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怖くても

続きます。




 佐々木くんに謝ってサッカーコートを離れる。少し笑いながら「わかった」と頷く顔が印象に残った。


 委員会の終わり際、渉はまだ仕事がありそうな雰囲気で教室を出て行っていた。それなら近くの教室か、もしくは生徒会室に居るはず。あれから既に一時間少し……もしかするとまだ学校に残っているかもしれない。


 ───行くの?


 足を踏み出したはいいものの、足取りは妙に鈍かった。胸の内からポツポツと湧く自問がプレッシャーをかけて来る。会ったところで仕事の邪魔になるかもしれない。問いかけたところで渉は答えを持ってないかもしれない。動き出すべきタイミングは本当に〝今〟なのか。もっと落ち着いて、心を鎮めてからでも良いのではないか。


 迷惑に思われるかもしれない。面倒くさいかもしれない。それどころか、何とも思われないかもしれない。


 夏休みの体験入学のときは何にも考えていなかった。仕事が終わる頃には渉の姿はもう無くて、がっかりして寂しくなって、そんな折に見覚えのある後ろ姿を見付けて、気が付けば会いに行くために駆け出していた。


 あの時には無かったこの感情。渉の本心を聞くのが怖い。何も考えず、衝動に身を任せて駆け出すほどの勇気が今の私には無かった。


「………あ…………」


 昇降口に着くと予想通り、下駄箱にはまだ渉の靴が残っていた。何の部活にも入っていないはず………渉の事だから、きっと実行委員会の教室で見たように、まだ残って何か仕事をしているに違いない。


 文化祭実行委員の教室に向かう。廊下は静まり返っていて、生徒は一人も残っていないようだった。それでも教室の戸も閉まっていて、施錠もされていた。ここにはもう渉は居ない。それなら──。


「生徒会室、かな………」


 生徒会室………授業の移動教室の関係で場所は知ってる。それでも赴いた事は無い。どんな活動をしてるのか、どれだけ大変なのかも知らない。知っている事があるとすれば、渉のお姉さんが生徒会副会長としてこの学校の女の子のトップに立っている事だ。女の子達の間じゃ、他の生徒会メンバーに囲まれているって意味でも憧憬(しょうけい)の的になっている。そういえば、渉はそんな凄いお姉さんの弟だったんだ……。


 三階の生徒会室。中からは複数人の話し声が聞こえた。扉は閉まっていて、他の教室とは造りが違うのか中を窺い知る事は出来なかった。けれど、よく耳を澄ますとお姉さんが渉を呼ぶ声がする。そんな唯一の女性の声がとてもありがたかった。


 ………………でも、どうすれば?


 初めての生徒会。まともに話した事がある生徒会メンバーは渉のお姉さんくらいだ。失礼しますと中に入って渉を連れ出すのもおかしな話。勇気を出すとかそういう問題じゃない。変な空気になると思った。


「………ぅ…………」





 ◇





 生徒会室──を通り過ぎて外に出た吹き抜けの通路。そこには一階のピロティから屋上まで続く階段がある。校舎内に続くガラスの扉が開けっ放しだから、生徒会室から誰かが出て来ても近くのここなら音で直ぐに分かるはず。屋上行きの階段の途中に座って、渉が外に出てくるのをこっそり待つ事にした。


 さっきまでは話し声がしていた生徒会室。仕事に集中し始めたのか、中から聴こえる話し声は静かになった。最近は文化祭実行委員より生徒会室の方が忙しいと聞いている。雑談をしてる余裕は無いのかもしれない。


 生徒会。生徒の代表。少なくとも軽い気持ちで務められるものじゃないはず。特にこの学校は色々あったと聞いている。その身に降りかかる重責は文化祭実行委員なんかとは比べものにならないと思う。そんな場所で渉のお姉さんはただ一人、女性の立場でありながら副会長をやっている。


 羨ましい。


 副会長になりたい訳じゃないけど、ああなりたいとは思う。仕事ができて頼りになって、自分を貫く女の人。渉から聞く話からはどれもそんなイメージは抱かなかったけれど、学校の行事がある度に体育館の壇上に堂々と立つ姿を見ているととても格好良く見える。しかも弟が渉で、小さい頃からずっと渉のお姉さんをやっていたなんて───あ、いや、今のは、んんっ。


 圭が四ノ宮先輩に抱く憧れも似たようなものなのだろうか。もし私があんな女性だったら、文化祭実行委員会でももっと役に立てたかもしれない。もっと、渉の力になれたかもしれない。あんなふうに、もっと自分に自信が持てたら───。


「もっと……」


「──え?」


「え? あっ………」


 目が合った。ハニーブラウンの髪に短いスカート。ここに座って、私も憧憬を抱いて想っていた人物。ポスターのようなものが入ったダンボールを抱えた渉のお姉さん──佐城楓先輩が、直ぐ目の前に立って驚いた顔でこっちを見ていた。


「〝もっと〟って………え、ゴメ、何か邪魔だった?」


「ち、違っ……! そんなんじゃっ……な、なんでもありません!」


「そ、そう………?」


「あ、あぁあ………」


 変な目で見られたっ。変な目で見られたっ。


 顔から血の気が引くのが分かる。自分の中で何かが終わり、ガラガラと崩れ落ちて行く音が聞こえた。たぶん今年一番死にたくなってる。いやダメだ、愛莉を残して先に逝くわけにはいかない。まだ親孝行も出来ていない。こんなところで死ぬわけにはいかない。


「──楓さん? 誰か居たんですか?」


「や、うん。誰かってか………え、ちょっと待って。てか、え? 夏川さん………だよね?」


「は、はぃ………」


 お姉さんの後ろから眼鏡の先輩が現れた。その腕には小さな脚立を抱えている。間違ってなければ──甲斐(かい)先輩。二年の先輩で女の子達の間でも時々話に出てくる。この人も憧れの対象らしい。そう思うと余計に恥ずかしい気持ちになった。

 

「え、スゴい顔………や、じゃなくて。そんなトコに座り込んで何やってんの」


「あ、の………ここで、待ってて………」


「〝待ってて〟って…………え、ちょ、それってもしかして」


「はい………渉を……わたる──えっ!?」


 ぼろぼろの心で答えて、気付く。


 お姉さんが目の前に居る。という事は、今まさに生徒会室を開けて外に出て来たということ。考え事をしていて全く音に気付かなかった。いつの間にか考えるあまり周りの音が聞こえなくなっていたらしい。


「あ、あのっ、渉はっ……」


「渉ならアタシ達より先に出たけど……」


「ぇ──」


「あ、オッケーちょっと待って分かった。直ぐに連れ戻すから。四十秒──や、十秒待って。あいつマジ、出なかったら──」


「え!?」


 渉は生徒会室を先に出た。つまり、もう生徒会室には居ないということ。ショックを受けていると、お姉さんがスマホを取り出して操作し始めた。何やら不穏な言葉が聞こえて思わず声を上げてしまう。


「──佐城くんならまだ文化祭実行委員の教室に居るはずですよ」


「……!」


「え、拓人(たくと)マジ?」


「はい。さっきパソコンを返し忘れてたって、石黒くんから鍵をもらってましたから。流石にもう学校を出たという事はないと思いますよ」


 その言葉を聞いて思わず立ち上がる。お姉さんがスマホを仕舞いながらどうする? と目で問いかけて来た。アンニュイな雰囲気に見える目はどこか嬉しそうに丸みを帯びている。光に反射して紫に変わる瞳が渉と同じで、思わず見入ってしまいそうになった。


「あの、私………」


「あー、まぁ……うん。めんどくさい弟だけど、宜しく。デリカシーは無いけど何でも言う事は聞くヤツだから。いっぱいアゴで使ってあげてよ」


「は──え、え?」


 思わず返事をしかけたけど、すんでのところで力強過ぎる内容に気付く。やんちゃなエピソードは聞いていたけど、私の中のお姉さんの印象は前に渉が倒れた時からどこか〝優しいお姉さん〟だった。やっぱり気心の知れた元気な弟相手だとそんな感じなのだろうか。


「───あと、まぁ………この前は怖いトコ見せたね。ゴメン。それだけ」


 そう言って、お姉さんはすんっと顔を背けて西校舎の方に歩いて行った。後ろを付いて行く甲斐先輩が少し苦笑いしながらこちらに会釈した。


 〝怖いところ〟。この前、文化祭実行委員の教室から石黒先輩と渉を連れ出して仕事を辞めさせようとしてた事だろうか。あの時のお姉さんの雰囲気は確かに怖かった。それでも、言葉の端々から渉を心配してる気持ちを感じ取れた。尊敬はしても、嫌いに思うなんて事はない。それに、


 だからこそ──渉の頑張る理由が知りたくなった。


 心の中で感謝しつつ、校舎の中に戻って文化祭実行委員会の教室がある棟に向かう。先ほどと違って日が傾いたのか廊下は暗くなっていて、差し込む光は白ではなくなっていた。


 目的の教室がある廊下。先ほどと変わらず、物音はなく人気も無い空間。聴こえるのは遠くから響いて来る部活動生の声ばかり。この空間のどこかに本当に渉が居るのか、思わず疑ってしまいそうになる。


 それでも。


「───ぁ」


 文化祭実行委員会の教室は、後ろの戸が開いていた。


 一歩一歩踏み締め、そこへと向かう。窓から照らされたオレンジの絨毯が、私を導いているようだった。近付くに連れ、体が緊張で冷えて歩みを鈍らせていく。どこからか、夕日で温められた秋口の風が私の背中を押した。


 怖い。怖いけど、知りたい。会いたい。


 覗き込んだ教室は夜の始まりに呑み込まれかけ、(かげ)りを帯びていた。斜めに差し込むオレンジの光を受けたホコリがキラキラした粒になって漂っている。中学、高校と部活に入らず、最終下校時間近くまで残った事の無かった私には初めての光景だった。


 そんな教室の窓際に、男の子が一人。


「──っしょ、と…………へ?」


「あ………」


 机から立ち上がった彼が、私に気付いた。顔に浮かべていた薄い笑みが驚きに変わる。見開かれた目からのぞく瞳はお姉さんと同じ色だった。


 その少し前──僅か一瞬だけ見えた横顔が、妙に頭に焼き付いた。

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2020/08/31 18:59 退会済み
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