がんばる理由
続きます。
自立───自分の事は自分でどうにかしようって感じのやつだよな。めっちゃマジに捉えると、学校の宿題とか市から届く書類とかを自分で片付けるみたいな生温いもんじゃなくて、衣食住すら自分で確保して掃除洗濯もやってこうみたいなことだよな?
「スゴいと思うけど……早くない?」
「……」
「……?」
小っちゃい体に何とも頼りない立ち居振る舞い。これが夏川だったらちょっと納得できたかもしれないけど、一ノ瀬さんって考えるとまだまだ遠い未来の話のような気がする。や、どっちかっつーとまだできない方が高一じゃ普通だと思うんだけど。
黙って俯く一ノ瀬さん。バイトを始めた理由は自立のためなんだろうけど、自立したいと思う理由はまた別にありそうだ。学校での悩みか?正直悩み事は多そうに見える。マジで俺が立ち入っちゃいけない領域だったかもしれない。
「─────……兄離れ、したくて」
「え?」
え、言ってくれんの?しかも聴こえたのがちょっと切ない理由だった気がする。兄離れ?兄離れしたいの?それはまた……こう、お兄さんに大ダメージを与えそうな理由だな。今聞いた感じだと『あぁそうなんだ』って他人事みたいな感じだけど、一ノ瀬さんが自分の妹だったらって考えると過保護になってしまいそうだ。こんなこと言われる日が来るとか怖すぎんだろ……妹なんて居なくて良かった。
あれ、ちょっと待てよ?“一ノ瀬さん”のお兄さん……?
「あの、ごめん。もしかして、一ノ瀬さんのお兄さんって風紀委員の3年に居る先輩だったり……」
「ぁ……」
訊いてみると、一ノ瀬さんは小さく反応してコクリと頷いた。やっぱり!あの時のクマさん先輩だったんや!大柄な見た目だけど優しい顔しててずっとニコニコしてたな。正直小柄な一ノ瀬さんと全く似てないような気もするけど、一ノ瀬さんあってあのクマさん先輩ありって考えるとあの優しい性格も頷ける気がする。
「何で?俺からしても優しい先輩だったし、兄離れなんかしなくても好きに甘えたら良いのに」
「………」
「あー……えっと?甘えたくても、甘えられない?」
訊いてみると、一ノ瀬さんはまたもやコクリと頷いた。そりゃまた難儀な話というか……これもう家庭の事情になってくるな。それなら母親とかに甘えたらなんて思うけど、他の家庭事情があるのなんて俺が知るわけないし、藪を突いて蛇が出て来るなんて嫌だしなぁ……まぁ“罰”としちゃこれでも十分な収穫っしょ。
要はこうだろ、大好きなお兄ちゃんに甘えたいけどもう甘えられない事情があって、だったら兄離れして自立するしかなかった。だからその精神を養うため、バイトを簡単に辞めるわけにはいかなかったってところか。おお、それっぽい。
「……成る程ね。一ノ瀬さんが頑張る理由が解ったよ」
“自立”なんて大仰な言葉使われたからもっと複雑な事情かと思ったけど……何だ可愛い理由じゃんか。一ノ瀬さんからしたらめっちゃ大事なんだろうけど、“兄離れ”程度なら誰もが通る道なんじゃねぇの。てか世の妹のほとんどは兄貴を疎ましく思うイメージが強いけどな……まぁ自分の身内って知られた時に恥ずかしいか恥ずかしくないかって話か。クマさん先輩は評判良さそうだし、佐々木は歯磨き粉ばりに爽やかなイケメンだからな。
「───私……お兄ちゃんの事が大好きだったんです」
「えっ」
「その……今も、なんですけど───」
え、あの、え?まだ話すん?お兄さんが好きとか、そんな赤裸々に全部話してくれなくても良いのよ?あ、女の子に向かって“赤裸々”ってなんかやらし───いやいやどんなタイミングで邪な事考えてんだよ俺の脳みそクソか。今真面目な場面でしょ?頭切り替えろ頭。
一ノ瀬さんをはちょっと俯いて顔に影を作ったまま喋り続けている。あれか、俺に話してんじゃなくて呟いてるだけなのか。呟きたいなら今は便利なアプリがあるんですよ一ノ瀬さんっ……!
「あの、一ノ瀬さん?」
「家で本を読むときはいつも座ってるお兄ちゃんの脚の間に入って、お腹を背もたれにして読んでるんです。温かくて、心地良くて、それがもう当たり前になってたんです……」
何それすっごい和む。理想の兄妹みたいな光景じゃん。そんなん聴いちゃうと俺も妹が欲しくなって───いやいやいやだから何でそんな話してくれんの?俺のこと嫌いじゃないん?信頼ゼロの相手に話す内容じゃなくない?まぁ可愛い話だけども。
「一ノ瀬さん、その───」
「ある時、お兄ちゃんが同級生のお姉さんを連れて来たんです……由梨さんっていうそうです。次第に何度もその人と顔を合わせるようになって、お兄ちゃんと話せる時間も少なくなって来ました……」
あー……“由梨さん”ね?憶えてるよ?同じ風紀委員でクマさん先輩が“由梨ちゃん”って呼んでた先輩だよね?中学生の体験入学の時に運搬班で陣頭指揮とってたデキる人。
ええ憶えてますとも。目の前でイチャコラしてくれやがって。疲労感が4倍くらい増したの思い出したわ。周囲もなんか近寄り難かったのかちょっと避けがちだったからなマジで。でもクマさん先輩も由梨ちゃん先輩もちゃんとしてるの知ってるから何も言えねぇんだよなあれ。
ちょっと待ってそうなって来るとアレだろ?由梨ちゃん先輩とクマさん先輩がイチャイチャイチャイチャするもんだから一ノ瀬さんが何か寂しい感じになってんでしょ?
「それでもお兄ちゃんと一緒に居たくて……ある日の放課後、家に帰ってからこの気持ちをお兄ちゃんに言おうって決めてたんです」
あっ……───ちょ、ちょっと待ってこの流れヤバくない?嫌な予感してきたんだけど。それ俺の精神耐えうるやつ?てか俺が聴いちゃって良いやつなの?
「家に帰ったら、家族以外の靴がありました……それが……由梨さんのものである事は、直ぐに気付きました。でも、その時はなりふり構って居られなくて……」
「一ノ瀬さんストップ。ちょ、ストップ」
「ぁ……」
やめて、お願い。もう何となくわかっちゃったから。だからわざわざ口に出して言う必要無いよね。いったん落ち着こう、自分から茨の絨毯にダイブしに行ってるようなもんだから。しかもこのまま行くと俺の足掴んだまま飛び込みそうだから。
「……っ………」
あっ、泣きそうな顔やめて。え?マジで泣きそうじゃん。今の俺がおかしいの?つらい事言わなくて良いんだよ?あれ、このままじゃマズくない?2日続けてトラウマ作っちゃうとか嫌なんだけど。
「ゴホッ……んん゛ッ。ごめん、痰が絡まっただけ。続けて?」
「……」
一ノ瀬さんはコクリと頷く。続きを促すと泣きそうな顔が元に戻って行った。どうやら話した方が一ノ瀬さん的には精神衛生上宜しいみたいだ。そ、そこまで話してぇなら聴こうじゃねぇか!もうどんな内容でもかかって来いだしッ……!耐えてみせるし!
「……家の階段を上がってお兄ちゃんの部屋に向かい、ノックもせずに部屋のドアを開けてしまいました」
一拍置いて、今度は少し淡々と話し始める一ノ瀬さん。心なしか目に光が無くなり顔に影が差し始めた気がする。溜まっている鬱憤を吐き出そうとしてるなら俺がかけたストップは寸止めみたいなもんだったのかもしれない。そして俺は心臓のバクバクが止まらない。
「……そ、そしたら………えっと」
「……」
「そ、そしたらっ───!」
お願いッ……!予想外れてっ……!心臓が爆発しそうなの!どうか俺の心に安らぎをッ──────
「ゆっ……ゆりさんがおにいちゃんに覆い被さって………ちゅっ……ちゅーしててっ………!」
う、うわああああああああああああッ!!!!
ああああああああああああああッ!!!!