1 「今だけは許せ」
このお話は『転生したので次こそは幸せな人生を掴んでみせましょう』のifルートとしてのお話です。
本編読了後に読む事を強くお勧めしております。
本編のようにジル以外リズと結ばれるのは嫌という方は読むのを控えて頂ければ幸いです。
物語の分岐点は104話(ページでは105ページ)『極寒と翼竜』の途中からとなります。途中までは同じ展開となっておりますので読み飛ばして頂いても結構です。
物語の性質上本編と同じ展開や共通の話が出てきてしまいますが、ご了承下さいませ。
馬鹿正直に一体一体を相手するには、私達の戦力が足りない。子供にでも分かります。
ですが一対多数にするにはその多数が多過ぎるし、多数が多い程私達の手に余る。乱戦に持ち込まれれば不利なのは私達。
ならばどうするか。
森の奥、広がる平原。
今にも此方に到達しそうな魔物達に向かって、分断するように『フレイムランス』を幾つも撃ち込みます。
直接当たった魔物は燃えて焼死しますが、それはあくまで副産物に過ぎません。私の狙いは、火で魔物をある程度の数に分けていく事。
生き物は本能的に火を怖がります、わざわざ火に突進していく生き物も居ないでしょう。撃ち込んだ楔を目印に、更にラインを引くように炎の魔術で分断線と此方への防衛線も引いておきます。
確実ではありませんが、火は迂回しようとするのが殆ど。
それでも突っ切って来たのは騎士様に任せて、残りは足踏みした瞬間を狙って魔導師が魔術で仕留めていきます。私達のように並行発動出来る魔導師は少ないですし、硬直時間が多い魔導師に個別で捌けという方が辛いでしょう。
ならば時間稼ぎと足止めをするに限ります。
火で囲ってしまえば右往左往すると見ていて分かったので、火に弱い魔物の塊には炎の魔術でぐるりとラインを囲って、そこから魔術で確実に殺していく。
『エクスプロード』とかは殺傷能力は高いですが、思ったより範囲が狭い上に消費もそれなりなので乱戦には向きません。あと人を巻き込んだ場合確実に大怪我するのでなるべく避けています。
「リズ、あの塊足止め出来るか」
「やってみます」
セシル君の指示で、あまり炎の効かなかった個体達の塊に『アイスウォール』で字の如く壁を作り、侵攻を阻みます。こればっかりは物理的な物なので留まるしかない魔物達、そこにセシル君が氷柱を大量に降らせて上から串刺しにしていきます。
壁が氷な分向こう側が透けて見えて、びしゃっと透明な壁に紅が撒き散らされるのが見えて堪らずに顔を顰めるものの、私も『アイシクルレイン』で同じように追撃。
剣と違って感触がないから罪悪感は此方の方がないのでしょうが、それでも命を奪っている事には違いがありません。何を今更、分断の時点で私も奪っていたというのに。
震えを堪えて、拘束から逃れて突進して来ようとする魔物は、風の刃で切り裂く。狼に似た形状の魔物が見たくないものを撒き散らして転がるのにも、辛抱しなければなりません。私がした事の結果なのだから、受け止めなければならないのです。
近くに居たセシル君が気遣わしげに此方を窺って来ますが、心配させては駄目だと微笑んでおきました。
魔導師が多ければ、戦うのは楽になる事は当たり前。近付かせさせなければ魔導師の方が威力を出せます。
私達は自分達には絶対に近付かせない事を決めて、魔術を撃ち放つ。騎士様は守るように近付く魔物の仕留める。この連携で、無駄なく立ち向かえます。
「そっち行きました!」
「了解、っと」
包囲網から抜け出した個体を、此方に配属されていたと後から気付いたクルツさんが一閃。それだけで、肉が断ち切られて、魔物は地面に転がります。
いつもはへらへら笑っているクルツさんですが、今ばかりは真面目な顔付きで攻めて来ている魔物の姿に目を細めていました。それだけ危機的状況な訳で、ふざける余裕もないのでしょう。
「しっかしまあ、多いねえ。今は捌けてるから良いんだが……おじちゃん、腰が辛いわ」
「……気休めですが、疲労回復の術かけましょうか?」
「ん? 良いよ良いよ、それより数減らす事に使ってやれって、……っと」
喋ってる合間にも狼のような魔物が来て、剣で横に薙ぎ払っています。致命傷でなかったらしく起き上がろうとしていた狼に、容赦なく叩き込まれる鉄の塊。
噴き出す鮮血にはなるべく視線をやらないようにしつつ、次に来た魔物の迎撃に移ります。
『フレイムランス』で魔物の体を炎の槍で貫かせては、風の魔術で燃えている体を邪魔にならない位置まで吹き飛ばす。その辺に転がっていると邪魔になるのは分かりきっていますし、クルツさんに引火しても困るので。
クルツさんはふう、と溜め息をついては僅かに出来た休息に、剣を振って簡単に血と肉片を落とし、それから布で拭っていました。みるみる内に、乾いた赤褐色に鮮やかな赤色が滲んでいって、それだけでこの戦いがどれだけの命を奪っているのか実感してしまいます。
「疲労回復の術式より、リズ嬢ちゃんの熱いベーゼの方が回復するかもなあ」
「頬くらいなら恥を堪えてしても良いですが、後でどうなっても知りませんよ」
「従者さんが睨むからなあ。おー怖い怖い」
危ない綱渡りをしている最中ですが、茶目っ気は少し出ているクルツさん。多分、私の事を気遣っているのでしょう。私のような慣れていない子供の緊張をほぐす為に。
気を遣わせてしまう程に私の顔は強張っていたらしく、掌で頬を挟むと酷く固まってがちがちなのが分かります。それに加えて、冷たい。血の気が失せているように、ひんやりしていました。
「……ジルも、過保護ですからねえ」
「はは、あれは過保護って言うよりも、……まあこれ以上は怒られそうだから言わんが。リズちゃんも愛されてるなあって話だな」
「父様達に愛されてる自覚はあります」
私は随分と心配されているんですね、皆に。今もクルツさんが気負わないように話し掛けてくれて、私は助けられてばかりです。
……もっと、頑張らなきゃ。心配されないようにしなきゃ。
血に怯えている場合じゃない、そう呟いて、掌で頬を叩いて強く前を見据えました。
暫く攻防を続けていますが、数は減ってはいるものの私達も疲弊しています。私やジル、セシル君はそうでもないのですが、先発隊や騎士様方は辛そう。
特に騎士様は分かりやすく肉体的な疲労を伴う分、魔導師より辛いでしょう。魔導師は余程使わない限り肉体に深刻な影響は及びません。使いきったら昏倒する場合が多いですね、過去の私のように。
「これではキリがありませんね」
「じり貧なで此方が消耗するばかり、まあピンチだな」
喋りながらも向かって来る魔物を魔術で倒していく二人。彼らだから出来ますが、普通はこんなに平然とした顔はしていられません。
それでも二人にも焦りの色は分かりやすく窺えます。状況が不利な事は、この場に居る私達が誰よりも分かっています。
「何分数が多過ぎますからね。大群は捌くのが大変です」
「一気にやろうにも、魔術の威力がそこまでないからな。広範囲といっても限りがあるし」
セシル君が肩を竦めて呟いた言葉に、私は俯きかけていた顔を上げます。
一気に、魔術で?
……出来たら苦労しないと続けたセシル君ですが、……よく考えてみましょう。広範囲に、高威力の魔術を、塊にぶつけられたなら、形勢逆転は可能という事ですよね。
そうだ、その手がありました。
「……この魔物達、全部一ヶ所に集められませんか?」
「一ヶ所に、ですか? 上手く誘導出来れば可能かと……」
今まで倒しやすくする為に分けていた私の口から真逆の言葉が出た事に、セシル君やジルは僅かに訝ります。
ある程度の塊が押し寄せていたから波と表現しましたが、実際は幾つかの大群が分かれて襲い掛かって来ているのです。その一つを私達が相手していました。
その一つの塊だけではなくて、出来ればロランさん達が相手をしている魔物も含めて全部を塊にしたいのです。流石に父様達が居るのは此方ではないそうなので纏められませんが……この方角に居る全ての魔物を、集めたい。
本来ならば手がつけられなくなりますし、一網打尽にしようとも威力が足りなくて一部を削るのが関の山。
ですが、手段は一つだけ、あります。
「じゃあ一ヶ所に集中させて下さい。なるべく見晴らしの良い、……そうですね、あの崖から近くで眺められる所に」
平原が広がっていますが、元々森が開けた所であり、多少の起伏もあります。私からすれば結構離れた場所に、山が削れたような崖があって、高さはそこまでではないですし断崖絶壁とは言えないようなものですが、魔物を見渡すには充分でしたた。
その崖を指差す私に、ジルは視線を動かして崖を見て、さらにその下を見ては眉を下げます。崖の直下に集めろとは言いません、なるべく近くに見える範囲で集めて欲しいのです。出来れば全員に協力して貰って。
「中々無茶を仰いますね……」
「やっぱり無理ですか?」
「いえ、何とかするのが私ですから」
私の無茶振りにも何とも頼もしいお言葉を返してくれたジルに、ちょっとだけ頬を緩めます。
「……お前」
セシル君は私が何をしようとしているのか分かったらしく、驚きつつも何処か困ったような、それでいて得心したような表情。
止めようとしないのは、今この状況が私達にとって不利だから。打開するには、一気に攻勢に出るしかないのです。
「大丈夫、任せて下さい。……もう、傷付いて欲しくないから」
本当なら、これが初実戦の小娘が考えた作戦ですらない思い付きは、却下されるべきでしょう。不安定要素だらけなのだから、尚更。
幾つもの前提条件と運の要素、そして私の実力全てが上手く噛み合わないと、無意味となるこの考え。それでも、セシル君は直ぐに拒みはしませんでした。
私が出来るかすら危うい事を知っていて、それでもセシル君は受け入れるように頷きます。
「分かった。危険を承知なんだよな?」
「ええ。……ありがとう、セシル君」
「俺も行く」
「……え?」
想定外の言葉に目を丸くすれば、セシル君はいつになく真剣な眼差し。
「俺が発案した術式だから使い勝手は俺が分かるしサポートも出来る。それと、道中の露払いくらいは出来る」
「それなら私が致します、セシル様の手を煩わせる訳には」
「リズを守りたいのは分かるが……正直な所を言うと、戦いっぱなしで魔力の残りがあまりないんだ。来たばかりで魔力が有り余ってるお前を護衛に付けるよりは、俺が離脱した方が効率が良い」
そっか、セシル君今まで戦いっぱなしだったんですよね……幾らセシル君が特異体質であって交代で休憩を取っていたとしても、魔力はかなり消耗しているのでしょう。
その点ジルは来たばかりですので、魔力にも余裕がありますし、ジル自体がとても強いからセシル君の請け負っていた範囲もカバー出来ます。私情を考慮する事なく客観的な効率を求めれば、セシル君の付き添いを選択するべきでしょう。
私一人でという選択が入っていないのは、恐らく戦況を見るのはセシル君の方が得意だからと私一人では危なっかしいからでしょう。私も今回ばかりは一人では厳しいと思っております。最早一種の賭けですからね、これは。
ジルもセシル君の言いたい事は理解しているようですが、表情は納得していなさそう。それでも今回はそうも言っていられないと分かっているので「セシル様にリズ様の護衛を任せます」と苦渋に満ちた声音で呟き、腰を折ります。
従者としては側で守りたかったのでしょう、それは申し訳ないです。けれど、そうも言っていられない戦況なのは皆承知の上。
「ジルには指輪でタイミングを合図しますから、それを他の皆さんに魔術が何かで分かりやすく伝達して下さい」
「……畏まりました」
「私はジルを信じてます、だから私を信じて下さい」
あまり信頼出来ないかもしれませんが、精一杯頑張るから。失敗なんて、させない。
ジルの首肯を見た私とセシル君は視線を合わせて頷き合い、それから合図する訳でもなく同時に走り出しました。
セシル君に手を引かれ、偶に魔物に襲われながらも、必死に走って崖まで辿り着き、斜面を登って行きます。
正直山登りすらした事のない小娘には辛いものがありましたが、今皆が頑張ってくれてる、ジルだって伝達に走ってくれてるのだと思うと、足を止める気にはなりません。
慣れない運動に心臓がばくばくと暴れていますが、きっとこれは重圧のせいでもある。私が失敗してしまえば多大な被害が起こる。そもそも皆が私を信じて一ヶ所に集めてくれるかも分からない。
任せて貰えない可能性の方が大きいから、登る間は不安と重圧、徒労に終わるかもしれない恐怖で胃と胸が締め付けられそうでした。それでも繋いだ掌から伝わる温もりが幾分か緊張を中和してくれて、セシル君の存在に感謝するばかりです。
木の間を登り、転びそうになりながらも漸く頂上付近まで登りきって、辺りを一望できる位置にまで来て。暴れ狂っていた心臓を落ち着けようと、ゆっくりした歩みに変えます。
「大丈夫か?」
同じく頂上付近まで辿り着いたセシル君は、まだまだ余裕があるらしく少し息が乱れていても私を気遣えるくらいには元気です。剣術も過不足なく嗜んでいるセシル君は、引きこもり気味な私とは全然違いますね。
急に立ち止まる方が苦しいので歩きながら息を整えつつ「何とか」とだけ返し、眼下の争いを眺めて少しだけ安堵してしまいました。
運動不足を痛感させられる出来事でしたが、どうやら無駄にはならなかった模様。
ジルがロランさんに伝達してくれたのか、騎士様や魔導師様が魔物の群れを追いやるように近くに誘っているのが、はっきりと見えます。
よくぞ小娘の戯れ言に近い発案を受け入れてくれましたね、その柔軟で臨機応変な思考と、私を信じてくれた優しさに脱帽です。多分、父様の娘という事と伯爵子息との決闘、短い間ながら魔術の先生をした事が幸を奏しているのでしょう。
そして魔術を教えた事は、決して無駄ではありませんでした。
教えたであろう騎士様も、魔術を使って魔物を誘導しています。私が教えた、攻撃に使える炎の魔術や氷の魔術で、倒せずとも上手い事進行方向を変えていて、自分の教え子達が活躍してくれているのだと胸が熱くなりました。
人を教えるのって、悪くない。そう、結果が思わせてくれます。
自分の教え子や、大切な人が頑張ってくれている。
なら、私も自分に出来る事を精一杯頑張りましょう。信じてくれた皆の期待に応える為にも。
「上手い事集まっているな。……リズ、準備は良いか?」
「はい」
全員が一ヶ所に集めて逃がさないようにしていくのを確認しながら、私は術式にゆっくりゆっくり魔力を通していきます。
急がない、焦らない。
まだ準備は終わっていないし、セシル君に改良して貰った魔術は、扱いが凄く難しいのです。
繊細で難しい作業の事を、よく針の穴に糸を通すような、という例えをしますが、これはそうではない。膨大で激しい水の奔流を全て制御下に置いて、一つ一つのパイプに押し込めて行く作業といった感じです。
張り巡らされた術式に違う事なく魔力を通して、破裂させないようにするだけでも集中力を物凄く使いました。広範囲に、高威力という制限があり、味方を巻き込まないという絶対的な制限があるから尚更。
その上、失敗した時の大惨事を想像してのプレッシャー。これがあるから制御が震えてしまいますが、必死に耐えるしかありません。
心臓が強く脈打ち、背中に嫌な汗が流れます。体は震えるし、息は乱れて寒気が体を襲う。こんなにも大量の魔力を制御する事は経験がなくて、勝手に体が小刻みに揺れてしまう。
「……リズ」
心臓が無理矢理収縮しているような感覚に耐える私は、ふと暖かいものに包まれている事に気が付きました。
「……大丈夫だ」
そっと背後から耳元に囁かれた言葉に、すうっと視界が開けていくような錯覚すら覚えます。大丈夫、その一言で、凝りがほどけて頭の中がクリアになる。
一人じゃない、セシル君が居る。それだけでとてつもない安堵感が押し寄せると同時に、自分なら出来るという根拠もない自信が湧き上がってきました。
私に全てが掛かっているのだから、その期待と信頼に応えるべきです!
眼下で、魔物達がひしめき合う。
皆が、頑張ってくれた。集めてくれた。炎で取り囲み、氷で退路を塞ぎ、土壁で隔絶してくれた。
信じて期待に応えてくれた皆の為にも、私も期待に応えます。
『皆、待避して』
首から提げたチェーンに通した指輪にそう念じれば、空に派手な爆発と、爆発音。ジルが合図としていたのでしょう、それは空気を伝わり周囲に響き渡ります。
示し合わされたように、一気に魔物から遠ざかる騎士様や魔導師達。退却しなければ巻き込まれるとよく分かっているのでしょう、そして、私も細かい制御が出来る自信がありません。
見た範囲で参戦していた方々が魔物から離れたのを確認して、私は魔物が包囲から逃げ出さないように、直ぐに溜めていた魔術を集まった魔物達に向けました。
セシル君は、父様とは対照的に、氷の魔術を強化したものとして術式を渡してくれました。
父様が灼熱地獄。全てを燃やし尽くし、灰塵と帰する紅蓮。
ならば、私に渡された物は。
とてつもない勢いで抜けていく、魔力。
一瞬視界が明滅して、視界が白く染まります。光で満たされた視界、額を押さえて目眩を堪えて眼下をもう一度見て……本当に白色に染まっている事に、気付きました。
何と例えて良いのでしょうか。
そう、父様を灼熱地獄と例えるなら、私は……対照的に、極寒地獄と言えましょう。
氷地獄、でも良いかもしれませんね。魔物の群れが居た筈のそこには、真っ白く凍えきった生物の成れの果てがありました。
千は居た筈の、魔物。
その殆どが完全に凍り、生命活動を停止しています。何匹かは難を逃れたものの、それも騎士様方が殲滅してくれるでしょう。空飛んでたのはどうしようもないですが……。
そして、魔術の効果はそれだけではありません。余波で景色そのものが凍り付き、ちらちらと雪まで空から舞い降りていました。
巻き添えにしたのではないかと慌てて周囲を窺うと、退却した人達にはただ寒い思いをして貰う程度の被害だったようで。
幻想的な光景なのに、実際は殺戮。それを引き起こしたのは私。
上手くいった安堵と大量の命を奪った罪悪感、そして急激に魔力が抜けて全身にのし掛かる倦怠感と寒気。
脚から力が抜けてセシル君に凭れ掛かり、そのままずりずりと崩れ落ちます。ぎりぎりの所でセシル君が支えてくれたから尻餅は着かずにいられましたが、一人で立つ事すらままなりません。
体が重い。心臓が此処に登ってくる時と同じくらいに暴れていて、それに加えて背筋が凍りそうな感覚。寒いのは、私の魔術の余波でもありますが……全身から力が抜けて、熱まで一緒に出してしまったような気がしました。
「……はぁ、……っう……」
「リズ、お疲れ様」
荒い呼吸を繰り返す私に、背後で抱き締めるように支えてくれているセシル君が優しく声を落とします。立つのが限界だと察してくれたらしく、そのまま膝裏に手を回して横抱きにしてくれました。
「よくやったな、偉いぞ」
「……疲れ、た」
体に力を入れる事すら億劫で全体重をセシル君に預けているのですが、セシル君は何て事なさそうに平然と私を抱えています。流石男の子、というか。
「疲れたで済むお前が凄いよ。本当に頑張ったな」
ぐったりとセシル君に身を預けてぼんやりする頭でセシル君を見上げます。頭を撫でてくれて、嬉しいけど……頭がふわふわして、体が熱いのに、変な寒気がする。
脳味噌だけが茹だるような熱をこもらせて、体は端から冷たくなるような感覚。どんどん末端から冷たい湖に引きずり込まれていくかのように、重いものが纏わりついて私の体を浸食していくのです。
倦怠感と喪失感、そして嫌な寒気。泥沼に落ちていくようなずぶずぶと沈み込んでいく感覚に、背筋が震えて仕方ない。本能的に、恐怖を感じてしまう。意識が端から混濁していくのが、自分でも分かりました。
「……おい、リズ?」
視界が、揺れる。
「もう魔力を放出する必要はない……っ、お前制御出来てないだろ! このまま涸渇状態で出し続けてたら衰弱で死ぬぞ!」
叱られているのは、分かります。
けど、自分じゃどうにも出来ない。体の中で暴れている残り滓のような魔力が、中をずたずたにしていく感覚が、あって。制御したくても、不安定過ぎて、いう事を聞かない。
全力で魔力を放出した弊害なのかもしれません。人より遥かに備わっていた魔力を一気に流したから、そのせいで魔力を通す回路までがおかしくなってしまったのかもしれませんね。
四肢に力が入らず、ただ躙り寄る寒気と恐怖だけが緩やかに末端からじわじわと侵していく。このままだと、危ないという事も、本能的に察知していました。
セシル君も私の緊急事態とも言える異常に気付いて顔を顰めています。いえ、泣き出す手前のような、悔しさと悲しさを瞳一杯に湛えては顔を歪ませていました。
抱えたままでは手当てが出来ないと、一度地面に私を下ろしては抱き起こし、悔しそうに眉を顰めるセシル君。
「わたし、しぬの?」
「勝手に死のうとすんな馬鹿野郎。俺が治すから」
……どうやって、治すの?
「リズ、後で殴られてやるし苦情は聞いてやる。元気になったら怒られてやるから、今だけは許せ」
セシル君が急に謝ってきたと思ったら、セシル君は魔術で自分の唇に傷を入れていました。ぼんやりくらくらする頭でそれを見上げて、滴る紅がやけに鮮やかで綺麗だなあ、とか、思ったり。
だから、紅が近付いてきても怖くはありませんでした。
柔らかい感触が唇に押し当てられたと思ったら、口の中には鉄の味。
それがセシル君の血の味だと理解したのは、視界が肌色で埋まっていた事と、口からセシル君の魔力が直接注がれていたのを感じたから。
特有の濃縮された魔力が内側でほどかれて、私の中に染み込んでいく。暴れ狂っている残滓を落ち着けるように優しく、そして穏やかな流れとなり体を巡ります。
暖かい。
あんなに寒かったのに、今は体がぽかぽかして、気持ちいい。内側を塗り替えるように、セシル君の魔力の奔流が私の体に染み渡ります。傷だらけの内側を優しく撫でて溶け込んでいく魔力は。端から消えていきそうな消失感と寒気は、何処か心地好い倦怠感になっていて。
触れた柔らかい唇は、少しだけ私の唇を開かせて魔力と血を流し込んでくる。注がれるセシル君の血が、不思議と甘美な味にすら思えてきました。
「……ん」
暫くの口付けで、痺れと喪失感は消え去っていました。どれだけの間唇を触れ合わせたか、私には分かりませんが……セシル君は離した後、気遣わしげに此方を見下ろします。
血に濡れた唇を舌で拭う姿が、やけに、扇情的で。
思わずぽーっと見とれていたら、セシル君は私の視線に気付いて頬を赤らめます。服の袖で私の唇を拭っては、小さく「ごめん」と囁いて。
今更に、救命行為であれキスをされたのだと、思い知らされました。
「……後で本当に謝るから。今は、体を休めてくれ」
ぶっきらぼうに呟いて、セシル君は羽織っていたコートを脱いで私をくるみます。それから、虚脱し力の入らない四肢を投げ出すしかない私を、包むように抱き締めて。
染み込んだセシル君の匂いは、とても落ち着く。何処にも行くなと言わんばかりに私を両の手で抱え込むセシル君に、もう怖くない、と頬を緩め。
体は大丈夫。そんな根拠のない確信を胸に、私の意識は倦怠感に引き込まれるように闇に落ちていきました。