青春の御業
続きます。
「……」
「え──」
スッ、とやや間隔を空けて左隣に座った夏川。膝の上には可愛らしい包みの弁当箱が置かれていた。対し、俺の膝の上のパソコンは空気を読むかのようにスリープ状態に移行した。待て。行くな。起きろ。
俺に仕事をさせるのが申し訳なく感じる、わかる。だからせめて自分も仕事に参加しようとする、女神。教室が開いてなかったからちょっと辺りを探す、え? 俺を見つけて隣に座る、何で?
「いや、夏川……? 場所も場所だし、残んなくて良いよ? 仕事っつったって、俺一人でするやつだし」
「え………」
「あいや、その………かかりきりだからさ。そんな喋ったりとかもできないかなってか………ほら、悪いし」
昼休み中に終わらせられればな、という感覚。一人で集中してすれば楽勝なつもりだけど、誰かと話しながらってなると話は別。気を遣ってくれんのは有難いんだけど、流石に申し訳なく感じる。
「………だ、大丈夫……」
「あ、そう………」
………え、大丈夫ってなに? どーゆーニュアンス?
言われなくても戻るしってこと? それとも別に喋んなくても良いって? お気遣いなくってこと? 「頑張って耐える!」とかだったら涙でマウスカーソル影分身なんだけど。
動揺を隠せないままパソコンのロックを解除する。集中できないながらも作業の内容を忘れないようにしつつ手を進める。えっと、ビビって変なとこ触ってないよな………念のため〝確認済み〟フォルダをもっかい開いて──っと。
「…………こんなことやってるんだ」
「お、おう……」
横から少し覗き込むようにパソコンを見る夏川。垂れた髪先が俺の肩に掛かってふわっと甘い香りが伝わって来た。きっと俺の命はここまでなのだろう。
「…………!」
隣でシュルッと弁当の包みを開けた夏川。待って? 喋んなくても大丈夫とかそーゆー問題じゃない気がする。隣に夏川が居るだけで集中できないんだけど。冷静に考えてこんな可愛い子、ましてや好きな相手と二人っきりで別の作業に集中できるとかどんな野郎だよ。修行僧かよ。
アレだよアレ。今こそ夏休み前に四ノ宮先輩の家の道場っぽいとこで学んだことを活かすとき。頑固くさい爺さんだったけど言ってることはそれっぽかった。ここは心を無にするとき───ハァァァァ……ッ!
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『渉、あ〜ん………』
『あ〜ん……』
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おいそこ代われ俺。
てめっ、なに夏川から玉子焼き〝あ〜ん〟してもらってるわけ? リアルの俺を差し置いてそんなことが許されると思ってんの? 内なる俺だからと言ってやって良いことと悪いことがあんのよ? なにノリノリで大口開けてんだよ汚ねぇな歯医者行ってマウスウォッシュしてから出直してこい。
「わ、渉……」
「ん、なに───え?」
憎悪を膨らませながら手を動かしてると、突然夏川に呼ばれた。何の意識もせず左を向くと、夏川が手で受け皿を作りながら箸で俺の目の前に何かを差し出していた。
「え、ちょっ、なに」
「て、手止めなくていいからっ。く、口だけ開けてっ」
「えっ!? なに!? コレなに!?」
「い、良いからっ」
近過ぎて何を差し出されてるのかわからない。緑っぽいものであることはわかった。嫌いなものだったらイヤだから慌てて訊いたものの、夏川は答えてくれず急かすように箸の先を俺に近付けた。
「もうっ、早くっ……」
「あ、あっ、む!」
ちょっと怒り気味っぽく言われたから慌ててそれを口でくわえた。何かが口の中に入る。テンパってるからか、それを舌の上で転がしても何かよく分からなかった。ちょっと硬めのものってことはわかった。奥歯で噛んでみて、ようやくその正体に気付く。
「……………………これ、ゴーヤ?」
「………どう?」
「うッ…………苦いような、苦くないような………………」
「苦くないっ」
「………やっぱりちょっと───」
「苦くないっ」
「んぐっ………」
シャク、シャク、なんて食感が音になって口の中から耳に伝わる。愛莉ちゃんも食べれるように頑張ったみたいだけど、素材の味をそう簡単に消すのは難しいみたいだ。噛めば噛むほど、ゴーヤ独特の苦味がほんのりとだけど奥の方から広がった。夏川が暗示をかけるように呼びかけてくる。
幾ばくかの咀嚼の末、何とか呑み込む。思わず泣きそうな顔になって夏川を見ると、満足そうに微笑む顔があった。
「ふふ、食べれるじゃない」
「なんでぇ……?」
「パンだけじゃ栄養が偏るでしょ?」
「にがい……」
「もうっ……ダメじゃない、そんなんじゃ」
仕方ないわね、なんて続けて夏川はクスッとはにかんだ。おかしい……ときめいてる。ここは苦くて嫌いなもん食わされてキレるとこじゃねぇの? もう可愛くて仕方ねぇんだけど。愛莉ちゃんと替わりたいレベル。これはヤバい。
「仕事。するんでしょ? ほら、続きやったら?」
「ちょ、ちょっと待って……次のゴーヤスタンバイするのやめてくんね? せめて一緒に混ざってる玉子も絡めて──」
「こっち見ないっ。パ・ソ・コ・ン」
「う、うっ……」
「はい、次」
画面に目を戻す。少し手を動かすと、「口開けて」とまた促される。淡い期待をしてそれをパクッとくわえると、案の定さっきと同じ苦味が口の中に広がった。何とか噛んで呑み込むと、もう一回差し出された。くわえて咀嚼するとやっぱり苦かった。何とか呑み込む。にがい………せめて玉子が欲しい。ゴーヤチャンプルーに混ざってるスクランブル状の欠片だけでも良いのよ。それだけで口の中が幸せに───幸せに?
………………。
落ち着け。落ち着け俺。
え? 俺いま何やってる? むしろ夏川が何やってる? え? 今のってアレだよな? 音に聞こえし〝あ〜ん〟という御業ではなさらなかったか? え? なにナチュラルにパクッとくわえちゃってんの?
「…………」
「ふふ、もう無くなったわよ」
いや、夏川さん? そのこの上ない自然体は何なの? 一連の行動に恥ずかしさとか気まずさはなかったん? ただ可愛いんだけど。俺だけ? 俺だけが意識しまくりでこんなに動揺してんの? マジで? いくら何でも意識されなさすぎじゃない? 俺どんだけ異性と思われてねぇの?
「うぅ………」
嬉しくてキュンッキュンしたけど、二重の意味で苦い。バッグのビニール袋から小サイズのお茶を取り出して口の中を流す。苦味の後のお茶は究極に相性が悪かった。
「仕事する………」
「もう、悪かったわよ」
まぁ、フラれて嫌われた関係から持ち直してこんな感じに持って来れただけでも御の字か。たとえ異性として意識されなくても、夏川の弁当を分けてもらえるなんて贅沢な話だし。こんな事でショックを受けてたらこの先やってけない気がするわ…………気を取り直そう。仕事しよ。
「───あっ……」
「『あっ』? どうかした? 夏川」
「へっ……!? あ、ううん! な、何でもない!」
「そう、か?」
弁当の中身でも落としたかな、と思ってパソコンの手を動かしながら下を見る。俺一人だけ意識して挙動不審になるのも馬鹿馬鹿しい。夏川のスカートからのぞいてる膝を見ないようにしながら確認するも、特に何かが地面に落ちていたりはしなかった。
…………?
はて、と夏川の方を見ないようにしながら思う。何やら夏川の手が箸を持ったまま動いてないような気がする。俺にゴーヤを与えるだけ与えて、自分は何も食べないつもりか? あ、もしかして俺に遠慮してんのか?
流石にそれはと思って見ると、夏川は箸で摘んでるおかずの玉子焼きを凝視しながら微動だにせず固まってた。
「えっと、夏川? 俺に遠慮せず、食べてどうぞ?」
「え!? あ、え、えっとっ、その!」
「え、なに。どしたの」
「あ、あとは教室で食べるっ!」
「えっ」
慌てて片付ける夏川。あっという間に弁当箱を包み直すと、それを両腕で大事そうに抱えて教室の方に戻って行った。一瞬の出来事で思わず呆けてしまう。あの慌てよう、もしかしたら俺と一緒にいる場合じゃないくらいの約束でもあったのかもしれない。
何とも苦くも夢のような時間だった。その後は仕事の方は滞りなく進み、五限目が始まるまでに終わらせることができた。