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もう一つの物語  作者: 佐伯さん
本編
20/52

20 「……変なの」

 昨日のセシル君の抱擁のせいで、帰ってから頭がパンクしそうでした。

 嫌じゃなくて、寧ろ嬉しくて、でも訳が分からなくて。セシル君、ああいう事普段絶対にしないのに。ジルならままある事だし気にしないのに、セシル君にされたら、変にどきどきしてしまう。

 お陰で帰ってルビィにやけににこにこされてしまいましたし、ジルはジルで後から出掛けた事に気付いたらしく微妙に渋面。護衛なしにお出掛けは宜しくなかったのでしょう、セシル君が居たから大丈夫ではありましたが。


 ……セシル君に抱き締められたけど、セシル君大きかったな。掌も、体も。それなのなの触れる手付きはひたすらに優しくて、包むようにぎゅっとされて、温かくて……恥ずかしいけど、心地好さすら感じました。

 どうして、あんな事をしたのでしょうか。あれじゃ、まるで。


 何か色々と深読みしてしまっていやいやと頭を振って変な解釈を追い出します。都合のいい見方をしてはなりません、セシル君そういう目では見ないって言ったし。それに、セシル君いつもあほとか言ってくるし頬つねったり引っ張ったりで、そういう対象として見てないしだろうし。

 だから、好意を持ってるとか自惚れも甚だしいです。そりゃあ、そうだったら……嬉しい、とは思いますけど、困る、し。


 兎に角、あれはセシル君の気紛れ、な筈です。セシル君自身訳が分からないって顔してましたし。


 心を落ち着かせて魔導院に向かうのですが、何かセシル君と会うのがちょっと、恥ずかしい。あの事があったせいでお互いに別れ際に微妙な空気が流れちゃったし、気不味いというか。

 でもお仕事だし今は開発の注文があるからお手伝いしないと。お仕事に集中してたら気にならない、筈。


 意を決して研究室に入ると、もう先に就業していたのかセシル君が自分の机に座って作業をしている所でした。

 私が入室したのはノックと掛け声で気付いてるとは思うのですが、セシル君は自分の仕事に集中しているのか顔を上げません。ひたすらにペンを動かし術式の構成を練っています。


 ……む、無視というか居ないもの扱いされてるのですかねこれ。いえ、お仕事に真剣なのでしょうけど。邪魔するのも悪いとは思うのですが、一応声掛けだけはしておきたいですし。


「セシル君、おはようございます」


 無難な挨拶を選ぶとゆっくりと顔を上げて此方に視線をくれるセシル君。集中していたのか本当に聞こえていなかったらしく、私を見ては軽く瞳を眇めては「おはよう」と平淡な声。

 それからまた机に視線を落とすものですから、私はどうして良いものか。だってセシル君昨日の事なんてなかったようにスルーしてるし。ちょっといつもより素っ気ないかなくらいには思うものの、それ以外普通なんですもん。


 何だか私だけが変に意識している気がして、複雑です。やっぱり昨日のは気紛れとかで深い意味はなかったのでしょう。

 なら、私も気にしないようにしないと。それにお仕事中ですしお仕事に集中しなくては。


 まずはお仕事、と深呼吸をしてから自分の席に着いてお仕事に取り掛かるのですが……その、やっぱり気が散ってしまうというか。セシル君は平常そのものなので、ちょっともやもやします。

 それが普通だと、分かってるのに。


 自分の作業をしようとすればする程何だか上手くいかなくて、かれこれ一時間は作業に取り組んでは集中を欠いて止めてセシル君を窺って。何で、こんなにも意識してるんでしょうか。


 席に着いて一時間程で無言の空気に耐えられなくなり、私は立ち上がります。


「セシル君、えっと、紅茶……飲みますか?」


 この空気を打開しようと、そして自分の変な意識の仕方を変えようとセシル君に問い掛けると、セシル君漸く作業を中断して此方に視線を向けてくれました。

 今日のセシル君の素っ気なさだと断られないか心配でしたが、暫し黙った後に「頼む」と短く返事。心配は杞憂に終わったようで良かったのですが、やっぱりちょっと余所余所しい気がしてほんのり寂しかったりもするのですが。


 複雑な心境ではあるものの、普段通りのやり取りは出来ているから安心はします。セシル君のカップとティーポットを用意して紅茶の用意をしつつ、ちらりとセシル君を見てみたり。

 セシル君はまた仕事に戻っていて、私を視界から外していました。意図的ではないと思いますが、やっぱり……もやもやする、というか。


 気にしてはならないと言い聞かせ、セシル君のカップを魔術で出したお湯で温めつつ茶葉をティーポットの中に入れお湯を注いで蓋を閉め。待ち時間にセシル君を眺めれば、セシル君は静かに作業に没頭しています。

 ペンがさらさらと淀みなく術式を描いていくのは、素直に凄いと思えます。即座に組み立てて形にしていける人なんて、私の知る範囲ではセシル君くらいですから。


「……出来ましたよ、セシル君。どうぞ」


 見ているのは飽きなくて、あっという間に時間が経っていました。カップに張ったお湯を部屋の隅にある流しに捨て、紅茶を注いでセシル君にソーサーに乗せてからそっと机の上に。

 邪魔にならないように少し離れた位置に置いたのですが、休憩も兼ねてかペンを置き僅かに伸び。それから私と視線を合わせて仄かに眼差しを和らげてくれました。


「ん、ありがとな」


 それはいつものセシル君で、それでいて柔らかい眼差し。変に意識をしていた事に気遣ってくれたのか、穏やかな表情で。

 思わずぼーっと見つめてしまって、セシル君は微妙に困ったように肩を竦めました。


「じろじろ見られると飲みにくいんだが」

「あっ、ご、ごめんなさい」

「飲みたいなら淹れれば良いだろ」


 紅茶の入ったカップを持ったセシル君は紅茶の事を言いましたけど、そうじゃないんです。いえ、全部理解されるのもなんだか恥ずかしいのですが。

 それに、私この間カップ落として割っちゃったし……。


「……カップないですし。この間割れちゃったから」

「持ってきておけ。……ああ、昨日カップ買っておけば良かったな」


 気付けば良かったのに、と漏らしたセシル君ですが、私はというと昨日という単語にどうも顔が熱くなってしまいます。

 ……昨日のは、セシル君の気紛れ、なのです。人肌恋しかったのかもしれません。じゃなきゃ、セシル君が抱き締めるなんて。でも、あんな……切なくて乞うような、表情は?


 セシル君も私の様子にに気付いて気不味そうに視線を逸らします。頬がほんのり赤いのは、同じように思い出したからでしょう。

 何だか気まずくて二人して黙ってしまうのですが、暫しの後セシル君の方から動きがありました。意を決した眼差し、というか、遠慮がちながらも芯のある眼差しが私を捉えます。


「……その、何だ。俺もそろそろ新しいのに買い替えたいから……一緒に行くか?」


 思わぬ申し出、けれどそれは、私にとって願ってもない申し出です。

 みるみる内に胸が温かくなって、頬にもじわじわとせり上がる。セシル君が避けてない事が分かっただけで、嬉しい。笑顔で「はいっ」と答えれば少しだけセシル君がはにかむように頬を緩めて、私もまた締まりのない笑顔を見せてしまいました。


 実は、そのティーカップが結構新しいというのは、何となく分かっているのですよ。だって傷なんて殆どありませんし、白に青塗りの陶磁器には染みも黄ばみも全くないですもん。

 セシル君はちょこっと嘘をついた事、私が気付いてないと思っているのでしょう。そして、私も気付かない振りをします。

 だって、黙っていればまた、セシル君と二人でお出掛け出来るのですから。


 素直じゃないというよりは、私を慮っての欺き。そんなセシル君の申し出が嬉しくて、私は笑みを一杯に浮かべました。きっと、頬は緩みきっているのでしょう。


 セシル君は私が笑うと目を瞠って一瞬硬直、それから何かを誤魔化すようにカップを持ち上げます。

 焦っているのは、分かりました。

 だからか、淹れたての紅茶が熱い事に気が回ってなかったらしく、口を付けて「あちっ」と渋い顔。弾かれたようにカップから口を離して舌を少し出しています。


 何だかその仕草は幼くて、堪らずにくすくす笑うと、ばつが悪そうにするセシル君。

 此方を気にしながらも湯気をたてる紅茶をふーふーしている姿が可愛くて、また笑うとセシル君が睨んで来ます。熱かったのか微妙に瞳が潤んでいるので、やっぱり可愛いとしか思えません。


「セシル君って可愛いですよね」

「何処がだよ。お前の方が可愛いだろ」


 流れるように告げられた言葉に目を丸くする他ありません。あれ、今しれっと褒められたような。

 セシル君も遅れて言った事に気付いたらしく、さっと顔を赤らめては何故か私を睨んできましたけども。


「っち、違……わなくもないが、お前は黙ってろ!」

「まだ何も言ってません!」

「うるさい!」


 これ以上は言わないし言わせないとそっぽを向いたセシル君は不貞腐れ気味で、でもそれも照れ隠しなのは何となく分かります。私は私で頬が赤くなるのを自覚していて、でも嬉しくて……へにゃりと緩い笑みが自然と口許に浮かび上がってしまいました。


 照れを誤魔化す為か、セシル君はお砂糖入れない派なのにスプーンでぐるぐると紅茶をかき混ぜています。此方に意識を持っていきたくないらしく、頬は赤らんだままで視線は紅茶と書類に注がれていました。

 最初とは別の意味で意識してしまってお互い恥ずかしいのですが、私は羞恥よりも嬉しいという感情の方が上なのでついつい顔が緩んでしまいます。


「セシル君」

「うるさい」

「ごめんなさい、でも……セシル君は可愛いのもありますけど、やっぱり格好良いですよ」


 セシル君の照れ隠しでぶっきらぼうになってしまったり素っ気ない事を言ってしまうのは可愛らしいですけど、でも……やっぱりセシル君は、格好良いなあって思うのです。見掛けもそうだし、気遣うけどそれを見せようとしないところとか、私の事ちゃんと大切にしてくれるところとか、守ってくれるところとか。そういうの全部引っ括めて素敵だと思いますし、格好良いと思うのです。


 これが本音なのですが、聞いたセシル君はぴたりと動きを止めて。油の注さっていない機械のようなぎこちない動きで此方を見てくるのです。

 何だかこういう気持ちを伝えた後に見つめられるのは恥ずかしくて、お腹の辺りで手を組んで少し肩を動かしつつ笑ってみたり。むず痒い、と言えば良いのでしょうか。不快ではない、もぞもぞと擽ったさがあるのです。


 そんな私を見たセシル君。それから、我慢出来なくなったらしく立ち上がって出口に向かいます。私には何の言葉も言わずに、逃げるように早足で。


「え、せ、セシル君、何処に?」

「外の空気吸ってくる」

「紅茶冷めて、」

「お前が飲めば良い!」


 何故か怒鳴られて、しょげるより先に呆気に取られてしまいます。今の言葉は駄目だったのでしょうか、セシル君が可愛いっていうから格好良いって褒め返しただけなのですが。


 セシル君も何処かに行ってしまって、私一人で取り残されてしまったので寂しいというか。

 取り敢えずセシル君の言われた通りにカップを手にしそっと口にすると、温くなっていたストレートの筈なのに、熱くて甘くて、ぽかぽかする気がして。


「……変なの」


 私まで外の空気を吸いたくなるくらい、部屋が熱かった。

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