違うもの、変わり行くもの
続きます。
「──えと、ホントに………?」
「………付き合ってねぇよ」
「で、でも………」
夏川がすぐ横に居る状態での会話。本当マジでいい加減にしろと思いながらも、ハルの疑問には正直に答えた。ここで空気をぶった切って話題を変えるにはいくら何でも無理があった。
戸惑う目が俺と夏川を交互に捉えた。懐かしい顔だ、考えてる事が手に取るように分かる、『じゃあ何で二人は一緒に帰ってんの?』。そんな顔だ。夕焼けに染まる街に一組の高校生の男女。思い出せばハルに見られたときは微妙な距離感だった気がする。ムードもあるこの状況だと確かにまさかただの友人関係だとは思わないかもしれない。
「そ、そのっ、えっと………」
明らかにマズい空気。俺の口から出た怒鳴り声と問いに対して答えた低い声はハルにとっても並々ならないものだったんだろう、萎縮してるのが解る。夏川が気を遣うような心許ない声を発した。
やめろ夏川。喋るな。何を言えば良いのか解らないなら何も言わないで。
カッとなった頭が冷めてゆく。何とか自分を落ち着かせて、意識的に声が優しくなるように努めた。
「あ、あー、ハル。俺と夏川は付き合ってないって」
「え……"夏川"って………」
改めて認識合わせ。俺と夏川は付き合ってない。言ってみると、今度は夏川に対する呼び方に引っ掛かったみたいだ。また自分の中で激しく込み上がるものがあったけど、胸の内の感情的な部分を押さえつけようとする意識が懸命に言葉を選んだような気がした。
「───俺達はそういうの、もう終わってるから」
「ぁ……」
「え? どういうこと?」
「友達。普通の友達なんだよ。もうそっからどうこうなるような関係じゃないから」
ハルとは元々同じ学校だっただけ。クラス内で同じグループだったわけでもないし、特別な思い出がある奴でもない。だからこそ踏み込んで来れるんだろうな。俺と夏川がどう気まずくなろうと究極、結局は他人事でしかないから。それでも俺がちゃんと話そうと思ったのは、俺にもハルを誼に感じる部分があったからだ。
「勘違いさせて悪かったよ。まぁ、中学ん時の俺を知ってたら、そう思われてもおかしくねぇわな」
「あ、うん………ゴメン」
「いや……。そんじゃな」
「う、うん」
『やっちまった』顔のハルの横を通りすがると、ハルも気まずさを払うようにタタタッ、と駆けて行った。その音が遠ざかったことを確認して、歩く速度を落とす。
しばらくの間、前しか見れなかった。
◆
「………」
「………」
立ち止まったまま夕暮れの空を見つめる。綺麗だな、なんて思ってると、まるで自分が感傷に浸ってるみたいで恥ずかしくなった。それを皮切りに、後ろに振り向く。
瞳が揺れて、戸惑いに満ちた目と視線がぶつかった。
「その、ごめん夏川。昔の知り合いがズケズケと……」
「あ、ううん………」
「……行くか」
「……」
楽しい時間はすぐに過ぎる。そんなナントカ理論に逆らうように、盛り上がってたときとは打って変わって無言の時間は直ぐに終わろうとしていた。この時間を愉しむ自分が居るとするなら、それはとんだ変態に違いない。直ぐ先には、もう直ぐに分かれ道。
「じゃあ俺、こっちだから……また明日な」
夏川に向き合って、最後に一言。
気まずさが拭えない。頼むから早く返事を、声が発せないならせめて頷くだけでも。そんな願い事が頭の中で反芻される。一刻も早く足を動かす理由が欲しい。
好きなはずなのに、逃げ出したい。そんな天邪鬼な自分が、時間を追うごとに器の小ささを突き付けてくるようで嫌になった。
「ぁ──わ、渉!」
「!」
進みかけていた足を完全に止める。ここで無視して夏川を振り切っていたらどうなっていただろう。きっと俺達は"壊れて"、明日から今以上に気まずい日々が続いていたに違いない。選択肢を迫られた頭が懸命な判断を下してくれた。
「……ん、どした?」
「あ、えっとっ……」
"普通"を装い、いつも通りのトーンで振り返る。やや困った顔の夏川が目に映る。あたふたとして焦っているようにも見えた。
「そ、そのっ……さっきの、ハルさんって人………」
「………ハルが、どした?」
「あ、えっと………」
また瞳が揺れた。訊き返すと、夏川は口を幾度か動かして言葉を詰まらせた。俺を引き留めようとしたのか遠慮がちに伸ばされた手は行き場を失ったのか、空気すら掴まずに気まずそうに下ろされた。
「………なんでもない」
「……おう」
気を遣われてる。
よく考えればそりゃそうか。夏川と俺、フってフラれた関係。気まずいのが夏川で、惨めなのが俺。いや、きっと自分のことをそう思う時点で自意識過剰なんだ。だって、元々は夏川なんて高嶺の花に告白すること自体が間違ってたかもしれないんだから。"万が一"に期待を持った俺が偉そうに決め付けられる事じゃない。
………頭を冷やさないと。
「じゃあ──」
「ま、待ってっ………」
何で。
どうして引き留めるんだ。つかまれた腕と夏川を交互に見ながら、思わずそう強く目で訴えかけた。
俺と夏川は友達。俺はフラれたけど、夏川がそう望むなら"友達"として接しようって、そう思ってはいる。取り憑かれるように周りが見えなくなった時期はあったけど、それでも俺はもう十分に想いを伝える事ができた。だからこそ、夏川が"用意"してくれたこの距離感は満足どころか贅沢にも思えた。
……夏川は違うのか? 俺の気持ちを知ってる以上、気まずさはあったに決まってる。だからこそ今までその事に一切触れて来なかったんじゃないのか……?
だったら、今日はもうこのまま『さよなら』で良いじゃんか。明日またいつも通りの顔で会えば良いじゃんか。このまま顔を合わせ続けても、そうすればするほど後に気まずさが残るだけじゃんか。
「あ、あのさ………!」
「………」
腕は弱々しく掴まれている。それでも俺を引き留めるには強過ぎるものだった。この手を振り払う勇気なんて夏川に惚れたその時から在りはしない。膨らむ淡い想いと同時に、まるで枷にでも繋がれているような気分になった。
「ア、アンタは………その、まだ……………」
「………」
「……ごめん。………なんでもない」
「…………」
そっと手が離された瞬間、ハッとする。気が付けば夏川を強く見つめていた。そんな俺を、夏川はどこか顔色を窺うように見ていたような気がする。もしかして、俺はいま夏川を"黙らせた"のか……? まさか、睨み付けてたんじゃないだろうな……?
今、夏川からはっきりとした"気まずさ"が伝わった。揺れる瞳から迷いや戸惑いが見て取れた。何を話せば良いんだろう、何て言えば上手く別れられるだろう。一体どうすればこの状況から抜け出せるんだろう───そうやって夏川をこの場に縛り付けてるのは誰だ?他でもない俺なんじゃないのか? 馬鹿なんじゃねぇのか?
分を弁えるなんて言っておきながら結局ぬるま湯に浸かって、連絡先を交換して家にまで上がり込んで気を抜いたらこのザマ。きっと、もっと力を抜いて流れに身を任せたらこんな事にはならなかった。もっと収まるべきところに収まってたはず。きっと、どこかで夏川に対する欲が出たんだ。だから、夏川にこんな顔をさせてしまった。
「───疲れてるみたいだし、この辺にしとこうぜ。立ち話をしても余計に疲れるだけだろ?」
「………え?」
「ほら、早く愛莉ちゃんに顔見せてやんねぇとじゃねぇの?」
「あ、うん………」
「ハルにはデリカシーが足りねぇっつっとくわ。んじゃ、また明日な」
今度こそ夏川と別れる。引き留められる声は無く、当然、俺の腕を掴む手も無かった。足を動かせば動かすほど、胸の奥で暴れ回っていたものが落ち着いて行くのが分かる。
いつだったか、夏川から距離を取ろうとしていた。そしたら芦田に良い顔をされなかった。夏川にとって俺は、"佐城渉"は一つの居場所なんだと、確かそんなニュアンスの事を言われたのを思い出す。
……まだ"そう"か………?
馬鹿が鳴りを潜めて、夏川の周りには人が集まるようになった。"男の影"が目立たなくなる事で、夏川のことを狙い出す"良い奴"も現れた。しかも見た目だけなら憎らしいほどお似合いに見えると来たもんだ。この辺なんじゃねぇのか……? 夏川が"夏川らしく"居られるタイミングと、俺が、もうこんな複雑な思いをしなくて済むタイミングは。
…………いや。
余計な事は何もしなくて良いだろ。俺と夏川の高校生活に本来大きな違いがあったとするなら──人としての価値、求められるもの、その全てに決定的な差が有るとするなら───ただ呆然と過ごしてるだけで自然と何かが変わってくるはずだ。俺はただ、それをじっと待てば良いだけの話。ごちゃごちゃ考えず、ただ俺は俺らしく過ごすだけ。
「………はぁ……………」
どっかに俺にぴったりな彼女居ねぇかな。
───忘れられるような。