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もう一つの物語  作者: 佐伯さん
本編
26/52

26 「お前を嫌う訳ないだろ、有り得ない」

 普段不必要に意識しては仕事にならないので、なるべく普段通りにとセシル君に接するように努力した結果、まあ触られてどきどきとか見るだけでどきどきとかはしないようにはなりました。不意打ちされると気恥ずかしさは浮かぶものの、目に見えて狼狽えたりぼーっとしてしまう事はもうないです。

 セシル君は動揺なんて見えませんしいつものまま。意識する前となんら変わりない状態。あのお出掛けの時のような顔は、もう見せてくれません。それが、少しだけ……寂しかったり。


 本人に言える筈もなく、そして自分でも気持ちは定まりきってなくて、少しだけ胸の内にもやもやを残したまま、日々を過ごす事になって。


「……あれ、セシル君居ない?」


 いつものように研究室を覗くのですが、肝心のセシル君が見当たらないのです。いつもならもう仕事を開始している時間帯なのですが、今日ばかりは研究室に姿がありません。

 まあいつも絶対に居るという訳ではないので、書庫とか父様の執務室とか、その辺りに行ったのだろうと納得しておいて一人で仕事を始めるのですが……二時間経っても帰って来ないのです。


 今日は仕事で居ると聞いていたので、流石におかしいと私も思い立ち、じゃあ何処に居るのだろう、と考えた結果が仮眠室ではないかというものです。

 あんまりセシル君が寝坊とは考えられないのですが、一つの可能性としてそういうのも有り得るかな、と。


 研究室から繋がる仮眠室は最早セシル君のお部屋になっているらしくて、本当の部屋はあまり戻らずに此方で生活する事も多いそうで。

 もしかしたら、そのまま寝てて起きてこなかったとかもあるかもしれません。

 仮眠室に居るのかな、と仮眠室に繋がるドアをノック。けれど、返事は返ってきません。……寝ているのか、それとも本当にこの部屋に居ないのか。どちらかは、確かめてみない事には分かりません。

 こっちにはあんまり近付くなというか入るなと言われてるので、多分入らない方が良いのでしょうけど……ちょっとくらいなら、良いですよね……?


 ちょっと申し訳なく思いつつもセシル君を探す為だと言い聞かせて、私的に禁断の扉をゆっくりと開けて……。

 ガチャリとドアノブを回すと鍵は掛かっていなかったみたいで簡単に回り、ドアを押して仮眠室と研究室の空気を繋げます。鍵が掛かっていたなら諦めたのですが、あっさり開いてしまって為にそのまま部屋に入る事に。好奇心がないと言ったら、嘘になりますが……セシル君を探す為、ですし。


 部屋の中を見ると、仮眠室というか少し狭めの普通の部屋。簡素なベッドと机に椅子、本棚があるくらいです。椅子にコートが掛けられているのが唯一生活感を出しているくらいで、私室に近いとは言え仮眠する部屋だからほぼ何もありません。

 ベッドにもセシル君は居なくて、じゃあ何処に居るんだ状態です。出掛けるなら書き置きなり言伝なり何なりすると思うのですが……。


 居ないのか、と吐息を零してドアを閉めようとして、ふと机の上に、白銀の輝きがある事に気付きます。

 近付いて見てみると、掌に収まるサイズ。そして私が以前見たものよりもずっと清廉な輝きをしていました。

 ミスリルというのは分かるのですが、ずっと質が良いもの。陛下に献上する際の物もとても良いものではあるのですが、それに負けず劣らずな品質だと見た目で分かります。そういえば、この間セシル君が注文していたような……。

 個人用だとは言っていましたが、何に使うんだろう。


 何だろうな、と窓から差し込む光を受けて煌めくミスリルを眺めていると、背後でガタンと音がして。

 振り返ると、私が探していた人が丁度研究室に戻ってきた所でした。何処に行っていたのでしょうか、ちょっと不安になってたから帰ってきてくれて良かったには良かったのですが……。


 ほ、と安堵した私とは対照的に、セシル君は私の姿を見て目を丸くし、それから徐々に瞳を細めていきます。それは歓迎的な眼差しではなくて、寧ろ、やや焦りの見える疑わしそうな眼差し。


「此処に入るなって言ったよな」


 セシル君の声は、低く唸るような声。

 思わず体を硬直させた私に、セシル君は近寄って肩を掴んで来ては刃物のような鋭い眼差しを向けてきました。普段は柔らかな表情が、今は厳めしく歪んでいて、焦燥に懐疑、怒りが混ざったような表情に。


「注意したのに入るのはどういう了見だ」


 ……どうしよう、凄く怒ってる。

 セシル君は部屋に入るなって言ったのに、私が言いつけを破ったから。セシル君は優しいけれどけじめは付ける人間ですし、私が約束を破った事に腹を立てているのでしょう。

 嫌がる事を、してしまった。やっては駄目だと分かっていたのに。これは私がセシル君なら許してくれると調子に乗っていたからでしょう、セシル君だって嫌なものは嫌で、怒る時は誰であろうと怒るのに。セシル君の信頼に甘えて、侵してはならない場所を侵してしまった。


「おい、聞いてるのか」

「ご、ごめん、なさい」


 声からしてとても不機嫌そうなセシル君に、私は目頭が熱くなって堪らず俯いて肩を寄せます。後悔や罪悪感が押し寄せて鼻の奥がツンとするけど、此処で泣いてしまったら、涙でうやむやにしたなんて事になるから、我慢。

 セシル君の信頼を裏切ったのは私ですし、約束を破ったのは私です。なら怒りを受け止めるのは当然の事でしょう。


「もう、こんな事しません。ごめん、なさい」


 震える声でちゃんと謝り、きっちりと腰を折り誠心誠意謝ります。親しき仲にも礼儀あり、というのを履き違えていた私が悪いですし、セシル君が怒るのもごもっともです。最近距離が近くなったからって、してはならない事をしてしまった。

 セシル君の顔を見るのが、怖い。怒っていると思うと顔が上げられなくて、体勢を直しても俯いたまま。少し零れた涙を拭って、セシル君の横を擦り抜けて部屋を出ていきます。


 セシル君の呼び止める声が聞こえたので「頭を冷やしてきます」とだけ言って、怒られる事覚悟で廊下を走り、今の時間帯人気のない場所に。魔導院の寮の所なら今は殆ど人は居ませんし、端っこの階段の所ならばまず人気はありません。


 落ち着くまでは暫くセシル君に顔を見せられない。泣かせたなんて思われたらセシル君罪悪感抱くでしょうし、これは私が自分の愚かさに勝手に泣いているのです。セシル君に心配など掛けたくありません。

 仕事を放り出してきてしまったのは申し訳ないですけど、この情けない顔を見られるくらいなら少しサボってしまいましょう。頑張れば取り返せるくらいの量ですし。


 はしたないとは分かりつつも階段の段差に腰掛け膝を抱えて鼻をぐずぐずと啜っていると、影が差します。

 俯いていても気配は感じられるので恐る恐る顔を上げると、息を荒げたセシル君が立っていて。何で、追いかけてきたんですか。あんなに怒ってたのに。


「おい」


 びく、と体が震えてしまう。声はやっぱりまだ棘があって、セシル君の機嫌を損ねてしまったとじわりと浮かぶ涙に、セシル君はちょっと困った顔をして。


「怒ってないから、泣くな」


 ……慰めだって、分かってます。セシル君優しいから、私を気遣ってくれてる事くらい。さっき怒ってたのは本気だったって分かってるから、素直に首肯出来ません。

 じわじわ浮かぶ涙を手の甲で擦ってまた俯く私に、セシル君は「あー……」と何とも言えない声を上げて、私に近寄ります。当然私が体を反射的に縮めるのですが、セシル君は構わずに近付いてしゃがみ込んで。

 膝裏と背中に手を回されて、気が付けば体が浮いていました。


 いきなりすぎて反応が出来ない私にセシル君は丁度良いと手頃な部屋……というか、セシル君自身の部屋に、私を連れ込んで。あんなところで泣かれてもそりゃあ迷惑だって、分かりますけど……。


 顔を少し上げると、八年ぶりの、セシル君の部屋。あの時から殆ど変わっていません。ソファーが新しくなったくらいで、位置はそのまま。仮眠室をよく使っていると言っていますが、掃除は行き届いているらしく清浄な空気。

 その新しくなったソファーに、セシル君は私を下ろして、隣に腰掛けます。膝を抱える前に、私の手をセシル君が包み込んで。


「その、さっきは言い過ぎた。ごめんな、きつく言って」

「ちが、私が悪いんです、セシル君の部屋に勝手に入ったから……」

「反応が過剰だったんだよ。ごめんな、傷付けて。怒ってないから、泣くな」


 子供を宥めるように頭を撫でられて、暖かさが余計に染みてまた涙が滲むのですが、セシル君が慌てて頭をぐしゃぐしゃと撫でてあやしてくるのでそれどころじゃありません。

 流石にもう、と顔を上げるとセシル君の瞳と出会って、少し止まった私の目尻をセシル君の指が拭います。


「大丈夫だから、怒ってないから。焦ったっつーか」

「……焦った……?」

「まあ、ちょっと怒りはしたけど、あれは俺の迂闊さに怒ったっつーか……あんま見られたくないものを起きっぱなしにして、リズ放って出掛けてた俺にも責任あるから」


 だから気にしないで良い、と柔らかい声音で囁かれ、やっぱり気遣わせてしまったというのと、セシル君に許してもらえたという安堵に、またじわりと涙が浮かびます。セシル君はセシル君で慌てて涙をごしごしと拭くのでちょっと後で赤くなりそうですが、そんな事はどうでもよくて。


「……きらっ、嫌いになってない……?」


 今更ながらに、自分が何で泣いてたのかが分かります。怒られたのが怖かったのじゃない、嫌われるのが怖かったから。セシル君に愛想を尽かされるのが怖かった。自分勝手な感情だと分かっていても、嫌われたくなかった。


「何馬鹿な事。お前を嫌う訳ないだろ、有り得ない」


 そんな事心配してたのかお前、と苦笑と共に今度は優しく頭を撫でるので、込み上げてくる感情に我慢出来なくなって、そのままセシル君の胸に飛び込みます。

 ぎゅ、と昔よりも遥かに逞しくなった胸板に顔を埋めると、セシル君は分かりやすく狼狽えて、でも戸惑いつつも受け止めて。少し掌のやり場に困ったらしいですが最後に背中に手を回してくれて、温かい掌が私の背中をぽんぽんとあやすように叩いてくれました。

 子供のような扱いでしたけど、それが何だかほっとして。


 嫌われなくて良かった、と心から思います。セシル君に嫌われるのは、嫌。セシル君に嫌われたくない。セシル君に嫌われたら、私……。


 そこで、あれ? と。

 胸の中で生まれた、小さな疑問。

 私はどうしてこんなにもセシル君に固執しているのでしょうか。勿論大切な人だからというのもありますけど、そんな大人しい性質のものじゃない。セシル君が側に居てくれなきゃ嫌、ずっと隣に一緒に居て欲しい。一緒に、過ごしていきたい。

 ぎゅ、と抱き付くと、体がぽかぽかしてくる。幸福感にも似た、けれど焦燥感も伴う、不思議な心臓の高鳴り。もっと触れて欲しいと願うのは、どうしてでしょうか。


 ……どきどきするのは、何で?


「……ぁ」

「リズ?」


 顔が、上げられない。

 ……何というか、非常に単純な事で悩んでいたみたいです。というか悩んでいたのが馬鹿らしくなるくらいに分かりやすかったみたいですね私。父様やルビィだって示唆してくれてたのに、変わるのが恐くて認めようとしなかったから。

 何で、素直に好きだって自覚出来なかったのでしょうね、私。


 ……何か自覚すると、物凄い恥ずかしくなって来ます。今の状況とか、特に。つまり、好きな人に抱き締めて貰ってるのですよ、ね? い、いえ、前からこういう事はあったから死ぬ程どきどきするとかは、ないですけど……!


「……な、何でもないので暫くこうさせて下さい」

「ま、まあ好きにすればいいが」


 多分今顔を上げたら顔が真っ赤なのは間違いないので、暫くセシル君の胸に顔を埋めます。温かくてしっかりしてて、良い匂いがする。……私、この感覚がとても好き。

 ぎゅ、と密着すると、胸の奥からセシル君の心臓が普段よりもずっと早い速度で鼓動を刻んでいる事に、気付いてしまって。どきどき、してくれてる、のでしょうか。


 そうだったら嬉しいのに、とくっつくと、セシル君はセシル君で少し身動ぎをした後に私の耳を撫でるのです。多分、真っ赤になってる耳を。

 バレてしまって恥ずかしいですがどうしようもなくて、こっそりと顔を上げセシル君を見ると、目が合う。金色の双眸が私を捉えては目を白黒とさせ、それから柔らかく緩んで。少し染まった頬でゆっくり抱き締めて来るセシル君に、余計に恥ずかしくなって、やっぱり顔を元に戻します。


 ……こんなに優しくされると、勘違いして良いのか、分からなくなります。セシル君にとっての特別が、どういうものなのか。


 本人に聞くのは恐くて、私はただセシル君にくっついて暫くの間温もりを共有するのでした。

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