36 「うちに何か用ですか?」
常に魔導院にお仕事をしに行く訳でもなく、セシル君と会う約束もない。というか想いを交わしあってから、デートとかしていないですし……まあ詰まる所時間が空いて暇になってしまった、ある日の事。
家でのんべんだらりと過ごすのも良いですが、あまりに何もないと退屈で仕方ないので日課兼趣味でもある庭の手入れをしていたのですが……ふと、視線を感じたのです。気配、と言っても良いでしょうか。
基本的に我が家は放任主義、というか自由にさせるので見張りなんて付きません。家の中で危険はないですし、警備の方も居るので好き勝手にしています。ジルは家でも付き従ってくれますが、今は父様のお仕事を手伝っているので此処には居ませんし。
私が庭に居るのは家族が知っていますし、注視される事はまずないのに……何故か、強い視線を感じるのです。
一体誰が、と雑草抜きを一旦止めて顔を上げると、鉄柵の向こう側からじっと此方を見ている男の子が居ました。
年の頃、十二歳くらいでしょうか。
ルビィより少し上くらいの、身なりの良い少年です。そもそも此処の地区に入れるのは身分ある人間でしょうから、それは間違いないのですが……肝心の、何故見られているかという理由が分かりません。
私に彼のような知り合いは居ません。赤みがかった茶髪に、太陽の光を受けてうっすらと金を纏ったような茶色の瞳。どちらかと言えば冷たい印象を抱かせる少年です。……全く心当たりがないのですか。
偶々庭を見ていた、のかな。うちの庭、他人から見たら結構カオスなので。いえ、此方の庭は外側に面しているので一応整然としていますし、変な事はないと思うのですが。
何か用があったりするのかな? と少年を見ると、ぱちりと目が合って。
それから、少年はまだあどけない顔に驚きを湛えて、それからくるりと此方に背を向けて走って行ってしまいました。……何だったんだろ。
と、そんな事があったのも数日前。
いつものようにお庭の世話をしていて……また、視線を感じました。ちら、と今度は然り気無く視線を滑らせて、やっぱりというか例の少年の姿を捉えてしまいました。
……何か用事があるんでしょうか。警備の人が声を掛けないのは、多分悪意がないのとそれなりの身分であるのが分かるからでしょう。……若しくは、彼の事を知っているか。私は彼が何者なのかなんて知りませんけどね。
反応すれば逃げると分かっているので、彼に悟られないように自然にお世話しつつ、こっそり様子を窺ってみたり。
別に何をするでもなく、此方を見ているだけのようです。声を描けてこないし、何かしようとしている訳でもありません。ただ、じっと此方を見ているだけ。
気味が悪い、とは全く思いませんが、不可解なのも事実です。何故うちの庭を見ているのかさっぱりです。何か理由があるのでしょうか。
そう考えると結構気になってくるので、私は一旦その場を離れて、わざわざ裏門から出て少年の元に歩み寄ってみます。逃げられたら逃げられたです、取り敢えずお話ししてみましょう。
「うちに何か用ですか?」
逃げられても困るので視界に入らないように近付いて声を掛けてみると、肩をびくりと震わせて今にも跳ねそうな程に驚いていて……ちょっとおどかしてしまったかもしれない。
でも近づくのを見られたら多分逃げられたので、こうするしかなかったというか。
恐る恐る、といった風に振り返った少年は、やっぱりまた幼い子……といっても私と背丈は変わりませんけど。
服装は質の良さそうなものなので、やはり何処かの貴族の子か裕福な商人の子だと思うのですが……。何でうちの庭をピンポイントで見ていたのか。それも、私が居る時間帯だけ。知り合いではないですし……。
私と視線が合うなり、一歩、二歩と摺り足で後退されて、なんかちょっと傷付くのですが。
「……い、え。……別に……庭を、見ていた、だけで」
それでも直ぐに逃げるとかはなくて、気まずそうに視線を泳がせた後、絞り出すようにそう告げる少年。
それが建前というのは気付いていますが、これ以上つつくと即座に逃げてしまいそうなのでそれで納得しておきましょう。取り敢えずは、フレンドリーに。
「そうですか? 良かったら見ていきます?」
まあ本当は安全面の観点からすると宜しくないのでしょうが、別に悪い子じゃないだろうし、誘ってみるだけ誘ってみます。
にっこり笑っての申し出に、少年は目を丸くしたものの次の瞬間にはバツが悪そうな顔で「……別に」と小さく呟いて、走り去ってしまいます。
……ちょっと急接近しすぎたかもしれませんね。今度会ったら、もう少しゆっくり距離を詰めていく事にしましょう。
やっぱりというか、数日後にはまた見に来る少年が居ます。私がお庭のお世話をしてると現れるので、多分、私に何か思うところがあるのだと思うのですが……それも確かとは言えません。
今日もまた、此方を強く見据えています。でも、それでいて何だか少し……憂いげな表情を、していました。
何が彼をこのような行動に導いているのか、そのような表情をさせるのか、私には全く分かりません。話してくれない事にはどうしようもないでしょう。知り合いでもないので察せないですし。
ただ、何かを言いたそうに此方を見ている彼に……興味を抱いてしまったのも、事実。
だから、私は彼の事をゆっくり知っていけたらな、と思うのです。警備員さんには彼が来ても追い返さないで欲しい、とだけ伝えたので、彼が追われる事はありません。
彼が誰なのか、いつか自分の口から教えてくれるようになってくれると良いのですが。




