3 「初めてだよ悪いか」
「リズ、起きたのか!?」
母様の診察も終わり前を閉じて寝間着を着直そうとした所で、思わぬ乱入者が現れました。
どたばたと足音を鳴らし勢いよく扉を開け放ったのは、私を救ってくれた人。銀髪を揺らし息を荒げながらも駆け付けてくれたらしいセシル君の登場に、私はちょっと固まってしまいます。
ノックもなしに扉を開けたのは多分物凄く急いで来たんだとは思いますし、怒るつもりは一切ないのですけど。
ただ、セシル君は私の顔を見て安堵したように表情を和らげ、そして視線を下に向けてフリーズしてしまいました。……下着と言ってもシュミーズですし、前は閉じてたのでそこまで肌は見えてません。怒ったりはしません、けど。
私の姿を確認したセシル君が一瞬で顔を林檎のように真っ赤に染めて、ばっと顔を背けて。
「っごめん!」
入って十秒も経たない内に、直ぐに回れ右をして出ていってしまいました。ばたんと入ってきた時と同様に勢いよく閉められ、私は呆然とするしかありません。
分かりやすい反応というか、あそこまで初心な反応をされると怒る以前に戸惑うしかありません。見られたといっても、精々デコルテ辺りですし。
「あらあら」
「……母様面白そうにしないで下さい」
「セシル君は相変わらず照れ屋さんね」
嵐が過ぎ去った、そんな感じです。母様は微笑ましそうにセシル君の行動を笑っていらっしゃいますが、親として許容しても良いのでしょうか。いや私が怒ってないから母様もとやかく言わないのでしょうが。
……でも、びっくりした。セシル君があんなに急いで来るなんて。ノックも失念する程、焦ってたんですね。
そう考えると、胸が熱くなる。心配してくれたの、凄く嬉しいです。でも、やっぱり、迷惑かけちゃったのは申し訳なかったり。
胸を押さえる私に、母様はただ微笑んでは見つめてくるだけでした。
今回はちゃんと着替えてから、セシル君を呼びます。母様もそろそろ自室に戻るらしく入れ替わりのように部屋に入ってきたセシル君に、とても美しい笑みを向けています。
「女の子の柔肌見たんだから責任は取って頂戴ね?」
「……っ」
「母様!」
擦れ違いの一言でセシル君が思い出したらしく顔を真っ赤にして唇を噛み締めてしまったので、からかわないであげて下さいと声を飛ばせばおっとりとした微笑み。
「ふふ、冗談よ。じゃあ娘を頼んだわ」
追撃しないのは母様らしいです。父様なら更にからかうべくセシル君に追い討ちかけますから。まあ今回の場合は父様ならからかう前に拳骨落としそうですが。
あとは二人でゆっくりなさいと部屋を去ろうとする母様に、まだほんのり顔の赤いセシル君は困ったように眉を下げます。気まずそうに「二人きりにして良いんですか」と私の方から意図的に目を逸らして問うセシル君は、かなり先程の事を気にしていらっしゃるみたいで。
……そ、そんなに気にされるとこっちも恥ずかしくなってくるのですが。別に、少し見られたくらいなのに。
「あら、セシル君は無体なんてしないと思ってるわ。……それに、積もる話もあるでしょうし?」
「それはないですが、……良いんですか」
「リズも話したい事があるみたいだし。ああ、元気そうだけど病人だから、無理はさせないでね。じゃあ娘を宜しくね」
日頃の行いが物を言うらしく、母様はあっさり私達を二人きりにしてお部屋を出ていってしまいました。
取り残された私達は、無言に。
……ええと、おかしいですね……普段こんな空気になる事はないのに。いつも、セシル君は茶化したり呆れたりで、こんな……気まずい事にはならないのに。
ベッドの縁に腰掛けたままちらりとセシル君を見れば、やっぱりうっすら白皙を薔薇色に染めたセシル君、視線を逸らしています。
「……さっきは、悪かった」
「わ、わざとじゃないと分かっているので大丈夫ですよ」
あの鬼気迫った顔をわざとなんてとても言えませんし、セシル君はわざわざそういう事をしないかと。照れ屋さんですし純情さんなセシル君が、私なんかの着替えを見たいとは。それに飛び込んだ時シュミーズだけとは想像してなかったでしょう。
それに、気にされると恥ずかしいので、出来れば気にしないで欲しいというか。
「お前は気にしろ、嫁入り前の女だろ……」
「大丈夫です、その、母様程スタイル良くないですし!」
「あほか! 怒れよ!」
セシル君的には非常に引っ掛かっているらしく責められない事が複雑みたいなのですが、声を荒げて怒鳴り付けた後、しまったと顔を顰めてしまいました。
「病人に大声出して悪かった」と申し訳なさそうに表情を暗くするセシル君に、そういえばそうでしたねと羞恥で体調不良を忘れていましたが思い出します。
痛いとか苦しいはなく、ただ熱くて怠いだけなので少し意識から外れてましたが、一応病人なんですよね。
「と、兎に角……大丈夫ですよ?」
「……おう」
これ以上気にしてもらっても困るので、私としては水に流してそのままさっぱり忘れて頂きたいものです。そんなに誇れる体ではないですし。
自分にも言い聞かせるように大丈夫だと言い切る私に、セシル君はやっぱり複雑そうでしたがそれ以上反論する事なく頷きました。近くから椅子を引っ張り、私の目の前に置いて腰掛けます。
極端にではないですが、何だか近い。いつもなら平気なのに、無言で足元を見られると恥ずかしいというか。
セシル君も気まずいのかちらりと此方を見ては、視線を明後日の方向に。思い出したくないのか体の辺りは絶対に見ようとしないのが、気遣わせてしまって申し訳ないというか。
「え、えっと、セシル君はあの時何をして……?」
無言なのも辛いので、せめて間を持たそうと気になっていた事を聞いて、逆に思い出して恥ずかしくなりました。
……じ、自分の口から改めて言ってしまいましたが、キス、してしまった訳で。本人と対峙してるのだと考えると無性に恥ずかしくなってしまうのです。普段そんな事絶対にしないと思っていた人から、緊急とはいえされてしまって。
唇をなぞるとセシル君まで思い出したらしく顔を赤らめていて、ああくそと悪態づいていました。
「……俺はお前みたいに皮膚接触で魔力を他人に譲渡したり、何にも媒介がない状態で他人の魔力を操作出来る訳じゃない。だから、お前が魔力涸渇で衰弱してる時に、俺の魔力のこもった血を取り込ませてから粘膜接触でお前に流して魔力を操った」
「……な、成る程……?」
「賭けだったが、上手くはいった。勿論魔力がある平常時にこんな真似は出来ないし、お前の制御から離れていたからこそ出来た芸当だ。もうあんな危険な真似は絶対にしないからな」
というか残存魔力零に近付くまで使うなと注意されて、素直に頷きつつ、やっぱり緊急事態だったのですよね、と納得です。
仕方なくキスした訳で、緊急措置な訳で。セシル君が望んでした事じゃないのです。……だから、どきどきする必要は、ない。それは、分かってますけど。
未だに思い出して心臓がいつもより早い胸を押さえて黙る私に、セシル君は暫く此方を見ては唇を歪めています。
「……怒れよ」
「え?」
「俺は、その、緊急事態とはいえお前の唇を奪ったんだぞ」
本人の口から聞かされてまた鼓動が煩くなる。セシル君は呆れやら罪悪感やらが混ざった瞳ですが、私としては怒るつもりなんてないですし。……恥ずかしくはあるのですが。
「その、セシル君は悪くないですし……嫌では、ないですよ?」
「っ」
セシル君は私の事を助けようとしてキス、してくれた訳ですし。何故責められましょうか。
それに、セシル君にされるのは、嫌ではありませんでした。そりゃあびっくりしたし恥ずかしかったですけど、キスされて……暖かくて、気持ちよかった、し。
ジルにされた時とは違う感覚。魔力が流されていたから、でしょうか。
「せ、セシル君の方こそ嫌ではなかったのですか? その、セシル君キスとか」
「初めてだよ悪いか」
「私が悪いです! セシル君の初めて奪ってます!」
「人聞き悪いな!」
やっぱりセシル君の初めてのキスを奪ってしまっていたと慌てれば、セシル君顔を赤くして「気にするな」と一言。
セシル君も改めて意識してしまったらしく耳まで真っ赤にしていました。人助けの為とは言え初めてを消費させてしまったなんて申し訳ないです。
「……ご、ごめんなさいセシル君、私、セシル君に迷惑ばかり」
「今更だぞ」
「あう」
言葉が突き刺さるのですが。
そりゃあ、セシル君には散々迷惑をかけてきましたけど、はっきり言われると胸に刺さると言いますか。
「……お前の世話を焼けるのは俺くらいだ。ジルは甘やかすだけだからな」
「それはまあ否定しませんが……」
セシル君的にはジルは甘やかし過ぎだと呆れたお顔で、まあジルは私にかなり甘いと自負はあるので頷いておきます。
その点セシル君は甘やかすとかはないですよね、というかセシル君が甘やかすってどんなのでしょうか。
頼らせてくれるという意味では私は甘えているのでしょうが、猫可愛がりみたいな甘やかし方はセシル君絶対にしません。寧ろ仕方ねえなくらい思ってそうな顔で凭れかからせてくれる感じです。
「兎に角、気にすんな。俺も気にしない」
「は、はい」
気にするなはキスの事を指しているらしく、これ以上長く話を続けても双方恥ずかしいだけなのでこくこくと頷きます。
そこでセシル君は漸く私の顔をちゃんと見てくれて、ちょっと熱でぼーっとしてる私に気遣うような顔。いやまあ羞恥のせいでもありますけどね。
「……体は大丈夫なんだな?」
「熱っぽいですし倦怠感はありますが、母様曰く魔力回路の拡張が起こってるみたいなので」
「そりゃあんだけ魔力出して回路ずたぼろにしたら修復と増幅は起こるだろうな。まあ、それは良い事だから安心しろ。他に体調不良とかはないな?」
体を心配してくれているみたいで、私が元気そうに見えて体調は宜しくないのを見抜いているみたいです。中身は一応元気なんですけど、体が弱ってるみたいなんですよね。
「……えっと……その」
「悪い所があれば早めに言え、何かあってもおかしくないから」
「……何か、中にセシル君の存在を感じます」
「は?」
私の言葉に聞き返すセシル君。何言ってると言いたげなお顔に苦笑して、私は胸元にそっと手を当ててとくとくと鼓動を刻む心臓、そしてその熱をゆっくりと感じては微笑みます。
母様には言いませんでしたけど、ちょっとだけ……セシル君の魔力が、胸の奥にある気がするのです。暖かくて心地好い。お日様のように強いものではないけれど、月明かりのように柔らかな魔力。きっと、セシル君のくれたもの。
「優しくて暖かい魔力が、今も残ってます。人に魔力を与えられた時ってこうなるものなんですか?」
「……俺の時は、直ぐに溶け込んで自分のものになった」
「じゃあ、何ででしょうね……?」
「有り得ないとは思うが、まさか魔力を無理矢理流した時に定着したのか? ……おかしいようならセレンさんに診て貰え」
「ううん、おかしくはないですよ。暖かくて心地良いですから。セシル君一緒に居る感覚しますもん。寂しくないなって」
今は皆心配して様子見に来てくれるでしょうが、母様は出産を控え、父様は後処理に追われ、ジルもそのお手伝い。ルビィは母様と私なら多分母様を優先するかな、と思うのです。
皆やる事があって、私ばかり気にかけていられません。寝ておけば治るのですから、そっとしておこうとする筈なのですよね。
……多分寂しくなっちゃうかなあ、なんて。子供じゃないのですから一人でも平気なんですけどね。
だから、セシル君が一緒に居てくれる気がして、何か嬉しいなあと思うのですよ。
セシル君の魔力が宿る胸元を押さえてはにかめば、セシル君ちょっぴり視線を逸らして咳払い。
「……見舞いには来る」
「後片付けあるでしょう」
「監督不行き届きで俺がリズをこんな目に遭わせたようなもんだ、俺が経過観察する。これも後仕事の一つだし」
「……凄い屁理屈な気が」
「うるせえ」
文句あるのかと睨まれてしまいましたが、それが照れ隠しなのだと長年の付き合いで分かるので、私は首を振っていいえと答えます。
セシル君がお見舞いに来てくれるのが嫌な訳ないじゃないですか。本当に優しいですよね、何だかんだで責任感じてるみたいですし。『コキュートス』は私が言い出した事なのに。
「……ふふ、じゃあ楽しみにしてますね」
長時間ベッドに拘束される事になりそうな私は、ただセシル君の来訪を楽しみにするんだろうなあと笑って、セシル君の不貞腐れたようなお顔を眺めました。




