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もう一つの物語  作者: 佐伯さん
本編
23/52

23 「……ばか」

本日は二話連続投稿です。一話が長かったので分割しました。一つ目の投稿である前話を見ていない方は前話からどうぞ。


 そして、セシル君は私を気遣いながら歩いてまた別のお店に案内します。

 辿り着いたのは、小ぢんまりとしたお洒落な雰囲気のお店。立て看板には店名しか書いてなくて何屋さんなのかさっぱりですね。でもセシル君は此処がお目当てだったらしく、そのまま立ち止まる事なく店に入って行きます。


 首を傾げる私を余所にセシル君は迎えてくれた店員さんに「予約していた者だが」と伝えると、セシル君の姿を見て店員さんはにこやかな笑顔で席に案内させて頂きます、と前を歩きだしました。


「……えっと?」

「良いから」


 一体何なのでしょうか、という疑問には答えてくれません。ただ察するに何か食べ物関連のお店なのだとは思います。ほのかに甘い匂いがするというか。

 ただ他のお客さんは見えない、というかどうやら個室らしく一体何のお店なのかは相変わらずさっぱりです。


 そして案内された個室に辿り着いて、セシル君が椅子を引いてくれたので素直に座りつつセシル君を見上げます。紳士さんなのは嬉しいのですが、説明が欲しいというか。

 首を捻る私にセシル君は正面に座って、店員さんが離れていくのを眺めるのです。注文はしていないのですが、多分前以てセシル君が注文していたらしいですね。予約、という言葉に何だかちょっと緊張してしまいますね、セシル君は何を……?


「あの」

「良いから。多分、がっかりはさせないと思う」


 何なのかは聞き出せないのですが、セシル君がそこまで言うなら……と大人しく、いえそわそわしながら待機なのです。そんな私にセシル君はちょっと面白そうに笑って眺めていて、微妙に恥ずかしかったり。


 そうして暫く待っていると、店員さんが再び個室のドアを開けて入ってきます。手にはトレイを持っていて、その上には……。


「お待たせ致しました」

「あ……」


 私の目の前にことんと置かれた、グラス。それには上に鮮やかな赤の果物が乗っており、縦長のグラスの中は果物の赤とアイスクリームの白、ムースのピンクが折り重なって層を描いています。

 多分、というか間違いなくこれはパフェで。


 まさか此処でパフェが食べられるとは思ってなくて、ついつい鮮やかなグラスを凝視して……セシル君にくくっと喉を鳴らされ笑われてしまいました。

 恥を感じた時にはもう遅くてセシル君の愉快そうな笑み。店員さんも微笑んで「ごゆっくりどうぞ」と柔らかい声音で言って個室から出て行きます。


 二人になったのは良いのですが、セシル君が面白そうに此方を見てくるので何だか恥ずかしい。そ、そんなに目の色変えてましたかね、私。


「え、えっと、これは……」

「お前、苺好きだろ」

「はい、凄く美味しそうです!」


 思わず笑顔で答えてしまってまた笑われてしまいます。ち、違うんです、これはその、目の前のパフェが美味しそうだったからつい本音が。

 正直な感想が口をついて出てしまったのでセシル君が非常に面白そうにしていて、何か物凄くむずむずするというか。そんなに笑わなくても良いのに。


「此処の、美味しいらしいから。ほら、食べろ」


 私の為に頼んでくれたらしいです。現にセシル君の手元には紅茶しかなくて、どう考えても私に食べさせるつもりで此処に来たみたいで。

 ……セシル君甘いものそんなに好きじゃないから自らこんな店に来ないでしょうし、予約をしてくれていたって事はわざわざこういうメニューがあるって調べてくれた、んですよね。


 それに、これ、絶対数が限られてるものだと思うんです。最下層にカットされた苺がごろりと入ったゼリー、その上にベリー系のムースがあるから、冷やし固める時間を考えて明らかに要予約のものでしょう。


「……調べて予約まで取ってくれてたんですか?」

「別に」

「でも予約って」

「うるさい。良いから食べろ」

「……はい」


 ちょっとツンツンした物言いは照れ隠しだと分かるので、私も照れ隠しに笑って用意されていたスプーンを手に取ります。


 セシル君の気遣いをありがたく思いつつ、頂きますの一言と共に上に乗っていた苺とクリームを口に運んで頬を緩めました。

 新鮮なものを使っているのは、見た目で直ぐに分かります。瑞々しく、噛めば甘酸っぱい果汁が溢れてきて濃厚なクリームと合わさり、絶妙な味に。苺単体でも美味しいのに、甘さ控えめの生クリームと合わせればそりゃあ美味しいに決まってるのです。


「美味しいですセシル君」

「分かったから食え」


 何とか感動を伝えようと思ったのですが、セシル君は感想は良いからとの事。分かち合いたかったのですが流されては仕方ありません、セシル君のご厚意に甘えさせてもらう事にしましょう。


 そんな訳でセシル君に見守られながらパフェを食べる訳ですが、セシル君がわざわざ予約するだけあってとても美味しい。

 素材の質はさることながら、層を作る一つの要素であるベリーソースの程好い酸味といい、滑らかなソフトクリームの口どけ感といい、まったりとした甘酸っぱいムースといい、食べる人の舌を喜ばせるように組み合わせて調度良い味にしてくれているのです。

 勿論それ一つでも美味しいのですが、一緒に食べる事で相乗効果を発揮していると言うか。


 飽きさせないように配慮してそれぞれ甘さや食感の違うものを重ねてくれているので、全然飽きが来ません。口に運ぶ度ににこにこしてしまうのは私が悪い訳でなく、パフェが美味しいから悪いのです。


 一口一口を大切に味わいながら舌鼓を打つ私に、セシル君はうっすらと苦笑。


「ケーキの時も思ったけど、お前は幸せそうに食べるな」

「甘いもの大好きですから」


 だから顔が緩むのは仕方のない事なのです。美味しいものを食べて幸せな気分に浸るのって、凄く幸せな事だと思うのですよ。

 セシル君のお陰でこんなに美味しいものを食べられたので、私は大満足です。私に気遣ってこういう場所を予約してくれるなんて、セシル君は本当に優しいのですよ。


 ついついだらしなくなる頬のまま次の一口を運ぼうとクリームをスプーンで掬う私。セシル君は相変わらずの穏やかな眼差しで、私の事を見ていて。


「……可愛い」


 吐息と一緒に零された言葉に、一瞬我が耳を疑ってしまいました。え、今ナチュラルに呟かれた気が、か、可愛いって。

 セシル君を見ても恥じらった様子はなく、寧ろ私の手を見て呆れた眼差し。視線の先を辿ればスプーンから生クリームが落ちていて、もう片手の指に乗っかっていました。動転してスプーンから落としてしまったみたいです。


「何やってんだよお前」

「だ、だってセシル君が」

「何か言ったか俺?」


 結構無意識に言ってたらしいのか、不思議そうなセシル君。何を言ったかなんて記憶にないみたいで、逆にそれが恥ずかしくて仕方ない。だって、無意識って事は、本当に思っていてくれた、みたいで。

 そんなまさかと思いつつも、セシル君は時々称賛の爆弾を落としてくから有り得ない訳じゃない。けど、そう思ってくれてる……のも、恥ずかしい。


 何か頬がかっかして来て仕方ない私に、セシル君は溜め息。それから此方に手を伸ばして何をするかと思えば、結構に指に落ちた生クリームを凝視。それから、ふと私の手を取りクリームのついた指を口に付けます。

 へっ、と声が漏れた瞬間には指ごとクリームが舐めら、何とも言えない感覚が背中を震わせました。


 い、嫌ではないし気持ち悪いとかそんなのでもないけど、な、何かこれはかなり恥ずかしいです。クリームのぬめりに混じって舌のざらつきを感じて、余計に。

 あま、なんて呟きと共に舌で唇を舐めるセシル君に、私の視線は釘付けになってしまいます。な、何だか異様にセシル君が色っぽいと言うか……。


 突然過ぎて何も言えなくてセシル君にさせるがままでしたが、セシル君も漸く私の顔を見て事に気付いたらしく慌てて口から離してナプキンでごしごしと指を拭かれました。セシル君の顔も私に負けず劣らずの真っ赤。


「ご、ごめん、美味そうだったから、つい」

「い、いえ。美味しいですから、セシル君も食べたら良いと思います」


 私を食べるのは困りますけど、と小声で付け足すとセシル君余計に恥ずかしくなったらしくそっぽを向いてしまいました。

 何だか無言になると恥ずかしくて、私は席をごそごそと移動させセシル君の隣に。ぎょっと目を瞠るセシル君を見上げます。


「せ、セシル君も食べましょう? 美味しいものは分かち合うべきです」


 ほら、とムースを掬って片手を下に添えつつセシル君に差し出すと、見るからに強張る表情。前はこれくらい恥じらいながら食べてくれたのに、今回ばかりはかなり抵抗があるみたいです。

 ……さっきの事を考えるとそりゃあちょっと恥ずかしいですけど、それを忘れる為にも食べて頂きたいのです。それに、本当に美味しいんですから。


 いやですか、と首を傾げて見上げればちょっと躊躇いがちに口を開かれたので、その隙間狙ってムースを届けます。美味しいでしょう?と少し熱い顔を誤魔化すように笑いかけるとセシル君咀嚼とは別に口をもごもごさせて、小さく頷いてくれました。

 ただそれから私からスプーンを奪い取って同じ事をした辺り、恥ずかしくてやけになってるみたいですけど。


 差し出されては食べるべきだろうとくわえてパフェを堪能。おいしーと笑ったらセシル君が複雑そうな顔をしてまた次の一口を差し出してくるのです。

 セシル君に食べさせて貰うというなんだか不思議な状態が出来上がってますが、セシル君の意思なのでどうしようもないという。


「……餌付けしてる気分だ」

「失礼ですね」


 なんて事を言うのですか。


 じゃあ私もセシル君に餌付けしますとセシル君から奪い取ってまた同じ事をしたりして完食したのですが、食べ終わった後二人してこれは食べさせっこという事に気付いて顔を赤くする羽目になるのでした。


 そして店を出てから、またセシル君に手を引かれて別のお店に。今度こそある意味で想定外の場所で、思わずセシル君と看板を交互に見てしまいましたよ。


「……ぬいぐるみ屋さん?」

「悪いか」


 セシル君とは最も縁がなさそうな女の子向けの可愛らしいぬいぐるみがショーウィンドーに飾られたお店。ガラス越しにもぬいぐるみが店に沢山陳列されているのは分かります。


「いえ、セシル君そんな趣味が……」

「俺にあるか! お前だお前!」

「私?」


 何で私?と首を傾げると、セシル君は何だか言いにくそうに頭をぐしゃぐしゃと掻き乱し、それからやや視線を逸らして。


「……お前、ぬいぐるみ好きだろ。部屋に結構置いてあったし」


 小さく絞り出された言葉に、私の頬も少しだけ赤くなってしまいます。

 ……そういう細かい所、覚えてくれていたんだ。まあ熱を出していた時はセシル君二、三日に一回は部屋を訪れてくれていたから目につきやすかったのかもしれませんが。


「……てっきり子供っぽいと馬鹿にされるかと思ってました」

「女なんだから別に好きでも問題ないだろ。それに、ミストにも買っていけばいい。お土産として」

「それは妙案ですね。じゃあ見ていきましょうか」


 セシル君は素っ気なく答えましたが、気遣いは感じます。セシル君は好みに関して否定する事はないんですよね、まあ偶に軽く馬鹿にしたりはするかもですがそれも冗談で否定するような事は言いません。

 多様性を認めてくれるのは、本当に凄い事なのだと思います。


 じゃあミストにもお土産買いましょうか、と微笑んでセシル君とお店に入って、私だけにこにこ顔。この歳になってぬいぐるみの数々を見て興奮するなんてお恥ずかしい限りですが、セシル君も認めてくれたから良いのですよ。


 お店には色々な動物のぬいぐるみが所狭しと並んでいて、愛らしい瞳が此方を向いています。こう表現すると何だか怖い気もしますが、普通に可愛いのですよ? ほらそこの羊さんなんてつぶらな瞳が素敵じゃないですか。


「……ミストに買うとしたらあんまり大きくないのが良いですよね」

「そうだな」


 店内を物色する私達ですが、ミストの事を考えるとあまり大きいものは与えられません。抱え込むのが好きなので、小さな体でも抱き締められるくらいの大きさのが良いんですよね。大きいのはまた買い与えれば良いですし。

 店に並ぶのはどれもこれも可愛らしいのですが、ミストの体にはあんまりサイズが合わないのです。


 良い感じの物はないかと探して数分、結構小さめのテディベアを発見いたしました。青のリボンを結んだ、つぶらな瞳の熊さん。

 このサイズならミストにフィットしそうですね。それに毛っぽい素材でなく布製の頑丈そうなものという所が良いです、ミストが毛を毟ろうとしても困るので。


「これなら良さそうじゃないですか?」

「それにするか?」

「うーん、どうしましょう。あっ」


 ちょっと悩ましいなーと口許に手を当てて考えていたのですが、ふと視界に一つあるものを見付けてそちらに吸い寄せられてしまいました。セシル君の「どうした?」という言葉に、私はそのぬいぐるみを手に取りセシル君の眼前に持っていきます。


「これ、セシル君っぽいです」

「俺?」

「ほら、白に金の瞳の猫さん。似てません?」


 ふわふわの毛並みを再現した、白猫のぬいぐるみ。セシル君って犬よりは猫っぽいイメージがあるのですよね、気軽に触ったら引っ掻かれるけどなついたら擦り寄ってくれそうな感じの。……本人にはちょっと詳細は言えませんけど。

 銀の毛並みは流石に居なかったので白い毛並みに綺麗な金の瞳。瞳は何かの鉱石が使用されていて、縦に少し開いた瞳孔がチャームポイントになってます。


 にゃーんと声で鳴いて猫の両腕?を掴んでセシル君に揺らしてみせると、セシル君微かに息を飲み、それからふいっと視線を逸らしてしまいました。


「似てない」

「えー。でも可愛いですこの子」


 偶々見付けたものですが可愛らしくて結構気に入ってしまったのですが、セシル君はお気に召さなかったみたいです。


「お前はこれに似てるな」


 代わりにセシル君が手に取ったぬいぐるみを見せられ、私は首を傾げるしかありません。

 白いふわふわしたうさぎのぬいぐるみ。ぴこんと立った耳に赤の瞳。こちらも鉱石が使用されているらしく澄んだ紅の石が目となっています。


「何でうさぎ?」

「お前は色素が薄いけど目だけは鮮やかな赤だからな。それに、寂しがりな所もそっくりだ」

「寂しがりじゃないですもん」

「どうだか。あの時のお前は不安で仕方ないうさぎみたいだったぞ」


 寂しいと死んじゃうもんな、と少しからかうような笑み。……う、うさぎは寂しくても死なないですもん、分かって言ってるでしょう。

 そもそもあれは仕方ないというか。


「……セシル君に嫌われたり拒まれたりしたら、嫌だもん」

「俺がお前を嫌ったり拒んだりする訳ないだろ」


 私の言葉は即座に否定されて、ぱちぱちと瞬き。強く、そしてきっぱりと否定したセシル君には嘘偽りの類が見えなくて、本当にそう思ってくれているのだと思うと、胸がじわじわと温かくなってくる。

 そっか、とはにかめばセシル君はまたそっぽ向いてしまいますが……ちゃんと今の言葉は届きましたよ、セシル君。


 そこまで思ってくれる程セシル君に近しい位置に居るんだと思うと嬉しくて、ついつい頬を緩めて照れ臭さを隠さずに笑ってしまってセシル君に睨まれるのも、それもまた様式美な気がします。

 それでも笑うとやや恥ずかしそうにして視線を逸らされ、今度はちょっと強く手を握られたり。もう止めろという合図なので素直に従いつつ、やっぱり嬉しくて微笑んでしまうのですけどね。


「それで、どうするんだ。ミストにはテディベアか?」

「うーん、ミストにはこれが可愛いと思うのですよね……私としては白猫も可愛いですけど。ミストにはこれにしておこうかな……すみません、これ頂けますか?」

「畏まりました」


 ミストにはテディベアを買って、私はこの白猫買おうかなあなんて考えて店員さんにお願いしたのですが、私の持っていた白猫もセシル君に摘ままれて取られてしまいました。


「……すまないがこれも頼む、ああ両方代金は俺が支払う」

「えっ」

「何か問題でも?」


 私が止める間もなくセシル君がしれっとお金出して店員さんに手渡していたので、私のお財布を取り出そうとする手は空振りに終わってしまいました。

 セシル君は当たり前のように支払ってしまいましたが、私としては自分で買うつもりだったのに。これじゃあ今日何も支払ってない事になってしまいます。結局ティーカップもパフェもセシル君がお金出しちゃいましたし。


「い、いえ、私が買うつもりで……」

「これくらいなら俺が買う。つーか買わせてくれ。男のプライドっつーか、こういう時に女に金を出させるのも気が引ける」

「で、でも」

「良いから。別に給金はあるしお前よりは貰ってる」


 そりゃあ立場と貢献度が違いますし……でも、セシル君にだけ出させるのは……。


「良いから贈らせてくれ。俺からのちょっとした贈り物程度と考えてくれれば良いから」

「……大切にしますね」

「そうしてくれ」


 多分セシル君こういう所は頑固なので譲ってくれそうにないですし、素直に頷くしかありません。ありがとう、と言えばどういたしましてとあっさり言われて、ほんとに気負う事とかなく与えるんだなって。セシル君、人にはお金使う事憚りませんよね。私もそうではありますけど。


 何だか今日はセシル君にばかり出費させてます、私もセシル君に使いたいですけど……と思って、セシル君が手に取っていたうさぎに目が入ります。


「……あ、じゃあこれ! セシル君にはこれを私から!」


 男性にぬいぐるみを贈るのもどうかと思ったのですが、セシル君は可愛いもの嫌いじゃないみたいですし、なにより何となくですがセシル君うさぎさん気に入ってる気がするのです。

 まあ案の定呆れた眼差しが返されたのですが、嫌がった様子ではありません。


「あのな……俺にぬいぐるみ贈ってどうすんだよ」

「セシル君、この子気に入ったのかなって」

「どうしてそうなった。俺はただ、お前に似てたから見てただけで」

「良いじゃないですか、セシル君どうせお部屋殺風景なんでしょうし。枕元にぬいぐるみの一つや二つ」


 小さい頃にお泊まりさせてくれただけですけど、その頃は必要なもの以外何にもなかったですからね。ベッドとソファとデスク、あとクローゼット、そのくらい。観葉植物とか絵とか何にもないんですよね。

 仮眠室は入るなって言われてるから入った事ないのですが、多分必要なもの以外ないかと。一度入ってみたかったり。


 ちょっとくらいお部屋の賑やかし要員が居ても良いじゃないですか、と覗き込むとセシル君肩を竦めて。


「……男が置いてたら引くだろ」

「そうですか? 可愛いなって思いますよ?」

「あのなあ」

「……嫌、ですか?」


 でも強制はしたくないですし、要らないなら要らないとはっきり言っても良いのですよ。寧ろ押し付けがましくなってしまってちょっと後悔なのです。セシル君の趣味じゃ、ないだろうし。

 やっぱり止めた方が良いかな、何て考えが頭をよぎってきたのですが、セシル君はそんな私にちょっと苦笑。


「飾るだけだからな。あと、……大切にするよ」


 頭をぽんと撫でられて、私は緩む頬を抑えきれず笑みのまま「はい」と首肯しました。




 こうして我が部屋に新たな仲間が加わる事になった本日ですが、楽しいお出掛けもそろそろ終わりの時間が近付いてきていました。

 あの後色々な店を巡って見ていたら、もう日は傾き夜の帳が下りようとしています。空も大分暗くなっていて、前のお出掛けの事を思い出してちょっと恥ずかしくなったり。あの時は、ぎゅっとされてしまいましたけど……今日は、そんな事はなさそうです。それが、ちょっとだけ、ちょっとだけ……物足りなかったり、して。


「……そろそろ帰るか」


 セシル君も空を見て時間の経過を実感したらしく、至極当然の事を言って。

 でも、それが少し寂しかったりするのは、私の我が儘なのでしょう。楽しい時がもっと続けば良いのに、もっと一緒に居たいのに、なんて事を考えてしまう。まだ、帰りたくない……なんて、思ってしまうのは、今日がとても満ち足りた一日だったからでしょうか。


「どうした?」


 セシル君は俯いた私に気付いたらしく、窺うような声。


「……その、えっと……」


 流石にこんなお願い言うべきではないよな、とは常識的に考えても分かります。あまり遅くまで出歩かない方が良いのも当たり前として分かっています。

 ……分かっては、いますけど。


『ちょっと甘えてくれただけで男は嬉しいもんだぞ』


 父様の言葉が、頭によぎって。


「……もう少し、だけ」

「え?」

「もう少しだけ、一緒に居ちゃ駄目ですか……?」


 きゅ、と繋いだ手を握り、もう片手はセシル君の服を掴んで、でも少し申し訳なくて窺うように見上げて。

 自らの意思でちょっとだけおねだりをしてみると、セシル君は面食らったらしく瞳を丸めて瞬きを繰り返してしまいます。私の不安げな顔を瞳に映したセシル君は何とも言い難い表情を浮かべて顔を押さえてしまって。

 どう表現したら良いのか分からないですけど、困ったような、それでいて僅かに口許が緩んだような、でも眉間には皺が寄っている、そんな表情。


 セシル君?ともう一度声をかけると我に返ったらしいセシル君、こほんと咳払いを一つ。


「……夜遅くまで連れ回す訳にはいかない」

「そう、ですよね」


 普通に考えたら、そうですよね。セシル君は紳士さんだし女の子を夜まで連れ歩くのは嫌がりそうです。正しい判断だとは、思います。

 仕方ないですよね、となるべく顔に出ないように頷いた私に、セシル君はちょっとだけ溜め息。


「……三十分だけだぞ」


 付け足された言葉に瞬きしてセシル君を見上げると、ほんのり染まった頬。


「……良いの?」

「あまり夜道を歩かせたくはないから、家の近くまでは帰るぞ。一緒に居ると言っても散歩するくらいだからな」


 素っ気なさの中にも明確な優しさを含ませた言葉。その意味を理解して、次第に緩んでいく頬。

 もうちょっと、この時間を共有出来るんだ。


「はいっ」


 堪らずに満面の笑みを浮かべてセシル君の腕に体を寄せると、セシル君は一度大きくびくりと揺れたものの私の顔を見て苦笑気味に頭を撫でてくれました。


 何だか子供みたいだな、なんて自分で思いつつも嬉しかったのでセシル君にくっつきながら歩くのですが、セシル君はちょっと体を強張らせています。嫌というより微妙に緊張したような感じがするのは何故でしょうか、前もこうして歩いた事あるのに。


「……リズ、歩きにくいから体を離せ」


 なんて事を考えていたらセシル君からちょっぴり堅い声で言われて、それなら仕方ないですよねと体を離します。ほんのり安堵したような吐息が漏れたのは気のせいでしょうか。


「……日が落ちちゃいましたね」


 歩きながら少し上を見ると、茜色はより強い夜の色へと移り変わっていて、小さな星が彩るように散りばめられた空に様変わりしています。

 辺りは街灯の明かりだけ。街にも簡易的な魔道具が普及しているのは流石魔導大国と思います。民衆にも与えられる程に裕福という証拠でもありますから。


「そうだな。まあ夜空も綺麗だから良いだろう」

「そうですね」

「この間の場所ならもっと綺麗に見えるぞ。流石に夜に連れ歩くのは無理だが」

「それはちょっと残念ですけど……セシル君と一緒に見れるなら、何処でも良いですよ」

「……あほ」


 見る景色も大切ですけれど、誰と見るかってのが一番大切ですよ。隣に大切な人が居たなら、もっと綺麗な光景になると、私は思ってます。

 家族と見る夜空とセシル君と見る夜空は、また違った美しさを見せていて。セシル君が隣に居て手を握ってくれているのだと思うと温かくて、私達を見下ろす夜空も自然と暖かくて愛しいものに見えてくるのです。

 自分でも恥ずかしい事を言っている自覚はありますけど、これが偽りのない気持ちです。


 私の言葉を受けてセシル君まで恥ずかしそうにしているものの、何処か穏やかな笑みで。何だか擽ったくて、夜空に視線を移して……あ、と声を漏らし。


「どうした?」

「いえ、セシル君の瞳と今日のお月様、そっくりだなあって。綺麗な満月、近くでも見られますね」


 夜空の星よりも一際目立つ、柔らかな光を降らせる月は、満月。穏やかな月光を街に注ぐお月様に、やっぱりセシル君の瞳はそっくりな輝きで。

 前に私はセシル君は月から来た王子様みたいとか言ってしまいましたが、そう思わせる程にセシル君の瞳は綺麗です。濁りのない、澄みきった鮮やかな金色。髪は月光を糸にしたような柔らかな銀色。本当に、綺麗で。


 セシル君の滑らかな頬に触れて軽く笑って見せると、セシル君は複雑そうに顔を歪め、自分の頭をくしゃくしゃ。それから私の頭までくしゃくしゃと乱してきて、お互いに髪が乱れてしまう羽目に。


「相変わらず恥ずかしい事言うなお前」

「酷いです、褒めてるのに」

「俺の瞳より、空の満月の方がずっと綺麗だよ。俺からは自分の瞳は見れないからな」

「それもそうですね」


 セシル君自身には鮮やかな金色の瞳を見る事が出来ません。鏡を使えば出来ますが、今手元にはないですし。


 ちょっと勿体ないな、なんて思うものの、セシル君自分の容姿あんまり好きでもないっぽいから仕方ないなとも思うのです。セシル君、イヴァン様にとても良く似ているから嫌がってますし。

 私はセシル君の姿綺麗で好きなんですけどね。いえ見掛けだけじゃなくて中身も好きですけど。……そ、そういう意味じゃなくて、大切な、友人として、ですよ。きっと、そう。


 何か余計な事を考えてしまって慌てて思考から追い出そうとするものの、胸の高鳴りは続いていて。


「……月が綺麗だな」


 そこでセシル君が呟いた言葉に、心臓が跳ねました。

 有名な言葉。セシル君は知らないであろう、とある文の和訳。細かくは違いますけど、文としては殆ど変わらない言葉が私に届いて。

 セシル君は絶対に知らないでしょうし、ただ素直な感想として言っただけ。そういう意図がないと分かっていても、なんだか……告白されたようで、恥ずかしい。変な勘違いを、してしまいそうで。


 その恥ずかしい勘違いを追い出そうと口をもごもごさせて掌を握ったり離したりを繰り返すと、セシル君は訝るように此方を見て来るのです。視線が合うとちょっと恥ずかしくなってしまって俯いてしまうのですが、それが逆にセシル君を不審がらせてしまったようでした。


 リズ、と名前を呼ばれ、頬を撫でられます。それからするりと髪を梳かれ、熱を持っていると自分でも分かる耳にゆっくりと触れられ。

 そして……。


「何挙動不審になってるんだよ」


 思い切り耳を引っ張られました。

 手加減は勿論されてはいますが、あんまりの展開に痛い痛いと悲鳴を上げながらセシル君をやや強く睨むと、セシル君は微かに赤らんだ頬で笑っていて。ひりひりする耳を指でなぞられ、そっと顔を耳の側に。


 吐息が耳を擽る、それだけで、背筋がぞくっと悪寒ではないものの奇妙な感覚に支配される。セシル君の艶やかな唇が小さく「あほ」と染み入るような甘い響きを生み出し、耳朶を打ちました。

 何とも言えないぞくぞくとした感覚に、また頬に熱が昇って仕方ない。行動はいつものセシル君、なのに。声が、吐息が、表情が、眼差しが、柔らかくて、私が溶かされてしまいそうな程に甘くて。


 ゆっくりと首筋を指先が伝い、愛おしむように繊細な仕草で撫でられて、擽ったさに混じった焦れったさのようなもどかしさが、蟠る。びくりと背中を揺らして瞳を閉じていると、側でぷっと吹き出したような音。


「ばーか、何緊張してるんだよ。小動物みたいだぞ」


 からかうような声音に漸く少し遊ばれていたのだと気付いて、抗議しようと顔を上げて……少し、後悔してしまいました。

 ……何で、セシル君まで顔真っ赤になってるんですか。からかうなら、余裕見せてくださいよ。


「さ、帰るぞ。もう充分だろ」


 私の息を飲んだ顔を見てセシル君は照れ隠しに顔を背け、私の手を引いていつの間にか止まってしまっていた歩みを再開します。

 ……セシル君の耳こそ赤くなってるのに。何で、あんな顔をしたんですか。あんな、甘い声をしたんですか。


「……ばか」


 セシル君によって落とされた胸の疼きは、帰っても落ち着きそうにありません。

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