41 「……素直に抱き締めたいって言ってくれても良いのですよ?」
兄弟が和解して、残すはその父親であるイヴァン様のみ。
ですが此処に私が首を突っ込むという訳にもいかず、セシル君とシリル君達に和解は任せるしかないのです。三人の蟠りは本人達が頑張って解くしかないですからね。シリル君の時は背中を押しましたけど、イヴァン様の場合はセシル君達が歩み寄らなきゃ始まらないですし。
そんな訳で心配をしていたのですか……数日後、私宛、ではなく父様宛に書簡が届きました。話があるので父様と私に来て欲しい、と。
私だけなら兎も角何で父様も? と首を傾げてしまいましたが、父様にも特に断る理由もなかったらしく了承の返事を出していました。……アデルシャンとシュタインベルトがこうも仲良くするのって、昔では考えられないよなあ、なんて思ったり。
そんな訳で私と父様は約束の日にシュタインベルト邸に向かいました。
「リズベット嬢、その節は本当にありがとう」
そして待っていたイヴァン様とお茶の席に着いて、一言。
これにはびっくりしましたが、イヴァン様は私が背中を押したのだと確信しているらしく朗らかな笑みを浮かべています。
「上手くいきましたか?」
「まあ、そこそこにね。直ぐに直ぐ蟠りが解けるとは思ってないし。でも、話し合いは出来たよ」
「それなら良かった」
「二人からどつかれたけどね」
「何で二人とも暴力的に……」
セシル君はシリル君に一発殴られたみたいですが、まさか今度は二人からどつかれるなんて。……まあ、セシル君は特にイヴァン様の事苦手に思ってましたし思うところもあったので、分からなくはないですけど。
会話で何があったか察したらしい父様は、あほめと言いたそうに肩を竦めています。
「鬱憤が溜まってたんだろ。セシルはかなり我慢してたし。あれで歪まなかったのが凄いぞ」
「いやーヴェルフ君きついなあ。僕なりに息子には愛情を持っていたんだけどね」
「それを上手く表現出来てないじゃないですか」
イヴァン様はにこにこしてるけどお腹の中で何考えてるか読めないタイプだってセシル君は評しますし、私もそう思います。
悪い人ではないとは、思っていますよ、セシル君とは違うベクトルでかなりの口下手だとは思いますけど。
「リズベット嬢も手厳しいね。まあそうなんだけど」
「今度からもっとしっかりして下さい」
「分かってるよ」
「……やけにリズの言う事は聞くな?」
「可愛い義娘だからね」
「そうですねお義父様」
「父さんは此処に居るぞ!?」
「分かってますから」
「最近俺の扱い雑じゃないかリズ」
「そんな事はないですよ父様」
イヴァン様とのやり取りは冗談半分、残る半分はそうなれば良いなという期待を込めてしているというのに、父様は過敏に反応しすぎなのですよ。ほら、イヴァン様が面白い玩具見付けたって顔してますし。
「まあまあヴェルフ君、落ち着きなよ。……僕は娘が欲しかったんだよ?」
「お前にはやらん!」
「やってくれないと困るのですが……」
噛み付くように声を荒げた父様ですけど、私としてはシュタインベルト家に入れないと困りますので、手放す時はちゃんと手放して欲しいです。
そもそもセシル君の事は認めてるんですから、シュタインベルト家に嫁入りなんて分かりきった事でしょうに。
「ああそうだね。というかヴェルフ君のせいで脱線したじゃないか」
「俺のせいかよ!」
「うん。ヴェルフ君って熱くなると周り見えなくなるよね、変わらないなあ」
「……お前も昔から自分本意なのは変わらないな」
昔から一緒に居たというか面識はあった模様です。まあ貴族社会は案外狭いですし公爵と侯爵ですから関わらずにはいられなかったでしょうし。
父様がぐぬぬと歯噛みしているのを愉快そうに眺めていたイヴァン様ですが、ふと色を正して真っ直ぐに此方を見詰めます。私もまた、居住まいを正して、同じように視線を返しましょう。
今日の本題、でしょうか。父様を弄る為に呼んだ訳ではないのは確かです。
……私と父様二人を呼んだのだから、それが意味する事は一つ。
「リズベット嬢、改めて、シュタインベルト家はリズベット=アデルシャンへ婚約を申し込むよ。勿論、セシルが相手で、ね」
ああやっぱり、と思うと同時に、漸く、とも思ってしまいます。
……婚約。仮婚約状態から、正式な婚約に。今までは十七歳までに相手を見つけられなかったら、という何とも身勝手な状態でしたが、私達が想いを交わしたから正式に婚約を結ぶ事になったのでしょう。
……何故か本人が居ませんが。
ちらり、と父様を窺うと、腕組みしながら頷きを一つ。父様も用件を察していたみたいです。……良いぞ、と視線で言われて、私は緩みそうになる頬を堪えながら、しっかりと未来の義父を見詰めて頷き返しました。
「はい。宜しくお願い致します、イヴァン様」
穏やかに微笑むと、安堵したような笑みがイヴァン様の顔にも広がります。
「まあ宜しくするのはセシルなんだけどね」
「肝心のセシルは何処行った」
「今ちょっとお使い頼んでてねー」
ちょっと席を外させてるんだ、そうのほほんとした笑顔で言われて戸惑う私に……地面を叩きつけるような、靴音。銀色の風が、一気に視界に飛び込んできます。
「おいこら親父ぃぃぃぃ! 何で俺が居ない時に婚約話してるんだよ!?」
「あーお帰りセシル、早かったね」
相変わらず緩い笑顔を崩さないイヴァン様とは対照的に、セシル君はかなり焦った顔。後、本気で走ってきたらしく汗が滴ってますし白い肌が紅潮していて息だって乱れています。
……イヴァン様、わざと行かせたんですよね。どうしてそんな事。何かセシル君に聞かれたくない話でもあったのでしょうか。
「セシル君、こんにちは。髪乱れてますよ」
「走ったからな! アデルシャンの家紋つきの馬車があったと思ったら……!」
「……イヴァン、お前言ってなかったのか」
「驚かせようと思って?」
「あのなー」
流石の父様も重要な用件に当事者を除け者にするのには思う所があったらしく、呆れがやや怒りに変わってきています。
ただ、そんな父様の苛立ちを打ち消すように、イヴァン様は静かな笑みを湛えてゆるりと首を振りました。
「というのは冗談で、ちょっとね。セシルも、色々と準備とかあるんだよ。その前段階が婚約だから、済ませておかないといけなくてねえ」
「俺が全部するって言っただろ!?」
「親抜きに勝手に?」
「それは……」
「これは恋愛結婚でもあるけれどそれ以前に政略結婚だよ。まあセシルを同席させなかったのは悪いと思ってるけど」
ごめんね、小さくそう謝ったイヴァン様に、セシル君は舌打ちこそしたもののもう怒鳴り付けるような様子はありません。
前は絶対に反発していたと思うのですが、今のセシル君はイヴァン様に少しは寛容な気がします。逆にイヴァン様も、少しだけ態度が変わっている、気がしました。
ふん、と腕組みしてそっぽ向くセシル君。……でも、とげとげしてないんですよね、空気が。仲良くなれたなら、良かった。
「セシル抜きで話したかった事があるんだけどまあ良いか。取り敢えずセシル=シュタインベルトとリズベット=アデルシャンの婚約は承諾された、これで良いかな?」
「ああ」
「じゃあ今日から婚約者な訳だけど……用意とか色々しなきなゃねえ」
「用意?」
聞き返した私に、悪戯っぽくウィンクするイヴァン様。
「婚約のお披露目しなきゃいけないだろう? 招く人とかその辺も決めたりしなきゃいけないし、結婚式の予定とか諸々組まなきゃいけない。ドレスとかはかなり時間かかるだろうし、忙しくなるよ?」
「それを俺抜きで話そうとしてたのかてめえ」
「お父さんにてめえはないだろう?」
「失礼致しました父上」
あっ、仲良くなってるけどやっぱりぎこちないというかイヴァン様が煽ったからセシル君苛ついてる。
「まあまあセシル君、落ち着いて」
「お前も俺抜きで進めるつもりだったのか」
「まさか。ただまあ、イヴァン様とお話とかありましたし」
「そうかよ」
「もー、拗ねないの」
とうとう不貞腐れだしたセシル君はむすっと渋い顔。そんな顔も可愛らしくて素敵なのですが、まず間違いなくこのまま放置したり笑ったりすると暫く不機嫌が続いてしまうので、何とかして宥めなければ。
……それに、セシル君と正式に婚約したのだから、お話ししたいですし。
「……イヴァン様、少しだけ席を外しても良いですか?」
ちら、とイヴァン様を窺うと、私の言いたい事が読めたらしく飄々とした笑顔。
「構わないよ。此処からは親同士の話だし」
「俺もこれに 色々と聞きたい事と言いたい事があるからな。行っておいで」
……父様までちょっぴり不機嫌になってますけど、多分、表面だけなんだろうなあ。それに、婚約自体は父様が勧めたのですから。
ありがとうございます、と頭を下げてから立ち上がり、拗ねちゃった可愛らしい婚約者様の手を引いて、私達はこの場を後にしました。
取り敢えず、移動……と言ってもシュタインベルト邸なのでセシル君に引っ張られる事になり、別室に移動する事に。
セシル君の部屋を見てみたかったのですが、言ったら全力で拒まれたしはしたないとお説教されそうになったのであえなく却下に。……セシル君の部屋に一体何があるのですか、別に春本があっても怒ったり引いたりはしないですよ?
……って言ったら「そんなのあるか!」と怒られて、顔を赤らめてお怒り状態のセシル君にもう一つの客間に案内されました。……ほんとにないのか気になりますが、暴くのは可哀想なので止めておきましょう。
「……ご機嫌斜めです?」
「そりゃあな。あの糞親父め」
やや荒々しい動作でどっかりとソファに腰掛けたセシル君。私も、その隣に腰を下ろします。
「そんなに怒ります?」
「怒る。計画台無しにしやがって」
「計画?」
「なんでもねえよ」
計画って何の計画でしょう。……セシル君だから、悪いことではないと思いますけど。
まあセシル君が言いたくないなら言わなくても良いですし、いつか気が向いたら教えてくれれば御の字でしょう。
じゃあ良いです、とあっさり納得したらそれはそれで複雑だったらしくて、むっと唇を尖らせるものの、次の瞬間には穏やかな顔に戻ります。
元々、そんなに怒ってなかったのですよね、実は。互いに、互いを連れ出す口実が欲しかっただけなのです。
「今日から、お前は俺の婚約者だな」
「はい。奥さんになるにはまだ時間がかかりますけど」
「それでも良い。……一緒に居れば、時間なんて直ぐに過ぎる」
「ふふ、はい」
これからは、正式な婚約者として、堂々と一緒に過ごせますし、二人きりになっても……いえ仕事で既に二人きりですけどね?
セシル君が、婚約者。そう考えるだけで、つい口許がにやにやしてしまうのです。好きな人と婚約出来るって、凄く嬉しい。普通は貴族だと逆が多いですから。幼い頃から親に決められるのが、殆どですし。うちは父様がそうしなかっただけですので。
えへへ、と笑うとセシル君もゆるりと微笑んで、それから少しだけ恥ずかしそうに、腕を広げます。
小さく喉を鳴らすように「ん」と促すような声を上げるセシル君に呆気に取られて、それから堪らず吹き出してしまいました。
「……素直に抱き締めたいって言ってくれても良いのですよ?」
「だ、抱き締めたい」
「はーい」
可愛いんですから、と笑いながらセシル君に抱き付くと、セシル君も頬を緩めて愛しげな眼差しを降り注がせるのです。
ぴとりとくっつけば、とくとくと早い鼓動が伝わってくる。セシル君もどきどきしてるのですよね、やっぱり。……婚約したって、事に。
しっかりと背中に手を回して私を抱き締めるセシル君は、それだけでは足りなくなったらしくてひょいっと膝裏と背中を支えて抱えあげ、そのままセシル君の足の上に私を乗せてしまいます。
そのままぎゅっと抱擁を再開したセシル君は、多分、羞恥とかより歓喜が上回ってやや大胆な事をさせているのでしょう。いつもだと、こうは中々してくれませんから。
「……リズ」
「何ですか?」
「いや。……嬉しいだけだよ」
「私もです」
嬉しくない訳がないでしょう、と頬を擦り寄せると、セシル君の相好は呆気なく崩れます。
「ねえ、セシル君」
「なんだ」
「私、セシル君の口から、婚約の事聞きたいです」
……婚約はイヴァン様の方から伝えられたから、セシル君の口からは聞けていないのです。やっぱり、セシル君に言って貰いたいなあって思ってしまって。
今の幸せな状態でお願いするのは、我が儘かもしれませんが。
駄目ですか? と覗き込むと、セシル君はさっと顔色を変えて、やや気まずそうに眉を下げてしまいます。
「……ごめん」
「そ、そうですか……こっちこそ、ごめんなさい」
「いや、違う! そういう意味でなくてだな、……その、も、もう少し待って欲しいというか」
私が見るからに悄気たのを見たセシル君が慌て出しました。
「……待つ?」
「お、俺だってその、色々と準備とか、考えてる事があってだな……ああくそ、何で本人に言わなきゃならないんだ。だ、だから、もう少し、待ってくれ。ちゃんと言うから」
「……ふふ、セシル君ってば」
「悪いか! 俺だって格好つけたいんだよ!」
「いえいえ」
セシル君が言いたがらなかった理由を聞いて、やっぱりにやにやしてしまう私。
……セシル君、それだけこだわってくれてるんだなあって思うから、嬉しいです。それに、セシル君が私を好きなのは、態度と言葉と顔で分かるので、不安がる必要なんてないんですよね。
楽しみに待ってますね、と笑顔で答えた私に、セシル君は複雑そう。
「ああくそ……取り敢えず黙れ、そのにやにやした口を閉じろ」
「じゃあ塞いで下さい」
出来るでしょう? と茶化すように唇をなぞると、セシル君は一瞬目を剥いて、それから好戦的な笑みを浮かべました。
「……言われなくても」
私が返事をする前に、私とセシル君の距離は零になりました。




