普通の流儀
あくまで普通を目指してる、はず……。
「えー、席替えします」
それは突然の悲劇だった。今の俺の席は教室のど真ん中、夏川の右側に位置している。日頃彼女から漂う香りを愉しみ大興奮していたのだが(変態)、万が一教室の隅っこになったりして離れた席になってしまえばもうそれを味わう事も出来なくなるし授業中に教師から指される事も無くなるし、不用意に弄られてクラスの笑い物にされなくなるんだ。あれ、喜んでね?
「はーい!じゃあ次は───あ、佐城君ね……」
「え?はい……」
各席に割り振られた番号のクジを引きに行くと、大槻先生が俺の顔を見て先ほどまでの明るい顔を一変させた。
え?何このガッカリした感じ。何か先生に変なことしたっけ?したな、遅刻とか居眠りとか授業妨害とか。そりゃ嫌われるか。
「あの、先生」
「な、何?」
「俺、これからはちゃんとしますよ?たぶん」
「何でたぶんなの……普通にちゃんとしてよ」
向ける意識を100とするなら今までは98くらいを夏川に向けていたからな、バランス良くステ振りした今なら夏川に会いたいという甘酸っぱさで朝も起きれなくなる事も無くなるだろう。元より夜はぐっすりです。
黒板を見上げる。クジ引きはレディーファーストで行われ、女子全員の名前が机の配置を俯瞰した図にちりばめられている。右端から全ての名前を見て行くと、やがて夏川の名前を見つけた。
なるほど、中央の後ろから2番目……って一つ後ろに下がっただけだな。あまり新鮮味がなくて席替えした実感が湧かないんじゃないかね……。
し、仕方ねぇなあったくもうっ……!俺がまた隣の席に座ってやるよ。どうせ新鮮味が無ぇってんなら俺がまた夏川愛華というアイドルを引き立ててやんよ!
「①ね。はぁい、廊下側の一番前」
ですよね。
◆
前を見る。壁。右を見る。壁。無臭。
これ以上に無いくらい新鮮だ。入学してから3ヶ月、俺の周囲は初めて木造りの壁と話した事も無い生徒で埋まった。薄幸っぽい文学少女が左隣に座ったけど、警戒という名の見えない壁が話しかけるんじゃねぇぞとそびえ立っている。既に読書に没頭してるみたいだし、日常的に夏川関連で騒いでた俺は目に映るだけで煩わしいのかもしんない。露骨な嫌悪感が受け取れる。
や、別に構わないけど。寧ろこういう風に話した事もない奴に囲まれて黙ってた方が俺の根っこにある本来の俺らしい部分をアピールできるんじゃないだろうか。
肘をついてかったるそうにスマホを触る。そうする事で黙り込んでいても『あぁコイツは周囲に仲の良い奴が座らなかったんだな』と納得してもらえる。
内心ニヤニヤしながら『これが俺らしさか』と愉しんでいると、突如俺のケツに二発の衝撃が襲った。え、何ですかこの爆発力は!?まさか排泄物が急速生成されたというのか!?
「やっほー、さじょっち」
「どちら様でしょうか」
無礼にもこの俺様のケツを椅子越しに蹴りつけたのは後ろに座る女だった。この女子生徒A……どうしてくれようか。
「あ、ひっどーい!二人で愛ちを奪い合った仲じゃーん」
「ふん、奪われてなどいない。夏川が誰かの手に渡ることなど有り得ない!」
「なぁにその自信……まぁ席離れちゃってドンマーイ」
「芦田こそな」
認めよう……芦田は間違い無く夏川に最も近しい友人だ。それは恐らく夏川本人も認めるところで、男である俺には話せないような秘密だって共有し合ってると思う。ま、全くけしからん!
「どぉ?寂しい?寂しいの?」
何とも嬉しそうに煽って来るもんだ。芦田もきっと夏川っつー友人を前に俺という存在が煩わしかったに違いない。何故なら夏川はいっつも俺とばかり話していたからなっ……あれ?夏川の罵声しか思い浮かばないよ……?
だがしかし!俺は寂しくなんてない!たとえ夏川というアイドルと離れようとも、俺ほどのファンになれば遠くから眺めるお姿にも味があるというものだ!うひひ、今日もふつくしい……!
「寂しくなんかねぇよ、お前が居るし」
アイドルを信奉する熱意はファン一人一人によって違う。だからこれは他の人間と共有し合うようなもんじゃないんだ。己だけの熱情を滾らせ、応援に乗せてぶつける事でそれは真価を発揮する……ここは本音を隠して場を流すのが真の紳士というもの!
「芦田ぁ、お前も夏川を想うなら───あ?んだよ目ぇ見開いて」
「へ!?───あ!いいいやえっと!!」
「ちょ、あんまデカい声出すなよ……」
ふと気付けば鳩が豆鉄砲をくらったような顔でこちらを見ていた芦田。突然過ぎて一瞬変顔でもしたのかと思ったが、話しかけてみると本気で狼狽えているようだったから違うみたいだ。全く常に騒がしい奴だ、やっぱバレー部だわ(偏見)。
「さ、さじょっち……愛ちじゃなくて、アタシでも良いの………?」
「は?駄目だけど?」
何言ってんだコイツ。夏川の代わりが務まる人間なんて居るわけないだ───えちょっ、何で突然拳振りかざし痛っ!?何でいきなり背中叩い痛い痛い痛い痛いから何だコイツ!!?
◆
昼。一番前の席になった事と芦田による奇襲攻撃に疲弊した俺は、売店で菓子パンを買って教室じゃなくて別の場所で食べる事にした。芦田め、あれ以来強烈に鋭い目線を俺の背中に飛ばしやがる……。
さてどこで飯を食おう。この学校には中庭もあるし、表の校庭にも多くのベンチがある。大学を模倣した小さなキャンパスのような設計になってるんだ。夏が近付いてる割に今日は涼しい。どっか人の少ない木陰のベンチとかがベストかね。
「………ん?」
昇降口の出口手前の廊下を、腕章を付けた小柄な女子生徒がフラフラと歩いている。両手には何らかの資料だろうか、大量の冊子を抱えていて非常に危なっかしい。
右を見て、左を見る。よし誰も居ない、今なら不審な目で見られない。
「……あの、すみません」
「はひぃ!?だ、だれ!?」
「……マジすんません」
まさか話しかけた本人に不審者を見るような目で見られるとは思わなんだ。あっは傷ついたねコレ。
彼女に近付こうとしていた足を止め、一歩、二歩と距離を取る。
「あわわわごめんなさいっ……!突然話しかけられて驚いちゃって!」
結構な距離で話しかけたんだけどな……それも向かい側から。どうやらそれでもこの子にとっては突然過ぎたみたいだ。俺の顔?顔なのか?
やや癖っ毛のボブヘア、頭と同等の大きさの赤いリボン超絶似合っている。はい可愛い、お人形さんかよ。
「あの……重そうだなって」
「え!?あ、はい!」
「……持ちましょうか?」
どうやら俺はさっきの不審者のように見られた事がトラウマになってるみたいだ。5メートル近く離れたとこから恐る恐る話しかけるかたちになってしまった。もはや不審者じゃん。何だこの距離感。
「え、あの……悪いですし………」
「……………そっすか」
何だろう、ここ最近で一番フラれた気分になった。まぁこの反応が普通だよな。突然知らない男に話しかけられたらそりゃ警戒心しかないって。いやでも待てよ、俺は突然可愛い女の子に話しかけられたら警戒してしまう───それはつまり、逆を言えば彼女に警戒された俺は格好良いって事になるんじゃないか……!?
ならねぇか。
ならねぇ。