錯覚
続きます。
「さじょっちは──もう何もしないと思ってた」
「! ……」
芦田のやたら実感のこもった言葉にハッとする。しかしどうして自分がそんな反応をしたのか、「そんな事はない」とすぐに言い返せないのか分からなかった。
俺の夏川に対する向き合い方──俺以外でそれを一番知っているのは間違いなく芦田だろう。一学期に夏川から距離を置いた直後のこと、自信を失ったばかりだった俺は芦田に対してその思いを語った覚えがある。それから芦田なりに俺の立ち居振る舞いを見てきて、俺が夏川に対して消極的だと判断したんだろう。
心の鎮火を目論んでいたはずの俺が、それでもなお最近まで夏川と接してきたのは何故か。本来なら俺と夏川はとっくに疎遠な関係になっていたはずだ。席が前後になっても大して言葉を交わさず、ただのクラスメートとして。
だけど。
『──それでも、自分の居場所が突然一つ無くなったら誰でもびっくりするし、不安にもなるよ』
「……」
不透明な女心なんて十五年と少しを生きただけの男に理解できるはずがなかった。雁字搦めにツタが絡まったその扉を、内側からほんの少し開けてくれたのは他でもない芦田だった。
あれが無かったとして、あの時の俺は夏川を取り巻く状況に気付けただろうか。それからも夏川との接点は生まれただろうか。文化祭実行委員の補助なんて面倒な役回りを引き受けただろうか。今の俺に、こうして真剣に向き合える居場所はあっただろうか。
芦田が居なかったら──俺は何ができていただろうか。
夏川に惚れて、自分を顧みて。それでも自分のやりたいようにやってきて。全部自分で決めた気になっていた。けど実際はそんな決断をするための勇気なんて持ってなくて、やり遂げたと思ったものはいつだって何らかのきっかけを与えられて突き動かされただけの結果なのかもしれない。
さしずめこの左手の怪我は蛮勇の象徴。突発的な状況だったかもしれないけど、一人で決めて一人で動いた結果がこれだ。本当の俺は正しい答えを導き出す決断力なんて無くて、一学期のあの時からまるでデモンストレーションでも重ねるかのように色々なものに導かれる事を繰り返して、何かを為すことに慣れてしまっただけなのかもしれない。
本来なら自分をフッた相手に話しかけるなんて脚が震えるほど勇気が要ることなはずなのに。それが、いったいどうしてこうなったのか。
それもこれも、発端は──。
「……このクソ陽キャ」
「なんで!?」
突然の褒め言葉に芦田はすごく驚いているようだった。
今まで俺と夏川の何を見てきたのかは知らないが、日頃そこにグイグイ突っ込んでいる自分の影響力を考えずに決め付けるとは片腹痛い。その辺の細かいところを考えないあたり、いかにも交友関係の広い人物のすることだ。
こいつは今まで自分が何をしてきたのかを理解していない。夏川の表情が芳しくない瞬間を見つけると、その後頭部を引っ掴んで「ほらさじょっち!」なんて言って俺の目の前に突き付けてくるんだ。視線を逸らして距離を置こうが関係ない。否が応でも俺の前に惚れた女の不安そうな顔を差し出してくる。この状況だってまさにそれに等しい。
そんなことをされたら、俺は……。
「お前の言う通りだよ。今さら俺が夏川に特別なことなんてしてやれない」
「そ、そんな……」
芦田のおかげで気付いた。俺は自分を理解してもらう事にこだわり過ぎていた。この怪我の原因や経緯なんてどうでも良い。夏川から理解してもらうなんて特別なこともする必要はない。すべきことはただ一つ。夏川の笑顔を取り戻すことだ。
そもそも俺は単なる友人やクラスメートとは訳が違うんだ。フラれた男にできることなんて限られる。特別な機会でもないのに何かを画策して「あなたのためにやった」なんて言ってもただの気持ちの押し付け──余計なお世話というものだ。気持ち悪いと思われるのが関の山。だから。
「だから──普通のことで勝負する」
「え?」
フラれた身なりに、勝負に出る。機会は最小、だからこそ逃すことの出来ない貴重な瞬間。
「あるだろほら、間近に。絶好の機会が」
「絶好の機会……──あっ!」
それは、全ての人間に等しくやって来る祝福の一日。夏川がこの世に生を受け、今年で十六回の節目となる素晴らしき記念日。
「「──夏川(愛ち)の誕生日……!」」
十月三十一日。これがどれだけ特別な日か分かるだろうか。人々は夏川を祝福するあまり事前に準備を進めて衣装作りに励み、当日は仮装に身を包んで渋谷のスクランブル交差点で狂ったように踊り騒ぐと言われている。今年もまた来たる日に備え、既に多くの人々が準備を進めている事だろう。あまりの熱狂ぶりにこの俺でさえ付いて行くことができていない。
「夏川の誕生日を祝う。プレゼントを渡す。何もおかしな事じゃない」
「なるほど! 愛ちの誕生日を祝って元気を出してもらうんだね!」
「そうだ」
「どこでパーティーするの?」
「え?」
「え?」
パ、パーティー? 今こいつパーティーって言ったか? パンティーじゃなくて?
えっと……特別なことはしないってさっき言わなかったっけな……そもそも自分がフッた相手から誕生日パーティーセッティングされるとかどんな地獄だよ。こんな状況じゃなくてもヤベェよ。まだスクランブル交差点の中心で騒がれた方がマシだろ。
もしかして芦田さん……誕生日パーティーは〝普通のこと〟って認識されてます?
「……? 誕生日パーティーしないの?」
「このクソ陽キャ」
「なんで!?」
「そもそも夏川は誕生日を家族内でケーキを囲んで愉しむタイプだ。愛莉ちゃんが口の周りに生クリームをいっぱいに付けて幸せそうに食べる姿こそが夏川にとって最高のプレゼントだろう。夏川の愛莉ちゃんへの愛を舐めるな」
「どの立場から言ってんの!?」
ガチな話、仮に勝手に誕生日パーティーなんてサプライズでセッティングして急に呼び出してみろ。夏川は気を遣ってこっちに参加するかもしれないけど、夏川家は本人不在のまま愛莉ちゃんが寂しそうに誕生日ケーキをフォークで突くという地獄絵図になるだろう。考えただけでハゲそうだ。
「目的は夏川の笑顔を取り戻すこと。パーティーじゃなくても、何人も近しい奴から祝われたら嬉しいもんだろ」
「でも、それでも愛ちが元気にならなかったらどうするの?」
「…………後はお願いできます?」
「他人任せ!?」
話しかけただけで用事を思い出されてしまう現状を考えると、そもそも俺が夏川に接触することそのものが状況を悪化させてしまうことすら有りうる。あと俺が直接試せることと言えば、厚意を受け取ってもらえるかどうかだけだ。あわよくば口を聞いてもらえればもっと良し。
「……俺が原因なのは分かってる。でも、今回に限っては〝夏川が元気になるまで諦めない〟なんて言えねぇよ。バイトや文化祭実行委員みたいにただ作業すればどうにかなる話じゃないんだ。そう簡単に夏川の心を動かせるのなら、今ごろ俺は佐々木のことを羨ましいなんて思ってない」
「羨ましいって思ってるんだ……」
「だから、俺は俺に出来ることをするしかない。それで駄目なら──いよいよなんだろうな」
「……」
夏川が落ち込んでいる原因は俺だ。そんな俺が数少ない機会を使ってもどうにもならないのなら、もはや俺が力を尽くせる余地なんて残っていない。
でも、芦田のような他の人間は違う。そもそも夏川が悲しい顔を見せる理由は無いんだし、懸命に励まし続ければ今までのように笑顔を向けてくれる余地は残っているはずだ。
「だから、その、ホントに申し訳ないんだけど……」
「さじょっちが駄目で、あたしとか他の子が愛ちを喜ばすことができたとして。さじょっちはそれで良いの?」
「……。悔しいけど、よく考えたら今までの方が有り得ない関係なんだよな」
告白してフラれて、それなのにこれだけ近い距離感で仲良くしてくれるなんて普通じゃ考えられない。贅沢な時間だったんだ。俺にとってはボーナスタイムが終わるようなもの。
「前向きに考えるしかない。それこそ未練を捨てることができる良い機会だと思う」
「……そっか。わかった」
中学生の頃と今の俺の考え方が大きく違うように、夏川に対する未練を断ち切ることができれば、また新しい考え方が生まれるのだろう。過去の悔しさも歯痒い苦しみも、その先で未来を活かすためのバネになってくれる事を期待するとしよう。たった一度の恋の終わりで、今後の俺の全てを台無しにするわけにはいかない。
「ねぇ、さじょっち……もしそうなったときは……さ」
「ん?」
「──ううん! やっぱり何でもない!」
「? そうか。まぁ、今は上手くいくことを考えないとな……っと」
学校のチャイムが鳴る。芦田からの尋問という名の作戦会議を経て、夏川のために俺がどうするべきかは固まった。残された機会を有効的に使わなければならない。願わくば、俺自身の力で夏川を笑顔にできれば……。
「……あれ? そういえば、さじょっちの愛ちへの誕生日プレゼントって……」
「なんだ、忘れたのか? 前に話しただろ」
「う、うん……ごめん、もっかい教えてもらっていい?」
「しょうがねぇな……」
中二、中三を経て導き出した最適解。夏川という名の宝石をより美しく彩るためのほんのエッセンス。高校生の域を超えず重すぎない手頃なお値段で仕立てあげた俺からの珠玉の一作。
「──指輪だ」
「う、うーん……」
んだよ。




