現実主義者の度量
執筆したの夏なんですよ……
朝。先日と打って変わって朝から夏っぽい暑さだった。寝苦しさもあって、ただでさえ最近は規則正しい時間に起きているのに今日はご年配方がストレッチを始める時間帯に起きてしまった。いくら何でも早過ぎると思うけど眠くないし、普通に支度を始めるしかないんだこれが。
家を出ようとした時に姉の楓がボサボサ頭のキャミソール姿で二階から降りて来て俺を一瞥し、『何だフツメンかよ』と落胆した姿がとても印象的だった。イケメン相手だったら絶対そんな格好で姿現さねぇだろ。
エグめの角度で下がりつつあるテンションのまま家を出る。
ラノベや漫画だと色んな物語の中で主人公達は運命の女の子と出会っている。それはもちろん主人公だからで、何の変哲も無い平凡な男子高校生っつっても作画は普通にイケメンだ。本当に米粒のような大きさの目をした主人公をアニメや漫画にしたところで売れるわけねぇからな。
だからこそ、アイツらは何ら働きかける事もせずに可愛い女の子とお近付きになれるし、働きかけた時の的中率は100パーセントと言っても過言じゃない。ってか的中しないと物語にならねぇし。
逆にガチで普通な奴がアクションをかけた時の女の子の反応が昨日の俺のアレである。
『はあ?────キモっ』(誇張)
何つーか、大人しそうな女子にこの反応をされるのがツラいな、うん。あの後の菓子パンほど味気無く感じた事は無かった。気温を無視した肌寒さってあるんだな……金払って良いレベルの勉強だったわ。
「ねぇ」
いや本当に改めて実感した。夏川をどうのこうのと考えてたのはやっぱり思い上がりも甚だしかったんだなと。あれだけ自分を戒めたのにまだ足りなかったのかと。
「ちょっと」
席替えによって一番前の角っこになったのは良い機会なのかもしれない。俺から見てもあそこはクソ真面目な奴だけが喜ぶつまんない席だと思うし教師から名指しされやすいのも煩わしいけど、それを逆手にとって普通に真面目な生徒として新たな佐城渉を印象付けんのも良いかもしれないな。
「無視しないでよ!」
「グェッ!?」
突然の息苦しさでカエルのような声が絞り出た。ぐふっ、喉仏が引っ込む……俺の声が透き通るようなソプラノボイスになったらどうしてくれるんだ!ジブリの曲唄ってやる……!
喉仏の恨み……どう晴らしてくれようか。華々しい歌手デビューを想像しながら後ろを振り向く。
すると目の前に映ったのは夏川の顔。
「………幸せ」
「近いわよ!」
「グォッホ!?」
鞄でグイッと押された。そこ鳩尾なんですよ夏川さん……痛みより先に最近は奇襲でも流行ってんのかと強烈な疑問が湧く。だとしたら質が悪いし、相変わらず俺の鳴き声はカエルのままだった。
はりつめたー、ゆみのーグォッフェッホオエッ!?
「激しい愛情表現ですね……」
「そ、そんなんじゃないわよ!」
「………そうだな、そうだった」
思わず癖で夢見がちの時のようなセリフを吐いてしまった。夏川の辛辣な言葉を聴いて一瞬で現実に引き戻される。そうだ、俺は俺の鳩尾に決めた鞄をハンカチで拭かれるような存在なのだ。てめぇハンカチ。
「……流行りに乗るのは良いけど、しっぺ返しを食らわないようにな」
「ちょ、何で私が悪いみたいに───って、ちょっと待ちなさいよ!」
「なに、何の用だよ」
朝からガッカリされたり気持ち悪がられたり鞄で殴られたり。いくら夏川のファンでも気丈に振る舞うには無理がある。
気付いた時にはつい目も合わさずに冷たく突き放すような態度を取ってしまっていた。あ、これヤバくね?夏川を怒らせてしまうんじゃ……。
「っ……そんな、怖い顔しなくても良いじゃない……」
「………え?」
予想だにしていなかった可愛い声が聴こえて思わず振り返ってしまう。そこには拗ねたように顔を伏せる夏川の姿。え、ちょ、何それ可愛いんだけど。
「ど、どうかしたのか?」
俺の事なんてどうでも良いはず。そんな奴に邪険にされるような態度をとられたところでどうも思わないはず。いったい夏川の中でどんな心境の変化があったのか。
「どうかしたのはアンタの方よ……前まで気持ち悪いくらい付き纏ってたくせに……」
「あ……」
未だ嘗てないほど感情的な顔を向けられて動揺してしまう。今までに無い展開で何の言葉も思い浮かばない。驚きのあまり口をパクパクとしかできずにいると、夏川は俺を強く睨んで先に行ってしまった。
……おかしい。夏川に付き纏うのをやめてもう二週間にもなるけど、思ってたより夏川や周りの反応が予想と違う。俺という邪魔者が居なくなってクラスのアイドルとして人気者になって、俺の事なんか速攻で忘れるくらいになると思っていた。
「………解らん」
そもそも彼女は何で俺に話しかけて来た?俺が煩わしかったんじゃないのか?そんな奴が前に居たら俺だったら見つからないように別の道を通ったりする。面倒な思いをするくらいなら時間を無駄にしてでも遠回りした方が良い。
訊いてみるか。
別に俺の考えなんて隠すような事でもないし、一人くらい俺の考えというか思惑を知る人間が居ても良いんじゃないか。女子の考える事なんて男が考えたところで難しいだけなんだから、さっさと別に誰かに訊いたって罰は当たんないだろ。
◆
「夏川って俺のことどう思ってるんだろうな」
「気持ち悪いんだと思うよ」
「………」
激しく人選を間違ったのではないかと思う。こう、もっと人の心を慮ってくれるような奴に訊くべきだったと思う。率直に答えるにしても本人が目の前に居るんですけど少しはボカせよ芦田コラァ。
いやいや落ち着け。大人。そう俺は大人なんだ。ここは余裕を持って全てを受け入れる器を見せ付けるとき……!
「……そう、気持ち悪いと思うんだよ俺は」
「さじょっち……何だかアタシが悲しくなって来たよ」
ええ……やだ、芦田の時点で難しい。おたくが気持ち悪いって言ったんじゃないですか。そんな可哀想な目で見ないでくださいよ……ええい気を取り直せ。俺は相談してるんだ。何を言われても動じるな。
「普通はさ、キモくて煩わしい奴に冷たくされても何とも思わなくない?」
「は……?ちょっと待って。さじょっち、愛ちに冷たくしたの?」
「……出会い頭に気持ち悪がられた挙げ句、鞄で鳩尾突かれたら流石の俺でも冷たくするだろ普通」
「あっ、あー………」
何かを察したように顔を手で押さえる芦田。一頻りうあうあ言うと、考える素振りを見せて悩ましげな顔で俺を見上げ、両手をパンッと合わせた。
「その、愛ちに悪気は無いと思うんだ。そこは広い心でさっ」
「大丈夫気にしない、夏川だから」
「気にしなよ、何なのその愛ちの特権」
呆れたような目で見て来る芦田。ちょっと待て、何だそのいかにも理解しがたいような奴を見る目は。女神様の御手ぞ、お鞄ぞ。一定の層に大人気ぞ(※一定の層)。
「解らないのがその後だよ。ど突かれた勢いでちっとばかし低い声が出ちまったんだが、夏川が不貞腐れたような可愛い反応をしやがったんでぃ。オイラをキュン死にさせるつもりかい」
「さじょっち、別に抑えきれない興奮を泥臭い丁稚キャラで相殺しようとしなくて良いから」
「要は、殴るほどキモいなら冷たくされたところで別にどうとも思わないと思うんだ。一思いに突き放された方が俺としても潔くて助かる」
「………」
普通そうだろ?っと芦田に問い掛ける。意外そうな顔で俺を見てからまた難しそうな顔で考え始めた。何で俺の顔を見ながら?今は夏川の考えてる事を知りたいんだけど。
「ねぇ、やっぱりその名字呼びの理由訊いても良い?」
「勘違いされるし迷惑って言われたから」
「最近、愛ちにアプローチしないね?」
「いい加減フラれまくったからな」
「そんなんで諦めるさじょっちじゃなかったじゃん」
「終わりが来るなんて当たり前だろ。この先もフラれ続けるのかと思うと辛いし、好きでもない奴に纏わり付かれる夏川もいい加減迷惑だろうと思ったんだよ」
「………納得したよ」
芦田は俺の言葉を聴いて苦虫を噛み潰したような表情になった。何ともコロコロと変わる表情だ。普段明るい奴にこんな顔をされるとこっちまで気が滅入りそうになる。
そんな俺の気持ちが顔に出たのか、芦田は顔を背けて自分の頬をむにむにと揉みほぐし、振り返っていつもの明るい表情を見せた。や、別に無理して取り繕わなくて良いんだけど。
「愛ちの態度も悪いとは思うけど!さじょっちも悪いと思うな!」
「な、何でだよ」
「さじょっちが纏わり付いたせいで周りが遠慮したから、愛ちの学校で話す相手は限られてるんだよ!アタシとさじょっちしか話し相手が居ないようなもんなのに、愛ちが突き放せるわけないじゃん!」
「お、俺が付き纏ったせいで……?」
芦田の言葉がズドンと胸に突き刺さった。とても納得できる説明だった気がする。
夏川のアイドル性は信じて疑っていない。だけどそこに俺が加わるとどうだろう。ド派手に猛烈なアピールを続ける俺が側に居続けたら周囲は敬遠してしまう。そしてきっと今も、周りの生徒は夏川に関わる事で俺のアホみたいな言動に巻き込まれるんじゃないかと思ってるんじゃ……。
もしかして、俺の夏川好きキャラも悪手だった……?目立つ事を好まない生徒からしたらそれだけでも敬遠する理由になるのかもしれない。
「………待てよ?」
「え、待つ?なに、どったの」
席が離れた今、俺が近付きさえしなけりゃ周りは遠慮なんてしないんじゃね?そこに芦田が加わればほのぼのとした空気感が加わって、話しかけやすい環境が出来上がるんじゃ……。
こ、これは……!
「芦田」
「な、なに……」
「プロデュース大作戦の始まりだ……!」
「何それ。ねぇ何か大丈夫なのそれ……!?」
たぶん。