1話 無関心なソシオパス
この作品は旧編と新編に分かれていて、違う内容になっております。その点を踏まえ、誠に勝手ながら新編のみの閲覧を推奨させてください。
追記、今後の更新は新編の方のみの予定です。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。反省しています。だから許して」
「駄目だ。お前にくれてやる慈悲などない。今からお前を排除するのだからな」
目の前に広がる光景はただただ残酷なもの。幼気な少年に対し、強面の大男は何度も蹴りを入れ続ける。
小さな蔵の中で暗いワンルームは辺り一面、少年の赤い血で染まり、見るに堪えない産物と化していた。
胸の辺りが熱くなる。何とも、煮えくりかえる様な胸糞悪さが自分の中を這いずり廻る。
「お願いします。もう一度だけチャンスを......」
「その言葉、何度目だ?これ以上俺を失望させるな」
泣きじゃくる少年に男は槍のような鋭い眼光を放つ。そして止めを刺すと言わんばかりの一激を少年の土手っ腹へと叩き込んだ。
「コイツはもう終わりだ。今この時からお前がコイツの代わりとなる。そんな端っこに立つんじゃない。真ん中だ。堂々としろ」
「はい、お父様......」
「名を改めろ。今日からお前は――」
鳥のさえずりが耳の中に入り込み、寝ぼけた俺の頭の中をかき回す。とても気分が悪い。
「最悪だ......」
二度寝、と行きたいところだが高校二年に進級してまだ十日と経っていない。ここで学校をサボタージュしてしまうと一年中担任に目を付けられてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けなければならない、平穏な学校生活の為に。
布団を畳み部屋の片隅に固めて置いた俺は軽く洗顔して、台所へと向かった。今、俺が住んでいる、この家は築60年のボロ屋で外見は小汚い。だが現在一人暮らしの俺にとっては3LDKのこの家は十分な程に豪邸だ。性格が出ているのか見た目は、そんなに気にならない。
台所に着いた俺は冷蔵庫の中かからベーコン、卵を取り出しフライパンに投下した。スクランブルエッグをつくろうと思う。それだけでは足りないのでパンを一枚トースター中に入れて焼き始める。
一切の無駄を無くすため、火の見える位置で高校の制服に着替え始める。そんなこんなで立て続けに事を済ませると朝の気怠い時間はスムーズに進んだ。
俺は出来た料理をテーブルに並べ席に着く。
味は悪くないのだが幸福感が無い。体がダルい。それは俺を取り巻く環境が劇的に変化したのが原因だろう。
俺は朝食を終え食器を洗い、いつも家を出る時間まで適当に過ごした。
「行ってきます......」
そんな俺の言葉に帰ってくる声は一つもなかった。
コンクリートの塀に沿って道路の端を淡々と歩く。特に変わり映えしない平坦な道だが、それがいい。変わり映えしないということは異変が無いという事で、異変が無いという事は、それだけ平和という事だ。それ以上の幸せなど求めることすら烏滸がましい。
そんなことを頭の端で思いつつ、重い足を進ませていると少し前の曲がり角から二人の男の声が聞こえてきた。
「おい、あれ知ってるか越智。昨日の夜に、この近所の住宅街で放火魔が出たってやつ」
「放火魔?」
「ああ犯人は不良グループの一人で別の不良グループへの報復でやったとかっての」
「この辺に不良グループ?そんな奴ら本当にいるのか」
「まぁ、あんまり表立っては無いけど知ってる奴らの中じゃ結構有名な話だぜ」
「はぁ......ところで三角なんでお前がそんなこと知ってるんだ?」
「ん?んー俺にも色々あんだよ」
声の主である二人の男は俺と同じ学校の生徒である。制服から、それが分かる。
俺が進む軌道上に出てきた二人は俺より少し前を歩く。
前の連中が話していた放火魔の話は俺も知っていた。俺の家から十分程歩いたところにある住宅街の一軒が燃やされたのだ。
今回は距離があったから良いものの、もう少し近ければ俺にも被害があったかもしれない。そう思い危機としていた。だが今回の放火がゲリラ的なものではなく明確な目的あっての犯行と知って俺への危険性は、かなり薄れた。
俺は今の生活を維持させなければならない。ただでさえ奴のせいで面倒なことになっているのだから。
「不良グループって言っても表立って行動してなかったら俺らには無害だよな」
「さぁな、でもまあナメた事言ってたら集団リンチにされるかもな」
「ないない、関わることないし俺には関係ないな」
口を開くことなく歩き続け、目的地に到着する。学校の正面に、ある大きな時計は八時十五分を指していた。俺は校門を通り抜け、靴箱に行き、そして事を済まして自分のクラスへと足を運んだ。
2‐A、俺が所属するクラス。扉をスライドし足を踏み入れる。
窓から差し込む光は明るいもので、それに応じてかクラスの雰囲気も朝っぱらから騒がしいの一言である。教室のあちらこちらにグループが存在していて誰もが楽しそうに談笑している。そんな光景を横目に俺は静かに自分の席に向かった。
「おはよう終夜」
机に向かい、一人、本に目を落とす俺に朝の一声が掛かる。
「おはよう」
背中にまでかかるレモン色のロングヘアーをサラサラと風に靡かせる美白の少女。声の主はうちのクラス委員である宮園華希だった。
知性と風格に溢れる顔立ちは全身から存在感を沸きたてるよう演出し、それだけに留まらない凛とした美しさには、もはや言う言葉も無いだろう。
「お!皇じゃん。おはよっ」
華希の後ろからピョコンと顔を出したのはボーイッシュな見た目が印象に残る女子。
更にそれを追うようにやってきた眼鏡を掛けた女子が続け様に言う。
「ちょっと......早いよ曜子ちゃん。あ、宮園さん、皇くんおはよう」
「ええ、おはよう。美幸ちゃん」
華希は気さくな笑みで挨拶を返した。
華希の後に来た二人とは特に接点はない。華希とよく一緒に行動しているのを目にするので、つまりそういうことなのだろう。
「そういや皇さ、この前、んーっと二週間前くらいかな?隣のクラスの白鳥小雪と幼女間に挟んで仲良く手繋いで歩いてたよね。あの幼女は、どっちかの妹?それともお子さんですかぁ?」
楽しそうに体を揺さぶりながら曜子は俺を問い詰める様に接近する。
「......アレか。何でもない。大した事じゃないだろ」
「えー、まぁいいや。でさ、なんで白鳥小雪と二人でいたの?もしかして付き合ってたりするの?」
面倒な質問を投げてきたものだ。
咄嗟なことに俺の思考はフリーズする。
曜子が言うような事は一切ないのだが、この場合はどう返すのが正解なのだろうか。
「ね、ねぇねぇ白鳥ってあの白鳥小雪だよね」
俺にグイグイと迫り寄る曜子を引き剝がすように美幸は言う。
「そうだねあのウザ絡みで有名なバカの白鳥だよ」
俺の苦境を打破してくれたのは美幸の一言だった。不穏な声色で放たれた言葉は曜子の興味を一心に引き付けてくれた。
話している内容については目に余るものもあるが有難い。
「皇くんが好きになるかな?」
「美幸アンタねえ、それは偏見でしょ。もしかしたらそういうのがタイプかもしれないじゃん」
呆れ口調にそう言うと曜子は黙って俺を見つめ出した。美幸も俺を見ている。
もしかしたら俺にどんなタイプが良いかを聞いているのだろうか。
「無い。アイツは無い。うるさいのは御免だ」
俺が少しだけ気性を荒くして言ったその時。
「おはよーッ」
後ろから何者かが、そう言いながら俺の頭に手を置いた。
すかさず振り返って見て見ると、そこには見覚えのない長身の男子生徒が一人。
「おはよー宮園さん」
「ええ、おはよう竹くん」
華希が愛想よく会釈した相手は好青年という言葉がよく似合う丸刈りの坊主頭。
「おお!竹、野球部も朝練終わったのか?お疲れー」
「ああ、曜子も、お疲れさん」
「毎朝、頑張ってんねぇ」
「まぁ今日なんて放課後オフだしな。朝だけでも頑張っとかないと」
楽しそうにハイタッチなんかしながら談笑する二人を目の端に置き俺は自然と大きなあくびをした。
「皇くん眠そうだね。寝不足なの?」
気の抜けた俺の顔を覗き込み美幸は心配そうにそう言った。
「ん?まぁ確かに寝不足かもしれないな。最近寝付けなくて困ってるんだ」
「そうなの終夜。大丈夫?」
美幸との間に割り込み、俺の肩に手を添えて振り向かせながら華希は言った。
「お、おう」
「私に出来ることがあったら何でも――」
「宮園さーん!ちょっと来てもらってもいい?相談があるんだけど」
竹の声に驚くように反応した華希は軽く肩を跳ね上げて声の方を振り向いた。
それから俺に一言「じゃあね」と言い残し華希は去って行った。
「皇くん、アロマとか焚いたら寝られるかもね......」
そう言い残し小さく手を振った美幸も華希の後に付いて俺の席から去っていく。
徐々に遠くなる華希たちの背中を見ながら俺は即座に本を開きなおした。
それから胸の辺りに溜まった鬱憤を溜息で吐き出すのだった。
午前の授業が終わり、校内に鳴り響く高らかなチャイムと共に昼休みが始まった。俺は席に座ったまま持参した昼食を鞄から出し机に置く。
ビニール袋から紙パックの牛乳にストローを刺し、フランスパンのサンドイッチの包み紙を半分剥がす。そのまま口に運ぼうとしたその時、ズボンのポケットに入れていた黒色の通信端末が振動を起こした。端末の画面を開いてみると個人チャットに一通メッセージが届いていた。
『《白鳥 小雪》
ゴメンね皇くん今日はうちのお店の従業員さんが休みだからお母さんの手伝いをしなくちゃいけなくなっちゃった。だから今日はいけません。また今度ね』
薄型の端末を右手で強く握りしめる。
「コイツ......」
思う事が多すぎる。勝手な奴だ。大きなため息を吐いた俺の背筋に電流が走る。何者かに睨まれているような感覚を全身で感じ、俺は恐る恐る後ろを振り向いてみる。
「終夜、スマホ変えたの?」
華希だ。
「いや、これは最近貰った専用品だ。俺のスマホは前のままだぞ」
白鳥からのチャットを華希に見られただろうか。
もし見られていたのなら少々困ったことになるな。白鳥と頻繁に連絡を取っている事など出来れば華希には知られたくない。
「そうなんだ。私たち今からご飯だけど終夜も一緒にどう?」
華希はそう言うと俺に見えるよう曜子と美幸がいる班を指さした。
「いや俺は――」
「曜子ちゃん、美幸ちゃん、終夜も一緒に食べるってッ」
俺が断る前に華希は強引に俺を引き入れて、何故か一緒に昼食を取ることとなってしまう。唖然とし数秒時の流れが何処か遠くへ行ってしまったような感覚が俺を襲う。あっという間に華希によって俺の昼食は運ばれて行ってしまった。
しかたなく俺は食卓に着く。
「皇さあ、そんなメシで足りるのか?男ならもっとしっかり食え」
「イテっ......」
曜子に背中を勢いよく叩かれ俺はサンドイッチを喉に詰まらせてしまった。咳ごみながらストローに口を添え曜子に目を向けて見ると、能天気に笑っていらっしゃる。
二段弁当の一段を既に完食し終えた曜子は早々と箸で弁当の中身を口に運んでいく。
「曜子ちゃんはよく食べるよね」
小さな弁当を小さな口でゆっくりと食べる美幸は少し口を鋭くして言った。
ジト目で曜子を見つめる美幸は何故か攻撃的である。
「そうだね。私、朝から陸上部で頑張って走ってるからね。もぉ一時間目からお腹がすいちゃってさぁ。早弁しなかたことを褒めてほしいよ」
自分に嫌悪の感情が向けられていることに気付いていないのか、それとも気付いていてわざと気にしていないだけなのか曜子はお気楽にそう答えた。
「そう言えばさ。華希と皇ってなんで仲いいんだ?」
ふと箸を止めた曜子は不思議そうな表情で華希に質問した。
「え⁉うーん、中学が一緒なだけよ」
「んー?でも華希って中学だいぶ遠いとこ通ってたんだよね。それなのに高校一緒って、仲いいね」
ニヤニヤとした浮ついた顔で華希に言い寄る曜子は親父臭さがただならない。
そんな和気藹藹とした雰囲気のなか教室の扉が勢いよく開き、朝見た長身の男、竹が堂々と鎮座していた。
「宮園さん、ちょっと来てもらってもいい?」
「え、私?」
「ハイ!一人で来てもらいたいんですけど」
「分かった」
そんな短いやり取りで華希はこの場から姿を消した。
教室を華希ら二人が出る際、竹と目が合った気がしたが気にしないことにする。
「あの二人どう思う美幸ィ」
「どう思うって、まぁそう言う事なんでしょうよ。竹くん野球部のエースだし普通に顔良いし、ね」
美幸は言いながら俺の顔を窺うようにネットリした視線を向けてくる。そんな視線に不気味さを感じた俺は見て見ぬふりを突き通すのだった。
「どうすんだよ皇、華希とられるぞ」
「何言ってんだか」
最後の一口を牛乳と共に流し込んだ俺はゴミをまとめ、手にもって席を立つ。
そして、そのまま廊下へと向かう一歩を踏み出した。
「お⁉もしかして割り込みに行くの?あの二人の中に!見かけに選らずやるじゃん皇、その鋭く尖った目は飾りじゃないんだね」
「トイレに行くだけだ」
教室を出る際にゴミ箱へと手に持っていたビニール袋を投げ捨てる。そして俺は廊下に出た。
廊下は他クラス同士で賑わう生徒達で溢れかえり、やれスポーツやら、やれ動画撮影やらうるさい限りである。
そんな光景を見ていると何故か胸の辺りに変な蟠りのようなものが現れ始め、それは粘っこく纏わり付いて離れない。最近、俺を苦しめる感覚だ。
コイツのせいで夜はまともに眠れない、おまけに嫌な夢まで見るし、食欲なんてもってのほかだ。
次第に胸の中のヘドロは大きくなり呼吸もおぼつかなくなってきた。ここ最近で一番酷い症状。
トイレの前に来てスッと何かが抜けていくのを体感した。さっきまで尿意があったものの今では正直二の次となっている。
何故今そんなことを思ったのかは分からない。無意識の境地である。まるで白の世界にほおりだされたような、そんな感覚。
そう頭で理解したその時、俺の意識はどこか遠くへ行ってしまっていた。
開いた目に映ったのは白を基調とした斑点模様が目立つ天井。体は、やけにダルさが目立ちフカフカなベッドの上で横たわっている。
体にかかったシーツを剥がし、ゆっくりと体を起こした。
「目が覚めたのね皇。あなた廊下で倒れたらしいわよ。ここまで竹と宮園で運んで来たんだから」
椅子の背もたれに身を任せ悠々とこちらに語り掛けている女性は保健室の教師。俺は普段、保健室とは無縁だったのでまともに対面したことがなかったが顔は見たことがあった。少し化粧の色が強く、優しさは見た目からは感じられない。
「ちゃんと礼言っとくのよ」
「はい」
「体落ち着いたら早く帰宅しなさい。もう放課後だから」
先生の言葉で窓の外を見て見れば、空はすっかり赤く染まり、クラブ活動に勤しむ生徒達がグランウンドに埋め尽くされていた。流石、部活に力を入れた学校なだけのことはある。それが素直な感想だった。
「すみません、お世話になりました」
俺は素朴に、そう言い残し足早に退室した。
静まり返った廊下を歩き、俺はふと竹のことを思い出す。
俺が自ら人を訪ねていく、そんなこと自分らしく無いと自覚しつつも礼の一つも言わないのはどうかと思う。数秒の葛藤のあと、俺は野球部の部室まで出向くことに決定した。
廊下に響く、コツコツといった自分の足音を聞きながら、特になにを思うことなく俺は前進する。靴を履き替え、いつも向かう校門とは逆の道に足を踏み出した。
グラウンドの方を見つめながら歩いていく。見る限り第一グラウンドには男子陸上部の姿が窺える。他にはラグビー部や端の方には卓球部が筋トレをしているのが見えた。
俺は曜子のことを思い出し辺りを探してみるが姿は窺えない。曜子だけには止まらず女子の陸上部らしき人の姿も確認できなかった。
室内で練習をしているのか、それとも練習自体が休みなのか、一瞬そんなくだらないことを考えてみたがどうでもいい話だという事に気が付き、すぐに思考を停止させる。
俺は第一グラウンドを越え、野球部が使用しているはずの第二グラウンドへと向かった。
丁度、第一と第二の境を越えた辺りで徐々に辺りは静かになっていく。
風の音とアスファルトを蹴る音だけが耳の中に響き渡り、なんとも寂し気な雰囲気だ。
第二グラウンドを見ても野球部らしき者は一人もいない。どこか不穏な空気が俺の周りを囲い始めた。
野球部の更衣室兼部室が見え始めたところで自分の周りに異様なことが起きているのではないか、そんなことを思ってしまう。くだらない思考である。
複数の男子運動部更衣室が連なる部室棟の前に立ち、野球部の戸を叩く。
少し待ってみるが返事は帰ってこない。
もう一度グラウンドに目を向けて、俺は朝の竹が言った言葉を思い出す。
「そういや放課後は野球部オフだったけか」
部室棟に背を向け帰宅経路に身を乗り出した時、俺の耳に何やら耳障りの悪い金属音が飛び込んできた。鉄製の、もので何かを叩いているようなそんな音。それはどうやら野球部の部室の中でなっているようで、俺は音を立てないように近づいて扉の上の方についてある換気口から中の様子を覗いてみる。
電機は付いていない。ぱっと見だけでは部屋に異常はないが奥の方までは今の態勢で覗くことが出来ない。
俺は体を捩って奥の方を覗いてみた。遠くまで繋がる、ただ暗いだけの光景。異常なんて何もない。そう俺は思った、奴を見るまでは。
暗闇の中に保護色が如く溶け込んだ謎の生き物。もはや生き物と呼んでいいものか。そう疑ったものは黒く影のような人型の物体。部室の中に置いてある青色のベンチに腰を掛け、手には金属バットが握られている。
『なんだアイツ......見なかったことにしようかな』
そんなことを思っていたら、謎の生物は真っ赤に光る目と呼ぶべきであろうものを俺に向ける。
「ヤベっ目合った」
バットを床に打ち付け、そのまま引き摺りこっちへ向かってくる。擦れる金属音は次第に加速していき、やがて部室のドアを勢いよく弾いた。
「なんッ⁉」
ドア越しに衝撃を受けた俺は後ろに軽く飛ばされ態勢を正すことを余儀なくされる。
何でこんなところに、こんな奴がいるのか、まずコイツは何なのか。そんなことが頭を過ったがそんなことは、どうでもいい。逃げ切れるなら逃げる。この一手のみ。
俺は軽く掴んでいた学生鞄を肩にかけギュッと握りしめる。そして体を回転させ勢いよく地面を蹴り出した。
黒い物体は俺を追って走りだす。
「待てッ!皇ィィィ」
「喋っただと。なんで俺の名前を知っているんだよ」
自分の身に襲い掛かろうとしている異常な展開から逃れるべく背景は光のように流れていく。
後ろから聞こえてくるバットが風を切る音が今の状況をビシビシと俺に伝える。
もと来た道を半分戻り、第一グラウンドへの境目で左折する。そのまま校舎裏の菜園の方へと向かった。
「ッ!」
右の脹脛に重い衝撃が圧し掛かる。足を奪われた俺は体を支えることが出来ず、そのまま前へと転がり、体勢を崩されてしまった。
金属バットだ。
敵は金属バットを槍のように投擲し俺の足に突き刺したのだ。
普通に追いつかれるより、足を潰される方が質が悪い。今から殺されるという自覚が脳裏に焼き付けられるから。
俺は態勢を動かし相手の顔を目で捉えた。暗がりだったため気が付かなかったが目の前にいるのは間違いなく竹だ。竹の体に薄っぺらい粘膜を被せたような黒い光沢を放つ体。
「宮園さん......」
「は?」
竹のような黒い物体は唸るように動かない口でそう呟く。
「フラれたんだ......お前のせいで、お前のせいで宮園さんにフラれたんだッ!」
「知るかそんなものッ!」
「なんで俺がお前なんかを保健室まで運ばないといけないんだッ!俺の邪魔しやがって」
人気のない菜園にて竹は、そう叫ぶ。意識はなさそうだが明確な意思のもと動いているようではある。何かにとりつかれているだけで元は竹なのかもしれない。
「消えろ皇ィ」
竹はバットを大きく振りかざし勢いよく半円を描いて俺の腕を砕いた。
「ッィテ!」
痺れるような痛みが左腕に浸透する。瞬間、脳に衝撃が走り意識が飛びそうになる。
俺に止めを刺そうと天高くバットを振り上げた竹。
俺の目前に一筋のバットが構えられた。次の一撃を喰らってしまうと流石に限界である。覚悟を決めなければならない。
これは仕方がないこと。そう何度も言い聞かせ俺は腹を括った。
バットが俺の頭を捉えた。
【百合姫ッ!】
吹き抜ける逆風と共に現れたのは白銀の鎧を纏った氷のような女武将。若干霊体のような謎のオーラを放つ彼女は足はあるが浮いていて、長い髪を後ろで一本に括っている。
百合姫の武器である薙刀が竹の持つバットを弾き返した。
瞳の無い彼女は人間ではない。故に人間以上の力を保持しているのだ。
俺は左腕に右手を翳しながら立ち上がり、姿勢を正した。
百合姫が薙刀を勢いよく回転させ両手で構え喝を入れる。
「よくも主様に酷いことしてくれましたね」
飛び出した百合姫は薙刀で相手の体に連打を仕掛ける。何かにとりつかれているとはいえ元はただの人間。そんな奴が百合姫に勝てるわけがない。
後ろに退いた竹に対し、百合姫は勢い良く薙刀を振りかざした。風を切る薙刀は竹のバットとは比にならない。周りの芝や木々が靡き、そこらに葉っぱが舞い落ちる。
勢いに負けた竹は後ろに飛ばされ、液体のような黒の物体は宙に飛んで行く。そんな奴を空中にまで追尾し、薙刀が身体を射貫いた。
逆風が止まない戦闘のなか黒の物体は空で勢いよく霧散したのだった。
「今の奴、竹、本体ではなかったのか......。大丈夫だったか?百合姫」
「ハイ、私は大丈夫です」
大人っぽい見た目とは正反対の可愛げのある声で百合姫は応える。
「何だったんだ今の奴。本当に最近、面倒事ばっか引き込むよな俺」
「やっぱり私が外に出たのがいけなかったのでしょうか......」
深刻な表情で百合姫は訴えかける。
「何度も言ってるだろ、お前のせいじゃないって。これは白鳥のせいなんだ。そう言う事にしている」
「そうですか?でも私は主様の身に何かあったらと。それに主様の周りの方々にも影響が」
「俺の周りって元凶の白鳥と、華希くらいしかいねぇーよ。それとお前は優しすぎる。そんなに人当たりよくニコニコしてるとなぁ、俺がそういう奴なんだなって思われるんだよ。お前は俺の心移す体なんだから」
「なにを仰いますか。主様は元からそういう御方です。現に今だって、もしもの為に人気の少ない菜園に態々移動したじゃないですか」
「バーカ、能力を持っていない奴らに戦闘なんて見られてみろ。一発で変人扱いだ。アイツらにお前は見えない、分かるだろ?」
百合姫は俺の側まで駆け寄って、上から俺を見下ろした。瞳が無い心移す体は表情が読み取れないときが多々あるが今の百合姫はムスッとしている。
「それにしても主様ッ」
「なんだよ」
「なんであんな自傷的な戦闘をとったのですか?主様の思惑は分かります。分かりますけども、分かりますけども、もう少し私を信用してくれてもいいんじゃないですか?」
「......信用はしている。ただ予防線を張っただけだ。どうせ傷は俺の【呪能】で治せるし、その方が確実に敵を殺れる。治療した分を力に変える俺の【呪能】ならな。それにお前に消えられると困るからな」
「主様ァ、やっぱり主様は主様ですねッ」
「なんだよそれ。意味わかんねぇ」
「もう素直じゃないですね主様は。私といるときくらいは素直になってもいいんですよ。私は主様の一部なのですから」
最近、自分の心移す体が白鳥に寄ってきている気がする。ノリが白鳥を彷彿させる。少々苛立ちを覚えたが目の前にいるのは白鳥ではない。百合姫だ。俺はそう自分に言い聞かせるのだった。
「十分素直だっての、普段こんなに喋らねぇよ俺」
「そうですか?白鳥様といるときも主様はこんな感じですけど」
「アァァー、もう知るか」
俺は複雑な心境を髪の毛を掻き荒らすことによって紛らわす。
「ん?」
いつから振動していたのだろう。集中していたせいか今の今までポケットの中で、その存在を知らせていた端末に気が付かなかった。
俺が端末を取り出したところで電話のコールが消える。履歴から誰が掛けて来ていたのかを確認したところ、予想通り白鳥小雪の名前がそこにはあった。
「うわッ!何十件も履歴に残ってるじゃねぇか。チャットにまでも、何なんだアイツ......――ッ!」
俺は端末をポケットに直し百合姫の側によって右手を掴んだ。
「主様?」
「悪い百合姫、第二ラウンドになりそうだ」