34 「じゃあ楽しみに待ってます」
「……リズ」
「はい、なんですか……どうしたんですかセシル君」
いつものようにうちに来てはルビィの指南役をこなしたセシル君。その後の時間で談笑していたのですが、ふとセシル君が真剣な声音で私の名前を呼ぶから身構えてしまいました。
いつになく強張った声で、どうしたのかと思えば何故かとても嫌そうな顔をしているのです。
「その、だな」
「はい」
「……非常に不本意だが、リズ、今度俺の家に来てくれないか?」
「え、遊びに行って良いのですか?」
セシル君のおうちって入った事ないですし連れていってすらくれないので、お誘いが意外すぎて目を真ん丸にしてしまう私。一度はご挨拶に向かいたいと思っていたのですがセシル君が嫌がるものだから遠慮してて……このタイミングって事は、やっぱり挨拶に?
でもそれにしてはセシル君がとてつもなく嫌そうな顔をしているというか、そもそも不本意とか言ってるし。
何故? と様々な疑問を引っ括めて一言呟くと、セシル君は何だかとても言いたくなさそうに頭をわしわし。微妙に逡巡しては、深く溜め息。
「遊びにっつーか、親父が呼んでるんだよ、お前を」
「イヴァン様が、私を……ですか?」
イヴァン様とは一度お話ししたきりなので、お話ししたいとは思っていましたし、セシル君とその、お付き合い? というか、婚約の件についてお話をお伺いしたいとは思っていましたが。まさか向こうから呼ばれるとは。
でも婚約云々なら私じゃなくて父様を呼ぶ筈なんですよね。正式なものにするなら親同士で協議しますし。私個人に用事がある、という事なのでしょうか。……イヴァン様が私にって、何だろ。
「ああ。正直俺はあれをお前に近付けたくはないが、どうしてもと言われてな」
「そんな警戒しなくても」
セシル君としては断固として会わせたくないというのが本音らしいですけど、別にそこまで嫌がらなくても良いのでは。
「分かってないリズは。あれは手当たり次第女を口説いて弄ぶ男だぞ」
「私は対象に入らないのでは? だって、将来義娘になるんですよ?」
流石に娘になる女の子に手を出したりはしないでしょう。イヴァン様、そこまで節操のない方とは思えません。たとえセシル君が言う通り女癖の悪い方であっても、恐らく後腐れのない相手は選んでいるでしょうし、引き際は心得ているでしょう。じゃなきゃ刺されたりしそうですし。
それに、私だってそんな事望みません。私がイヴァン様にもし何かされそうになったら抵抗しますよ。
そんな心配しなくても、とセシル君を宥めるものの、セシル君としては心配ゲージが振り切っているらしくて非常に嫌そうな顔のまま。実の親なのに信頼されていない辺り、イヴァン様も相当に好色漢なのでしょうけど。
「あいつに気を許すな」
「大丈夫ですって、セシル君しか見てないですもん」
「……そうかよ」
「ちゃんと自衛出来ますし、イヴァン様そんな人じゃないと思いますよ?」
「そんな人なんだ」
「言い切っちゃうのですね」
言い淀む事なくきっぱり言いきって発言を疑ってないセシル君。どれだけなんでしょうか、想像できません。
「……じゃあ、何かされたらちゃんと仕返ししますから」
「『コキュートス』ぶっぱなして良いから」
「それは死んじゃいますよ……」
セシル君の目は本気でした。
と、まあそんなお話があり、正式に本人から招待状を送られてきて。
私は、セシル君に迎えに来てもらって、馬車でシュタインベルト邸に。お茶を飲むという事でそんな構えなくても良いとは書いてありましたが、初めてのセシル君のお宅訪問という事でちょっとどきどきです。
馬車の中ではセシル君から「絶対に油断するなよ」と言い聞かせられて、セシル君の警戒度半端じゃないなあなんて少し笑ってしまいました。セシル君がちょっと拗ねちゃいましたけどね。
そんな訳で無事にシュタインベルト邸に到着すると、イヴァン様直々に出迎えてくれました。
相も変わらずきらびやかというか、きらきらを背負っていそうな綺麗さ。優雅だけど何処かほんのりと気怠げ、色気を纏っているようなお方です。セシル君の凛とした雰囲気とは違った美形さんなのですよね。
「お久し振りです、イヴァン様」
「よく来てくれたねリズベット嬢」
父様ばりに若々しいイヴァン様、にこやかな笑顔で迎え入れては私の手を取って……そしてセシル君にはたき落とされていました。
「何しようとしているのですか父上」
自分の親に向けるものとは思えない程に冷ややかな眼差しなセシル君。相当に警戒してるのか私とイヴァン様の間に体を入れて視線を遮っています。
まあそんなセシル君にイヴァン様は気にした様子はなく、穏やかな……いえ、愉快そうな笑み。多分『あのセシルが』とか面白がってそうです。
「ちょっとした挨拶だろう」
「あなたは隙あらば女性に触れようとするので信用なりません」
「可愛らしい女性を愛でるのは当然だろう?」
「この女誑し……」
「セシル、父に向かってその言葉はないだろう」
いけない子だね、と注意しつつも眼差しが楽しくて仕方ないと物語っていて、それがセシル君の神経を逆撫でしているらしく「……糞が」と割と感情がこもった声で呟いています。
セシル君、落ち着いて。イヴァン様の思う壺ですから。
「そんなカリカリしないでおくれ。なんならセシルもリズベット嬢にすればいいだろう?」
「そんな事しねえよ!」
「セシル君、落ち着いて下さいね。それに、もしイヴァン様に口説かれたとしても絶対にセシル君一筋ですから」
そんなに心配しなくても大丈夫ですよ、とイヴァン様との間を遮っていた腕に抱き付くと、セシル君はふっと眼差しを和らげて、それから少し恥ずかしそうに頬を染めています。
にっこりと微笑めば、セシル君も仄かに口許を緩めては自由な手で頭をなでなで。子供を扱うような仕草ではなく、愛おしそうに可愛がるような手つきで、私も照れ隠しにしっかりと抱き付いておきました。
「おやおや、仲睦まじいね」
「うるさい」
揶揄するような声に、セシル君は今度は怒ったというより恥ずかしさを隠す為に語気を強めています。それでも離さない辺り、この体勢自体は満更でもないのかと。
ふふ、と私も笑うとセシル君微妙な顔ですが、叱ったりはしません。若干不貞腐れたような眼差しですが、私が笑いかけると怒る気も失せたらしくてやけくそ気味に頭を撫でてきました。
ぐしゃぐしゃにはしないで欲しいんですけど、と唇を尖らせると少しだけ機嫌も戻ったセシル君がからかうような笑み。……もう。
「見せ付けるねえ」
ひゅう、とわざとらしく口笛をならして実の息子をからかうイヴァン様。セシル君はこめかみをひくつかせていましたが、私が駄目ですよと背中を軽く叩いてストップをかけておきました。
流石にセシル君のお父様の前でずっとくっついている訳にもいかないので、名残惜しいですが体を離します。イヴァン様としては微笑ましかったらしく「あのセシル君が」とか呟いてセシル君の眉間をどんどん狭めさせていますが。
イヴァン様は一頻り面白がった所で、咳払い。
「さてセシル、ちょっと席を外せ。僕は彼女とお話があるから」
「あなたを信用出来ないので二人きりにはさせません」
「やれやれ、信用されてないね」
酷いと思わないかい? と肩を竦めて同意を求めるイヴァン様。……私はイヴァン様の人となりを知らないので、肯定も否定も出来ず曖昧に微笑むしか出来ませんが。
「手出しは絶対にしないし危害も加えない、これは約束する」
「セシル君、私は大丈夫ですから」
「……っ」
それでもわざわざ二人きりで話したい事があるというのなら、私はイヴァン様との対話を望みます。セシル君には聞かせたくない事なのでしょう。
私がセシル君に伝えないとも限らないのにわざわざ二人きりを指定するのですから、何か重要な事? 私がセシル君に漏らせないと踏んだ内容という事か、それともセシル君と共有する事前提なのか。共有ならセシル君も同席するでしょうし、重要な事なのでしょう。
「彼女も言ってる事だし。これは当主命令だ、下がりなさい」
「……何かあったら、直ぐに呼べ」
セシル君は非常に不服そうでしたが、当主命令という言葉に渋々頷いては、屋敷の中に入っていきます。私はというとイヴァン様の案内で、屋敷に入っては応接室の方に通されます。
「息子に大切にされているね」
「あはは……」
ソファを勧められて腰掛けると、イヴァン様の楽しそうな笑み。面白い、と眼差しが語っているので、私も苦笑するしかありません。
イヴァン様にとっては珍しい光景なのかもしれませんね、普段のセシル君の態度からすれば、私に対する態度ってかなり違うと思うので。あとイヴァン様、セシル君に邪険にされていますし。
「さて、二人きりになった所で、本題に入ろうか」
メイドさんが紅茶を入れて退室したところで、イヴァン様の一言。
瞬時に纏う空気が変わって、今までの飄々とした雰囲気から揺るぎない強さを持つものに。笑みは浮かべているし表情は穏やかなのに、空気だけは真剣なもの。……セシル君、あなたが思うよりも多分、イヴァン様って真面目な方だと思いますよ。
「君はセシルを受け入れてるんだね?」
「はい」
問いに素直に答えると、イヴァン様は「そうか」とだけ。
「正直言って、君の血は是が非でもシュタインベルトに欲しい」
「……存じております」
「セシルと君の子は、恐らく非常に優秀な魔力持ちをが生まれる。シュタインベルトの血族に君らの子が入るなら、僕は歓迎しよう」
昔から想像していた事です。
私の魔力の豊富さとセシル君の特異体質がもし子供に上手く顕現出来たなら、恐らく最強といっても過言ではない程の子供が産まれる。もし駄目だったとしても、アデルシャンの血の濃さを考えて私の魔力は引き継がれていくでしょうし、逆にセシル君の体質が引き継がれる可能性もある。
少なくとも悪いようには転ばないでしょう。
シュタインベルトは代々高名な魔導師を輩出する家として知られているし、その当主であるイヴァン様もそれを望むのでしょう。……少し意外とも言えますけどね、イヴァン様は亡きゲオルグ導師に任せきりであんまり家に興味ないとかセシル君に聞いていたので。
「それに、現状シュタインベルト公爵家は落ち目だからね。アデルシャンの子を迎え入れれば多少の回復にはなる。家の繋がりと地盤を強固にしていく為でもある」
「……はい」
「それに、君を迎え入れれば家に執着を持たないセシルの鎖になる。君が居れば公爵家を見放さなくなるだろう、君の性格的に責務を投げ出したりはしないだろうし。君がシュタインベルトに嫁ぐ事で、あの子は家を存続させる為に躍起になってくれるだろう」
イヴァン様が言っている事の意味は、よく分かります。その辺りは貴族特有の事情であり、そしてセシル君をこの家に留めて置く為の枷として望まれている事も。
セシル君は、割と家などどうでもいい人です。研究さえ出来ればそれで良いし、貴族でなくなっても魔導師で働いて生きていくと豪語してますから。自立心があって良い事だとは思いますが、公爵家の嫡子としては間違っているのでしょう。
「あの子は家に重きを置いていない。それは僕らのせいでもあるのだけど……嫡男として、それは良くないだろう? だからこそ、リズベット嬢がこの家で居場所を作ってくれれば、あの子は何があっても帰ってくる。大人の事情はこんな所かな」
「……そうですか」
「幻滅したかい?」
「いえ、それが当然だと思われます」
家の存続がかかっているのですから、なりふり構ってられないのも分かります。
反乱後からシュタインベルト家の立ち位置は厳しい。だからこそ安定させる為にも、二重の意味で私という楔を撃ち込むのが最も効果的なのでしょう。王家から絶大な信頼を得るアデルシャンの子であり、家に執着を持たないセシル君を留めておける、私が。
別に責める気はありませんし、寧ろ利用しない方が不思議です。ちゃんと思惑を話してくれているのは、イヴァン様なりの誠意なのでしょう。何も話さずに結婚させる事だって出来るのに、わざわざ話してくれたのだから。
「ま、これは家の事情」
少し重くなってしまった空気の中、イヴァン様は今までの雰囲気を霧散させ、少し柔らかく悪戯っぽい笑みを浮かべます。からかうもの、ではなくて、何処か見守るような、温かいもの。
「此処からは僕の事情なのだけれど……君にはやっぱりセシルと一緒になって欲しい」
「イヴァン様の事情?」
今までの事情が家の都合だったのは分かりますけど、イヴァン様にも私とセシル君が結婚して欲しい理由が?
首を傾げた私に、イヴァン様は苦笑。
「セシルが魔導師としての資質を開花させたのは、君のお陰だ。それに……人として成長させたのも、君だ。昔は、あんな感情を表に出さない子だったよ」
「そう、なのですか?」
確かに、私と会った頃のセシル君はいつも不機嫌そうというか仏頂面で、全方向に警戒を撒き散らしていました。あれが感情を出さないという事なら、そうでしょうけど。
「僕らの……というか、妻の教育も原因だったのだろうけど。妻は公爵家に嫁いできた責任と、父上からの圧力にに押し潰されそうになっていたのだろうね。だから、立派な跡取り息子を育てようと、結果的に厳しく接してしまった。そして、あの子はそれに応えるだけの能力があった」
思えばセシル君は、私と会った頃には既に確固とした自我があり、子供とは思えぬ程の賢さがあり、そして、強固な壁があった。それはきっと、いえ、絶対に小さい頃の教育のせいなのでしょう。そしてイヴァン様も、それを認めている。
「……傍から見れば、恐ろしい光景だったよ。何でも飲み込んでいく息子、熱を上げたように鬼気迫る顔で幼い息子に厳しく当たる妻、それを当たり前とする父。止めなかった僕も、酷い人間なのは自覚してるよ」
いっそ今からでもその事を罵ってくれたら楽なんだけどね、と苦々しく囁くイヴァン様は、寂しそうに眉を下げて笑い。
「そうしてある日、糸が切れたように、妻は教育を止めた。何処までも受け入れる息子が怖くなったんだろうね」
「……それは、セシル君の責任じゃない。セシル君は、お母さんの愛情が欲しくて」
「そうだ。でも妻はそれを不気味と捉えた。そして、突き放した」
親からの愛情を求めるのは当然の事なのに、どうして。
「元から何処か歪んでいる気のあった妻だ。……掌を返したように、罵倒を始めた」
「何で、助けてあげなかったのですか」
「……正直な話、僕も本当にこの子は僕らの子なのかと疑う程に、不気味な程に賢く成長して、僕も突き放していたから」
その時に少しでもイヴァン様が助け船を出していたら、私が会った頃のセシル君はあんな針ネズミ状態じゃなかったかもしれないのに。
けれど今ではどうしようもない事。今だから悔やめる事であり、当時の自分ではどうしようもないとイヴァン様も自覚しているのでしょう。だからこそ、今の表情に繋がっている。
「僕にもセシルが歪んだ一因はある。それを否定する気にはならないし、セシルから責められたら受け止めるつもりだよ。……そして、ある日、セシルは大規模な魔力の暴走を起こした」
「……っ」
「傷を負い、妻も限界だった。そしてもう一人の息子も居た。妻は、セシルを子供とは認めなくなったんだよ。セシルは魔導院に預けられた。それから妻は心を病んでしまい、体調を崩しセシルとはロクに話さないままこの世を去った。公爵家の正式な子供は息子二人だけ」
……此処まで込み入った事情を聞くのは初めてです。セシル君は好んで話したがりませんし。そりゃあ、話したくないのも当然です。
「僕としては、セシルはもう一人の息子よりも遥かにシュタインベルトを色濃く継いでいる。跡取りはセシルしかないとは思っていた。妻は一目も見たくなかったそうだけど」
「……何で、そんな」
「……怖かったのかもね、妻は。自分に似ていない、血の繋がりはあるのにどこにも妻に似ず私だけに似たセシルが。だから、生前はもう一人の息子に愛を注ぎ公爵家の跡取りになるのだと囁き続けた」
存在を認めてもらえない、というのがどれだけ苦痛だった事か。
初めて会った時のセシル君に私が嫌われていたのは当たり前だったのだと、改めて思い知らされました。セシル君の持っていないものを、全て持っていたから。私は両親に受け入れられた、セシル君は受け入れられなかった。その違いで、全てが違った。
今では気にした様子はないけれど、当時は本当に苦しくて助けて欲しくて、でも出来なかったジレンマに苛まれていたのでしょう。
一気に曇る顔に、イヴァン様は落ち着いた眼差し。した事全て否定するつもりはないらしくて、ただ静かに私の事を見詰めています。
「話は戻るが……やはり、君にはシュタインベルトに嫁いで欲しい。まあフェアじゃないから全部を話そう。僕としては、息子……シリルは公爵家に相応しくない。正統な人間に継いで欲しい訳だよ。シリルはセシルを継がせるには邪魔なんだ」
「邪魔って! それでも息子さんでしょう!」
どうしてそんな言い方を、と鋭く視線を向けるのですが、イヴァン様は変わらぬ表情。
「勿論息子としては嫌いじゃないが、公爵家の家督を譲るには不相応だ。……それもシリルは分かっていて、足掻いている。母親に植え付けられた使命感と父親に板挟みにされながらね」
「っ」
「だから、君という一石を投じたいんだ」
「……随分と勝手ですね」
私から言える事ではないのでしょうが、とても、身勝手です。親の都合で子供が振り回されて、セシル君も、弟のシリル君も、辛い思いをしている。イヴァン様の立場なら防げたのに、とは今更の事でしょうが、思わずにはいられません。
私の非難の眼差しを受け止めたイヴァン様は、反論はせず「そうだ、自分でも勝手な話だと思うよ」と何とも言えない笑みを口許に浮かべて。
「だけど……君なら、出来そうな気がしてね。……今更僕が歩み寄った所で、あの子は他人行儀にしか接してこないだろう」
「……そんなのやってみなければ分からないのに」
私はシリル君の事を知らないから、憶測でしかないけれど……シリル君だって、イヴァン様に求められたがっているのでは、ないでしょうか。ただ一人の親なのです、冷たくされて嬉しい筈がありません。
「でも、僕には簡単には出来そうにもない。だけど、君なら……」
「……何で、私なら、なんですか?」
何故、私なら出来ると期待されているのか分かりません。正直言って、私はシリル君の人柄なんて知らないし、話した事すらないのに。それなのにどうにか出来るだなんて、希望的観測過ぎでしょう。
でもただ私に任せるだけにしては、イヴァン様の表情は複雑そうで。期待と不安がない交ぜになった眼差し。それでも私を捉えては、穏やかに微笑んで。
「そうだね、理由は……まあこれはセシルに内緒にしてくれよ。……君と居ると、セシルは年相応で、幸せそうだ。僕が憎まれているのは重々承知してるけど……いつも仏頂面で笑顔を見た事がない僕としては、あの穏やかな顔は驚きでね」
思い出したのか少しからかうような笑みを浮かべるイヴァン様は、それから再び落ち着いた表情に。
「セシルの心をほどいた君なら、何とか出来るんじゃないかってね」
「……私は」
「……親らしい事をしていない僕に言われてもセシルは嬉しくないだろうが……出来る事なら、幸せな家庭を築いて欲しい。僕らのような歪んだ家庭ではなく、幸せな家庭を」
そう締め括ったイヴァン様は、ちゃんと親らしいと、私は思いますよ。セシル君はイヴァン様の事好きじゃないだろうし、今更親父面してと言っていましたが……それでも、今イヴァン様がセシル君の事を思っているのは分かります。
直ぐに和解なんて無理だろうしセシル君がどうしたいかなんて分かりませんが、それでも一度話し合いの席を設けるべきだと、思いました。お互いに目を背けていないで、全部話すべきだと、そう確信して。
「……イヴァン様も、今からでも遅くないと思いますよ。ちゃんと、向き合ったなら」
「そうかな?」
私の言葉に困ったように眉を下げて笑ったイヴァン様に、私はにっこりと笑いましょう。
諦めるなんてまだ早いです。話し合ってすら、手を尽くしてすらいないのに。
「取り敢えずセシル君曰く女遊びとやらを止める所から始めては如何ですか、お義父様」
「……そうだね、善処するよ」
最後に付け足した言葉に、イヴァン様は戸惑い気味に、そして少しだけ嬉しそうに相好を崩しました。
帰りの馬車もセシル君が同行してくれるのですが、何だか行きとは別の意味でちょっぴり不機嫌そうです。あの後は和やかに談笑していたので、それがセシル君的に気に食わなかったみたい。というか何を話していたのか二人してセシル君に内緒にしてるから、それが嫌らしいです。
まあそんなセシル君も可愛らしくて笑ってしまい、セシル君にジト目で見られるのですが。
「……セシル君」
「何だ」
まだちょっぴり不機嫌そうなセシル君。そろそろ機嫌直してくれても良いのに、と頭を撫でると、子供扱いされたのが嫌だったらしくムッとした表情。……セシル君も私によくするんですけどね?
「思ったより、イヴァン様は悪い方ではないですよ」
「何処がだ」
「ちゃんと優しい人でした」
「騙されてるんじゃないのか」
「信用してませんねお父様を」
「出来るかあんなの」
きっぱりばっさり切り捨てたセシル君。イヴァン様との確執は根深そうです。
それでも、多分……セシル君、憎悪までは、してないんじゃないのかな。だって、何だかんだ言う事聞いてるし、射殺すような視線なんて向けたりしてないですもん。本当にイヴァン様と会わせたくなかったなら、セシル君全力で阻止したでしょうし。
「……ねえセシル君」
「何だよ」
「あのね、幸せな家庭を築きましょうね」
イヴァン様との会話を聞いていないと分からない唐突な言葉、当然セシル君には不意打ち過ぎてぽかんとした顔です。その後うっすらと頬を染めて狼狽えてるので、かなり驚いたのだと思います。
かくいう私は、口にした事でより現実味を帯びてきた想像に、言った本人がつい照れてしまうのですが。
「……恥ずかしい事言うな」
「あら、結婚してくれないのです?」
「そ、そりゃあするけどさ、もっと順序とか、あるだろ」
そういうのは俺から言うべきで、と小さく呟いたセシル君に、堪らず抱き付いて。
「ふふ、そうですね。じゃあ楽しみに待ってます」
「……おう」
恥ずかしそうに頷いて抱き締め返してくれたセシル君に、イヴァン様に言われなくてもきっと幸せな家庭を築きますよ、と口から出る音にはしないまま、しっかりと心に留めておきました。




