事件現場
続きます。
閉会式が滞りなく進み、文化祭が終われば後夜祭───なんて事は無く、その瞬間から撤収作業が始まった。まぁこのご時世で夜まで滞在を許す学校があるわけないわな。学校で催されなくとも、この作業が終われば各々カラオケなり何なりに行って楽しむのだろう。
「佐城も行くよな?」
「おー」
一年生の割にそれなりの盛況を見せたなぞなぞ大会は成功を収めたと言っても良いだろう。クラスで打ち上げが開かれるのも必然とも言える。近隣のカラオケ店もうちの高校が文化祭と聞いてそわそわしてるに違いない。待ってろ、そのマイクは俺が握る。
「はぁ……にしても、とうとう佐々木がな……」
「? あぁ……」
山崎が視線を向ける先には一人の女子。茶道部ともあって真っ直ぐな背筋で教室へと向かっている。そんな大和撫子───斎藤さんは姿勢とは裏腹に表情は緩んでいるというか、何となく浮ついているように思えた。佐々木との関係に進展があったのだろう。俺があいつの背中を押したって言ったらどうなるかな……。
とうの佐々木は夏川と同じ文化祭実行委員会の仕事で体育館に残ったままだ。あいつもまさかこの文化祭の中で特定の女子と関係を進めることになるとは思っていなかっただろう。夏川の事が気になってると告げられてちょっとモヤモヤしていたあの期間は何だったんだ。自分で付き合えって勧めておきながらやるせない気持ちがあるんだけど。
「ま、いっか」
「な」
本当は良くない。きっと斎藤さんと仲の良い白井さんも岡本っちゃんも佐々木に対してどこかで好意を抱いていたように見えたし、これから気まずい思いをすることもあるだろう。だけどそれは文化祭直後の今考える事じゃない。楽しいイベントが終わった余韻に浸って、明日以降の事は何も考えずワイワイ騒ぐとしよう。
「っと……げ」
ポケットから振動。取り出してみると、スマホのロック画面には『結城パイセン』の名前。まさかの生徒会長様からの連絡だった。当分は顔を合わせたくない存在なんだけど。
【ステージ横の控え室に来てくれ】
「……」
ステージ横。体育館の壇上の横にある謎の空間の事を指してんのかな。つまりはあそこまで戻って来いということか。嫌な予感しかしないんだけど……。
「……わり、ちょっと体育館に用事」
「おーう」
◆
「……」
「……」
風通しの悪い倉庫のような狭い空間。もともと置かれていたであろう備品は壁際に雑に避けられ、低い天井からは電線に吊るされた電球がぷらぷらと揺れている。無理やり空けられたスペースには複数のドレッサーが立ち並び、鏡の縁を囲うように女優ライトが輝きを放っていた。売れない芸人の楽屋ってこんな感じなんだろうな。
でも、俺の目の前に居るのは決して女優でも芸人でもない。
「……元気?」
「……」
六畳ほどの空間に散らばる四体のイケメン。お世辞にも清潔とは言えない床にキラキラした衣装で倒れ伏し、ピクピクと震え僅かな生命の息吹を主張している。そんな彼らの中心に鎮座するパイプ椅子で、純白のウェディングドレスを身に纏った姉貴が文字通り真っ白になって燃え尽きたボクサーのようなポーズで座り項垂れていた。よほど精神的ダメージが大きかったと見える。
実の姉がイケメン四人を侍らせて花嫁姿で壇上に上がっただけでもショックが大きいというのに、その恰好のままヤンキー漫画のような一コマを見せ付けられている俺はどんな顔をするのが正解なのだろう。
嵐が過ぎ去った後の静けさ。無惨に残されたシュールな空間で、嵐そのものになっただろう人物に向かってハウアーユーと投げかけた俺は我ながら芸術点が高い。たぶんこの場にまともな奴は一人も居ねぇ。
「ぅ……き、来たか……」
「生きてましたか」
「ああ……」
床から僅かに顔を上げて口を利く結城先輩。まさかあの連絡がSOSのメッセージだったとは誰が思うだろうか。少なくとも嫌な予感だけは当たってた。
「大丈夫ですか、誰にやられたんですか。ここでいったい何が……?」
「……っ……」
しゃがんで問いかけると、結城先輩はトラウマを思い出すかのように顔に痛みを滲ませ、歯を食いしばる。右の前腕で自らの体を支え持ち上げると、俺の足元を見つめて言った。
「───何も……無かった」
さては余裕あるなこの人。
誰にやられて何があったかなんて想像に難くない。何も無かったとは言うものの、姉貴からウェディングドレスとセットになったピンヒールで足蹴りされたダメージは決して低くはないだろう。その上でこう言えるのは結城先輩の姉貴への想いゆえか。普通に重い。
「見ての通りだ……渉」
「え?」
「俺たちはもうダメだ……」
何でやねん。
「しばらくまともに歩けそうにない」
自業自得やろがい。
「ちょっと……頼まれてくれるか?」
「えぇ……」
残念すぎる展開に顰める顔を隠せなかった。パシられようとしているというのに不思議と不快感は無い。イケメンのムカつくところは調子に乗っても周りから許されるところだけど、この人の場合しっかりと痛い目に遭ってるからな……憎むに憎めねぇ。
「剛先輩は……?」
「石黒は駄目だ……」
「何で」
「楓の拳は、あいつにも及ぶ」
何も無かったんじゃねぇのかよ。
仰向けになり、壁に背中を預けた結城先輩は呼吸を整えながら説明し始めた。どうやら今日のサプライズ出演と、姉貴の逆襲は想定内だったらしい。その上で後顧の憂いを払い、こうして倒れ伏しても大丈夫なようにこの後の仕事を片付けていたそうだ。
想定外だったのはつい先程、どこの団体の人間かは分からないが生徒会との面会を求める者が現れたとのこと。おそらく今回の文化祭に協力してくれた業者が提出予定だった書類を求めてやって来たのではないかという事だった。
「手渡しで、一人だけで良いと学校側が楓だけに電話してきたがそれを許すつもりはない。会うならせめて俺だけでも付く───と言いたいところだが、そもそも俺たちも楓もこの有様だ。ただ着替えてすぐに向かえば良いという話じゃない」
「髪も顔も爪先もキラッキラですもんね……」
おまけに鼻の詰まりに効きそうなメンソールな香りまで漂ってくる。このまま制服に着替えたところでホストとキャバ嬢が高校の制服着て高校生のフリをしてるだけに見えるだろう。
「俺たちは今からちょっと頑張って普段の姿になる」
「ちょっと頑張るんですね」
だからそれまでに生徒会室までひとっ走り行って必要書類を印刷してきて欲しい、との事だった。ちょろっと行って帰って来るだけの簡単な仕事だ。それは良いけどもっと頑張ってほしい。
「はぁ……わかりましたよ」
そう返事するも、結城先輩は脇腹付近を抑え、天井を見つめながら「ふぅ……ふぅ……」と呼吸を整えていた。どんだけ痛いんだよ。貴方もっとプライド高めの金持ちのイケメンじゃないんですかね。なぜ痛め付けられた事に文句も悲観も無くただ懸命に乗り越えようとしているのか。マジでどういう関係性なんだよこの生徒会……。
「───渉」
「ん?」
「………よろ」
「おう……」
例の姿勢のまま力無さげに言う姉貴。もともと俯いていた事もあって余計に居た堪れなさそうに見える。もはや顔を上げる元気すら無いようだ。とても大の男を四人も沈めた女とは思えない。というかそれをやってみせた女が自分の姉だとも思えない。俺が予想してた通り騙されてそんな恰好をさせられてるみたいだし、そこは同情するけども。
「生徒会室の鍵は……そこに───うっ……」
「え、先輩? 結城先輩!?」
隅っこにある鞄に目を向け、それを最後に脇腹を抑える手をパタリと床に落とした結城先輩。どうやら力尽きてしまったようだ。十数分後にいつも通りに戻れるとは到底思えない。マジで大丈夫かこの人ら。
鍵だけもらって、ステージ横の控え室から一人出る。体育館は片付けに勤しむ生徒がたくさん居るものの、俺の方に注目する人は誰も居なかった。何故だろう、殺人現場を見つけて黙ったままその場を離れる容疑者のような気分になった。