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もう一つの物語  作者: 佐伯さん
本編
29/52

29 「……セシル君が、良い」

途中一度セシル君視点に変わる為文章中に記号で区切っています。

 あの日のセシル君は、父様と何か大きな事を成そうとしているようにも思えました。私には、内緒で。それが私に心配をかけないようにする為のものだというのは、今までの経験で分かります。

 二人は、何を隠しているのか。


『ウチが蒔いた種だからな、刈り取るのもウチがするべきだ』


 セシル君は、ああ言ったのです。

 セシル君は試験だ、って言っていたけれど、何故家の事が試験になるのか。シュタインベルトが蒔いた、というのは何か。……恐らく、反乱の事ではあるのでしょう。

 でもあの時、シュタインベルトはセシル君によって処分は回避した。シュタインベルトの手を以て元凶である前当主を下したから。

 なら何故、今になって家が出てくるのか。反乱が蒔いた種だというなら、もしかすると、反乱軍の残党を取り締まりきれていなかった? そして、その人達の動きがあったから、セシル君達が動いている?


 全て憶測に過ぎませんが、あながち外れてもいないと思います。でなければ、あんな深刻そうな顔を二人がする筈がありません。


 それに、胸騒ぎがする。理由はないのですが、何だか嫌な感じがするのです。胸がざわついて、おかしな焦燥感が私を埋めていく。

 セシル君を訪ねようにも、暫くの間仕事を休みにされて父様直々に家に居ろとやんわり命令されて、疑念は確信へと変わっていました。私に危険を悟られないように隠している事を。


 二人が心配して家にこもらせているのは分かるので大人しく待機はしますが、無性に、嫌な予感がしてなりません。不安が後頭部を揺らすようにじわじわと広がって、不安で胸が引き絞られるような感覚で。

 ルビィは何も知らないようでしたが、雰囲気を察知してかやや心配そうな眼差し。私はそんなルビィを抱き締めて、大丈夫だと自分に言い聞かせるように呟いては待つしかありませんでした。


 そして、言い知れぬ不安に耐えていた、ある日の事。


「……駄目」


 いつもの不安感が急に増大した、というよりは、胸騒ぎがこれでもかという程に強まっていて。警鐘を鳴らすかのように、心臓が嫌な暴れ方をする。

 冷や汗が滲む程に体を違和感が占めていて、ぞわぞわと寒気がしてくるのです。体に巡る魔力がざわつく、というより……セシル君の魔力が溶け込んでいる、その部分だけが何かを訴えるように違和感を発していました。まるで、元の主の危険を知らせるかのように。


 今すぐ、セシル君に会わなきゃ、駄目。

 理由も理屈もなかったけれど、本能がそう告げていて……私は、早朝にも関わらず手早く出掛ける準備をして、ジルの部屋を訪ねていました。朝早くだから申し訳なさがありましたが、多分、ジルは起きているから。


「ジル、魔導院に行きたいので護衛を」


 きっと、一人で出掛けたらセシル君に起こられるでしょう。それに、二人が気遣ってくれている全てまで無下には出来ません。

 でも今だけは、大人しくこもってるなんて、嫌。本当に理由のない勘ですけど、今行かなきゃ駄目な気がして。


 直ぐ様出てきたジルは私の顔を見てやや逡巡したものの、譲らないと見たのか恭しく一礼。

 もしかしたらこうなるのを予想していたのかもしれませんね、ジルはほぼ準備の要らない状態で、直ぐに家を発つ事が出来ました。複雑そうな顔をしていたのは父様に守るように言い付けがあったからなのでしょうが……ごめんなさい、じっとなんてしていられないんです。

 私の勘は母様程ではないけれど、当たるから。


 ジルを伴って魔導院に急ぐと、ふと血臭がして。極薄いものではありましたが、やっぱりという確信が強まったのと同じように、不安もそれだけ強まっていく。

 少なくとも何かあった、それだけは確かです。

 セシル君は、何処に。

 最早勘のようなものでしたが、研究室を訪ねると、仮眠室の扉が僅かに空いていて。普段なら絶対きっちり締めるセシル君が開けっ放しというのが考えられず、此処だと変に確信して部屋に飛び込んで……。


「お前、何で此処に」


 ベッドで体を起こす、セシル君が居て。

 シャツにズボンとラフな格好をしているセシル君。私の登場は予想外だったのか、金の瞳をこれでもかという程に見開いて、それからジルの存在に気付いては溜息。

 ……やっぱりジルもグルだったのですね。大方家を出すなとかその辺りを命じていたのでしょう。


 私の眼差しに何かを見たのか、セシル君はやや困ったように眉を下げて、それから嘆息。……溜息の瞬間、僅かに体を震わせて眉を顰めたのも、見逃しません。痛みに耐えるような、そんな顔で。


「……セシル君」

「悪い、今俺疲れてるから出てってくれないか。ジル、悪いがリズを外に」


 あまり体勢を変えようとしないし、うっすらと額には脂汗が滲んでいる。けれど表情は平静を装って、言葉で私を追いやろうとするセシル君。

 瞳に仄かな焦りが見えて、余程私をこの場に、というか近付けたくないのでしょう。近付ければ、全て分かるから。……でも、もう気付いてるんですよセシル君。さっきから少し、背中庇ってるの。


「……あなたは」


 ジルもセシル君が私を遠ざけたがっているのを理解して、微かに驚いたようで。セシル君はそんなジルを睨み「良いから」と促すように俺に構うなと訴えかけるのです。

 弾かれたように、ジルは私の方を見て優しい眼差しに。……子供を宥めるような眼差しだというのも、分かります。

 嫌な事は全部隠して、暖かい所だけを教えようとするのは、二人の悪い所だと、常々思うのですよ。私はそんなに信用ならないのでしょうか。


「……リズ様、セシル様のお願い通り」

「嫌。私はセシル君と二人でお話があります」


 セシル君としては、体の事を悟られたくないのでしょう。でも、私としては、ちゃんと今の状態を知りたい。

 我が儘かもしれません。けれど、察した上で目を背けるなんて、出来ない。


「リズ様」

「……控えなさい、ジル」

「っ」

「私は二人にして、と言いました」


 きっぱりと言い切れば絶句するジル。私が普段命令などしないから、此処まで強く言うなんて想定外だったのでしょう。それだけ私が真剣だというのも、ジルは感じ取っているかもしれません。

 譲りません、という意思を込めて真っ直ぐにセシル君を見詰めると、ベッドから体を起こした状態で止まっていたセシル君は、ゆっくりと額を押さえます。

 呆れた、というより失敗した、とでも言いたげな顔。それでも少し、苦笑が混じっていて……きっと、仕方のないやつだ、とも思われているのでしょう。


「……はー、格好付けさせて欲しいんだけどな。……ジル、悪いがリズを優先してくれ。お前の判断に任せるが」

「……畏まりました」


 静かに腰を折り部屋を後にするジルの顔には葛藤が浮かんでいましたが、それでも私の命令を優先してくれた。

 ありがとう、と呟いて、私はセシル君に近付きます。動けないなら逃げられないでしょう。追い詰めるつもりなんかはないですが、飄々と躱されても困るので、此処は単刀直入に言うしかありません。


「……セシル君、脱いで下さい」

「お前な、はしたない事言うな。男の部屋だぞ?」

「抱き着いて背中を思い切り押しましょうか」


 茶化すように笑ったセシル君に静かに問い掛けると、セシル君は表情を固めた後に小さく溜息。途方に暮れたような苦笑です。


「……お見通しって事か。目敏いやつめ」


 何で要らない所だけ鋭いのか、と肩を竦めて、少し痛みを堪えるような表情を作るセシル君。それでももうしらばっくれるつもりも抵抗するつもりもないのか、素直にシャツのボタンを開けていって。


 そして、素肌に幾重にも包帯が巻かれている姿が、露になります。


 背中側にはうっすらと赤が滲んでいて、だからこそこの怪我の酷さが窺える。怪我をしたら治癒師に治して貰っている筈なのに、完治していない。つまり此処に勤める治癒師では治しきれなかった傷、という事になります。

 何故大人しく医務院で寝ていなかったのか、そんなに酷い傷を何故受けたのか、私に隠して何をしていたのか、色々疑問は湧いてくるものの、今はそれどころではありません。


「……この怪我は」

「ちょっとドジ踏んだ。手当てはして貰ったし治癒術もかけられてる。少し傷が深くて高位治癒師も居なかったから、このままにしているだけだ」


 そんな事、聞いてる訳じゃないのに。何で、こんな無茶するんですか。

 セシル君は研究職だって自分では言っていますが、普通の魔導師より余程戦えるし強いです。特殊な魔力を自在に扱えるようになっている今、そう簡単な事で傷付く訳がない。慎重な性格だから無理はしないと、思うのに。それでも大怪我して。


「……詳しく聞いても話してくれないのですよね?」

「そうだな、男の意地って奴だ」

「……男の意地って、そんなに、大切なんですか」


 私には、分かりません。命の危機に陥ってまで、貫くものって、何なのですか。もしかしたら、セシル君が死んじゃってたかもしれないのに、どうしてそんなにもあっさりと頷いて笑うんですか。


 何も知らなかった、何も出来なかった事が悔しいし、言ってくれなかった事が悔しい。私を気遣って言わなかった事は理屈では理解してても、信頼してくれなかったのかと悲しくなってくる。

 色々な感情がぐるぐると胸の中でせめぎあって、自分でもどうして良いのか分からずに顔を歪めると、勝手に零れて来る涙。鼻の奥がツンと染みるような痛みがあって、じわじわと目頭が熱くなっては雫を次々と産み出してしまいます。


「泣くな、ちゃんと生きてるから」


 だから泣くな、と困ったように呟くセシル君に、私も瞼を擦って涙を拭います。

 泣いててもどうしようもありません。今、私に出来る事をするのが最優先。その後で幾らでも泣けばいい。怒ればいい。お話を聞けばいい。


「怒るのは後にします。治しますから」


 この場で私が出来る事は、セシル君の傷を癒す事だけです。

 常勤の治癒師では治しきれなかったなら相当に酷いものでしょうし、私が治せるのか、少し不安ですが……私以外の誰がするというのですか。私が、治してあげたい。私なら、治せると信じて。


「治せるのか」

「誰だと思ってるんですか、最高位治癒師(か あ さ ま)の娘ですよ」

「そりゃ頼もしい」


 からかうように笑ったセシル君が痛みに呻いたのは、隠す必要がなくなったからでしょう。

 背中を向けてもらって、包帯をほどいていく。赤の染みた包帯をは傷口に近付くにしたがって濃くなっていて、全部剥がせば大きな裂傷の痕が背中に走っているのが見えました。

 あまり傷口を見るのは得意ではないですが、それでも目を逸らしたりなんてしません。息こそ飲んでしまいましたが、傷口を見てはゆっくりと手を傷口に近付ける。


 何とか傷口自体は塞いでいるものの、完治には程遠い。此処まで深くされては、流石の治癒師でも完全回復させる事は不可能だったのでしょう。

 治癒術だって万能ではありません。身体に欠損が出たら治しようがないし、失った血が戻る訳でもない、傷自体が酷ければ治すのにも限界がある。治癒師の力量にもよるところがありますが、全て治るという訳ではないのです。


 それでも、私はこの傷を治してみせます。ありし日の母様が父様にしたように、私も全身全霊でセシル君を治してみせます。絶対に。


 慎重に魔力を込め、傷口を完全に塞いでいくように少しずつじっくりと治療していくしかありません。手荒で急激にしてしまっては後々違和感を発してしまうでしょうし、何があるか分かりませんから。

 丁寧に、そして全神経を治癒術に注ぎ込みながら裂けた肉を繋ぎ元の体に戻るように必死に働きかける。

 背骨や神経にまで達していなかったのが不幸中の幸いです。そこまでされると、私では治せないから。


「……ばか」


 真剣に治癒術をかけていきながら、私は小さく零します。

 これくらい言っても良いでしょう、心配ばかりかけて。何で、こんな傷負ってるんですか。


「お前に言われるようになるとはな」

「ばかばか。何でこんな事したんですか」

「身内の尻拭いってのもあるし、俺の為でもある。お前が悔やむ事ではないからな」


 私を信頼してか気楽な様子のセシル君ですが、私としてはセシル君に色々問い質したくて仕方ありません。話してくれないのも分かっているので、セシル君にはわざわざ聞いたりはしませんけど。


「……怪我するかもしれないって分かってたなら、待機くらいさせて下さい」

「次からは善処する」

「そもそもこんな危ない事しないで下さい。……死んじゃったら、意味ないです」

「未練は山のようにあるし、お前置いて死ぬ訳ないだろ」

「……ばか」




 流石に傷が深かったので結構時間こそかかってしまいましたが、数時間掛けて無事に元の背中に戻りました。傷一つない……というのは、嘘になってしまいますが。

 本当に完璧に治せた訳ではありません。うっすらと大きく一条、傷の痕が出来てしまいました。本当によく見ないと分からないくらいのものですが、背中に受けたという事実として背中に残ってしまったのです。


 それを伝えると「ヴェルフそっくりな事態になったな」と笑うセシル君ですが、笑い事じゃないですからね。

 父様も背中に傷があるらしいです、この間馴れ初めと共に母様に聞きましたけど。何だかんだ父様とセシル君は似ているのではないかと思ったこの頃です。


「……取り敢えず治りはしましたけど、お願いなので大人しくしていて下さいね」


 血は失われたままなのであまり無理されると貧血で倒れてしまうかもしれません。

 安静にしていて下さい、と厳命するとセシル君はやっぱり苦笑を浮かべては肩を竦めました。もう、痛みはなさそうです。


「そうでもしてなきゃお前が怒るからな」

「怒ってますからね」

「悪い」


 シャツを着直しながらの謝罪には心がこもってない気がします。

 別に、私に直接何かした訳でもないから謝る必要もないですけど、私の心情的には不服です。私が勝手に怒っているだけなので、セシル君には関係ないといえばそうですけどね。


「……さ、寝て下さい。私はちょっと用事があるので」

「用事?」


 取り敢えずベッドにセシル君を寝かせようとする私ですが、セシル君は私の言葉が気になったらしく横にはなってくれません。

 なので安心させる為にも、私は笑顔でこれからの用事を話しておこうと思います。


「ちょっとばかり、父様に」

「待て、笑顔が洒落にならん」

「大人しくしておいて下さい。今日だけは私の方が優位です、セシル君の方が危なっかしいです」

「考え直せリズ、今のお前の方が危なっかしい」


 セシル君の顔が引き攣っていますが、別に攻め入りにいく訳じゃないですからね。事情を聞きに行くだけです。父様の指示なくこんな事をするとは考えられないので。


「大丈夫です、大好きな父様ですし穏便に行きますので」

「あのなリズ、これは俺が」

「……話してくれないから、聞きに行くんです」


 セシル君の口から聞けないなら他の人に聞くしかないじゃないですか。

 父様とセシル君はグルだって分かってますけど、聞いてみる価値はあります。恐らく全てが終わったら父様は話してくれるだろうから。真剣に聞けば、隠さずに話してくれると信じています。


 セシル君は引き留めてきましたが、私は「ちゃんと休んでて下さいね」と言い付けて部屋を後にします。

 研究室の外ではジルが直立で待機していて、命令に従ってくれていて、申し訳なさとありがたさが半々。ジルとしては私にセシル君の怪我を知らせたくなくて、セシル君と結託してたのでしょうし。ジルを責めるつもりは、ありません。


「ジル、悪いのですけどセシル君見てて下さい。私は父様の所に行くので」

「畏まりました」


 私の表情から何かを読み取ったのか、一瞬表情に影を落としたものの頷いて研究室に入っていくジル。

 それを見送って、私は父様の執務室へと早足で歩み始めました。




◆◆◆


 リズを引き留める事もままならず足早にリズに置いていかれた俺は、入れ替わりで部屋に現れたジルを何とも言えない顔で見るしかなかった。

 当たり前だが、ジルの顔色は晴れない。リズの完全な自立を目の当たりにしてしまったのだから。

 今までのリズはジルに甘えてきたし、それが俺には眩しかった。その役割が交代しそうだからこそ、ジルはこんなにも複雑そうな顔で俺を見下ろしているのだろう。


「……俺が死ななくて残念か?」


 問い掛けに、ジルは答えない。

 ……これは少し意地の悪い質問だったかもしれないな。死ぬ事を望んでいたか、と本人に目の前で聞かれるのも困るだろう。

 ただまあ、少なからず俺の事を憎く思っているのも、間違いはないと思う。ジルが大切に大切に育ててきた雛鳥を俺がかっさらって行くかもしれないのだから。


「そのどっちでもない、若しくはどちらでもあるって感じだな。責めるつもりはないから安心しろ」


 それを責めるつもりは一切ない。

 俺はジルの執念を理解しているよ、何だかんだでジルとも長く付き合いがある。こいつのリズに対する執着と依存は身に染みて理解していた。時折射殺さんばかりの視線を受けていたからな。


「ま、俺が死ねばお前は邪魔者が居なくなって清々したかもな」


 ジルにとってはその方が良かっただろう、と茶化すように笑うと、意外な事に巌のような表情で首を振る。


「……あなたを失えばリズ様が泣いて憔悴するのは目に見えています。それに……リズ様の心は定まりつつあるのです、私が壊す訳にはいかない」

「俺に言って良いのかよ」

「……非常に、甚だしく不愉快ですけどね。それでも、リズ様が壊れるよりマシです」


 私はリズ様を悲しませたい訳ではない、と呟くジルは葛藤を孕んだ眼差し。きっと、恋敵である俺にこんな事は言いたくないのだろう。敗北宣言にも似た、言葉だから。


「諦めきった訳ではありません。ですが、彼女の幸せを望むのは変わりません」

「……それがお前の答えか?」

「ええ」

「……そうか」


 苦渋に満ちた眼差しながらも、リズの幸せを望むという言葉に嘘の響きはなかった。

 恐らく、悩みに悩んだ末の結論だったのだろう。唇を噛み締めて此方を強く見詰めてくるこいつは何処か泣きそうな雰囲気で、それでも俺の前では絶対に涙など見せないのだと分かる。


 ……俺は、ジルを押し退けてでもリズが欲しかった。その結果なのだ、ジルからの憎悪は受けても仕方ないだろう。受ける覚悟はある。

 だが、悔しそうではあるものの、殺意を孕むような憎悪は見えない。ただ、本当に苦しそうに歯噛みするだけで。


「……恨まないのか?」

「正直恨めしいですが、リズ様の選択です。私が指図出来るものでもないし、私のせいでリズ様の笑顔が損なわれる方が余程苦痛です」


 私はリズ様の従者ですから、と恨み言を吐きたいだろうに強固な意思で押さえ付けたジルは、ふと此方から目を逸らして。


「……リズ様を不幸せにしたら、承知しませんので」

「……ああ」


 捨て台詞であり、ジルなりの応援の言葉に苦笑して、俺はリズがこっちに戻ってくるのを待つ事にした。もう、隠すつもりのない感情をどう伝えようか、考えながら。




◆◆◆




「……父様」

「おお、リ……ズ……?」


 ちゃんとノックをしてから入ると、父様は私を見た瞬間何とも言えない困った表情をしていました。

 私はそのまま扉を閉めて父様の向かう机の前に立つと、窓ガラスがピリリと音を立てて震えます。互いの間には何故だか緊張感があり、それによって窓ガラスが揺れたのでしょう。


「父様、セシル君の件について伺いに参りました」

「……リズ、取り敢えずその魔力仕舞え。部屋のガラス割れるだろ」


 無意識に魔力を立ち上らせていたらしく、父様に指摘されて漸く事に気付き魔力を意識して内側に留めます。……自分でも自覚してないくらいに怒っていたのかもしれません。

 こほん、と咳払いをしつつ真っ直ぐに父様を見て、視線でまずは問い掛けます。生半可な気持ちでは父様からは聞き出せないでしょうから、私が真剣な気持ちで説明して貰いにきたのだと。


「父様はセシル君に何をさせたのですか」


 単刀直入に、ただ事実を聞きたくて。

 本音を言えばもっと聞きたい事はありますが、大切なのはセシル君に何をさせて、何故あんな事になったのか。それだけ聞ければ概ね満足です。

 二人の間で交わされた約束を教えてくれるとは思いませんし、私が知りたいのは行動と理由です。感情論とかその辺りは今は置いておきましょう。


「反乱の芽を摘んで貰った。元々、前導師が蒔いたものだったからな」


 父様も私の眼差しに何かを感じ取ったのか、溜息の後に言葉を紡ぎます。

 予想通りと言えば、予想通りです。セシル君と父様の会話から導き出されたものはそれだったので、驚きはしません。けれど、私が聞きたいのはもっと深いところの問題で。


「直系であるセシル君に、それを任せたのですね。では、何故一人に任せたのですか。小規模ならセシル君が傷を負うとは思えません。かと言って大規模なら魔導師が動員される筈。それなのにセシル君以外の動きはありませんし魔導院が騒いだ様子もなかった。つまり、セシル君一人に、任せたのですよね?」


 私が聞きたいのは、此処です。

 何故セシル君があれほどまでの怪我を負うなんて、相当な規模か手練れを相手にした時くらいしか想像出来ません。けれどセシル君を出し抜ける程の相手が居るならば、普通は父様が出る筈です。人員を増やすという手段もあったでしょう。

 そもそもセシル君が苦戦する相手など殆ど居ないでしょうから、規模が大きかった、という結論に至るのです。


 それを考えてより分からないのが、何故セシル君を一人で行かせたのか、という事。相手は分かりませんが調査で父様達を出し抜けるなど思ってませんし、父様は規模が大きいと分かって行かせたのですよね。

 何故、一人、若しくは極少数で行かせたのか。


 推測は正しかったらしく、額を押さえて「やけに鋭いな」と零す父様。


「気取られたくなかった、極秘の処理案件だったからな。……つっても納得しないよな?」

「ええ」

「……これで試すべきじゃねえとは思ったんだよ。あいつにも選択権は与えた。納得の上であいつは行った」


 何を試すのか、私には分かりませんがセシル君を試したのは事実。危険だと分かって、父様はセシル君を送り出した。いえ、父様の役職上指示して行かせた、と言った方が正しいでしょう。


「行かせた、のでしょう」

「そうだな、魔導院を治める俺の判断だ」

「死ななかったから良かった、ですか?」

「結果としてはそうなるな」


 父様の一言は、導師としてのもの。

 それは、分かっていますが……セシル君の命に危機があったと知った私にとって、それは酷く冷たく聞こえて。


「怒っているか?」

「これが怒っていないように見えますか」

「俺の判断が間違ってる、そう言いたいんだな?」

「……長としては、正しいでしょう。人を使う立場に居る者としては、間違ってないと思います。私が納得してないだけです」


 分かっては、いるのです。けれど、感情として納得出来るかどうかは別問題で、私は初めて本当に父様に対して怒りに近いものを感じていました。

 この何とも言えない感情を父様に当たるのも筋違いだから、どう消化していいのか分からずに唇を噛み締めては長としての顔を見せる父様を睨みます。

 悪いのは、父様でもセシル君でもないけれど。


 歯噛みする私に、ふと父様は気を抜いたようにふっと空気を抜くように笑って。


「……これが親離れってやつか。愛されてんな、あいつも」

「……っ」


 父様に見抜かれた事よりも、茶化したような言葉が恥ずかしくて頬を染めると、父様の苦笑は濃いものへと変わります。

 それは、魔導院の長としてではなく……当主として、そして父親としての、もので。


「じゃあ親として言わせてくれ。娘の危険を払う事の出来ない男に娘はやるつもりないんだよ。リズが標的に入っていたからこそ、セシルはあんなにも死に物狂いで、危険を承知で仕事をした」

「セシル君、そんな事」

「言う訳ないだろ、あいつが。……何だかんだで格好付けたがりだ、リズが知らないところで結構頑張ってるんだぞ。リズが笑って過ごす為に」

「私の、為……?」


 だから、私に言わなかったの?

 私に心配をかけないように。私に気取られないように。私が気に病まないように。


「……幸せ者だよ、リズは。純粋に想われて」


 柔らかな苦笑と共に呟かれた言葉に、私は息を飲んで……それから、踵を返します。

 もう、怒りなんてない。寧ろ罪悪感と、感じてはならない、喜び。不謹慎だって、分かってるけど。ぐちゃぐちゃになった感情を押し留めて。


「……失礼します」

「ああ」

「父様、責めてごめんなさい。でも、ちょっと怒ってるから当分父様には手作りのお菓子あげないんですから」

「それは残念だ」


 先程までの雰囲気を壊すように軽口を叩くと、父様もまた愉快そうに笑って。

 扉まで歩いて振り返り、私は自分が出来得る限りの笑顔を浮かべました。


「父様、大好きですよ」

「……俺もだよ、愛しのリズ」


 責めてごめんなさい。そして、許してくれてありがとう。

 言葉には出さずに口の中に留め、父様の穏やかな笑顔を背中に受けながら走り出しました。伝えなくてはならない事を、伝える為に。


「……あー、親離れ早い」




「セシル君!」


 急いで仮眠室に戻ると、ジルが出迎えてくれて私と入れ替わりに研究室から出ていきます。きっと、私の剣幕に何かを感じ取って、気を使ってくれたのでしょう。

 横になっていたセシル君は私が息を切らしてまで急いで戻ってきた事に驚いているらしく、起き上がっては窺うように覗き込んで来ます。


「上でやり合って来てないよな」

「してません!」

「じゃあ何でそんな息切らしてんだよ」


 そんな暴力で聞き出したりなんかしたりしません、と不満を露にすると、急いできた事を指摘されて少し反応に困ります。

 い、勢いでセシル君の所に返ってきたけれど、私はどう伝えたら良いのでしょうか。想いのままに伝えていきなり過ぎとか、思われたりしないでしょうか。


「えっと、セシル君に言いたい事があって走って来ました」

「どうした、責めるなら責めてくれても構わんからな」


 違う、責めるつもりなんてない。全部聞いてしまった以上、責めたりなんて出来ません。


「……セシル君の口から、何であんなに頑張ったのか、聞かせて下さい」

「仕事で、」

「私の為、なんですか」


 確信を持って問い掛けると、セシル君は「あのあほ」と此処には居ない父様に向かって舌打ちしていて、それが何よりも父様の話が真実だったのだと裏付けます。

 私が唇を閉ざしているのを見たセシル君が溜息をついて、ぐしゃぐしゃと頭を掻き乱す。あー、と呻いては此方を見て、それからまた嘆息。


「……厳密には違う」

「え?」


 でもそれじゃ父様の話と、と思った私に、セシル君はふと美しい満月をこちらに真っ直ぐに向かわせて。


「自己満足だよ。自分勝手な思いだ。惚れた女を守りたいって思うのは、当然だろう」


 告げられた言葉に固まったのは私だけではなく、この場の空気まで。

 シンと静まった空間に、私とセシル君は二人きり。

 私はセシル君に言われた言葉を受け止めて噛み砕くまで時間を要していたのですが、セシル君は混乱する私なんか気にした様子もなくただ私を見詰めていました。


「そもそも一人で突撃したのも、嫁がせるなら自分で嫁くらい守れるようになれ、安全にしてみせろって条件があったからだ。最後にドジ踏んだけどな」


 その言葉に漸く合点がいったと共に、一気に熱が頬に押し寄せる。父様の話で何となく理解はしてきた、つもりですけど、面と向かって言われるのは全然違う。

 セシル君が、私の事好き、で。結婚を前提に全部動いてくれていた、だなんて。

 とても嬉しくて、でも恥ずかしくて、頭がぐるぐるしてきて仕方ない。胸の奥にこもっていた炎を直接吹かれて燃え上がらされて、全身にくまなく広がっていく熱。きっと、セシル君からは真っ赤になった私が見えている事でしょう。


「まさかこんな間抜けな形で言う羽目になるとは」


 雰囲気も何もないな、と苦笑したセシル君に、私はもう堪えきれなくてベッドから体を起こしていたセシル君に抱き付いてしまいました。

 うお、と言いつつも難なく受け止めてくれたセシル君に、病み上がりだから激しい事はしちゃいけなかったと後悔する私。

 セシル君は気にした様子もなく頭を撫でて来るから、心地好さに瞳を細めて……って忘れちゃ駄目です。私からも、ちゃんと言わなきゃ。


「わ、私も、好きです」

「知ってる」


 そしてさらっと受け止められた私は、思わずセシル君を二度見。当の本人は実にあっさりしたお顔で頷いていて、何だか私が負けた気分になるのは気のせいでしょうか。


「……しれっと言わないで下さい」

「分かりやすいからな、お前は。顔に出ていたし」

「そんなにですか!?」


 でも好きだと自覚したのはついこの間の事ですし、いつの間に……と頬を押さえていると、セシル君が「お前は無意識に好きって態度に出てた」との一言。

 ……自分で自覚する前から感付かれているというのは何だか複雑です。でも、だからあんなに、セシル君は……甘くて、私に触れてきたんですね。


「確証を得るまでは何も言わなかったのは、ちょっと卑怯だったな」

「で、でも、私だってセシル君が私の事特別扱いしてるの、何と無く分かってましたもん」

「意識的にそうしていたからな」

「ううう」


 そう言われると何も言えません。

 という事はセシル君って私が無意識に好きだと思うようになった時より前に私の事、好きになったんですよね? 一体いつからだろう……?

 また今度聞いてみようと心に誓いつつセシル君にぺとりとくっつきながら見上げると、セシル君は至近距離が照れたのか頬を染めては私を熱っぽい眼差しで見下ろして来ます。


「俺で、良いんだな?」

「……セシル君が、良い」

「そうか。俺もお前が良い、他の誰かなんて考えられない」


 あ、と息を飲むと、セシル君はゆっくりと私の背中に手を回して。


「俺は、もう遠慮もなくお前を抱き締めても、良いんだな?」

「……うん」


 私『が』良い、そう言ってくれた。こんなにも、早く。

 じわりと染み込む言葉に自然と頬が緩んで仕方ない。これでもかという程に顔をとろけさせて、私はセシル君の体に手を回します。怪我していた事を考えて少し弱めの力でいたら、セシル君の方から足りないと言わんばかりにぎゅっと抱き締められて。

 

 好き、ともう一度囁くと、私を包んだセシル君もいつになく幸せそうに微笑みました。

 初めて見た、純粋な喜びに笑顔。私を愛おしそうに眺めては頬をうっすらと赤を落とし、俺のものだと主張せんばかりに大切に大切に抱き締めて来るセシル君。


 仕草一つが私を愛でるようで少しだけ照れ臭かったけれど、幸せなのには変わらず、私もとろけた笑顔のままセシル君に身を預けては瞳を閉じました。

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