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もう一つの物語  作者: 佐伯さん
本編
12/52

12 「私はセシル君の方が良いな」

 そして数日後、招待状にあった通り祝賀会が行われる日となりました。


 正直最初は少し憂鬱だったのですが、セシル君がパートナーとしてエスコートしてくれるという事でちょっぴり楽しみになってました。セシル君普段は素っ気なかったりするのですが、こういう公式の場ではきっちり相手を務めてくれるので安心ですね。


 祝賀会という事で正装を義務付けられています。別に魔導院の正装でも良いですけど、今回はドレスで。衣装もちゃんと選んでおいたのです。セシル君の注文通り、肌はあまり出さない、暖色系のドレス。母様に相談して似合うものを一緒に選びました。

 ……母様はあらあらと微笑ましそうにしていましたけど、気のせいかやや楽しそうだった気がしなくもないです。いえ、娘のドレス選ぶのが楽しいという事だとは思いますが。


 そんな訳で今身に纏っているのは、淡い桃色を基調としたドレス。セシル君に露出は駄目だと念押しされたので、フェミニンさを前面に出した可愛らしく肌があまり出ないようなデザインのを選びました。


 ふわふわと空気を含むスカート部分とフリルがあしらわれたデザインが特徴ですかね? 子供っぽすぎるのも駄目だと思ったので、それなりに体のラインは出るものではありますが。

 腰の辺りをきゅっと絞っているので、シルエット的には年齢相応のものになっているとは思います。肌は見えてないから大丈夫、怒られません。母様にも確認して貰って「大丈夫よ、セシル君も喜んでくれるわ」との一言を頂きました。

 ジルや父様にも褒められたので、皆乗せるの上手いなとか思いつつも満更ではない私です。


「リズ、準備は出来てるな」


 今日は馬車で迎えに来てくれたセシル君。こういう正装の時だけですよね、馬車使うのって。 普段歩いていきますからね……護衛は付けますけど。貴族にあるまじき生活かもしれません。


「はい、出来てますよ」


 呼ばれて出ていくと、セシル君が一瞬フリーズしました。過度に着飾っている訳でも露出している訳でもないので、特に問題のない格好だとは思うのですが。

 近寄って首を傾げ「肌は出てませんよ?」とちゃんと約束を守った事を伝えると、ドレス姿を眺めては何故か溜め息をつかれました。折角頑張ったのにこの反応は酷いと思うのですが。


「何で溜め息」

「いーや、別に」

「す、凄くむかつくです……良いですもん、セシル君褒めてあげないですもん」

「別に褒められてもな。男だぞ」

「褒められたら嬉しくないですか? セシル君、凄く格好いいのに無頓着だから勿体ないです」


 セシル君、普段は適当……まあ勿論品の良いものではありますが、まあ動きやすいものや魔導院のローブやコートを着ているのです。とても似合っていますしセシル君らしいのですが、偶にはもっと貴公子然としたものを着ても良いのになーとか密かに思ったり。


 だから、今日のセシル君はいつもより色気があるなーと思ってしまうのですよ。

 当たり前ですがセシル君も正装しており、公爵令息として相応しい風格です。細身の体に合わせた正装はとてもセシル君に似合っていて、本当に格好いい。

 隣に並ぶのが私なんかで良いのか悩む程には、セシル君は素敵な美丈夫さんに育っています。


 見上げて結果的に素直に賞賛した私、セシル君から目を逸らされてしまいました。但し、ほのかに頬は赤くて。


「……そりゃどうも」

「あっセシル君照れてる!」

「怒るからな?」

「いひゃいー!」


 ただこの場合指摘したらまずかったらしく、セシル君私の頬を引っ張ってぐにぐに伸ばしにかかってます。ちょっと照れてるって言っただけなのに……セシル君の意地悪。照れ隠しだと分かってるから怒りはしませんけどね。


 たっぷり十秒程頬を弄ばれた私がひりひりする頬を押さえて唸ると、ふとセシル君が金の瞳を細め、私を見詰めます。先程までの顔とは違った真剣なものに瞬きをすると、セシル君は懐を探り始めました。


「……リズ、ちょっと良いか?」

「何ですか?」

「これ」


 そして取り出されたのは、花を模したイヤリング。硝子で表現された花と朝露のように一粒煌めく透明な宝石。繊細な細工のなされたそれは、明らかに市販されているものではなさそうです。魔力を帯びた、恐らくセシル君手作りのもの。


「じっとしてろ」


 今日はイヤリングをしていなかったので丁度良かったらしく、セシル君はそっと私に手を伸ばし髪を優しく払い、イヤリングを着けて来ます。

 耳に触れられるのは何だか擽ったくて、んっと喉を鳴らして瞳を閉じるとセシル君がびくりと手を震わせた気がしました。それでもイヤリングの装着は続けるみたいで反対側も同じように着けられ、瞳を開けた時にはセシル君は作業を終えていました。


 正面からこうして触れられるのは、気恥ずかしい。此方を覗き込むような眼差しが、妙に、どきどきします。変ですね、ちょっと触れられただけなのに。頬を引っ張られたりするし、接近には慣れてるのに。

 自分でも理解出来ない感情に戸惑う私を、セシル君は満足そうに眺めて。するりと頬を撫でられて、心地好さと羞恥で瞳が少しだけ潤んでしまいました。


「これで良いだろ」

「ありがとうございます。でもどうして……?」

「気紛れだ」

「気紛れでセシル君が女の子にアクセサリーを渡すようなタイプだとは思いません」


 セシル君は基本的に装飾品としてアクセサリーを渡したりはしません。というか女の子にプレゼントするの見た事ないですし、そもそも女の子に話し掛けに行くのを見た事がありません。本人に言ったら叱られそうですが。


 その例外である私にも、それは適用されます。セシル君はただ装飾品を渡す事はありません。何らかの意図や役割を持って、私に渡されます。

 だから今回のも、恐らくそうでしょう。魔力を帯びているので、魔道具か何かだとは思うのですが……。


「……色々突っ込みたいが、まあいい。保険だ保険だ」

「保険?」

「お前が危なっかしいから、念の為のものだよ。気にすんな」

「気になるのですが……ありがとう、セシル君」


 セシル君、私の事心配してくれてこんな綺麗なもの渡してくれたのですね。……それだけ心配をかけているのが申し訳なくありますが、それでも気遣いは純粋に嬉しいです。

 何だか妙に擽ったくて、温かくて、頬も自然と緩んでしまって。セシル君にへにゃりと緩みきった笑顔を見せてしまいました。


 ちょっとだらしない笑みかもしれないと思ったのですが、セシル君は何も言いません。いえ、何かを言おうとして言葉で表現しにくいような……そんな風に、口を動かしては言葉だけ出さないでいます。


「セシル君?」

「……調子狂うな、その格好」

「変です?」


 頑張ってみたのですが、と柔らかいスカートを摘まんで首を捻るのですが、セシル君それだけで微妙に困ったお顔。


「いや、まあ……似合ってる」

「……ありがとう」


 あれ、セシル君、褒めてくれた。正面から、少し恥ずかしそうに。

 ……それだけで頑張った甲斐があったなあと思う私は、単純なのかもしれません。普段褒めてくれないセシル君に褒められると、凄く嬉しい。


 分かりやすく喜色を顔に出した私に、セシル君はやや恥ずかしそうに目を逸らすのでした。




 そして馬車に揺られ、招かれた城の会場に。他にも馬車が入れ違いに来ていたり魔導院の方や貴族の方がで会場入りしていくのが見えます。

 私もそれに続いて行こうとするのですが、やっぱり此処でも視線がちくちく。特に魔導院の方には結構な視線を投げ付けられます。


 この視線は嬉しくないなともやもやしていたら、少し前を歩いていたセシル君が振り返って、小さく溜め息。

 それから、止まってゆっくりと私に掌を差し出します。私も止まってその手を凝視すれば、セシル君はただ誘うように私に向ける。確かにエスコートの一環ではありますが、セシル君がしてくれるなんて。


「お手をどうぞ」

「……はい」


 いつもと違う眼差し。透き通るような金の瞳は何処か窺うようで、私がおずおずと手を重ねれば少し安堵したように緩みます。

 ゆっくりと私の手を引き、そして少しぎこちない動作で腕を組んで来るセシル君。多分、セシル君もこういうエスコートに慣れてないんじゃないかなあ、なんて。


 照れ屋さんのセシル君が頑張ってくれてるので少し微笑んで、私もセシル君に寄り添います。あまり密着しすぎてもセシル君恥ずかしがるだろうから、少し触れる程度。

 これでもセシル君少し恥ずかしいらしくて体を揺らしていましたが、私が見上げて微笑めば文句は口にせずただ少しそっぽ向いて歩みを再開しました。

 ……私もちょっと恥ずかしかったりしますが、セシル君だからいいかなあと。こうして正装して公の場でエスコートされるのが、何だかむず痒い。普段くっついても、平気なのに。


「じゃあ、行きましょうか」

「ああ」


 素っ気なさの中にも気遣いが窺えて、私はセシル君らしいなとひっそり笑ってセシル君に従い会場の中に入ります。

 会場には既にかなりの人数が来ていて、各々閑談を楽しんだりしています。当然ながら魔導院や騎士の方も多く、あちこちで見掛けたような顔がありますね。ロランさんやフィオナさんも探せば居るでしょう。


 騎士の皆さんにも挨拶したいな、なんて考えていれば、ふと周囲のざわつく気配。案じていた事は現実となり、先程よりも多い視線の矢が突き刺さります。要らないところで不安は的中するものですね、全く。


「……シュタインベルト令息と、アデルシャン令嬢……?」


 ぽつりと呟かれた言葉は、波紋のように広がって。

 シュタインベルト家とアデルシャン家は、代々仲が悪いです。確執があったらしく、敵対とまではいかないものの基本的に仲は険悪らしく。好んで近寄ろうとはしないみたいです。

 まあそれも私達の代では一切関係なく、寧ろ仲良しな訳ですが。


 魔導院の方はそれとなく知っているでしょうが、あくまで噂はしか聞いてなかったであろう貴族の方には私達の姿は驚きでしかなかったようです。うちとセシル君のおうちで最近は交流を持っているという噂も流れてますが、こうして実際に見るまでは半信半疑だった模様。


「あれが噂の……」

「あのような子供が、魔物の大量討伐を」

「嘘ではないのか?」

「あのような少女に出来るとは」

「しかし、目撃者も多数居るようだし……」

「それに、シュタインベルト公爵子息と……?」

「あの噂は本当だったのか」


 まあこんな小娘が魔物を大量に撃退したなんて信じられませんよね。私も実感ないですし。

 あの時の事はあまり記憶にないんですよね、実は。あの後直ぐに魔力枯渇で死にかけてましたし。自分でも偶にあれは夢だったんじゃないかなーと思うくらいです。


「恐ろしいものですな、本当に討伐を成したなら。人に在らざる所業だ」


 ……聞こえてはいますけど、言い返す訳にもいきません。

 覚悟はしていましたが、やっぱりこういう事も言われちゃうのですよね。あの時出来る最大限の努力をした結果がああだった、というだけなのに……まるで私がした事は間違っていると言われている気分です。


 でも、セシル君が私の事をちゃんと見てくれているから、そんなに辛くないです。ちゃんと、一人の女の子として見てくれているから。……あれ、思い返すとちょっと恥ずかしいかも。


「リズ」

「何ですか?」

「気にするなよ。相手にするな」

「大丈夫ですよ、ありがとうございます」


 私を心配してくれたのかやや気遣わしげに言われ、私は今更にセシル君と絡めた腕に力を入れていた事に気付かされます。……無意識に強張ってたんですね。気にしないって、思ってたのですが。


 平気ですよと笑って、セシル君に寄り添います。今度は力を抜いた自然体で。セシル君が今度は体を強張らせたものの、これはくっつかれて戸惑っているものだと思うのです。

 だから私は気にせずぴとりとくっついてセシル君の体に触れ、温もりに安堵しながらセシル君に微笑みました。




 何も皆が皆私の噂をするのでないと分かっていますし、私の知り合いや父様関連で知り合った人達は普通に接してくれました。

 父様はちらりと見掛けましたが、何やら忙しそうにしていたり。大臣クラスの方とお話ししていて真剣な顔付きだったので、お仕事とかその辺の事を話しているのでしょう。邪魔する訳にもいかないので、また後でお話ししようかなあと思ったり。


 会場内を歩いていたらフィオナさんとロランさんも当然居て、フィオナさんにはセシル君にエスコートされてる姿を見てにやにやされました。挨拶をすればいつも通りに接してくれて、変わらない態度にほっとしてしまったり。

 それから「女性の扱いは心得て下さいね」と言われてセシル君ちょっとイラっとしたのか「言われずとも」と言い返してました。二人、仲悪かったですかね?


 魔術を教えた騎士の方々にも会いましたが、皆さん変わらない態度で接してくれてありがたい限りです。いえちょっと尊敬の念を送られて来たりはした気もしますが、それは苦笑で流せますし……まあ変な気分ではありますけど。


 そんな感じで知り合いに挨拶しつつ、微妙に他の方から遠巻きにされているのを感じていると、ふと背後から「おや」という声。

 私には聞き覚えのない声なので他の人に向けた声なのかと思っていたら、隣のセシル君が「くそが」と分かりやすく体を揺らし舌打ちしてしまいました。……え、え? セシル君?


「……リズ、あっちに」

「挨拶もなしかい?」


 背後から更に飛んで来る親しげな声は、少し愉快そう。セシル君が物凄く忌々しそうな顔をしているのが、私にだけは分かります。セシル君その顔はちょっと駄目ですって。

 セシル君、と腕を揺らすと、セシル君はとても、とても渋い顔で深く溜め息。何だか顔から非常に嫌そうな感情が伝わってくるのですが……。


「父に向かって舌打ち、はないだろう?」

「……失礼しました、父上」


 え、と固まった時には私ごとセシル君が振り返ります。セシル君に促されるように私も体の向きを変えさせられて、後ろに向き直った時には一人の男性が側にまで来ていました。


 背丈は、セシル君より少し高い。煌めく銀髪を伸ばし緩く編んだ男性。白皙の美貌はとても整っていて、女性が放っておかないような顔立ち。ただ美形には違いないですが、何処か彫像のような作られた端整さ。

 口許には緩やかに弧が描かれ、鮮やかな金の瞳は愉快そうに細められています。柔和な笑みを浮かべた男性は、ただセシル君に親しげに眼差しを送っていました。


 言われなくても、この人がセシル君のお父様なのだと、見た目で直ぐに分かります。ハッとするような冴える美貌。艶やかな銀髪と鮮やかに輝く金の瞳。

 表情こそ普段無愛想なセシル君とは正反対ですが、誰がどう見ても血縁だと分かる程に似ています。


 セシル君のお父様、と一瞬戸惑ったものの、挨拶しなきゃと改めて姿勢を正し、セシル君の腕から離れてスカート部分を摘まみます。


「お初にお目にかかります。私、リズベット=アデルシャンと申します。セシルく……セシル様とは親しくさせて頂いております」


 ちょこんと礼をして名乗ると、セシル君のお父様はぱちぱちと瞬き。それからくすりと柔らかく微笑んでは此方に改めて視線を向けます。


「ああ、ヴェルフ君の娘さんか」

「ヴ、ヴェルフ君……」


 父様を君付けで呼ぶ人は初めてです。というかあの父様を君付けで呼べる人がまず居ません。私は知りませんが、結構親しいとか……?


「お二人の子だとはっきり分かりますね。僕はイヴァン=シュタインベルト。愚息がお世話になっています」

「いえ、とんでもない……!」


 セシル君からは腹黒という情報だけを与えられていたので、こんなに穏やかな笑顔で丁寧に挨拶されてちょっと戸惑います。あれ、物凄く優しい方のように見えるのですが……?

 温和そうな見掛けで、想像していた無愛想な人とは正反対です。というか、セシル君と正反対かもしれません。


 思ったよりも人当たりが好い人でほっとしていると、隣のセシル君から刺々しいオーラが。

 ちらりと横目で見れば、びっくりするぐらい不機嫌そうなのが瞳に現れています。顔は普段のものを装っていますが、眼差しが物凄く苛立たしげで、逆に私がびっくりですよ。


「父上、何か用ですか」

「親なのだから会いに来ておかしい事はないだろう?」

「俺は会いたくなかったですけどね」

「セシルは僕に失礼だと思わないかな?」

「これはこれは失礼致しました」


 セシル君、丁寧な口調ですけどかなり慇懃無礼な気がします。

 そんなセシル君に此方がハラハラするのですが、イヴァン様は気にした風もなく何処吹く風とにこやかな笑み。私からすれば寛容な方に見えますが、恐らくセシル君は逆にそれが腹立たしいのでしょう。


「俺よりシリルを構えばどうですか。シリルが嘆いていましたよ」


 やや突っ慳貪な言い方ですが、眼差しが少し変化しています。僅かに、案じるような眼差し。ただ、目の前のイヴァン様に向けられたようなものではない、気がします。

 シリル、というのはどなたなのか、分かりません。けれど、親子で出る名前になると、家族であるとは予想出来ました。


「はは、あれに会ったのか。未だにあれはお前を拒むかな?」

「……あいつは、父上に認められたいと必死なので」

「あれもそろそろ認めて貰わないと困るんだけどねえ、跡継ぎはお前だけだというのに。血を濃く継いだのがお前だけなのだから、お前が継ぐのが道理だ」


 僕はシリルに継がせる気はないよ、と穏やかな笑みできっぱりと言い切るイヴァン様に、セシル君は僅かに眉を寄せ「それは承知しています」と苦々しげに返して。

 ……口出しは出来ませんが、多分、弟さんの事を話しているのだとは思います。セシル君には弟さんが居るって以前聞きましたから。仲が宜しくない事も。


「そうだとしても、随分とご都合がよい考え方で。最初はシリルに継がせるつもりだった筈では?」

「時が移れば状況も変わるよ。そもそも僕は反対しては居なかったからね。父上が出来損ないの烙印を押し付けただけで、僕は何も言わなかっただろう?」

「あなたは傍観していただけでしたからね、それが一番質が悪いと思いませんか」

「こう見えて僕はお前を認めているよ。お前程シュタインベルトの血が強く発露した人間は居ないからね」

「……身勝手な」

「それが僕だろう?」

「昔から知っています。それに振り回される俺とシリルの身になって下さい」

「考えておくよ」


 此処まで周囲を気にして小声ながら刺々しい声でのやり取り。私しか聞こえない程度の小さな会話でしたが、どういう意味の会話がなされていたかくらい、分かります。

 ……セシル君は、昔は家族から突き放されていたのですよね。だから、こんなに嫌そうにしてるんだ。自分を捨てた家族だから。

 でも、イヴァン様は今は認めてくれている訳で。……確かにセシル君の言う通り、見かけ通りにおっとりとした方ではなさそうです。


 口を挟める訳もなくただ無言を貫いている私ですが、イヴァン様がどうしていいのか戸惑う私を見て「すみませんね、話し込んでしまって」と柔らかく微笑んで。


「お嬢さんには興味のないお話をしてしまったね、申し訳ない。……セシル、彼女がお前を変えた子だろう?」


 セシル君は、答えません。ただ面白くなさそうに視線を逸らしては舌打ちするセシル君に、イヴァン様は愉快そうに微笑んでは此方に視線を定めます。

 確かめるように全身を見られますが、不快なものではありません。ただ、見定められているような感覚はするのでちょっと居心地は悪いですけども。


「ふむ、中々……うん、良いんじゃないのかな? あれだけ嫌がってたヴェルフ君が僕の提案呑むから何が狙いなのかと思ってたけど……何となく分かってきたよ。実に、面白い」


 ゆるりと口の端を吊り上げたイヴァン様は、穏やかな笑みと言うよりは何処か妖艶さを含ませた笑みで。……一瞬、蛇と対峙したような何とも言えない感覚が背筋を震わせます。気のせいだとは、思いますが。

 セシル君は頬を引き攣らせて私を庇おうと後ろに下がらせようとしてくれますが、それよりも先にイヴァン様が一歩進んで。


「リズベット嬢、今度またお茶でもどうかな? 最近のセシルの様子とか聞かせてくれたら嬉しいのだけど」

「父上、勝手な事言わないで下さい!」

「考えておいてくれるとありがたいな」


 にこりと見惚れそうな程美しい笑みを披露したイヴァン様は、流れるような動作で私の手を取り、そして腰を屈めて手の甲に口付けを落とします。あまりに自然な動作で反応出来ず、柔らかな感触をしっかり確かめさせられた私は目を丸くするしかありません。

 ただ、隣のセシル君からブリザードが吹きだしたのでかなり苛立っている事は間違いないですね。


「……おい糞親父、何してくれてんだ」

「セシル君落ち着いて!」


 明らかに不機嫌だと分かる声音で、最早敬語も取れて素の状態でイヴァン様を問い詰めるように睨んでいるセシル君。私の手を取りセシル君の方に寄せられてイヴァン様から離されますが、当のイヴァン様はただ蠱惑的な笑み。

 ……側で思い切りセシル君の舌打ちが聞こえて、今日何回目の舌打ちだろうとか場違いな事を考えてしまいました。


「セシルも怖い事だし僕はそろそろ行くよ。それではお嬢さん、また」


 然り気無くウィンクを飛ばしたイヴァン様は、大きな子供を持つ親とは思えない程若々しく、そして美しく。ひらりと手を振ってセシル君の睨みを飄々と躱しながら私達に背を向けていってしまいました。


 取り残され呆然とする私ですが、セシル君に引っ張られて現実に戻ってきます。やや雑に腕を掴まれ壁際に向かって歩かれるので、私は慌てて着いていくのですが……セシル君、非常に不機嫌そうです。いつになくお怒りと言うか苛立っていると言うか。


「す、凄い人でしたね」

「これだから親父には会いたくなかったんだ」


 壁際についてイヴァン様の感想を口にすると、セシル君は忌々しそうに言葉を返します。

 セシル君、本当にイヴァン様嫌いなんですね……態度から分かります。嫌いというか、苦手なのかもしれませんね。セシル君とは本当に正反対な方でしたから。


「で、でも、ほら、セシル君に似てて凄く格好いい人でしたよ!」

「……あ?」

「セシル君怖いです顔が」

「……お前、あんなのが良いのか」

「自分のお父さんにあんなの呼ばわりしちゃ駄目ですって」

「あんな自己中糞野郎なんか知るか」


 吐き捨てられた言葉は、怒りもありますが……それよりも、寂寥を感じさせるもので。


「セシル君、その」

「……はー。怒ってねえよ。いつもあんなんだから、慣れてるには慣れてる」


 慣れたくはなかったけどな、と付け足したセシル君は僅かに瞳を伏せ、それから深く溜め息。


「……つーか、お前、何体触らせてんだよ。穢れるぞあれに触ると」


 然り気無く酷い事を言ってるセシル君は口づけられた私の掌を手に取り、ごしごしと袖で拭っています。消毒しないと、と割と本気で言ってそうな呟きと共に袖を強く擦り付けて来るので地味に痛いのですが。


「……お父さんに酷いですね」

「愛人を平然と連れ込む男だぞ、あれは。取っ替え引っ替えしてるからな」

「……それはまた」

「だから消毒しとけ」

「そこまでしなくても」

「気に食わん」


 ごしごし、と赤くなりそうな勢いで拭うというか擦るので、そこまでしなくても良いのにと思いつつセシル君の好きにさせていたら、セシル君手の甲が赤くなったのに気付いて慌てて魔術で冷やしてくれます。

 そこで冷静になったのか「ごめん、痛かったよな」と冷やしながら謝罪してくるので、私も苦笑して気にしてませんよと首を振ります。余程セシル君苦手みたいですし、パートナーに触れさせて嫌な気分になったのでしょう。


 暫く私の掌を握っていたセシル君は、ふと視線を私の瞳に向けます。少し、揺らいだ金の瞳。


「……お前は」

「え?」

「お前は、あんなやつみたいに、女慣れしている方が良いのか。ああいうのを格好いいと思うのか」

「イヴァン様は格好いいと思いますよ」


 素直な感想を口にしたら思い切り掌握られました。いや、まだ続きありますから。そりゃあイヴァン様は綺麗な人だと思いますよ。女性を取っ替え引っ替え出来る程には整った人だと思います。


「セシル君に似てて、とても綺麗な人だと思いましたよ。でも、セシル君の方が素敵な紳士さんだと思います。私はセシル君の方が良いな」


 ……綺麗だとは、思いますよ。けど、それだけです。私にとってイヴァン様はセシル君のお父様と言う認識ですし、それ以上それ以外の何者でもありません。美丈夫だとは思いますが、それだけですし。


 だから魅力的なのはセシル君の方ですよ。突っ慳貪だったり素直じゃなかったりしますけど本当は優しくて、強くて、頼りになって、ただ甘やかしてくれるだけじゃないセシル君の方が、何倍も格好いいと思います。

 それに、女慣れしているとそれはそれで複雑だから、セシル君みたいな人の方が安心しますよ。


 だからセシル君の方が良いと断言して、少し恥ずかしいけど笑ってセシル君を見上げると……セシル君は、言葉を失ったように呆然としてます。それから弾かれたように私から思い切り目を逸らすので、ついつい笑ってしまいました。


「笑うんじゃねえよ」

「はーい」


 多分照れ隠しかなあと思いつつ、セシル君に怒られちゃうからなるべく笑わないように穏やかなものに変えます。

 それでもつい口許がへにゃりと歪んでしまった為舌打ちされましたが、セシル君がそれ以上追及する事はなく、隣に並んで暖かい気持ちで一時を過ごす事になりました。

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