43 「リズ、帰ろうな。俺が送るから帰ろうな」
婚約のお披露目は、シュタインベルト邸で行われる事となりました。私が嫁ぐ事になるので当然なのですが。
主要な貴族や仲の良い……といってもフィオナさんロランさんのヴェストレム家を招待して、正式に婚約したと発表するだけです。各々に挨拶とかその辺をするだけなのですが、これに時間がかかるのなんの。
いずれは公爵夫人になるのですから、関わりも大事ですし婚約を周知させる為にも挨拶は大切です。
……殿下とも顔を合わせましたが、殿下はただ純粋な祝福をして下さって、頭が下がるばかりです。蟠りも一切見せないのは、私の為なのでしょう。殿下が私にご執心だったのは、周知の事実ですから。
セシル君は、隣でただ静かな表情で佇むだけ。殿下はそんなセシル君に「リズを幸せにしてくれ」と小さく囁いて、セシル君もまた小さく頷いたのでした。
「……これで皆様お帰りになったでしょうか」
そして招待客の皆様がお帰りになるのを見届けてから、私はふうと小さく息を零します。
普段話さない人と話したり、何かとても口惜しそうな人に複雑な視線を寄せられたりと色々大変でした。後者はセシル君がにこーっと笑ったら視線を逸らしましたけど、あれは一体。
シュタインベルト家とアデルシャン家の人間だけしか居なくなった広間は閑散としていて、さっきまで人で溢れていたとは思えません。
「リズベット嬢もお疲れ様。挨拶、疲れただろう」
「いえ、私は平気ですよ」
イヴァン様がグラスと苦笑を携えてやって来たので、ありがたくグラスを受け取りながら首を振りました。
これくらいなら、平気です。夜会でも挨拶くらいはしますし、色んな視線を受けるのも慣れっこです。それに今回ばかりは悪意をあからさまに突き付けてくる無礼者なんて居ませんでしたから。
まあ、ちょこっと疲れたかな、くらいなものです。
「……本当に疲れてないのか?」
「はい、心配しなくても大丈夫ですよ? そういうセシル君こそ愛想笑いに疲れてないのですか?」
「別に、これくらいなら。それに、嬉しいのは事実だし」
婚約発表だからな、とやや突っ慳貪に呟くセシル君に、私は緩やかな笑みを浮かべます。えへへ、とセシル君の腕にくっつくとセシル君は途端に真っ赤になるのですが。
多分、ドレスなのも原因なのでしょう。セシル君に赤が似合うと言われたので赤いドレスなのですが、華やかで女性らしさを強調する……まあぶっちゃけるなら腰をリボンで編み上げしっかり絞った、胸を強調するデザイン。婚約者であるセシル君の視線がさ迷うというね。
試しに押し付けると急いで顔を逸らしてくるから、とことん純情なのですよね。……近付いてきた父様に呆れた顔をされましたが。
「リズ、あんまり苛めてやるな」
「大丈夫ですよ、セシル君はこれしきで鼻血出したりしませんから」
「お前は俺で遊ぶな!」
「遊んでません、べたべたしてるのです。睦み合ってます」
「それを遊ぶっていうんだからな……?」
セシル君は物申したそうでしたが「嫌ですか?」と見上げると、そっぽ向いて「別に嫌とは」ともごもご。父様がそんなセシル君に笑ってしまったのでセシル君が思いきり睨んでましたが。
「いやはや、息子とそのお嫁さんが仲良くするのは良いねえ」
「親としては複雑だがな」
「おや、やっぱりヴェルフ君も親馬鹿だから嫁がせるのは嫌かい?」
「お前のうちだからな」
「ははっ、否定出来ないねえ。でも、相手はセシルだから、リズベット嬢も不幸にはなったりしないよ」
「したら怒るぞ」
「しねえよ。幸せにするって決めてるからな」
「セシル君……」
断言したセシル君に、つい頬を染めて腕に強く抱き付くとセシル君は今回ばかりは拒まなくて、恥ずかしそうながらも私の頭を撫でてくれました。
そんな私達にイヴァン様は囃し立てるように口笛。同じく会場に居た母様とルビィはにこにこ(因みに流石にミストはパーティーには連れていけないのでマリアに預けています)。シリル君は何とも言えなさそうというか目のやり場に困ったように頬を染めて目を逸らしていました。
因みに、父様は嬉しいやら悲しいやらの複雑そうな顔です。……父様、婚約は認めてるしセシル君も認めてますが、親としては複雑みたいです。
「……あー、今夜は飲みたい気分だ」
「おや、じゃあ飲んでくかい? 年代物のワインあるんだけど」
「おっ良いな」
「セレンさんもどうだい?」
「あら。頂こうかしら」
そして母様まで参加とか。……私、母様がお酒飲んでるの見た事ないんですよね、父様がジルと飲んでたのはちらっとありますが。
まあ母様が飲むのはご自身で決めた事なので構わないのですが、もう日が暮れてこの時間でお酒を飲むならお泊まり、という事になってしまいますよね。
「俺らはちょっと飲んでくるから。リズは……」
「リズは家に返すべきだろ。これ以上だと泊まりになるし、駄目だ」
「……えー」
「えーじゃない」
セシル君は駄目だと一蹴しますが、私としてはセシル君ちにお泊まりとか初めてなのでしてみたいです。セシル君がうちに泊まる事はあっても、私がセシル君ちに泊まる事ってなかったですから。
泊まりたいー、と零すとセシル君は仄かに頬を染めて「お前は軽々しく言うな」と窘めて来るのですが、別に一緒の部屋で寝る訳でもないと思うのでそんな駄目出ししなくても。
……いえ、一緒の部屋にお泊まりでも私的には大丈夫ですよ? 寝るまでお話出来ますし。セシル君が想像したようなそういう事、したいとかじゃ、ないですけど。
「はは、リズベット嬢はすっかりセシルにべた惚れで何よりだよ」
「うるせえ」
「あ、僕もシリル君と話したいから泊まりたいー」
「お。じゃあ泊まりで良いだろ」
結構緩い決定の仕方なのですが、家長である父様が決めたなら問題はないでしょう。セシル君頭抱えちゃったけど。
「でも寝間着がな」
「ヴェルフ君はまあ素っ裸でも寝れるだろうから……」
「おい」
「冗談だよ。ルビィ君はシリルのを貸してあげるよ。セレンさんは……妻の昔のもので良ければ」
妻の、という言葉に少し寂しそうにしたイヴァン様。……奥様は前にお亡くなりになっているそうなので、思い出したのでしょう。
「リズベット嬢は……そうだね、用意してあるからそれを」
「何でだよ!?」
「ん? どうせ嫁に来るんだしセシル好みの服を一式揃えてみたんだけど……」
「おいこら待てサイズはどうやって知った」
「見たら分かるよ?」
「公爵家の恥め」
「はは。大丈夫、セシルにも教えてあげるから」
「要らん!」
「あ、自分で確かめたいよねごめんね」
「ぶっ飛ばすぞ!?」
イヴァン様は中々にセシル君をからかうのが得意ですね、というかセシル君がそういう艶めいた事に弱いって分かってるからそこをつついてるのですけど。
頬をかっかとさせたセシル君に相変わらず恥ずかしがり屋さんだなーと笑っていたら振動が伝わったらしくて拗ねた顔でちょっと睨まれましたけど、見下ろして直ぐに視線を逸らされました。一体何で。
そんなセシル君にイヴァン様は「セシルも男だよねー」と笑っていました。セシル君が男なのは今更なのですが……。
「そうだ。イヴァン様、因みにセシル君好みの服とは?」
「気になるかい? セシルはああ見えて案外女の子の服は可愛らしいものが好きなんだよ」
「大法螺吹くな!」
さっと頬を赤らめて掴みかからんばかりの勢いで声を張るセシル君に、まあまあと宥めつつもちょっと今までの事を思い出したり。
そういえばセシル君、デート(あの頃はおでかけでしたが)の時のおめかしとか、褒めてくれましたよね。あの時は女の子っぽい可愛い服を着ていましたし……もしかしたら好みだったのかも。
「……泊まったら見せびらかせるしセシル君と寝るまでお話出来ますね?」
「リズ、帰ろうな。俺が送るから帰ろうな」
「セシル君がうちに泊まるのです?」
「泊まらない!」
「セシル、観念してリズベット嬢を部屋に案内してやりなさい。部屋は用意してるから」
イヴァン様の一言に釣られた私に、セシル君は眉尻を吊り上げてイヴァン様を睨みます。
「ふざけんな、そもそもあの部屋は」
「ん? 問題ないだろう?」
「大有りだあほ! あんな工事しやがって!」
「お、工事もう終わったのか」
「完璧だよ。リズベット嬢の部屋ももう用意してるし」
「ほんとですか? 見てみたいです!」
もうシュタインベルト邸には私の部屋が用意されてるのですね、びっくりです。うちから持っていかなくて良いのは楽チンですけど、どんな部屋なのでしょうか。
シュタインベルト邸の調度品は品が良くてセンスが良いので、部屋の内装に心配はしていませんが、どんなのか気になっちゃいます。セシル君は知ってるみたいですし、見せてくれてもいいのに。
わくわく、と分かりやすく顔に出た私にこれまた分かりやすく顔を引き攣らせたセシル君。イヴァン様は、対照的な私達に何処かにやにやと、生暖かい眼差しを下さります。
「ほらセシル、将来の奥さんも言ってる事だし案内してあげなさい。良いね?」
「……はい」
逆らう事は許さない、と眼差しで宣言されたセシル君は、苦虫を噛み潰したような顔で首肯しました。




