芦田の横でふて腐れたように腕を組んでそっぽを向いていた。口尖らせてるし何なの?普通に可愛いんだけど。
「良いご身分だねーさじょっち。こんな時間に女の子二人も侍らせて、ええ?」
「あ、はい……」
言われて初めて今の状況を理解する。そうじゃんクラスメートの女子二人と飯食ってるわ今。どんな状況?今んとこまだ俺がここに連れて来られた理由がよく分かってないんだけど。
夏川がツンと窓の外を向く。それを見て芦田がもっとムッとした顔になって夏川の膝をぽすぽす叩いた。
「ちょっと愛ち!アタシ言うからねっ!」
「……す、好きにしたら?」
「ホントは自分で言ってほしいんだけどね!でもほっといたらたぶん愛ち未来永劫言わないからアタシが言うね!」
「うっ……」
やだすげぇ棘あんじゃん、なに喧嘩?喧嘩なの?
夏川と芦田が反発し合うなんて珍しい。端から見たら二人が俺を奪い合ってるように見え……ないか。ちょっと店員さん?何で迷惑そうに俺を見るの、普通こっちの二人じゃないの?ねぇちょっと。
(え……ヤダ何あの三人………)




