7 「……お前さ、無防備すぎ」
父様の言う事を信じるなら、セシル君は今日お見舞いに来てくれるのですよね。セシル君もお仕事で忙しいというのに申し訳ないと言うか……その癖顔がちょっと緩んでしまう自分を叱りたいです。でも、楽しみなのは本音なのですよ。
そう、楽しみなのは、本音ではあるのです。ただ……その、昨日の父様の言葉を考えると、もやもやするというか。
……特別って、何だろう。
や、父様が言い出した事だから本当かどうかなんて分かりませんし、父様の邪推である可能性が高いのです。だから気にする事はないって、分かってますけど。
そりゃあ仲良しという意味では特別だと思うのですよ? 八年間近くお友達してる訳ですし、色々危機を乗り越えたり一緒に働いたり遊んだりしてきましたから。
それ以外の特別が、私に対してあるのか、となると、さっぱりです。
「どうしたの姉さま」
色々考え事をしていたのが顔に出ていたらしく、様子を見に来たルビィがきょとんと此方を窺っています。
ルビィが来てくれたというのに上の空ではいけませんよね。気にしないようにしないと。
「いえ、何でもないですよ。ごめんねルビィ」
「ううん、それは大丈夫だよ。なやみがあったら言ってね!」
ぼく力になるから!と笑顔で頼もしい事を言ってくれるルビィに頬を緩め、ありがとうとベッドから降りないまま手を伸ばしルビィの頭を撫でてあげます。
頭を撫でられるのが好きなのは姉弟一緒で、私が触れれば弾けたような笑顔。少しうずうずしていたので軽く手を広げれば胸に飛び込んで来るから、もう可愛くて仕方ありません。
……私がセシル君にもやらかしてる辺り、似た者姉弟というか。
此方を気遣っているのか強くは抱き着かず優しくくっつくルビィとの体温差もそこまでなく、初期に比べれば大分熱も下がりました。それでもまだ微熱より少しあるのですけどね。
「あ、姉さま姉さま、あと少しで兄さま来るんだけどね」
ルビィをなでなでしながら愛でていると、ふと思い出したようなルビィがにこやかな笑顔でそう告げて来て。
思い切り体を揺らしてしまった私は、相当に意識してしまっている気がします。父様のばか、変な事言うから……。
私の動揺を知ってか知らずか、ルビィはにこやかな笑み。いえ、ちょっと茶目っ気がある、悪戯っぽいような笑みのような。
「ちょっといたずらしない?」
案の定何か企み……というには可愛らしいものですが、何かあるらしく、あどけない笑顔で首を傾げるルビィ。
「悪戯……ですか?」
「うん、いたずら。だいじょーぶ、そんな大した事じゃないから。それに、姉さまも兄さまのびっくりした顔見たいでしょ?」
「……それもそうですね。からかわれる分ギャフンと言わせなくては」
……ルビィの言う事も一理あるような。
私って基本的にセシル君に口論じゃ勝てないのですよね。いや情けないお話ではありますけど、セシル君が論理的にざくざく攻めてくるから中々に論破出来ないというか。どちらかと言えばからかわれる側で、頬っぺたぐにぐにとかよくされたりしますし。
いつも何かされる側で歯噛みしているので、ちょっとくらい悪戯をしても良いのではないかなと。……心配かけてるのに悪戯するのは少し申し訳ないですけど、それくらい元気になったんだという証明という事で此処は一つ。
よし、とちょっとした悪戯なら許されると意気込む私は、早速とルビィと悪戯の内容を相談する事にしました。……やけににこにこしてるルビィですけど、まあ……気にしないでおきましょう。
悪戯、といってもシンプルなもので、悪戯というよりはちょっと驚かすくらいのものです。私が此処から動く訳にもいきませんからね。
なので、本当にちょっとしたもの。寝た振りをして近付いてきたセシル君を引っ張って驚かしてやろう、程度です。ルビィ発案ですし可愛らしいものでしょう?
ルビィはセシル君が到着したら、寝てるかもだけど入って顔見てあげてという事を伝える役としてお外に出ていってしまいました。るんるんしてたのはセシル君に会えるからでしょうか、ルビィって本当にセシル君好きですよね。
「……リズ?」
そんな訳で寝た振りをする訳です。セシル君も到着したらしく、ノックの後控え目に声がかけられたので私は黙って瞳を閉じたまま。正しくは薄目でこっそり見えるのですけどね。
返事がない事でルビィから仕入れたであろう事前情報で私が寝ていると見当をつけたらしいセシル君、ゆっくり扉を開けて室内に入ってきたような足音がしました。
「寝てる、のか?」
確認するような声。当然返事をする訳にもいかず、私は静かにセシル君が近寄って来るのを待ちます。
「……まあ、寝てるなら良いんだが」
病人だし仕方ないよな、と思ったよりも優しい声で言われてしまって、これからの悪戯がちょっと心苦しくなりますが、これくらいセシル君は許してくれる筈です。
不自然に見えないよう控え目に寝息を立ててみる私に、セシル君は近付いてきたらしく微かな足音。そして、ベッドにまで接近したのか影が差したのが分かりました。
薄目で、セシル君がしゃがみこみ私の顔を覗き込むのが見えます。その顔は、心配というよりは安堵したような、優しい顔で……。
「……間抜けな寝顔」
そして呟かれた言葉に危うく顔が引き攣りそうになりました。耐えて私。
そんなに間の抜けた寝顔してますかね、リラックスした状態の寝顔ってこんなものだと思うのですけど。女の子の寝顔に向かって間抜けとか酷くないですかね。後でちょっと文句の一つでも言ってやりましょう。
表情に出るのを押さえつつ、セシル君の動向をひっそり見守っていると、セシル君は穏やかな顔。私の顔をまじまじと見ては、少しだけ頬を緩めています。
「……あほ」
そう呟いて私に手を伸ばして……。
そして、私もその手を掴んで思い切り引っ張ってやりました。
うお!?とすっとんきょうな声に、私に完全に掛かる影。耳の横の辺りのマットレスが沈む感覚。鼻孔を擽る、爽やかな香り。
「ふふー、びっくりしまし、た……?」
瞳を開けると、私に覆い被さるような体勢でギリギリの距離を保つセシル君が居ました。
彼我の差は、掌一つあるかないか。吐息すら容易に届く距離に、セシル君が居て。
……あ、あれ、思ったよりも近い、ですね?
「……お前な」
かなりの至近距離に居るセシル君は、私が頬を引き攣らせたのを確認してはとてもとても呆れたような声。おまけに溜め息。
金色の瞳は私を真っ直ぐに見て、やや細められています。
「……リズ。お前、状況分かってるのか?」
「セシル君……?」
「……お前さ、無防備すぎ」
呆れ混じりの声は、微かに好戦的な何かを含んでいて。
固まった私に、セシル君はそっと顔を近付けて来てしまいます。ただでさえ殆ど距離がないというのに更に近付かれたら、どうなるか、なんて。
まさかとは思いつつも想像すると顔から火が吹きそうで、色々正視するのに耐えられなくて瞳を閉じてしまいました。
悪戯しなければ良かったです、だって、こんな……近い、なんて。
羞恥に頬が赤くなっているのは、セシル君から見ても分かるでしょう。意識しすぎだって笑ってくれたら良いのに、セシル君は何も喋ってくれません。ただ、ゆっくりと顔を近付ける気配だけ。
何を、されるのか。
瞳を閉じたまま押し黙った私に、近くで苦笑するセシル君。それから前髪を流し、こつんと額に固いものが当たった感触。
「……熱は下がったな。驚かすんじゃねえよ、あほ」
恐る恐る目を開ければ、きっと真っ赤になっている顔を見て至近距離で笑うセシル君。額同士をくっつけて熱を計ったようで。
何だ、と安心する反面少しだけ、ほんの少しだけ、残念な気もしました。気のせいであるとは、思いますけど。
額を合わせたセシル君は、少し、顔が赤くて。それでいて僅かに悪戯っぽく微笑んでいるものだから、悪戯されたのはセシル君ではなくて私な気がします。
近くで見るセシル君のからかうような笑みは、とても綺麗なもの。よくよく考えなくてもセシル君って凄く美形さんだから、本当に……格好いい、というか。
「リズ」
額を少し離される代わりにゆっくりと頬を撫でられ、擽ったいやら恥ずかしいやらで身動ぎしてしまう私。
それでも視線だけはセシル君に吸い込まれていて、満月のような金の瞳をぼうっと見詰めてしまいました。
「……お前は……」
私、は?
「セシル、リズ、居るか?」
セシル君から紡がれる言葉を待つ私に、ふと届いたノック音。そして私達がそれに反応する前に、扉が開けられて。
誰かなんて声を聞けば分かるものですが、今回の場合はそういう問題じゃなくてですね。今、この体勢が非常に不味いと言いますか。
私からはセシル君で重なって見えませんが、セシル君の向こうでびしりと固まった気配。……父様側から見れば、この体勢は、非常に宜しくない気がします。キスしてるように、見えますよね……?
「……セシル、これはどういう状況だ」
案の定誤解をされてしまったようで、平淡な声がセシル君に向けられます。逆に抑揚がないのが怖いと言いますか。
恐らく非常にお冠な父様に慌ててセシル君も私から退くと、父様はやけに清々しい笑みを貼り付けているのが見えます。ええ、笑顔を貼り付けています。
心なしか、背後から濃密な魔力が揺らめいて陽炎のようになっている気がしました。
流石のセシル君もこれには顔を引き攣らせています。因みに着いてきたらしいルビィだけは動じずのほほんとしているので、鈍いのか大物なのか……恐らく後者ですけど。
「待て、これには事情があるから魔力を仕舞え」
「ちょっと早すぎたかなあ?」
「ルビィ、おまっ」
「まさか寝込みを襲うとか不埒な真似はしてないよな、ああ?」
いつもよりかなり低い声。どこぞの不良のようなドスの効いた声でセシル君を視線と共に問い詰めていて、私も慌てて起き上がって首を振ります。
キスより不味い誤解を招いてる気がします、ちょっとした悪戯がこんな事になるなんて、
「し、してないですから落ち着いて父様! セシル君は熱を計ろうとしてただけです!」
「ちぇー」
「ちぇーじゃねえ!」
「セシル、こっち来い。ちょっと俺とお話ししようか」
「そうだな話し合おう。だからその魔力を収めろ」
父様は笑顔のままセシル君の手首を掴んで連れて……いえ半ば引き摺っていきます。かなり力を入れていたのか掴まれたセシル君が地味に顔を顰めておりましたが父様が止める筈もありません。
私が制止する間もなく、セシル君は部屋の外に連れ出されてしまいました。残ったのは呆然とする私と何故かにこやかなルビィ。
「……ルビィ、これ狙ってましたね?」
……企んでたのはこれですか。いつの間にこんな事を考えられるようになったのでしょうか。
「おしかったねー」
「あのですねえ」
「お互いにまんざらじゃないかと思って」
「ルビィ、お姉ちゃんをからかうのも程々にしなさい」
ちょっと強めに言い聞かせればにこやかなまま「はーい」とお返事。
おかしいですね、ルビィってもっと無邪気な子だと思っていたのですが。いや無邪気なのは変わらないとは思うんですよ? 私にはあどけない笑みを浮かべてくっついて来ますし。良い子には違いないんですけどね?
多分ルビィ的にセシル君と仲良くなって欲しいんだろうなあという期待の企みだったでしょうし、怒りはしませんが……。
随分と成長しましたね、という苦笑が浮かんでしまった私は、近付いてきたルビィを撫でて肩を竦めます。
ルビィの策略で危うい体勢になってしまいましたが、肝心のセシル君はあの時何を言い掛けたのでしょうか。丁度父様が来てしまったから聞けず終いだったのですが、何だったんだろう。
……というかセシル君、大丈夫かな。
「……セシル君、酷い目に遭ってなければ良いのですが」
「だいじょーぶだよ。あれじょうたんみたいなものだし」
「冗談?」
どういう事ですか、と視線で問うと、ルビィは「んー」と喉を鳴らして人差し指を口に当てています。
「うん。父さま本気でおこってる訳じゃなかったし、さっきのとは別で兄さまにお話あったみたいだから。それでおへや変えたんだと思うよ」
父様の事ですから本気で怒っている訳ではないというのは何となく分かりはしますが、それでもあれは結構にお怒りだったと思うのですが。
だとしても、セシル君にお話があったというのは何なのでしょうか。ルビィの言い方だと、まるで怒ったのは連れ出す口実のように感じます。私には聞かせたくないお話でも、あったのでしょうか。
「……それは私に聞かせてはならない事です?」
「多分姉さまにわるい事じゃないと思うよ?」
「……何で分かるのですか」
「ぼくのかん」
「……じゃあ多分悪い事じゃないのでしょう」
ルビィはその中身を知らないようではありますが、大体で見当を付けている気はします。私にはさっぱり理由が分かりませんけども。
ルビィの勘は私よりも冴えていますし、母様の血を色濃く継いでいるルビィは人の感情の機微を察知するのが得意ですから。……私が鈍いだけなのかもしれませんけど。
「姉さまにはきっと良い事だと思うよ」
「じゃあ良い事だと信じてます」
「うん!」
きっとぼくにも良い事だよ、と何処から来るのか分からない自信の笑みに、私も苦笑してルビィの言葉を信じる事にしました。
……父様が何をしようとしてるのかは分かりませんけど、私が困るような事はしないでしょうし。私の耳に入れたくないお話が何なのかはさっぱりですが、まあ二人の判断を信じましょう。
……でも、ちょっと残念だったな、セシル君とあまりお話し出来なくて。……いや、あのぎりぎりの距離でお話しするのはかなり恥ずかしかったですけど、もう少しお話ししたかったな、なんて。




