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ひじまろ

 続きます。




「あの……ちょっと、マジで」


「あ! ちょっと強引だったかな? ごめんね~?」


「や、まぁ……良いんですけど」


 さすがにヤバい状況な気がして、真面目に離れてほしいと訴える。本人からの頼み事はさすがに素直に言う事を聞いてくれるのか、大人しく離れてくれた。


 鬼束(おにつか)先輩は一歩下がるも、俺を包み込んでいた柑橘系の香りはまだ周囲を漂い続けている。手で扇いで払いたいところだけど、さすがに本人の目の前でする勇気はなかった。


「その……鬼束先輩?」


「玉緒でいいよ~。リピートアフタミー、『た・ま・お』先輩っ」


「いやちょっと、それは……急すぎるというか。その、いいです?」


「うん、なぁに?」


「や、落ち着いてくれます?」


 目の前に立つ鬼束先輩。離れたばかりなのに今にもまた俺に抱き着きそうなくらい前のめりになって訊き返して来る。それこそさっき芦田(あしだ)夏川(なつかわ)を見つけた時みたいにブンブンと荒ぶる尻尾が幻視できた。飛びかかり気味の両手が怖い。いったい俺の何が先輩を興奮させているのか……。


「ちょっと、距離感がですね……普通じゃないというか」


「そ、そうですっ!」


「大胆どころじゃないです……」


「……? だって、(かえで)の弟クンでしょ?」


 ボディータッチ多めの芦田ですら引くレベル。それなのに鬼束先輩は自分がどれほどの事をしたのかまだ分かっていないようだった。親友の弟だからって「抱き着きたい! 触りたい!」とはならんでしょうに。ペットならまだしも……や、確かに文化祭の時は一時期シェパードだったけど。


「確かにそうですけど……俺も男なわけでして」


「知ってるよ?」


 本当に理解しているのか判断に迷う。ギャルは無限の可能性を秘めているからな。どんな思考プロセスで答えを導き出すのか全く読めない。何となくとか言ってたけど単に可愛がってくれたとも思えない。何か目的があるような気がする。


「───だから、惚れさせにきたんじゃん」


「何でだよ」


 思わずタメ口が出てしまった。

 いや怖っ。バッチリ落としに来てるんですけど。超打算的な抱擁だったじゃん。めっちゃ自分のカラダ使ってきたじゃん。女の武器百パーセントで来たじゃん。ハニートラップじゃん。


 わざとなのか無意識なのか、答えを出すまでの途中式がごっそりと抜け落ちている気がする。俺が姉貴の弟で偶然にも異性だったから惚れさせるってどういうことだよ。三段論法の真ん中どこいった? ホップステップの『ステップ』は? むしろスキップしてるじゃん。スキップ論法じゃん。


「で、惚れた? 惚れた?」


「惚れ(そうになったけど惚れ)てないです」


「んー惜しいっ! 惜しいトコまで行った気がする!」


「あぶ───そんなことないっす。全然」


「ちょっとさじょっち」


「単純……」


 あの蠱惑(こわく)的な抱擁に打算があることはわかった。目的は俺を惚れさせることらしい。


 ふん、この人は俺を甘く見ている。あと少しで女郎蜘蛛(じょろうくも)の巣に引っ掛かるところだったぜ。いやまぁ、何ならその前に女郎蜘蛛本体に捕まってた気がするけど。身体中に柑橘系の匂い染み付いている気がするのは名誉の負傷のようなものだろう……マーキングじゃないよな、これ。


「俺を惚れさせてどうするんすか」


「え? まず付き合うでしょ~」


「えっ」


「えっ?」


 さんざん利用して金を搾り取ってこっ(ぴど)く捨てるんじゃなくて? 一回ちゃんと付き合っちゃうの? ていうか先輩はそれで良いの? 姉貴みたいに触れたら火傷しそうな危なさも無いし、佐々木(ささき)のような性格も(ほど)良いイケメンでもないんだぞ。


「そ、それで?」


「イチャイチャするでしょ~? はい、幸せ!」


「……」


「わ た る」


「ハッ……!?」


 危ねぇッ……! 俺を惚れさせる理由がシンプルかつ理想的すぎて好きになるところだった……! 騙されちゃいけない! きっと先輩は何か本当の理由を隠しているはずだ。こうなったら禁断のアレを訊くか……訊いちゃうか? だってこれもはや勘違いとかそういう次元の話じゃないだろうし。


「先輩は───お、俺の事が好きなんですか?」


「? ううん」


「ッ……だよっ……! なんっなんだよっ……もうっ……!」


「さ、さじょっち……」


 右拳が俺の膝を痛めつける。もう少しで左も繰り出すところだった。痛いだけじゃ済まされないだろう。やだ俺っち、顔あっつい。


 これで確定した。この姉貴の親友とやらは年下の男をからかって愉悦に浸る悪いギャルなんだ。男を落とすためなら手段を選ばず手っ取り早く女の武器を使うし、きっとオタクの事は薄汚いゴキブリか何かだと思ってるんだろう。はい解散。


「……んで? じゃあ俺を惚れさせる理由は?」


「え~、親愛度が足りないかな」


「───」


「渉が、真っ白に……」


 ……そうか。これが〝女に振り回される〟ってやつか。また一つ大人になった気がする。こうして人は成長していくんだな。ああ……今だけは異性から離れて男だけで集まってスマブラしたくなってきた。楽になりたい。


「あはは~、やっぱりこんなちょっとの時間じゃ厳しいよね。就活大変だし、彼氏になってもらって癒されようと思ったんだけど」


 鬼束先輩の言葉に驚いたのも束の間、夏川が弾かれたように腰を上げた。


「そ、そんな理由でっ……! 好き、でもないのに……」


「好きかどうかは関係ないよ。別に結婚するわけじゃないし~。お互いが納得して楽しいならそれで良いと思うんだよね~」


「そ、それは……」


 この恋愛の敷居が低い感じ……紛うことなき〝陽キャ〟というやつなんだろうな。しかも『ギャル×陽キャ』の究極完全体。まさかこんなパリピが姉貴の親友に居たとは思わなかった。四ノ宮先輩しか友達居ないと思ってたわ。


 食らいついた夏川は鬼束先輩の言葉に何も言い返せないようだった。清廉潔白な夏川のことだ、男女はお互いゆっくりと仲を深めて、長い時間をかけて両想いになって、それからどちらかが告白して付き合うみたいな恋愛のカタチを想像しているのだろう。別にそれは間違っていない。ただ現実的じゃないだけだ。


 ───でも、夏川がそうだからこそ、俺は。


「まぁ、自由っすよね。そういうのは」


「あっ! 弟クンもそう思う?」


「だから、この子はこれで良いんすよ。〝恋愛感情を持っていないなら、付き合うべきじゃない〟。同じ価値観の人を探して、仲を深めて、自分達だけの付き合い方をすれば良いんです。お互いが納得して幸せならそれで良いと思うんですよね」


「ぁ……」


「わぁっ、カッコいい」


 きゅぴんっ、じゃないんだけど。えぇ……まったく響かないじゃん。強すぎるんだけど。何だこの究極完全体、就活中とか言ってたけどこんな人を社会に出して良いのだろうか……? テンションだけで昇進して行きそうで怖いんだけど。


 たぶん、鬼束先輩が語った恋愛論は適当なこじつけなんだろうな。そもそも陽キャを極めた存在は恋愛の在り方とか細かいこと考えてなさそうだし。二択を迫られても時と状況に応じてあっちへフラフラこっちへフラフラな感じだろう。まぁ、良いんじゃないだろうか。それで幸せなら。


「あはは、そっかそっか~……そうなんだ」


「?」


「歳が近いだけじゃなくて、思ったよりも大人なんだね───弟クンは」


「惚れそうですか?」


「うん」


「えっ」


 うっそ、マジで? やっべ、テンション上がってきた。どうしよ。


 ……なんてな。どうせその返事も反射的に適当に返しただけだろう。この期に及んで騙されるわけがない。この人は有希(ゆき)ちゃんに次ぐ要注意人物だ。俺がこの人に惚れるなんて事には絶対にならないだろう。何年一人を想い続けてると思ってんだバーロー。


「───今日は、ここまでかな」


「……!」


 鬼束先輩から引き下がる雰囲気が醸し出される。この機会を逃すわけにはいかない。いい加減周りの空気もヤバいことになっているのでさっさとお帰りいただこう。


「時間も時間ですしね。今ごろ姉貴が探してるんじゃないですか」


「楓には内緒にしてね」


「俺、口が軽いんで」


 さすがにこの一件を姉貴に話さないわけにはいかない。具体的にどういう仲なのか全然知らないけど、本当ならしっかりと手綱を握ってもらわねば。女豹を狩ることができるのは虎くらいなもんだからな。四ノ宮先輩なら生身でもイケるかもしれないけど。


「じゃあ~、これ賄賂ね───」


「うん? え───」


「ぁ……!」


 遮られる視界の左半分。慌てて閉じた目蓋(まぶた)に触れる、柔らかい感触。


 目を開けると、鬼束先輩の唇が俺の視界から遠ざかっているところだった。


「左手、安静にするんだよ。ひじまろにね」


「……」


「それじゃあ、またね~」


 遠ざかっていく柑橘系の香り。脳がバグって影響を与えているのか、ぼんやりとした視覚情報は何の役にも立たなかった。


 注目を浴びていることをものともせず教室から出て行く愉快犯。見送りの言葉なんか思い浮かぶわけもなく、俺は左手の痛みとともに身動きを忘れた。


「……なん……えっ……?」


 ふと我に返ったのは、半開きになった口の中で大きな泡が弾けてから。何となしに左手の先で目蓋に触れるも、そこには渇いた薄い皮があるだけだった。欠片の湿り気も感じない。


「……え?」


 人生で初めて異性からもらったキスは、まさかの左目蓋だった。


 レベルが高すぎて感慨も何も無い。むしろ位置を選ばない感じに戦慄すら覚えた。これが恋愛強者の歩む道だというのか。


「……」


「あ、えっと……さじょっち」


「な、何よ……こっち見て」


 呆気に取られた様子の二人。助けを求めるように目を向けても(かんば)しい反応はなく。夏川からは不機嫌そうな声が返ってきた。どうやら二人もこの場の空気を変えるほどの言葉は見つからないらしい。迷った結果、俺は率直な疑問を口にした。


「『ひじまろ』って、なに……?」


「……さぁ」


「……」


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― 新着の感想 ―
もう続きは読めないのかな
[気になる点] この人は有希ゆきちゃんに次ぐ要注意人物だ いや、危険人物だろう! [一言] え?ひじまろ??
[一言] おけまるはわかるが、ひじまろとは…?
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