できること、できないこと
続きます。
色んな意味で怯えた一ノ瀬さんが何とか笹木さんを応対しやり遂げた。つっても笹木さん、ただ口調と歩き方が荒いだけの普通のお客さんだったけどね。お釣りもらった時に『ありがとな!』っつって拳掲げた時はどうしようかと思ったよ。うん、合格。
「お、思ったりより恥ずかしいですねっ」
でしょうね。
手をうちわ代わりにして煽ぐ姿はいつものお姉さん。きっとあの時の姿は幻だったんだろ。笹木さんも俺も疲れてるんだきっと。笹木さん受験生だし、俺は───うん、夏で暑いし。ゴーヤチャンプル嫌いだし。
元々笹木さんは俺に用が有って来たみたいだけど、前と同じように気分転換の意味もあったようだ。ホントにお客さんになって2冊買って行った。去り際に『また来ますね』の小さく振られた手は風に揺蕩うスズランのようだった。姉貴とチェンジで。
「………すごかったな」
「………」
思わずこぼれちゃった感想。一ノ瀬さんは返事しなかったけど大丈夫、独り言。何が凄かったってマジで笹木さん以外にお客さんが来なかったこと。だってもう週末前だもんな、平日にしろ休日にしろ、買い物は前半に済ます人多いし。
「俺、夏休みでここ辞めるけど笹木さんが来たら頼んだよ」
「ぇ……!?」
何気なしに言うと小さく驚かれた。『マジかよ』って顔してる。そんなに笹木さんが嫌かね?優しいお姉さんじゃ───そうだ年下だったわ。女子大生風の女子大せ───あれ?
結局一ノ瀬さん的に笹木さんどうだったんだろう。端から見てて思ったけど笹木さんって意外とグイグイ系だったし。俺がウェルカム過ぎて全然気付かなかったわ。苦手に思ってなきゃ良いけど。ていうかここ辞めたらもう笹木さんと会う機会無ぇなぁ……。
「ゃ……やめるんですか」
「あれ……知らなかった?」
辞めるからこそのバイト募集だったんだけどな……。爺さんとの面接で聞かなかったんかな……あの時の爺さん嬉しさ突き抜けてたし、説明のし忘れがポロポロ有んのかもしんない。ていうか笹木さんと宜しくやってくれる事は別に良いのかね。
「まぁ見ての通り、このお店にバイト二人も要らないからね。店長が若けりゃバイトも要らなかったのかもしんないけど」
「………」
主に腰にクる作業を代わりにするために入ったし。接客ももちろんメインだけど、今じゃそっちもあまり爺さんにさせたくはない気がする。まあ老後の趣味っつってたから別に良いのかもしんないけど。少なくとも一ノ瀬さんは守ってくれるだろうよ。
「まぁ話聞いちゃったしな。一ノ瀬さんの目的に適うかは分かんないけど、それまでは先輩やらせてもらうわ」
「……っ………」
あ、やっべ。流れでデリケートな事言っちゃった。一ノ瀬さんビクってしちゃったし。たぶん今日もクマさんは由梨ちゃん先輩と───ぐっは………俺がダメージ受けるわ。ナチュラルにクマさんって呼んじゃったし。あの二人の前じゃ死んだフリしなくても気付かれなさそうだ。
「………いえ……聴いてくれてありがとうございます」
「あ、うん………ん?」
先輩として教える事じゃなくて、話を聴いた事にありがとうって言ったのかな……寧ろ聴いちゃって良かったのって感じだけど。
一ノ瀬さんは何かが目に付いたのか、レジを離れて棚整理を始めた。その横顔は目元こそ見えているものの、学校でよく見かけたような無感情に思えた。ああいう押し殺す感じのを見ると心苦しいな……。
「………もうすぐ上がる時間か」
時計はもう正午を指している。爺さんは時間に厳しいからもうすぐ表に出て来るだろう。
その時が来るまで、一ノ瀬さんは真面目に業務に勤しんでいた。
◆
完全に他人事なんだけど、聞いてしまったからには気になっちゃうのが人の性。だからいっその事聴きたくなかったってのが本音だ。でも気になったところで一ノ瀬さんの身内の事情だし、首を突っ込むつもりもないからただの興味本位なのかもしれない。俺、バイトの先輩ってだけだし。
じゃあ、何で一ノ瀬さんはそんなデリケートな事を俺に話したのか。今までほとんど話して来なかった仲だし、何なら俺は初日から冷たい言葉を浴びせたヤな奴なんじゃねぇのと。
そう考えると、たった一つだけポッと答えが出て来た。一ノ瀬さんを知っていれば意外と簡単に思い付く。
"話せる人が居ないから。"
今までも何度か思ってたけど……何ともまあ失礼な発想だとは思うわ。完全に上から目線になってるってゆーか。でもそう思うのは仕方ないよね、学校じゃ誰かと喋ってるとこなんかほとんど見ないし。それについて悩みが無いなんて事は無いだろうよ。
それも含め、一ノ瀬さんは精神的に独立する事でいっぱいいっぱいになってたんじゃないかね。それこそ、毛程も気心の知れた仲じゃない俺にそれを話してしまう程に。
そうしないと、いずれ何かが溢れてしまった。言わば自分を守るため、俺に自分の事情を明かしたんじゃないかと思う。親に話せば兄に不都合が行くかもしんないし、爺さんに話したとして共感してくれるとは思えない。奥さんはご高説さながらに否定的な言葉をぶつけて来そうだ。そこに一ノ瀬さんにとって仲の良い女子でも居たら………たぶん俺は一ノ瀬さんの事情なんて知らなかったと思う。
「何か期待でもされてんのかね………」
帰り道、炭酸ジュース片手に呟く。やだ、俺ってば何かの主人公?そんなはずはねぇ……それならもっとイケメンで女子にモテてるはずだし、きっとスポーツとか抜群にできるはず。もちろん姉貴だって超優しくて………てかそもそも姉じゃなくてブラコンの妹が居るはず………あれれ?何だか心当たりが有るぞ?
俺じゃなくてアイツが聞いてたら何かしてやってたのかね………俺にはバイトの先輩やるくらいしかできなさそうだ。一般的な、そう、ただ当たり前の事をただ教えるだけ。それだけで結構疲れるし、何よりこの佐城様の身の丈がそんくらいだ。マジ短小。
「あ、あれ………?」
佐々木なら炭酸も抜けないのかもしれない。
◆
【えっと、アルバイト終わった?】
やだ早い。
我が女神、夏川様………今日ほど貴女様からのご連絡に焦燥感を覚えた事はございません。シャワー浴びた心地のまま飯食ってゲームして昼寝してからどう説明しようか考えようとしてたのに……もうっ、せっかちなんだからっ!
いや待て落ち着け。夏川からの罰はアレだろ?一ノ瀬さんが何でああまでしてアルバイトを続けようとしたか訊くってだけだろ?別に何も詳細まで話す必要はないじゃんか。あんな内容のこと女子と話しても気まずいだけだし。何か自立しなきゃいけないただならぬ理由があったらしいで良いじゃん。
【拝啓、夏川様。立秋とは名ばかりの厳しい暑さが続いておりますがいかがお過ごしでしょうか。平素はひとかたならぬご愛顧を賜わり、感謝の念に堪えません】
【何よその挨拶】
しまったッ……!まだ連絡して来ないでほしいというささやかな望みと夏川とやり取りが出来た事の半端ない嬉しさ、そして有り余る尊敬心が相反してつい反射的に時候の挨拶っぽいのをしてしまったッ……!
やっべ、ちょっと瞬きしてたらすぐコレだわ。ひとかたならぬご愛顧とか別に賜ってねぇし。生まれて来てくれただけでマジ感謝だし。神様あんがとっ、マジ神。
【いやほら、ちょっと背伸びしてみたくなったっつーか?猛暑やべーじゃん?】
【………あんまり無理するんじゃないわよ】
あ、あれ、優しい………おかしいな、もうちょいツンとした感じに何か言われると思ってた。夏川またちょっとお姉さん力上がったんじゃね?さては夏休みを良い事に愛莉ちゃんを使ってパワーレベリングしたか。そろそろ新しい技覚えんじゃね?ぜったいれいど?一撃必殺じゃない……。
【そっちこそ愛莉ちゃんの世話頑張り過ぎてへばらないようにな、お姉ちゃん】
………………。
「…………………………………………あれ?」
あれ……?その、何か反応とか……え、引かれた?ドン引きされちゃった感じ?はは、どうやら俺の弟としてプロの部分が出てしまったみたいだな………俺くらいのレベルになれば一瞬本当に弟なんじゃねぇかと錯覚させる事が可能なのさっ。だから決して夏川は引いてるわけじゃない、そう信じてる。そうあって。お願い。泣く。
【お姉ちゃんはやめて】
【あ、はい】
ガチやんけ。
いやほら、夏川が愛莉ちゃん大好きシスコンのように俺も楓ちゃんと数奇な運命だから。コンプレックスだから。肉まん無尽蔵に食って体重計の上で苦い顔してるとことかマジ大好き。日頃ヘソ丸出しで寝転がってるくせに雷鳴ってるときだけ完全防備なとことかもうホントにはっはっは爆笑。
「───なに、アンタ居たの?コーヒー入れてよ冷たいやつ。8:2くらいでミルクね。砂糖は小さじ1杯、キャラメルパウダーも宜しく」
「1分くれます?」
「40秒」
「ウッス」
【ただいまの記録】───38.14 秒/杯