放っとけなくて⑤
続きます。
ホームルームが終わる。担任の大槻先生は季節柄、肌寒くなってきたことからオフィスカジュアルの服装にこだわり始めたらしいのだけど、教頭先生からチクチクと苦言を呈される事を嘆いていた。咎めたのが男性だったこともあって、女の子からの共感の声が多く先生は満足気に教室から出て行った。
「大槻ちゃん、たぶん末っ子だよね。それか一人っ子か」
「う、うん……」
大槻先生の生徒になって半年過ぎ、C組一同の中でようやく担任のご機嫌の取り方が分かり始めたこの頃。近くの席の相部さんと苦笑いしながら話す。副担任を終えて今年から初めての担任を受け持っていると聞いているし、色々と苦労を感じているのだろう。以前、転職したばかりで忙しそうにしていたお父さんが帰宅後、空っぽになったままのグラスを気付かずに何度も口に運んでいたのを思い出す。見かねてお酌したものだ。
気苦労の多い中で普通なら生徒の扱いにも手を焼くものだけど、大槻先生は自然と生徒に気を遣わせるのだから上手く立ち回っている方だと思う。女性である強みをちょうど良い具合に発揮できている。
「俺らでストレス発散されてもな……」
「や、ストレス与えた側の佐城が言うなよ」
「うぐッ……そ、そうかもですね……」
軽口を叩いた渉が松田くんに指摘され、バツが悪そうに包帯の巻かれた左手を見た。大槻先生からすれば自分が受け持つクラスの生徒が文化祭の最後にドジで怪我を負ったのだ。肩身の狭い思いをしたのではと思わずにはいられなかった。
「しゃあねぇ、今度のテストで満点取ってやるか」
「テキトー言わないの」
まるで誠意の無い渉の大言壮語を叱る。過去に何度か同じセリフを聞いたことがあるけど、今の渉にあの頃と同じような熱意は感じられない。ひたむきで分かりやすかった真っ直ぐさは感じられなくなり、徐々に掴みどころが無くなって行くようで、不安になってしまう。
「さってと……」
「あっ……」
ササッとバッグを肩にかける渉。動き出し逡巡の余地も与えてくれない渉に突き動かされ、思わずそのバッグの端を捕まえてしまう。
「……夏川?」
「きょ、今日はっ……今日も、用事は無いの……?」
「あ、ああ……」
「じゃあ……──ね?」
「……おう」
私と渉は同じ帰宅部で、帰るタイミングは同じ。中学からの仲で、帰る方向も途中までは同じ。何かを言うまでもなく、ただ横を歩けば良いだけなのに。
つい渉の怪我が心配であることを理由にしてしまうのは私の弱さだろうか。文化祭を終えてから何度も一緒に帰っているのに、〝一緒に帰ろう〟と直接言えたことは無かった。どうしても遠回しな言い方になってしまい、隣を歩く度にどこか後ろめたさを感じてしまう。
含みのあるニヤケ顔を浮かべる圭をムッとした顔で部活に見送ると、私たちは靴を履き替えて外の風を浴びる。指先の冷たさにニットの袖の中に手を引っ込めると、少し前を歩く渉の剥き出しの左手が目に入った。
「ねぇ、バッグ。持つわよ」
「いや良いって。さすがに夏川に持たせるのは……」
「なに遠慮してるのよ。怪我人でしょ? どこかで転んだときに少しでも余裕があった方が良いじゃない」
「そりゃまぁ、そうだけどさ……やっぱりこう、他からの目が気になってしまうというか……」
「良いからっ」
「あっ、ちょっ、ちょっと待っ……!」
よりにもよって怪我をしてる左手側の肩にバッグをかけてる渉。少し強く引っ張ってみると慌てて力を緩めてくれた。弱点を利用する卑怯な方法だけど、少しでも力になれるならそれでも良かった。
渉から受け取り、腕の中で抱き締めたバッグがフシュー、と空気が抜けて萎む。あまり多くの物が詰め込まれていないのは前に触れた時と同じだった。
「……相変わらず、軽い」
「教室に置けるものは置いてるから。そ、それより……」
「?」
「……いや、何でもない」
どうせ全く重くないのだから、遠慮なんかしないで良いのにと思ってしまう。顔を背けてまで言葉を引っ込めたのはやっぱり私がバッグを持つ事に遠慮があるからかな。
「さ、行くわよ」
「うっ……はい」
ここまでが最近の放課後の風景。安全を欠く渉を、私が強引に先導する。これをいったいいつまで続けられるのだろう。このままで良いのかな。渉の怪我が治ったら、それからは──。
「──お、お久しぶりですわね。佐城さん」
「え……」
思考に沈みかけた私を引き上げたのは、透明感と張りのある声。どこかで聞いたことがある口調と思いつつも、私の記憶の中で当てはまるものと比べるといくらか落ち着きの増した声色だった。声のした方に目を向けると、秋の校庭の景色に映えるブロンドの髪が視界に入った。
「えっと、確か……」
「……お嬢」
「お、おじょう?」
見覚えのあるお嬢様然とした女子生徒。前に文化祭のファッションショーのステージで見た時と同じように、どこか生きる世界の違いを感じさせる雰囲気を纏っている。キラキラした印象が強く、私が彼女を〝女の子〟と言い表すには烏滸がましいように思えた。
そんな彼女に対し、遠慮の無い呼び方で応える渉に思わず目を向けてしまう。
「ちょっとぶりっすね。ただ、このままずっとご無沙汰の方が良いんじゃないっすか──お嬢自身のためにも」
「……っ…………それは」
「……?」
軽いトーンで言葉を返す渉に対し、ミス・鴻越に輝いた彼女は自らの片腕を抱き締めて俯く。
渉が〝お嬢〟と呼ぶ女子生徒──東雲・クロディーヌ・茉莉花さん。以前に見かけた時は憧憬の目で応援する立場だった。それは私や圭だけでなく渉も同じだったはず。だというのに、今の渉はやけに身構えているように見えるのは気のせいだろうか。
顔を上げた東雲さんが申し訳なさそうな眼差しで渉を見る。
「あの人の言葉に……従いたくはありませんわ」
「……」
「……」
肩を竦める渉。その顔に喜怒哀楽は無い。まるで世間話の隙間に息継ぎを挟むように、口を閉ざして鼻からスーと息を吐いた。見つめ合う二人の間に少しの沈黙が訪れる。
二人の会話の内容は私が分かるものではなかった。ただ渉の言葉を聞く限りだと、まるで東雲さんは渉に近付かない方が良いとでも言っているように聞こえる……。そういえば、東雲さんはまるで自転車置き場の陰に潜むように立っているようにも思える。
妙な雰囲気に居たたまれなくなり、思わず口を挟む。ずっと気になっていた事があったのだ。
「あ、あの──その人は……?」
東雲さんの斜め後ろに控えている老齢の男性。裾が長めのチャコールグレーの背広に身を包み、場に溶け込むように沈黙している。不思議と東雲さんと血の繋がりがあるほどの関係性は感じられない。
一度として向けられていなかった碧い眼の瞳が私を捉える。そう思ったのも束の間、老紳士さんが東雲さんの前に歩み出て私に一礼した。
「お初にお目にかかります、お嬢様のご学友様。私はお嬢様の送迎係とでも思っていただければ」
「あ、はい……えっと、こんにちは」
害は無いのだろうけど、見知らぬ男性。気が付けば渉の背中に半身を寄せている事に気付く。怪我人を盾にしていることに気付いて、慌てて全身を出して会釈を返す。
「──私の、監視ですわ」
「ぇ……」
「……監視?」
聞き間違いかと思ったものの、渉が返した言葉でそうでないことに気付く。とても穏やかじゃない。いったい何がどうなってそうなっているのかと邪推がめぐる。疑問に思うものの、とても部外者の私が事情を尋ねられる話とは思えなかった。
「……この時代にマジの側仕えってやつですか」
「いいえ、監視です。私がまた、胡乱な真似をしないための」
「……」
もちろん学校の敷地内では限界がありますが……と続ける東雲さん。
気まずそうに頭の後ろをなぞる渉。事情はわからないけど、さすがに返す言葉が見付からないようだった。「監視されている」という東雲さんの顔に悲壮感は見られない。自らの立場を嘆く様子も無く、気丈な振る舞いを続ける姿には違和感しかなかった。
「──こと、監視無しでの佐城さんとの接触は、東雲家より許されておりません」
「……え?」
いったい、何故、どうして。
何の関係があって、そこで渉の名前が……?




