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見て来たもの

続きます。





「───いやだから。何もおかしくないし、間違ってないじゃないっすか」


「………え?」


「ぇ……」


 再び断言する少年に視線が集まる。彼はそれを当たり前のように言ってのける。どういう事かと、三人して続きを求めた。


「大好きな兄を由梨先輩に取られて嫉妬して、そんな気まずい環境から逃げ出すためにアルバイトを始めた───この動機のどこがおかしいのかと言ってるんすよ。先輩二人が付き合って妹をおざなりにしてしまった事も、そのせいで妹が兄離れしようとするところも、どっちも世の中じゃ当たり前の事じゃないですか」


「でも……それと僕達の気持ちは関係ないよ」


「そ、そうよ。私達は本当に深那さんのことを大切に思って───」


「先輩がた、一ノ瀬さんのこと今何歳(いくつ)だと思ってるんすか」


「え………」


 僅かに不機嫌な声。これを深那は知っている。本意までは掴めないものの、その声はかつて、確かに自分の歩く道を変えるものだった。あれが無ければ、自分はまだどこに居ても右往左往するばかりだったかもしれない。怖い事には変わりはないが。


「もう高校生っすよ。一ノ瀬さんに大人になる権利は無いんですか?」


「お、大人……?」


「ただ逃げる事だけを理由に頑張ることができますか?大好きな兄を取られようと、嫉妬心に駆られようと、一ノ瀬さんは自分を抑えて奮い立たせ、それがどんなに苦手な事であろうと、本当の意味でお二人を祝福するためにこの道を歩いてるんです。一ノ瀬さんからその機会を奪うつもりですか」


「そ、そんなつもりは………」


「先輩……妹離れしろなんて俺の口からは言えません。ですが、"妹がいつだって自分の側に居るのが当然"なんて考えは間違ってるんじゃないですかね。妹に兄離れされたらもうみんなで笑えないんですか……?そうじゃないでしょう」


「………」


 その言葉は深那の心にも刺さった。自覚もしていた。大好きな兄がいつも自分の側に居るべきなんて考え方は身勝手だ。

 でもそれでも納得できなかった。だから深那は自分が間違っている事が解っていても現実から目を背け、アルバイトを始めた。まさか今になって、横で味方をしてくれている渉がそれに気付いていないはずがない。間違っていたら訂正されるはずなのだ。いったい何故、どうして──。


「バイトの先輩という立場から言わせてもらえば………今この場で一ノ瀬さんのこれからを決めるのはまだ早いと思います。今後のためにも、一ノ瀬さん自身がどうしたいのかを自分の言葉で説明できるようになるまで待つべきだと思いますが」


「…………」


 妥協点。第三者でしかない渉は落としどころを提案する。少なくとも最後の言葉は双方の肩を持つものであり、持たないものでもあった。要するにぶん投げたのだ。本来それが在るべきかたちだから。そもそもあっさり辞められたら古本屋がもう大変。


 その意味を、二つ大人の先輩2人は咀嚼(そしゃく)できた。事態はただ子供染みた(いさか)いじゃないのかもしれないと、ようやく思うようになった。


 "深那が大人になろうとしている"。少なくともこの言葉は間違いなく大きかった。兄にとっても、姉になりたいと願う彼女にとっても。









「深那、今日はもう帰ろう。由梨ちゃん、わざわざごめんね?」


「ううん、良いよ」


 そっと寄り添い横並びになる二人。深那はそんな二人に付いて行く気にはなれなかった。それに、気になる事もまだ残っている。


「……さ、先に帰ってて」


「え………」


 先に帰るよう伝えると、悲しそうに振り返る兄。それを見て深那も胸の奥がチクリと痛んだ。でも、前ほどじゃない。兄には悲しくなっても支えてくれる人が居る。


 そんな視線の先に立つ彼女は、深那を見て察したように兄の腕を引き、階段の方に向かった。彼女にも思うところがあるのだ。遠慮なく兄を連れ去ってくれた事に、深那は感謝を覚えた。


「………まぁ、あれに付いてくのは無理だよなぁ」


「ぅ………はい」


 付いていかなかった理由は二つ。邪魔をしたくなかったし、胸中に積もりに積もった疑問を、疲れた顔でぐでっと座る少年にぶつけたかったからだ。


 彼は深那が残った理由を問いはしない。思えばこの彼は機微に敏感なのか、自分があたふたしてると本意を汲んでくれる。バイト上の関係のおかげでそうなったのか、深那にはその理由が分からなかった。ただ、どうしてこの胸中で暴れ回る罪悪感を見通せて居ながら責めなかったのか。


「ぁ、あの………」


「ん?」


「どうして………」


 どうして味方をしてくれたのか、気になる。

 自分は確かに間違っていたはずだ。醜い感情を持っていながら声高に主張する勇気も無く、小動物のように威嚇する事しかできなかった。いつもなら兄の言葉を追うように叱って来ていただろう。


 佐城渉の言葉は全てが深那の代弁ではなかった。本当の意味であの二人を祝福するために、なんて考えた事も無かった。(むし)ろ、アルバイトをして兄達から逃げ続けた先でいったい何処に向かえば良いのか。手札に無い新たなカードを掲げ、道標(みちしるべ)を照らしてくれたようにも思えた。


「わ、私………間違ってたんじゃ…………」


「や、だってこれ別にバイト中じゃないし。合ってるかとか間違ってるかとかどうでも良いかなって。そこは自分が解ってれば良いんじゃない?」


「ぇ………」


 間違っていようと自分の知るところではない。まさかの本音に動揺する。アルバイト中に口酸っぱく注意して来た人の言葉とは思えない。いったいどういう風の吹き回しなのかと、目で訴える。


「さっきも言ったけど、ここに来たくらいから思ってたんだよ。兄貴に彼女ができて妹が兄離れするなんてあってもおかしくない話かなって。だったら、俺は自分がバイトの先輩として見て来たもので判断しようと思った」


 彼が見て来たもの。一体どんなものだろうか。ある日アルバイトに自分が入り、自分の不甲斐なさで多大な迷惑をかけ、無様な姿を晒し、手間を掛けさせてやっとこさ今に至った事だろうか。


「さっきの啖呵(たんか)はそれらしい言葉を並べただけだよ。何とか説き伏せて時間は作った。もちろん正しいと思って言った事だけど、それは別に俺が伝えたい事じゃない」


 だったら何なのだ。一ノ瀬深那の心の底、打ち捨てたはずの"期待"が浮上する。先を知るのが怖いと同時に、強く知りたいとも思った。どこか苦手と思いつつ、つい頼ってしまったバイトの先輩の本心を。


「一ノ瀬さんは"ちゃんとバイトを続ける"って意志を持って入って来たよね。それを知らない内はただただ驚いたけど……知ってからは、一ノ瀬さんの行動一つ一つに一ノ瀬さんなりの重みが有るんだと感じた」


 まさか。


 まさかそう思ってくれているなんて思っていなかった。未だ迷惑に思われていると感じていた。心の中で馬鹿にされていると思っていた。そんな風に、自分の都合を考えてくれているなんて思いもしなかった。


「先輩が一ノ瀬さんを連れ戻しにやって来た。もうバイトは辞めるべきだと言った。その方がもしかすると正しいのかもしれない。それじゃあさ、一ノ瀬さんは何のために今まであの場所で頑張って来たんだ?」


「ぁ………」


 そうだ、あの甘言を受け入れて居たら、全てが無駄になっていた。甘やかされればまた元に戻ってしまう。曖昧に納得できないまま過ごし、兄にも、その彼女にも気を遣うだけの関係がただひたすらずっと続いていたはず。


「怒られた。謝った。叱られた。嫌なことばかりでも、一ノ瀬さんはちゃんとお客さんと目を合わせて接客できるようになったし、時々だけど俺に提案もできるようになった。俺はそれを側でずっと見て来た。一ノ瀬さんは確かに今までずっと頑張って来たんだ」


「ぁ───」


 少年は続ける。あくまで自分が納得出来なくて口を挟んだのだと。感情に身を委ねて"一ノ瀬深那"を主張すべく彼女の横に並んだのだと。この一ヶ月間は、決して無駄なものではなかったのだと。


 こうして育てた後輩を、簡単に奪われたくなかったのだと。



「それが全部無駄になるなんて、納得できるわけねぇだろ」



 少年は、やっぱり彼女を泣かせてしまった。

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― 新着の感想 ―
良き…
[良い点] 佐城の思いの強さが、よく感じられる。
[一言] 惚れてまうやろ
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