待たぬお嬢さん
続きます。
せっかく久し振りにやって来てくれた事だし笹木さんとゆっくり話したいところだけど、正直今は一ノ瀬さんでいっぱいいっぱいかもしれない。一ノ瀬さんは自分で話した内容がバネになってんのかやる気溢れてっけど、どこでスイッチが切れるか分かったもんじゃねぇかんな……。
傷心の心の穴を仕事で埋めるなんてよく聞く話だけど、それで良い方向に向かった事なんてあんま無いし………俺が知ってんの、ドラマとか漫画での話だけど。
や、待てよ。
「笹木さんも確か読書家だし、一ノ瀬さんと気が合うかもね」
「ええ?そうなんですか?」
たどたどしく紹介し合う二人に話題を投げ掛ける。一ノ瀬さんも読書家だし、年の差はあるけど仲良くなってくれればと思う。気の置けない仲が出来れば兄離れとは行かずとも、寂しさを和らげるくらいは出来るんじゃねぇかと。てか兄離れはすべきなのか……。
「ほ……本は、読みます、けど………」
「本当ですか?あまり周りに読書仲間が居なくて寂しかったんですっ。良ければ仲良くしてくださいね」
「えっ、あの……えっと」
おっと?笹木さんが俺のよく知る笹木さんになったな。これもしかして外向けの顔だったり?ってことは中学生らしい笹木さんは心を開いてくれたと思って良いんかな………くっ、でも笹木さんは大人っぽくあって欲しいっていう俺が居る……!でも嬉しくなってピョンピョンしてた時の笹木さんもそれはそれでもうっ………もうね!!
「……ぁ、あの……今仕事中で………」
「あ……そうですよね」
「や、今は良いよ。お客さんが来たときに切り替えてくれれば」
「えっ……」
どうせ客なんてほとんど来ねぇし。ちゃんとしなくちゃいけない時にちゃんとできれば別に良いと佐城は思います。すまんな爺さん。
「笹木さんは恋愛小説読むんだっけ?一ノ瀬さんはどんなの読んでんの?」
「えっと……こだわりはなくて………題名に惹かれたものを」
「ほえぇ、凄いです……」
「……!?」
キラキラした眼差しで一ノ瀬さんを見る笹木さん。どうやら一ノ瀬さんの読書家ぶりは凄いらしい。漫画ばっか読んでる俺にはさっぱりわからん世界だ。でも確かにジャンルにこだわった事が無いっていうのは"本"そのものが好きなんだなって感じがするかもしれない。本なんて無限に有るし、次から次へと本を読めそうだ。クマさん先輩に背中預けて読むのが重要って考えるとまた切ない気持ちになっちゃいそうだけど……。
尊敬の眼差しに一ノ瀬さんはちょっとタジタジだけど、今はこのままにしておきますかね。
◆
「…………」
いや客来ねぇな。
笹木さんに一ノ瀬さんを任せて───いや逆か?一ノ瀬さんに笹木さんを任せて30分。楽なバイトだけあっていい加減する事が無くなって来た。店内のPOPも今変えるようなタイミングじゃないし、いつもの俺なら『早く終わんねぇかな……』なんて思いながら棒立ちし始める時間だ。
そんな中でもレジ前では一ノ瀬さんと笹木さんがトークに華を咲かせている。聴こえてくる声は笹木さんが問い掛けてばかりだけど、物腰の柔らかい───柔らかい?笹木さん相手だからか一ノ瀬さんはしっかり受け答えしていた。つか何歳の相手にこんな事思ってんだろうな……。
一ノ瀬さんのメンタル的なのも心配だけどこのままじゃ研修にならない。もうすぐ俺抜けるんだし、少しでも有意義な時間はあった方が良い気がする。そうだ、ここは笹木さんに協力してもらう事にしよう。
「お話中ごめん。笹木さんって時間ある?」
「はい?」
ネックなのはイレギュラー対応というか、接客。難癖の一つ付けられようもんなら最初は誰だって頭が真っ白になってしまうし、一ノ瀬さんみたいに明らかに大人しめの相手だと理屈っぽい厭客にとっても乱暴な厭客にとっても格好の的だろう。
コツなんだりを徹底的に教え込んだりすりゃあ良いんだろうけど、実際そんなこと繰り返しても経験が無いと考えてた事なんて全部頭から吹っ飛んじゃうから、結局"慣れ"なんだよな。
つーわけで始まる接客ロール。一ノ瀬さんにはレジに付いてもらい、俺がお呼びじゃねえタイプの客を演じて一ノ瀬さんに難癖を付けるというアレ。入り口から真っ直ぐ向かい、ずっと目が合ってる一ノ瀬さんの元にちょっと鋭めな目をして向かう。ずっと見られたらお客さん落ち着かないんじゃねぇかな一ノ瀬さん……。
レジ前に立ち、ちょっと睨み返し気味な一ノ瀬さんを見下ろす。
「おい、ここ雑誌置いてねぇの?」
「っ……お、置いてないですっ」
「は?何で置いてねぇんだよ」
「な、なんでって………」
こんな客が来たならマイクごしに『表の看板見て出直せや』とデスボイスで親指を下に向けながら叫び倒したいところ。でも立場上、そう言った揚げ足取りは逆に余計なトラブルを招く。ここは素直に頭を下げつつ『すみません、当店では扱ってないんです』と言えれば舌打ち程度で済ませてくれるケースが多い。それでも店員側に遺恨が残ってしまうのは社会が悪いからだ。ボタン1つでレジ前の床が抜けてローションプールに落とせる法案できねぇかな。
クソみたいな考えは置いといて……受け答えの常套句ならまだしも一ノ瀬さんは客にマウントをとってはならない事を知ってるはず。
「てっ……店長にきいてきます!」
そう言ってパタパタと裏へ走って行く一ノ瀬さん。なるほど、その方法もアリだな。でも商品に関する質問は結構多いし、このくらいは従業員レベルで済ませられないと爺さんが負担に感じるだろうな。慣れてきたらで良いから、いつかはできるようになってほしい。
一ノ瀬さんには後で───あれ、一ノ瀬さん?一ノ瀬さんどこまで行った!?ホントに爺さんとこ行かなくて良いのよ!?
◆
火中に飛び込むように裏へ行き、一ノ瀬さんに頭を下げられ鬼瓦の一歩手前みたいになっていた爺さんの元に滑り込み説明。ただの練習である事を解ってくれて苦笑いを返された。『良くできてるじゃないか』と爺さんから孫娘のように頭をポンポンされる一ノ瀬さんは少し恥ずかしそうだったけど口元は綻んでいた。ちなみに良くできてはいない。爺さんアンタすぐ怒鳴るじゃないっすか。
「まあ、他所の店じゃそれも正解なのかもしんないけど」
「は、はい……」
一ノ瀬さんを表に引き連れ戻して練習の続きをする。初見だし特に叱ることも無く無難な応対を教えた。レジカウンターにメモを置いて丁寧に書き込んでいる。あら、一ノ瀬さん結構まるい文字書くのね……活字慣れしてるっぽいから少し意外だわ。
「こ、これがアルバイトですか………!」
レジカウンタで見てくれてた笹木さんがキラッキラな目でこっちを見てた。あれ、アルバイトをご経験された事は?って考えて1秒後に実年齢を思い出す。ダメだ、印象とかよりも"女子大生"って言葉が強すぎる。俺がそうあってほしいと望んでるからなのか……。"女子大生"………それは既にパワーワード。最終進化形。
笹木さんの屈託の無い微笑みと眼差しが俺を溶かし殺しに来てる。"溶かし殺す"って何気に一番残酷じゃね?
「じゃ、次は笹木さん。いろんなパターン試したいから、厄介なお客さんの役頼めるかな?」
「ふぇ……!?や、厄介なお客さん……ですか?」
「可愛──そう、厄介なお客さん」
あ、慌てた拍子に年相応な部分をチラ見せだと………やりやがる、夏川以外に俺の溢れんばかりの感情表現レーダーの制御を混乱させたのは君が初めてだ。くそぅ………ホントに女子大生ならある程度甘えられたのにッ………!!くそぅ……。
「あ~……難しいなら───」
「い、いえっ!やりますっ、これも社会勉強ですっ」
「……? そう?」
無理にやってもらう必要も無いかと思ったら案外やる気らしい。笹木さんが胸の前で小さく拳を握る姿からは『お姉さん頑張っちゃうっ』なんてセリフが今にも聴こえて来そうだ。頑張ってお姉さんっ……!(開眼)
笹木さんはふんすと息を吐くとタッタッタと店の外に出て行った。すげぇ、走る姿見ると一気に中学生っぽい若さ感じた。やっぱ若いって身軽なんだな。背中ごしで良かった、正面から見てたら暴力的な位置エネルギーに翻弄される存在に眼球持ってかれてたわ。笹木さんが女子校で良かったと思う。切に。
「………いいなぁ…………」
「………」
レジカウンタの奥に立つ一ノ瀬さんからボソッと何かが聴こえた気がする。思わずバッと振り向いて凝視しそうになったけどやめておいた。聴いたらわかる、無意識のやつやん。
なるべく一ノ瀬さんの方を向かないようにしてレジ側の隅っこに移動した。やっとこさ一ノ瀬さんの方を向いて見ると、それはもう耳の先まで真っ赤になってる一ノ瀬さんが自分の口を両手で押さえてぷるぷる震えていた。まだだッ……まだ頑張れるよ一ノ瀬さん!期待してるから!!
「い、行きますよっ」
入り口の側に立つ笹木さんの声を合図に『お願いしまーす』と告げる。それを皮切りに一ノ瀬さんもぴっと姿勢を正して前を向いた。耳は赤い。そんな感情入り混じる一ノ瀬さんの元へ、笹木さんが悠々と歩き出す。
「おぅおぅおぅー、こらぁー、このやろぉー」
お待ちなさいお嬢さん。
くれないだぁー