13 「……精々攫われないようにしてくれ」
その後陛下から報奨を賜る時間がやってきて、見知った顔が何人も呼ばれては爵位や何やらを与えられていました。
父様は新たに爵位を賜って物凄く面倒そうな顔をしていました、こっそりですが。セシル君は研究室の予算の増額を願って叶えられましたが、何ともセシル君らしいと言いますか。
因みに私は爵位と城の書庫の出入り権です。爵位は正直要らなかったとか思いますが、これも仕方ありません。取り敢えずは代理の方が治めて下さるそうなので、安心と言えば安心なのですが……。
そんなこんなで後は自由に閑談するなり食事を楽しむなりするお時間です。恐らくもう少ししたら音楽が奏でられ踊る時間でもやって来そうですね。
「……セシル君、あんまり欲がないですよねえ。予算が欲しいって」
私とセシル君はあまり人混みは好かないので、テラスに出て外の空気を吸っています。
城のテラスなのでとても広く、手入れされた庭もすぐ側で中々に絶景なのですよ。皆会場で話したり食事しているのでテラスには誰も出ていませんし、此処は私達二人きりです。
「金を要求している辺り思い切り強欲だと思うが」
「そうですか? 私欲には使わないでしょう?」
セシル君はそういう線引きはきっちりしてるので、私利私欲に予算を使う事はないと思っています。そもそもセシル君普通にお金は持っていると思いますよ、公爵家嫡子ですし魔導院の少なくない給金がありますので。
セシル君が無駄遣いをするタイプではないのは分かっているので、貯まってるのではないかなーと。私もあまり使わないから結構な額貯まってますし。
昔から働いているセシル君ならもっと貯まっているでしょうし、欲しいものは自分で買うでしょう。……肝心のセシル君の欲しいものが本か魔道具、若しくはその材料くらいしか思い付かないのですけどね。
私の言葉にセシル君は僅かに眉を寄せ、溜め息。信用しすぎだとの一言ににこにこと笑えば少し困ったお顔です。
「使うかもしれんぞ」
「何に?」
「……お茶とか本とか」
「それは明らかに予算で落ちますから。セシル君ってば本当に無欲なんですから」
セシル君って本当に我が儘とか言いませんよね。ストイックというかなんと言うか。父様も「セシルは我が儘言わないから少しは我が儘言えば良いのに、可愛げのない奴め」とぼやいてましたし。
……父様の方がセシル君とは付き合いが長いでしょうし、本当にセシル君って望みを言わないみたいです。私に出来る事なら何でも叶えてあげたいのに。
「……そうでもないぞ。不相応なのを求めてるからな」
「何をです?」
「言わん」
「むー、けち」
「けちで結構」
私の膨れっ面を鼻で笑ったセシル君は、肩を竦めてはむにと頬をつつきます。流石に可愛くないので元の顔に戻しつつ、折角セシル君の欲しいものあげたかったのにと零せばセシル君はほんのり苦笑。
穏やかな瞳で「これは自分の力で迎えるものだから」と何とも自立したお言葉を頂き、ちょっと納得いかないもののセシル君がそう言うならと聞き出すのを諦める事にしました。
「お前こそ、書庫の出入り権とか無欲だろ」
「だって欲しいものないですし。あ、ミスリル貰って加工とかしてみたかったかも。自分で魔道具作るのしてみたかったので」
セシル君はほいほい魔道具作ってますが、普通はかなり努力して計算と実験を繰り返し作るものです。私がセシル君基準にしてるせいで魔道具って作れるものなんだという認識ですが、まああんな簡単に作り上げる事は出来ないそうな。
つまりセシル君は正真正銘の天才さんという事なのですが、本人はまだまだ精進が足りないと誇りすらしないのでストイック過ぎるんですよね。
私も自分の手で魔道具作ってみたいです、と漏らした私に、セシル君は何とも微妙な眼差し。
「……本当にお前は女らしいものを欲しがらないな。宝石や装飾品を一切欲しがらないし」
「綺麗なものは好きですけど、それより実用的な物が良いです」
「……物のやり甲斐がない女だよな、お前」
「だって装飾品って使い道ないですし。あ、でも……これは可愛いですよ? 終わったら返しますけど。魔道具でしょうこれも」
アクセサリーを貰って嬉しくないという訳ではなくて、何と言いますか……親しい人から貰ったなら凄く喜べるのですよ。でも見知らぬ他人から贈られても下心が透けてあまり嬉しくないなーって。
セシル君に装着されたイヤリングは可愛らしいですが、多分これは貸してくれたものだと思うんですよね。如何にも私好みなデザインではありますがねだるつもりもありません。あとこれ恐らくセシル君作の魔道具なので……流石に返さなきゃ。
「まあ、返しては貰う。改良したいからな」
「何の魔道具なのかさっぱりでしたが……」
「分からなくて良い。改良したらやる」
「くれるのです?」
「お前用にカスタマイズしてるんだよ。お前以外だと効果を発揮しない」
しれっと言われましたが個人用に調整してるなんて普通出来ませんからね。
「セシル君、私に魔道具与えすぎじゃないですか? 最初のもそうですし、ブローチとか……」
「危なっかしいのは誰だ」
「……私です」
「だろ。大人しく受け取れ」
「はぁい。……私って貰ってばかりです。私もセシル君にあげたいのに」
物凄くセシル君に心配されているみたいなのですが、そこまで心配かけてるつもりはないのに。……いえかけてるかもしれませんが、セシル君が危惧する程の事はないのですよ?
それに、私ばかりセシル君に与えられていて、何だか申し訳無いのです。対等な関係でいたいのに、私はセシル君にしてもらってばかりで……。
「お前魔道具作れないだろ」
「それもそうなんですけどね。……でも、私もセシル君にあげたいもん」
「……良い、別に。お前からは沢山貰ってるから」
「私セシル君にお菓子くらいしかあげてないです」
「……いいや、沢山のものを貰ってる。だから、お前はくれなくて良いんだ」
やんわりと断られてしまって。
……私はセシル君に何か出来ているのでしょうか、与えられているでしょうか。私はセシル君に迷惑ばかりかけてるのに。いつも無茶言ってセシル君無理させて、負担を増やしているのに。呆れた顔をさせているのに。
セシル君は、私に何を貰ったと思っているのでしょうか。私は彼に何をしてあげられたでしょうか。
「兎に角気にするな」
「気にしますー」
「良いから。俺が与えたいんだ」
だから良い、と此処で話は打ち切りと言わんばかりに会話を終わらせたセシル君。……何か煙に巻かれたというか誤魔化された気分です。
むー、と唇を尖らせ視線で抗議しても苦笑しかされない。これは本人が言う気ゼロのパターンです。セシル君は結構隠し事……というか私に余計な事に関わらせない人なので、内緒にされる事も多々あるのです。
「拗ねるな。ほら、ダンスが始まったぞ。会場に戻ってジルとでも踊ったらどうだ」
相変わらず言う気のないセシル君、会場の方で音楽が奏でられ始めたのに気付きひらひらと手を振ります。
ジルと踊ってこい、という事なのでしょうか。でもジル、挨拶はしたけど今日は控え目な笑顔で一定距離を保たれましたし。何かを堪えるような表情、だった気もしますが。
まるでジルの所に行けという合図のようで瞳を瞬かせ、私はセシル君の方を窺います。じゃあセシル君はどうするのですか、此処で一人で居るつもりなのでしょうか。
「セシル君は踊らないんですか」
「……ずっと俺と居たって退屈だろ。俺は話も上手くないし」
「私が側に居たいから居るんです、退屈じゃないです」
そういう事を気にしていたなら、私から望んで側に居るのですからセシル君が気にする事はありません。寧ろ一緒に居たいのに、と意気込んで説得しようとする私に何故かセシル君呆気に取られています。
「……お前な」
「セシル君、此処で踊りましょう? セシル君、会場にイヴァン様が居るから戻りたくないのでしょう」
無言は、肯定のように思えます。全てがその理由ではないでしょうが、少なくともそういう理由はあると思うのですよ。
セシル君イヴァン様と顔を合わせたくないみたいですし、会場に戻れば出会う可能性は否定出来ませんからね。私と会場で踊れば後でからかわれると想像したのではないでしょうか。
「……だめ?」
「脚踏むなよ」
「失礼ですね」
セシル君私が踊れる事知ってるでしょうに。あの時バランス崩したのは婚約云々のお話を聞いたからで。……そう言えば、あの時のお話ってどうなったんでしょうね。聞いてないですけど。
でも何だか今更聞くのも気恥ずかしいので、まあ流れてしまったという事にしておきましょう。それか噂としてちらつかせてるか。そのくらいかな。
セシル君のちょっとしたからかいに、微妙にジト目を送れば苦笑と共に手が差し出されます。今度は躊躇いなく、自然な動作で。
「お手をどうぞ」
「はい」
はにかんで掌を重ねれば、セシル君も安心したのかふわりと穏やかな笑みが浮かびます。思わずどきりとする程に柔らかな笑みは、多分言ったら怒られますが……やっぱりイヴァン様にも似ています。勿論、セシル君の方が好ましいですけど。
本人には内緒にしつつ見上げれば、セシル君の澄んだ瞳が此方を見詰めていて、やっぱりどきどきしてしまいます。……何か、ちょっとだけ、恥ずかしいです。
そして、会場の音楽を遠くに聞きながら。
私達は、互いに手を取ってステップを踏みます。
観客は夜空に輝く星と月だけ。喧騒から切り離されたこの空間は、今だけは私たちのもの。側で聞こえるのは、セシル君の息遣いと靴の音だけ。
規則正しく鳴り響く足音に、微かなドレスの衣擦れ音。それすら、愛おしく感じます。
合わせた掌は、とても大きい。知り合った時は変わらぬ大きさだったそれも、時が経つにつれて変化していった。
細く繊細だった指は、硬く骨張るしっかりした指に。掌は私の拳を簡単に覆える程に大きくなって。
……大きくなったのは、掌だけではない。背丈も、肩幅も、足の大きさだって。全て、私を越していった。
見上げれば、頭一つも違うセシル君。目付きの鋭さは和らぎ、且つあどけなさが抜けてきた、男の子の顔立ち。綺麗と格好いいの間をさまよっている、そんな美貌です。
月明かりに照らされたセシル君は、何処か儚げな美しさがあります。線が細い訳ではないけれど、男の子にしては白い肌やしっとりと濡れた金の瞳、微かに弧を描く薄めの唇。月光に縁取られた銀髪は舞う度にさらりと揺れて、淡く光る。
思わず見とれてしまいそうなくらいに、目の前の男性は綺麗で。
「……セシル君、月から来た王子様みたいですね」
「何寝言を言ってるんだ」
「セシル君はその辺り辛辣ですよね……」
ちょっとポエミーかとは思いましたが正直な感想を口にしたところ、セシル君に呆れた眼差しを向けられました。
まあその反応は正直予想していたのでショックはないのですけど、セシル君はもうちょっとマイルドに言ってくれても良いと思うのですよ。
一回抗議の為に足でも踏んでやろうかと思いましたが、私の思惑を実行に移す前に、足さばき自体が急に停止して。
丁度ターンの所で止まられたものだから、勢いを殺しきれずに転びそうになった所をセシル君に受け止められます。ぽふんと思い切りセシル君の胸に顔から突っ込んでしまいました。
へぷっと間抜けな声を上げた私。鼻をぶつけて地味に痛くて「痛いのですが」と小さく文句を言いながら顔を上げて……ぱちり、と瞬き。
吸い込まれそうな程、美しくも妖しい満月の瞳が、私だけを見ていて。あ、と声を上げれば、緩やかに細められる満月。
「……精々攫われないようにしてくれ」
「え?」
囁くように落とされた言葉は、何処か甘い響きです。支えるように私の肩を掴む掌。見つめる視線。どちらも振りほどけないし、逃げようとも思わないくらいに、セシル君によって私はこの場に留められていました。
「月の魔力は、人を惑わせるからな。俺が月から来た王子様とやらなら、惑わせてお前を拐かしてしまうかもな」
しっとりと濡れた瞳が、私だけを映していて。
鮮やかな金の瞳はいっその事妖艶と思える程に艷めき、仄かな熱を孕んでは私を捉えて離しません。乞うような眼差しが、静かに見詰める。
今までに見た事のない程に、色香を匂わせる表情に、暫くの間見とれてしまいました。心臓がうるさい。変に鼓動が跳ねて、どくどくと強く血液を押し出す。その中にはセシル君の魔力の温もりも感じて、余計に意識してしまうのですが。
掴まれた肩すら、神経が集中したように掌の感触をありありと伝えてきます。
「……セシル君の事だから、何だかんだ丁重におうちに帰してくれそうな」
何とかそれだけ言葉を捻り出すと、セシル君少し面白くなさそうに「やかましい」と一言。その時のセシル君はいつものセシル君で、少しだけ安心してしまいました。
セシル君に、連れ攫われてしまったら。
「……でも……」
「でも?」
「セシル君になら、攫われてもいいかなあ、なんて」
きっと、大切にしてくれる。そんな気がして。
何だか面映ゆいというか、恥ずかしくて照れ隠しに笑いセシル君の胸に額をくっつけると、途端に揺れる体。そして小さく「……これで素だから困るんだよ」という呟きが落とされ、ゆっくりと指で頬をなぞられます。
擽ったくて喉を鳴らして見上げると、セシル君は私の顔を見て少し眉を動かしたものの、ただ「あほ」とセシル君なりの照れ隠しを一つ。
「お前は普通に誘拐されそうで怖いって話だ」
「失礼な。警戒心くらいありますー」
「……あほ」
それが俺に適応されなきゃ意味ないだろ、と呆れた声。セシル君に警戒する必要なんてないと思うのですが、と小さく呟いたら聞こえていたらしくもう一度「あほ」と言われ軽く頭を叩かれました。