46 「ずっと、一緒に居て下さい」
今日はどうやらセシル君が送ってくれるらしくて、用事もあってか早めに魔導院を出る事になりました。
手を繋ぐ事にも慣れたらしく、手を引いて魔導院を出た私達。行き先はセシル君にしか分からないのですが、セシル君に何か目的があるなら私はそれに従うまでです。
「送るついでに、行きたい所があるんだ」
「寄り道ですか? ふふ、悪い子ですね」
「からかうな」
「はーい」
ちょっと茶化してみると、やや硬い声が返ってきます。
冗談に機嫌を悪くしている訳ではなく、何かに緊張したような感じ。手を繋ぐ事には慣れているみたいですが、それとはまた別で何か覚悟を決めようとしている、みたいな。
ただ聞いても「後で」の一点張りで教えてくれず、私は何なんだろうと首を捻りながらもセシル君についていきました。
そして、手を引かれてやってきたのは、前ルビィに追い出されたというか背中を押されてデート擬きをした日にやってきた、城下町を一望出来る場所。
流石に連れてこられる道で行き先は想像していたのですが、セシル君はただ静かに私を引っ張るだけ。
到着した頃には、空が赤みを帯びていました。夕方の時刻、それでもまだまだ空は明るさの方が強い。あの時とは違った景色で、自然が作り出す美しい景色に、やっぱり目を奪われてしまいます。
どうして此処に連れてきたのかは分かりませんが、セシル君には目的があって此処に誘った。ならばセシル君の動向を伺うしかありません。
セシル君は、手を繋いだまま、空を見上げています。静かに、凪いだ金の瞳が、真っ直ぐに天空を捉えています。……それが心を落ち着かせようとしているように見えたのは、気のせいでしょうか。
「綺麗ですね。あの時は、こうして恋人になるなんて、思ってもみませんでした」
「俺は、そうなれば良いと思ってたよ」
話を切り出すと、セシル君は穏やかに返します。
……セシル君は、もうあの頃から私の事、好きって明確に思っていてくれたのですね。でなければ、あんな事はしないと、今では分かります。
「……あの時、抱き締めたのは」
「……耐えきれなかった。その、夕日に照らされるリズが、綺麗だったから」
「ふふ、お上手ですね」
「茶化すな」
セシル君に褒められるのは、やっぱりこそばゆくて照れ隠ししてしまい、セシル君はちょっと拗ねたように眉を動かしています。
「……本当に綺麗だったんだ。儚くて、消えそうなくらいに」
「今の私は、綺麗ですか?」
「ああ。……あの時よりも魅力的だよ」
さらりと落とされた言葉に、頬がじわりと熱くなるのを、感じます。
……セシル君、いつも恥ずかしがってたのに、最近よく褒めてくれて、戸惑ってしまいます。
「……恥ずかしい事言えるようになりましたね」
「今は、夕日が隠してくれるからな」
差し込む赤色の光が、セシル君の後押しをしているのでしょう。ただ、夕焼けで誤魔化せない程、セシル君の頬は赤らんでいます。
……恥ずかしそうだけど、でも誇らしそうで、私も言葉を受け止めてはぽかぽかしてきた頬を夕日という名目で誤魔化してしまう事にしました。
セシル君に羞恥に潤んだ瞳を向けると、少しだけたじろがれます。けど、次の瞬間には視線を真っ直ぐに向けてくるセシル君。
唇をきゅっと結んで拳も作って、何だか力んだような様子でしたが、首を傾げると慌てて力を抜きます。それから、深呼吸。
「……あのさ、俺は口が悪いし、研究にしか興味がないし、上手く甘やかしたりとか出来ないし、言葉で傷付けてばかりだし」
「せ、セシル君? いきなりどうしたのですか?」
いきなりセシル君が自虐しだして戸惑うしかないです。私としてはそんな事全く思ってないのですが、何でセシル君凹んでいるのでしょうか。
あまりに唐突で瞳をしばたかせてセシル君を窺うしかない私に、セシル君は視線に気付いてわしゃわしゃと銀糸を掻きます。こんな事が言いたい訳じゃない、と顔が物語っていて、酷く焦ったような眼差し。
大丈夫ですよ、落ち着いて? と手を握って訴えかけると、そこで焦りが落ち着いてくるのです。
「あー……ごめん、言い訳は止めにする」
俺らしくない、とぼやくセシル君。
それから、咳払い。
「……リズ。俺さ、お前と出会った時、酷い事ばかりしたな」
「え? ああ、あの頃のセシル君は尖ってましたからね」
今日のセシル君はどうしたのでしょうか、昔の事を引っ張り出して。
確かに、出会ったばかりの時のセシル君は決して優しいとは言えませんでした。他人が敵だと思い込んで全身に刺を纏っていましたから。
でもセシル君がいう酷い事ってそうでもないですよ。精々子供の喧嘩レベルでしたし、魔力暴走に至ってはセシル君がどうにか出来るものでもありませんでしたし。
「そうだな、やさぐれて、お前に八つ当たりしてたよ。傷付けてきてばかりだった」
「それがまあこんなデレデレになっちゃって」
「好きだからな」
「……どうしたんですかセシル君、今日はやけに素直と言うか」
普段なら恥ずかしがって言ってくれないような事まで、今日は大放出してくれているのです。可愛いとか、綺麗とか、賛辞が出てくるし。
その癖卑屈になったりしているのだから、セシル君がよく分かりません。
何の心境の変化なのか、と思いつつも、セシル君はまだ言いたい事があるみたいなので、セシル君の言葉を待ちます。
セシル君は、穏やかに私を見つめて。
「俺さ、お前がずっと羨ましかった。幸せそうで、暖かくて」
「幸せと温もりなら幾らでもお裾分けしますよ」
「ありがとう。……俺はリズに救われてるよ、側に居てくれて、ありがとう。俺に家族の温もりを教えてくれて、取り戻させてくれたのは、リズだ」
「……セシル君……?」
「……だから、今度は、俺がお前に幸せを返す番だと思ってる」
しっとりとした眼差しが、私を見据えます。金の瞳は熱っぽさを孕んでいて、囁くように熱のこもった言葉を口にするのです。
「いや、幸せを返すっつーか、一緒に幸せになりたいんだ。これから、ずっと側に居て、家庭を築いていきたいと、思ってる。お前が教えてくれた温もりを、絶さないように」
何が言いたいのか、分からない程、鈍くもありません。
「俺は、リズと共に在りたい。これから一生を共に歩みたい」
決して大きい声ではありませんでしたが、その声は私の胸の内にすとんと入り込んで、そして胸に灯火を点ける。
結婚するのは決まっていますが、改めて、セシル君は私に言ってくれた。この先永遠に、側に居てくれると。隣で歩いてくれると。
これを言いたかったが故に、緊張していたのでしょう。セシル君は、照れ屋さんだから、言葉ではなく行動で示す人。そのセシル君が言葉で決意表明とも宣誓とも言えるこの言葉をくれたのですから、本気は見てとれます。
……どうしよう、嬉しい。
「……私も、です。ずっと、一緒に居て下さい」
嬉しさと恥ずかしさに夕日なんて目じゃない程に顔を真っ赤に染めて、でも口許は自然と緩んでしまう。
堪らずにセシル君に抱き付こうとして……何故か、セシル君は肩を掴んでストップをかけました。
流石にこればかりは想定外で、セシル君に肩を掴まれたままショックを受けるしかありません。……今、何か地味に傷付いたのですけど。抱き付いちゃ駄目だったのでしょうか。
「……何故止められたのですか」
「ごめん、ほんと格好付かなくて。その、左手、出してくれ」
その一言に、目を丸くしてしまうのも仕方ありません。
だって、このタイミングで左手を出せ、だなんて、何がしたいのか、想像がついてしまうでしょう。……期待しても、良いのでしょうか……?
少しの期待と共にセシル君に左手を差し出すと、セシル君は緊張の面持ちで、懐に手を入れ、それから何かを手の中に収めてから拳を外に出します。
じ、と見せようとしない手を見ると、セシル君は頬を染めながら使っていない片手でそっと私の左手を取り、もう一つ何かを持った手が、私の薬指に触れる。
そして、ひやりとした硬い感触が、薬指を通っていきます。
じわり、視界が滲むのを感じながらも、私は薬指に嵌められた円環から目が離せません。
薬指に、まるで元々あったのだと錯覚させる程にぴったり収まったのは、あのお出掛けの日に見た指輪に似たデザインの指輪。
宝石を取り囲む白銀の装飾は、恐らくミスリルなのでしょう。魔力の反応がかなりするので、多分セシル君が何か術式を刻んでいるのかもしれません。
そして指輪の中央に座する、金色と赤のグラデーション。まるで、あの時見たような夕暮れを石に落とし込んだような美しい宝石が、嵌め込まれています。
思い出を形にした、美しい指輪がそこにあって。
「……これ」
「結婚するなら指輪が必要だろ。……俺の手で、用意したかったから、待ってて貰ってた」
親父が婚約早めたから婚約には間に合わなかったけどな、と苦笑いしたセシル君は、それからゆっくりと私の掌を持ち上げ、手の甲に口付けを落とします。
びく、と思わず体を揺らした私がセシル君を凝視すると、セシル君は、ほのかに強張ったような、緊張した面持ちを向けてきます。
ただ、瞳は真剣そのもので、吸い込まれるような金の瞳が私を見つめていました。
「……リズ。俺と、結婚して下さい」
囁かれた言葉に内側が弾けるような熱を覚えると同時に、私はただ静かに微笑みを浮かべます。浮かんだのは、笑みだけでなくて雫もですが。
……断る訳なんかないし、有り得ません。私は、この人の隣で、これからを歩んでいくと決めているのですから。
「……はい」
余計な言葉は入りません、ただ、笑顔で二つ返事をして、今度こそセシル君に抱き付きます。
受け止めてくれたセシル君が私を包み込んで、そのままぴっとりと密着する。互いの距離は、もうありません。心も体も、セシル君の側にある。それが堪らなく嬉しくて、胸に顔を埋めては涙を零します。
当然、嬉し涙として。
セシル君は私が涙ぐんでいるのを感じたのか、顔を上げさせて優しく指の背で拭って、微笑みます。
今まで見た中で一番優しくて、穏やかで、それでいて嬉しそうな溌剌とした笑み。しがらみも不安も吹き飛ばした、晴れ晴れとした笑顔です。
その笑顔に応える為に泣いてなんかいられなくて、同じ様に目一杯の笑みを浮かべると、セシル君は幸せそうに瞳を和ませて唇を重ねて来ました。
柔らかな熱の心地好さを噛み締めて、求められるがままに深く口付け……唇を離した頃には、お互いに顔を真っ赤にして少しだけ息を乱していました。
大分赤みを帯びてきた夕日に照らされたセシル君の濡れた唇の艶かしさに、直視が出来ません。そんな私に、セシル君はただゆるりと口の端を吊り上げて微笑みます。
囁くように「可愛い」と耳元で甘く落とすので、恥ずかしさにセシル君の胸に額をぐりぐりと押し付けておきました。
……ばか、ただでさえ腰が砕けそうなのに、そんな声で。お陰で、体が火照って、仕方ない。
でも、セシル君も恥ずかしかったらしくて、くっついた胸からこれでもかと音を立てているのが聞こえ、何だかんだセシル君かっこつけたがりですよね、とひっそり笑ってしまいました。
「これ、セシル君が作ったんですか?」
暫くして、漸く落ち着いた私は、抱き締められたままもぞもぞとセシル君の胸から顔を上げて気になっていた事を問います。
頂いた指輪ですが、これ店で見たのとちょっとだけデザインが違うし、明らかに材質が違います。これは、多分ミスリルで出来てますよね。
「悪いか。返品不可だぞ」
「いえ、覚えててくれたんだなあって」
「物欲しそうにしてたからな。……指輪にするなら、これが良いって思って。お前が言ったんだろ、ミスリルと魔石で作った指輪が良いって」
「そ、それは言いましたけど……!」
「結構苦労したんだからな、指輪の加工から術式構築まで、かなり練ったし」
お陰で時間がかなりかかった、と何でもなさそうに言いますけど、まさか指輪を手作りするなんて。
やけにあの時セシル君が指輪を見ていたなあとか思っていましたが、買わずに作るとか規格外ですよねセシル君。確かにセシル君は手先が器用ですし、アクセサリーの形をした魔道具を作れますけども……。
これ、多分指輪の形してますけど、魔道具です。魔力を感じますし、この宝石からも魔力を感じます。……あの時のミスリルは、この為だったのですね。
「ありがとうございます、セシル君」
私の為に、仕事の合間を縫って作ってくれたのでしょう。
指輪を下さった事もそうですが、何より私の為に作ってくれた、という事実が嬉しいのです。私は、彼に何を返せるでしょうか。
「私も、セシル君にプレゼントしたいです」
「いや、気にしなくても良い」
「それでは私が納得出来ません」
「良いんだよ、俺はお前を貰うから、良い」
囁かれた言葉に、さっと頬に熱がのぼってしまいます。
……嫁入りするから、確かに私はセシル君に貰われるのでしょう。多分、その意味も含めて、もっと別の意味があるのでしょうけど。
「……このまま帰したくない、って言ったら、怒るか?」
その意味が分からない程、子供ではありません。……そう想ってくれるだけ、私は彼に愛されているのでしょう。きっと、私だけにそう想ってくれている。
「……セシル君」
「大丈夫、帰すから。……もう少しだけ、こうさせてくれ」
「……うん」
求めるように強く抱き締められ、私は静かに頷いて、セシル君に全部預けます。
……こんなにも、好きだって気持ちを抱くのは、セシル君だけ。セシル君になら、全部あげる。身も心もセシル君のものになったら、どれ程幸せなのでしょうか。
「……こんなにも待ち遠しいなんて、初めてだよ」
「私もです。……幸せになりましょうね」
きっと、言わなくたって、幸せにしてくれるし、幸せにする自信があります。
でも改めて誓うように笑いかければ、セシル君もまた頷いて、静かに唇を重ねました。




