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かろうじて

続きます。




「え!? どしたん!? てかその手!」


 俺が何かを諦めたのを察したのか、ギャルっぽい先輩が目を丸くして騒ぎ出す。うるさいものの今さら不快とは思わない。なるほど……これが絶望ってやつか。体から余計な力が抜けて痛みが和らいだような気がする。


「レイコちゃん呼んでくる!」


「……」


 よく見れば只事じゃないと直ぐに気付いたのだろう、慌てて不格好なダッシュで保健室から出て行く先輩。ひらりと翻る黒髪とスカートが目に入ったものの、この状況で余計な感情は欠片も湧かなかった。


「………ぁ……」


「……」


 目の前に誰かの脚が視界に入る。少し顔を上げると、気まずそうに片腕で自分を抱くお嬢が居た。どうやらここまでやって来た俺の後ろを付いて来ていたらしい。今は綺麗なものを見てもムカつくだけだし、特に声もかけず床を見つめる。気を遣ってやる余裕なんてない。何ならこのまま帰ってくれても良い。


「……」


「……」


 静寂が意識を左手に向かわせる。それが嫌で、遠くに聞こえる微かな喧騒で左手の痛みから意識を逸らす。血がどうなっているか分からないものの、こめかみを伝う脂汗は止まったような気がした。


「───センセ連れてきたよっ!」


「! うっ……」


 数分後、開きっぱなしになっていた入口からさっきの先輩が飛び込んで来た。早い。思ったより協力的なようだ。希望の光が見えたものの、それと引き替えに痛みが復活する。


「怪我人ですか───って、貴方は」


「あ、あぁ……どもっす」


 先輩の後ろから早足で入って来た女性の養護教諭。少し息切れしている事から急いでくれたようだった。壮年の白衣姿がいたく頼もしい。一学期の昏倒に続いてまたも厄介事を持ち込んでしまった事に申し訳なさを感じる。顔を覚えていてくれたのがせめてもの救いだった。


佐城(さじょう)君、その手は」


「───え、〝さじょー〟?」


「とにかく、こちらへ」


 優しく背中を支えられ、奥の診察台の前にある丸椅子に座らされる。先輩が俺の名前を聞いて驚いたようだけど、おおかた同学年に同じ名字の女ヤンキーが居るから気になってしまったのだろう。そういや姉貴って四ノ宮(しのみや)先輩以外の同学年女子からどう思われてるんだろうな……。


 対面に座った新堂(しんどう)先生と患部についていくつか問答の末、俺の左手は(てのひら)を上にして先生の前腕に添えられた。


「ティッシュは取れそうですか」


「え……」


「取りますよ」


「は、はい……」


 俺のビビる顔を見て察したのだろう、先生がすぐに判断して動き出す。


 すっかり真っ赤に滲んだ左手に巻き付くティッシュを見て先生が小ぶりのハサミを取り出す。俺と、そして俺の後ろから唾を飲み込む音が聞こえた。今は世界一見たくないものだった。


「ひっ……」


 もはや継ぎ目の分からなくなった赤い巻き物の横からハサミを入れられる。水気を帯びるそれはいとも容易く切られ、手の甲側でべらりと垂れ下がった。もはや恐怖でしかなかった。


 手の内側のティッシュが捲られる。まるで皮膚と癒着していたかのようにズルリとした感触を感じた。この瞬間だけは痛みよりも恐怖感が勝った。全身に鳥肌が立つ。


「これは……」


「……っ……」


 新堂先生が眉を(ひそ)める。俺も初めて自分の左手の様態を目にして唾を飲み込んでしまう。赤に黒の色が加わり細かな重症度が確認できなくなっている。ただ、明らかに〝表面〟という形を失った掌の中心部分を見て逆に吹っ切れた────あ、これ大怪我だわ。


「手の甲は」


「……」


「そうですか」


 答えてもいないのに新堂先生が返事をする。少なくとも手の甲側がどうなっているか自分で確認する勇気はなかった。それを察してくれたらしい。


「どちらにせよ、ここで大した処置はできません。止血しつつただちに病院に向かいましょう」


「は、はい」


 明らかに目の色を変えた先生が有無を言わせない声色で提案する。俺はただ頷くことしか出来なかった。左手を新しいガーゼで包み、机の上に乗せたまま出来るだけ腕を圧迫して抑えておくように言われる。大人しく言う事を聞く。


「しかしもう夕方ですね……外来の受付はもう閉まっているでしょうし、救急車しかありませんか……学校に話を通さないとですね」


「うっ……」


 思ったより大袈裟にしないといけないようで冷や汗が垂れる。救急車を呼ぶということはこの学校にピーポーピーポーと音が鳴り響くという事だろう。きっと目立ちまくるに違いない。それだけは避けたいと思ってたけど、そう上手くはいかないようだった。


「───あ、あのっ、それならわたくしがっ」


 最悪だと落ち込んでいると、横からお嬢が口を出して来る。目立たずに済むのかとつい期待の目を向けてしまう。カッターナイフを握っている時と違って強い意思を感じる顔だった。


「あなたは?」


「い、一年生の東雲(しののめ)・クロディーヌ・茉莉花(まりか)です! 西側(・・)の生徒ですわ!」


「それは? 個人的なツテがあると言いたいのですか?」


「は、はい!」


「その方が早いと?」


「はい! その通りですわ!」


「……ふむ……その方が確実ですか」


 何やら救急車を呼ぶ必要が無くなりそうだ。助かった……や、この怪我で何言ってんだって感じだけど、目立たずに病院に行けるならそれに越した事はない。ここはお嬢の言葉に甘えよう。


「───ちょっと待って」


「な、何ですの?」


 安堵して右手で胸を撫で下ろしたのも束の間、今度は視界の反対側から影が差す。さっきの先輩がまだ後ろに居たようだ。ギャルっぽい能天気さを無くした冷静な声色だった。


「詳しい事情を聞いてないから知んないけど、それでこのさじょー君が不都合になったりしないよね?」


 目を向けると、最初に顔を合わせた時とは大きくかけ離れた真剣な表情。敵意を帯びた声色だ。どこか姉貴を思わせる睨みである一方で、酷く冷たい雰囲気がある。


「こんなときに何を言ってるんですの!」


「ごめんね? 〝西側〟が信用できない世代なもんでさ」


「……っ……」


 怯むお嬢。冷静さを欠いているせいか返す言葉が見付からないようだ。


 三年生───去年までこの鴻越(こうえつ)高校で東のA〜C組、西のD〜F組の一部が衝突し合っていたという世代だ。両揃いする生徒会の連中と接しているせいか俺にはあまり実感が湧かない。当時はこんなのが日常茶飯事だったってか……?


 ただ不都合も何も、この怪我は俺が自分でしでかした事だ。お嬢が関係してないとまでは言えないけど、実行者は他でもない自分自身。元よりお嬢に何か責任を負ってもらおうとは思っていなかった。大きな騒ぎにならずに済むのなら、個人的にはむしろ感謝するかもしれない。


 お嬢にフォローを入れようとしたところで、新堂先生が話し出す。


「やめなさい鬼束(おにつか)さん。一年生の彼女に持ち出すべき話ですか。保健委員のあなたがいま優先すべき事はなんですか」


「うっ……ごめんなさい」


 説教の一幕。このギャルっぽい先輩、保健委員だったのか。ただのサボりかと思ってた。素直な様子を見るに悪い人というわけじゃなさそうだ。ただどこか更生一年目みたいな発展途上の雰囲気を感じる。姉貴ほど達観してはいなさそうだ。これ以上余計な茶々を入れられないと良いけど……。


「東雲さん、ツテがあるというのならそのお言葉に甘えます。ただちに話を通して病院名と形成外科の電話番号を教えてください」


「わ、わかりましたわ! 先に迎えの車を寄越すよう連絡します!」


「いつ着きます?」


「十五分もあれば来ますわ!」


「早いですね。それなら私は彼の担任の大槻(おおつき)先生に連絡を入れます。鬼束さん、一年C組まで行って佐城くんの荷物を持ってこれますか」


「うん、わかった!」


「返事は〝はい〟」


「はい! 行ってきますっ」

 

 思っていたより話がトントン拍子に進んで行く。どうやら救急車を呼ばずに済みそうだ。何なら三十分後には病院に向かえそう。これはお嬢がお嬢様たる所以なのだろう。感謝……すべきなのか? よく分かんなくなってきたな……。


 保健委員とはいえ無関係の先輩の手まで煩わせてちょっと肩身が狭い。だけどこの状況で怪我人が勝手なことはしない方が良いだろう。大人しくその場で左腕を押さえ止血に努めることにした。


 移動が始まるその時まで、この怪我をどう説明するか考えた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 振り返ればここで普通に救急車を呼んでいれば…。 玉緒さんが危惧した渉にとって不都合になる事もなかったというね…
[一言] 更新ありがとうございます。続き楽しみにしてます。
[気になる点] >婚約者?はショーに参加した女性の自尊心を傷つける行為だと分からないアホではないでしょうし、そこまで嫌ってるんでしょうかね アホの可能性あるんだよなぁ…… 元々自分の顔の良さ自覚して…
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