2 「あ、後で謝らなきゃ……」
気付いたらベッドで寝ているなんて、よくある事です。気を失って気付いた時にはベッドから天井を眺めるという事に慣れるのもどうかと思いますけどね。
温かなベッドと側に置いてあるくまのぬいぐるみは、間違いなく自分の部屋だと証明しています。
いつの間にか戦場から帰って来ていたみたいですね。この温もりは懐かしくて、元の日常に帰って来たのだと思うと感無量です。
でも、どれだけの時間意識がなかったのでしょうか。
「気付きましたか?」
今までずっと緊張感に晒されていたせいか、ぼんやりと天井付近に視線をさまよわせていると、ひょこっと顔を見せるジル。
ずっと、側に居てくれたのでしょう。顔を少し捻ると、水の入った桶と布が置いてあります。そういえば体が少し熱っぽい気がしますね、あの後疲れで熱でも出てしまったのでしょう。
内側にもやもやする熱は、嫌なものではありません。勝利の結果発生したものなので、これを否定する気にもなれませんし。
それに、何だかぽかぽかしてるの、嫌いじゃない。勿論体は怠いのですが、こう、血管が拡張されてるみたいな感覚があるんですよね。内側から新しく作り直されてるような、そんな錯覚さえ覚えます。
「安心して下さい、魔物の脅威は退けましたから。他の群れも無事討伐出来たみたいです」
熱と安心感にぽーっと思考がふわふわした状態な私に、ジルは知りたかった情報を何も言わずとも教えてくれました。流石私の従者。
一応、片付いたみたいですね。少なくとも私達が向かった大群は普通に討伐して残りは凍り漬けにしておきましたから。
「セシル様から聞きました、魔力が暴走した事」
「あ……」
「今後は無茶なさらないように。それと、魔力一斉放出の影響で熱が出ていらっしゃいます。本来は魔導院で精密な検査を受けて頂きたいのですが、外出させる訳にもいきませんので後程セレン様を呼んで参ります。くれぐれも安静にしていて下さいね」
……私、あの後魔力暴走させて……それから……?
思い出すと、顔から火が吹きそうになりました。いやいやいや、あれは緊急事態でしたし、セシル君も思惑があってキス、したのです。現に魔力も治まって今は倦怠感と熱こそあれど冷えきった感覚はなくなってますし。
何か理由があってしたのでしょうから、別にセシル君が悪いとか思いませんし怒りませんけど、急過ぎて。あの時は私も死にかけでそれどころじゃなかったですけど、今となっては恥ずかしい。
嫌じゃなかったし温かくてセシル君の魔力が流れ込んで来る感覚は気持ちよかった、今もセシル君の魔力が胸の辺りでふわふわと漂っていて、心地好い。でもそれがセシル君にされた事も思い出させてくるから、何か悶えそうです。
「リズ様、どうかなさいましたか?」
「い、いえ……ジルは、セシル君がどうやって暴走鎮めたのとか聞いてないですよね?」
「暴走を鎮めたとだけ。……何かありましたか?」
「い、いえ、何でも」
訝るジルには笑って誤魔化しつつ、そりゃあキスして止めたとか言えませんよね、と私もどうして良いものか分からずに閉口。
……キスで止めるなんて、初めて聞いたしされました。あの時は外部操作で私の暴走を鎮めて貰ったと思うのですが、セシル君が他人に魔力分けたり外部から制御出来るのでしょうか。キスが制御の鍵? いやまさかそんな。でも実際キスで止まったし……。
本人に聞くのが一番早いのでしょうが、私も整理がついていなくて会ったら取り乱してしまいそう。会うまでに落ち着かなければ。
「リズ、起きてるか?」
落ち着け落ち着け、と胸に手を当てて平常心を保とうとしていると、扉の外から聞きなれた声。
戦場では会っていないから身を案じていたのですが、ちゃんと生きてた……良かった、声も元気そう。
「ヴェルフ様。先程お目覚めになりました」
「そうか。入るぞ」
ジルの返事を聞いてから扉を開けた父様の姿は、討伐に行く前と何ら変わりなく、私は安堵で胸を撫で下ろします。
父様の何処にも怪我は見当たらず、相変わらずの精悍な顔立ちは私を見るなり同じように安堵で緩んでいました。
横になったままの私の姿に少しだけ気遣うような眼差しを向けて来るので、心配は要らないと微笑んでみせます。心配性の父様の事ですから、寝込んでいる間はきっとずっと気にかけてくれていたのでしょう。
「父様……ご無事でしたか」
「俺がやられる訳がないだろ」
「ふふ、そうですね。自慢の父様ですもの」
「ああ。美しい嫁と可愛い子供が居るのに帰って来ない訳がない」
さらりと母様の自慢を語ってくれる父様もいつもの事。本当に父様らしいと笑って、起こしてと手を伸ばしてせがんでみます。あんまり体が言う事を聞いてくれないので、起こして貰わないと結構起き上がるのに苦労しそうなのです。
父様は私の体調を見抜いているのか優しく抱き起こしては頭を撫でてくれるので、私も年甲斐もなく甘えては父様の掌を堪能します。子供っぽいのは分かっているけれど、父様が無事だった事の喜びと体調不良、それから自分でも幼くなっているのは理解していて、つい甘えてしまっていて。
瞳を細め父様に体を預ける私に、父様はふと額に掌を当てました。……普段暖かい父様の手が温くと感じるという時点で、やっぱり熱は出ているのだなと思い知らされますが。
「ジル、悪いがセレンを呼んできてくれ。ちょっと診て貰うから。ああ、くれぐれも急がせないでくれよ」
「畏まりました」
母様は身重なのであまり刺激を与える訳にもいきません。急かさずに、という言い付けを神妙な顔付きで受けたジルが一度腰を折り部屋を出ていくのを眺め、父様ははぁと溜め息。
私を支えつつも自力で起きれるようにベッドの縁に腰掛けさせた父様は、されるがままの私を見てやや複雑そうなお顔。
「んで、まあ事情は聞いてる。魔力が暴走したんだな?」
「……はい」
「無茶ばっかりしでかすなリズは」
「……ごめんなさい」
自分でもかなりの無茶をしたのは理解しているので、そこは非常に申し訳なく思っています。周りの皆にとても心配をかけてしまいました。
けれど後悔はしていません、と言ったら怒られるでしょうか。
あの時はあれが最善だと思って、私は行動しました。ああでもしなければじり貧どころか拮抗が崩れ私達が敗れてしまいそうで。一網打尽にして殲滅するしかなかったのです。
代償が危うく死にかけるという経験だったので笑い話にはなりませんが、結果的に無事に皆何事もなく生還出来たのだから儲け物だと思うのです。
……せ、セシル君には、ご迷惑をお掛けしましたけど。
「セシルに止めて貰ったんだろ」
「……はい」
「やむを得なかったとは言え、リズになあ……」
「きっ、聞いてるんですか!?」
「セシルの方から謝罪された。緊急事態とは言えそういう手段を選んでしまった、ってな。わざわざ自分で言う辺り律儀な奴だと思った、黙ってれば分からなかっただろうに」
呆れたような父様に、私はどうしていいのか分からず見上げるしか出来ません。
……父様にまで知られていたなんて。ジルには言ってないけど、父様にはちゃんと言ったんですね。私のせいでキスせざるを得なかった事。……思い出したら余計に顔が暑くなってきました。
「お、怒りませんか……?」
「いやリズが怒る方だからな普通」
「お、怒ったりなど……。セシル君も、私を助ける為にしてくれましたし……」
「だから俺も不問にしておいた。いや一発拳骨はしたが」
「あ、後で謝らなきゃ……」
好き好んでキスした訳じゃないでしょうし、謝らなくては。……本人にキスさせてごめんなさいって謝るのも、変な話ですけど。
セシル君、嫌じゃなかったかな。人助けの為とはいえキス、させてしまって。……セシル君、もしかして初めてなのでは。あれ、物凄い申し訳なくなって来ました……!
改めて罪悪感と羞恥で顔が赤くなる私に、父様は無言。口許をきつく閉じているというか、やや歯を食い縛ったような動き。
「……父様?」
「いや、複雑な気持ちになっただけだ」
「え?」
「……あー……いや、家的にはそりゃあまあ……」
「……何のお話です?」
父様は偶に私の事なのに内緒にする時があるのです。去年あったセシル君の婚約のお話だって私何にも聞いてませんでしたし。
結局セシル君と婚約とかまではしてませんけど……あれからどうなったのかも知らされてません。親同士のお話し合いで何があったのかなんて聞かせてくれませんから。
「何でもない。リズは可愛いなという話だ」
「凄く身内贔屓な気がします」
「……まあリズがそう思うならそれで良いが」
そりゃあ自分はそこそこに整っているとは思いますが、両親譲りのものですし整わない訳がないのです。けれど絶世の美少女とかじゃないですし。あんまり自分を褒めるのは得意ではありませんし、まあ可愛いのではないかというのが自身の評価です。
それにやはり親から見れば子は可愛いものなので、その例に漏れなく高く見ているだけだと思うのですよ。
私の自己評価に父様は納得していないようですが、流石に私可愛いと自信満々に言えるような人間なのでどうしようもないというか。
父様と違う価値観に困っていたら、また扉がノックされます。恐らく母様でしょう、どうぞと声をかければ先にジルが「失礼します」と扉を開けて母様を導いていました。
すっかり膨らんだお腹の母様も私が元気そうにしているのを見て顔を綻ばせ、ゆっくりと近寄ってきます。ジルはそれを支えつつ、母様が私の元に辿り着いたら頭を下げて部屋を出ていきました。
「セレン」
「リズの調子はどう?」
「熱っぽさはまだまだあるな。他に体調が悪い所はないか?」
動くだけでも大変でしょうに、わざわざ此方まで来て頂いて申し訳ないです。それでも母様は嫌な顔一つせず、柔らかな笑みで私を慈しんだ眼差し。
心配して貰ってるのはとてもありがたいです。
「倦怠感と……魔力の流れが、何だか熱く感じて。ちょっとむずむずします」
「あらあら。ヴェルフ、ちょっと部屋を出てくれる?」
「しかしだな、」
「良いから出なさい。女の子の肌を見せる訳にはいきません」
「ハイ」
……基本父様って母様に逆らえませんよね、と大人しく引き下がる父様を眺め苦笑。父様らしいというか。それでもいざという時は男らしいところ、父親らしいところを見せてくれるので、普段の愛妻家っぷりも魅力なのですけど。
父様を笑顔の圧力で部屋から追い出した母様は、私には柔らかい微笑みを向けてきます。
「リズ、大丈夫?」
「……凄く、熱いです。中身は元気なんですけど……」
母様はお医者様ではなく治癒師。外傷は直せても内側の問題は対処出来ません。それがお医者様と治癒師の違いです。
でもわざわざ母様に診て貰えと言って呼ぶくらいですから、母様が今の症状に心当たりがあるという事でしょう。
今私の状態を例えるなら、インフルエンザにかかって臥せているけど、テンションはハイな感じ。体は言う事聞かないのに、心だけがそこから離れて高揚しているような気分です。
かといって理性が失われるような感じではないので、何だか変な感じがしますね。
何とも言えない感覚にどうしてでしょうね、と首を捻ってみると、母様は特に驚いた様子もなく口許に手を当てて上品に微笑みました。
「リズ、少し前を開けてくれるかしら? ちょっと魔力の流れを知りたいから」
「はい」
母様は、魔力の流れを見るのが得意です。だからこそ治癒にも長けているのですが。服の上からでも分かりはするでしょうが、正確に見ようと思ったら服は邪魔なのでしょう。
寝間着をよたよたと脱ぎ、下に身に付けていたシュミーズのリボンをほどき開くと、母様はそっと心臓の上の辺りに指先を触れさせます。
少し擽ったくて、でもひんやりとした指先は心地好い。母親と言えど体を見られるのは何だか恥ずかしいですけど。
琥珀の眼差しに見つめられてたじろぐ私ですが、母様の指がゆっくりと肌をなぞるので別の意味で体を揺らしてしまいます。
「……びっくりだわ。珍しい、リズの年齢でなるなんて」
「……何がですか?」
「内側が熱くて、こう、魔力が膨張しているような感じがするでしょう。その通り道も広げられている感覚って言うか」
細かく話していないのに的確に体調を看破されて、ぱちりと瞬くと、目の前の笑みは更に深まります。
少しだけ悪戯っぽくウィンクしては私の頬をぷにっとつつく母様は、なんだか三児の母というか同い年の少女に思えてしまう程可愛らしい。
口紅を引かなくても艶めく薄紅の唇に人差し指を当てては、「珍しいものねえ」と薄紅に弧を描かせる母様。
「……よく分かりますね」
「経験者は語るってやつね。私も昔なったから」
「……そうなんですか?」
「ええ。これがあったから魔導院入り出来たようなものね。私の場合小さい頃に二回あったのよ」
母様も体験済みだったなら、特に案ずる事もないのだろうと深い理由もなしに安心してしまいました。私の体調を見て父様も察して母様に診察に行かせたのでしょう。
そして、魔導院入りというか単語から推測するに、魔力について影響がある症状のようです。試しに母様を窺うと、穏やかな笑みで頷かれました。
「まあ、分かりやすく言えば魔力を作る機能が強化されてるって言うか、貯める所が拡張されてるって感じかしら?」
「つまり?」
「本来は緩やかに貯められる総量や扱える量が増えていくのだけど、稀に爆発的に増える人が居るのよ。本来は子供に多くて成長を止めた大人には発症しないのだけど……」
私の年齢になれば、殆ど魔力総量は変わりません。誤差はありますが、成人する頃には完全に成長を止め、その時点での貯められる限界が一生の魔力の総量になってしまいます。
そこまでにどれだけ伸びるかが、魔導師の資質でもあります。私の場合は生まれた時から無駄とも言えるレベルで備えていました。それも順調に育って、この頃は多分伸びていない筈。私にも限界は来ていました。
でも母様の言い分を信じるなら、また増えてしまっているという事。ただでさえ潤沢過ぎた魔力が更に増えるとか、私どうなるんですか。
「リズは多分、この前凄く魔力を使ったじゃない? そのせいで普段使われてなかった魔力まで使って刺激されて、拡張が起こってるんじゃないかしら」
「……あー……」
だから体が熱くて内側が変わるような感覚があったのですか。というか今でさえ平均からすれば十倍近くありそうなのに、これ以上増えてもどうしろと。
……あ、私がタンクになってセシル君達に補給出来ますね、人間電池ってあんまり嬉しくないですけど。今回みたいに大量の魔物を仕留める時には便利だと思うものの、日常で使う事はないですよね。
「まあ悪い事じゃないわ。私はこれが二回あったお陰で総量がかなり増えたし。まあ辛いけどね、体は」
「……今実感してます」
倦怠感はまあ自業自得なのですけど、熱だけでも結構に辛いです。中身は元気であるものの、熱のせいで体がぽかぽかし過ぎて辛いですし、こう、内側がむずむずするというか。
それが急激な魔力の増加の感覚というのは分かるんですけど、何か慣れないです。
「当分は体が馴染むまで熱は引かないけど、二、三週間もすれば馴染むわ。倦怠感の方は魔術を無茶に使ったからよ、そっちは直ぐに治るわ」
「……長いですね」
「仕方ないわよ、反面見返りも大きいんだから」
顔色を暗くした私に「一応良い事なのよ?」と私の頬をぷにぷにして屈託なく微笑む母様。
それは分かっているのですが、体調不良が暫く続くというのはあまり嬉しくないです。外に行きたくても全員に止められるでしょうし、私自身ふらふらしてて歩けそうにないですから。
まあそんな理由もありますが、もう一つ、嫌な理由があります。
「……母様の出産までに完治しますかね」
そう、母様は出産を控えています。現代と違って正確には分からないですけど、大体の見当で出産一ヶ月前後って事なのは分かります。
細かく分からないですし、何が起こるか分からない。私が臥せている間に生まれる可能性だって充分にあります。
生まれる場所に立ち会うのは衛生的に無理かもしれませんけど、せめて、産湯に浸かった後の姿くらい見ておきたいのです。まだ性別も分からない、私の大切な家族の姿を。
「まあ、何とか間に合うと思うわ。そろそろ臨月でしょうけど」
「……男の子かなあ、女の子かなあ」
「リズはどっちが良い?」
「どちらでも沢山愛情注いで可愛がりますよ」
弟がもう一人生まれてルビィと仲良くなっても嬉しいですし、妹が生まれて大きくなったらおしゃれしても楽しそう。その頃には流石に私も子供を産んでいるでしょうし、仲良くして貰いたいです。
尚、相手はまだ居ない模様。
まあ私の相手は兎も角、出産前一ヶ月を控えた母様に、心配と期待がある訳です。早く生まれて欲しいけど、治るまで待って欲しいなんて、我が儘ですよね。
「ふふ、それは良かった。あ、治るまでは魔術を使っちゃ駄目よ? 多分制御上手くいかないし魔力に酔うから」
「はーい」
先人からありがたいお言葉を頂いたので素直にお返事して、ちょっとだけ甘えたくて膨らんだお腹にそっと耳元を寄せます。
元気に生まれて来てね、新しい家族さん。
そっと囁いた私に、ぽこりとお腹の中で動いた気がして、まだ見ぬ新たな家族に想いを馳せては相好を崩しました。