ゲンジツ
【ヲタG-MAN】という店をご存じだろうか。
いや、知らないからってなんら悪いことはない。
説明しよう。ここは地方二次元オタク達の聖地ともいうべき場所で、ゲーム、アニメ、マンガ、ラノベ、それらに関連した全てのグッズが豊富にそろう店舗型販売店である。
十年くらい前に第一号店が出来てからというに、既に34都道府県46店舗ある大企業の手前まで躍進している。
そして今。この店にこそ、志和の求めるものがある。
「ありがとうございました~!」
活気のいい女性定員の声がカウンター付近で響き渡った。
柄にもなく陰にて喜んでいる姿を見る限り、志和は目的のものを手に入れたようだ。
「帰って早速見てみるかな」
怪しげに呟いていたが、この店の中ではあまり珍しい光景ではないのか、実際「あの人怪しい」なんて目で見る人はそういない。
そして、店を出ようと時にふと思い出す。
「げ。でも瑠璃がテレビ使ってるかもな…」
彼には丁度一つ年下の妹がいる。勿論その妹は兄の趣味を嫌でも知っているが、だからといって兄に如何なる状況であれハイドウゾと譲れるほど優しくない妹だ。
志和は方策を考えた。
兄として妹を把握しきれない部分があるも、趣味と好み位はわかっている。それだけで案外悩めることはなかった。
「確かにあいつは一片の腐女子だったな。だから全年齢向けの腐女子向け本でも与えてりゃ大丈夫かな」
女性向け同人誌コーナーを一通り見渡したが、当然ながら細かい分類は不明瞭。一体どれが我妹の好みであるかはさすがに把握していない。
彼はこの程度のことで悩んだ。
適当に取ろうとも考えたが、一冊七百円近くするゆえ返された時の無駄と喪失感が皮肉なものだろう。
ホモ臭い絵ばかりを虎視眈々と見て、且つ彼は記憶の端くれをかき集めていた。
何かあるはずだ。
ずっと、妹の集めている本の表題と扉絵を思い出すたび、答えらしき一つのワードが脳裏に浮かぶ。
“ヘタレ攻め”
妹はその一言が好きだとよく言っていた。
思い出したからいいことではないが、記憶にある以上はそうだとも言えるはず。
イチかバチか、健気な男の子達が抱き合っている一冊の本を取った。
…まさにその時、反対側から手が伸びてうまい具合に衝突した。
二人は一瞬止まった。
同時、志和は相手の全身を見解いた。身長は百六十前後、全身顔面までをどこかのアニメで見たことのある黒ローブで隠しているため体型のほどは不明だが、少なからず女性であることは推測でわかる。
「……ああ、スミマセン…」
「いえっ! こちらこそ…」
とても可愛らしい声だ。
互いに手を引いた時、彼女の顔右側から円筒状の髪留めで吊るすように留めた緑色の髪が現れた。
ここで考える。この少女どこかで見たことあるような……。
そして、髪が飛び出したことに気づいた時に急いでローブの中へと隠した。
少女は隠された顔の中で唯一見えている口を緩めた。
「もしかして、こちらの愛徳夢想先生の新作をおとりに?」
「へ……」
何を言っているのかすぐにはわからなかったが、今取ろうとしていた本を見てみると、派手に大きく書かれた表題の下へ小さめに『愛徳無双』と確かに書かれていた。
今は、それだけわかれば十分だ。
「あはは~。えっと、妹がこの先生の作品好きなん…だよなぁ~」
実際わからないが今はそういうことにしておこう。
「それは良い妹さんをお持ちなのですね」
あっさりと信じてくれた。というよりかは深く詮索する気がないのか。
まさか俺の趣味だと思わないとはこの人も冷静なものだ。
「あなたは……」
志和は少女の手に持つ本の扉絵だけ一瞥したが、志和が手に取ろうとしたBLものとは似て非ず、青年と壮年と言えばいいのだろうか…
「へっ… ち、ちょっと見ないで!」
手に持っていた同人本の数々をゴソッと隠した。
「ワ……私にも、ハ、恥ずかしいと言う感情はあるのですよ…」
いや別にそんなことは聞いてないんだけど。なんて言葉を紡いでみたが、それ以上に反応が可愛かったので何も言わなかった。
「ははっ。俺はもう少し妹への手土産を探します。良ければ手伝っていただけますか?」
当たって砕けろ!
「すみません。お誘いは嬉しいのですが私も急いでいますのでこれで失礼します」
挨拶もそこそこで少女はカウンターに向かった。
……挨拶?
なぜ、彼女は今話しかけた。
確かに些細な事故であれちょっとした挨拶になることはある。しかし人との交流を限りなく避ける現代社会に於いて手が触れ合っただけで興味を持つことは少ないだろう。まして、言っちゃあ悪いが、ここに来る多くは友人関係が狭小でコミュニケーション能力に難ありな人が多い。
特に、あれだけ厳重に全身を隠している人にもなれば、会釈して終わりのわー失礼なヤツだと思われる程度の人間でも十分おかしい話ではない。
なぜ彼女は話しかけられたのか。
彼女との会話を思い出すうち、不安からなのか僅かに早い口調であることも思い出す。
つまり、彼女はある秘密を隠し通さなけねばならなかった。
まあ、これ以上詮索してもロクなことにならないのは確か。考察し続けることをやめ歩き出したその時。
何かを踏んでしまった。
薄っぺらいラバーストラップだったため土埃が付いただけで済んだが、少なからずこの店内にあったものではなく誰かが落としたのだろう。
現に、付属の紐が明らかに切れている。
志和は辺りを見渡したが、落とし主っぽい人は見当たらなかった。
「誰かが落としたのか。……勿体ないし」
このラバーストラップを改めて見直してみると、今年度夏期にしていたラノベ原作のアニメ『せくしゅある・おぶ・おれ!』のヒロインである谷垣せふれであることはわかるが、水着ver.ということはもしやシークレットでは…。
これを落とし主は気付いた時には絶望的な悲愴感に打ちひしがれるだろう。
だが着服する。
さっきのローブの少女が落としたという確率も考慮したが、この作品は紳士アニメであって、女の子が観ることはまずない。故に、さっきの少女が落としたという確率はほぼ考えだす前から既に排除されていた。
そういえばもうひとつ思い出せることがある。彼女、目の色までは見えなかったが、僅かに見えた瞳は常に俺から目をそらしていた。
そして、髪が飛び出したことに気づいた時には明らかに動揺していた。
つまり、前述全てと見てきた挙動から推測するに彼女はうちの生徒ではないだろうか。
その答えが出るのは、案外時間がかからなかった。
□■□
先ほど手に取りかけた本とほかに何冊か買って店を出た。
当然ながら今さっき話し掛けた黒ローブの少女は既にいなかった。
気になったことが幾つかあったが、仕方ない。
夜七時半。商店街の大半の店が閉まりだす時間でも人の往来が途絶えることはない。
去年より貸店舗広告が増えたかな。そんな寂しい考えを持ちながら歩いていた。
人の喧騒を避けるためヘッドホンをかけようとしたその時、歩く人々の空気が微妙に苦いことに僅かに感づいた。
何かに触れないように歩いている。
何かから避けるように歩いている。
何かを意識して無視している。
何かに実は状況を変えたいと思っている人もいるが動けずにいる。
以下より、誰かが不良に絡まれているという事実にたどり着くことはそう難しいことでもない。
で、その現場は思ったより遠くなく、ここから5つくらい店舗を挟んだ先のシャッターを下ろした店の前。
一人の女の子に六人の青年が群れている。多分あれらは体育大の生徒だろう。
今時群をなして女の子一人しか捕まえられないという情けない光景を目にするとは流石に思わなかった分吹き出しそうになったが堪え、先ずは警察に一報入れた。
警察なら近くに交番もあることでそう時間はかからないだろうが、状況が快く思えないのは確か。
だから近づいてみた。
「アア~ン。テメ何様だァ。まさかこの子の彼氏って口か?」
「それともピンチな少女救って王子様気取るのかァ~」
「おいガキ。まさかとは思うがいざ近づいて足が竦んで動けませ~んっていうワケないよなァ!」
……ちょ。マジ勘弁。面白すぎてッ… 死ぬ。
何気にほったらかしに歩いているヤツらも陰で笑いを堪えている。
今も何か言っているが… まさかここまで古風な輩だとは流石にわからなかった。
とにかくヤバい! 今すぐにでも抱腹絶倒してしまう。
というか、知らない間に俺の方に六人全員が集中している。
これはいいことなのか?
或いは悪いことなのか?
笑いを堪えるばかり正しい判断は大いに支障をきたされている。
そんな俺の考えを余所にこのチンピラ共、どんどん顔近づけて変ないちゃもんつけてくる。
もう堪えきれない。我慢が解けそうになったその時だった。
「貴様等ァ! 何股に良いモンぶら下げてんのに男ばっかに興味を示す! 先程から無言で見量っていたら注意力は散漫して、それでもってたじろぐ少年にばっかりつっかかる。なんだ、私はそんなに可愛くないか! そんなに貴様らの性欲をそそらんのか! ならばなぜ私の周りに群れた! 私は男共を釣るための生餌ではない! 男食家であるなら最初から群れるな…じゃなく勝手に群れてろ! この腐れホモがッ!」
一同、あ然とした。
だが、チンピラどもの怒りの矛先は全てが直ぐにも彼女に向けられる。
「図に乗れるのも今の内だけだァアア! いけ、ヤローども」
なんて古臭い。今時の特撮戦隊ヒーローのザコでも使わないぞそんな言葉。
但し本人らはそんなこと気にすることもなく、本気にしているのか懐からサバイバルナイフやらウッドスティックやら。
お前らどこの番長ゲーの中盤ザコキャラだって言いたくなるような代物をみんなして出した。
傍観者全員が警察に通報している時点ですでに彼らの人生は終わったも同然だったが、問題はこれからどこまで落下の程度を抑えられるか。
今の状況を見る限り絶望的だが、決して諦めたモノでもない……ハズ。
対する少女は完全に……ってアレ?
今更気づいたが、よく見るとあの制服は今年度から採用されたばかりの新納高…つまり我らが高校の女子制服ではないか。
特徴的な緑色の髪、そして触覚みたいな髪飾り、大福に等しいほど真白でもちもちな肌、なかなか悪くない体型、だらしない着崩し、傲岸不遜で堂々とした態度。
これらの特徴から、ウチの学校にいる女子と言えば一人しか思いつかない。
「園部…唯一。お前の名前で、いいんだな」
唯一はつまらなそうに志和を一瞥し、荷物を投げた。
唯一は精神を落ち着かせ、只ならぬ気迫をまといチンピラを睨みつける。
「貴様らが私に牙を向けると言うなら… その顎を砕いてやるよ」
挑発した。場の気が次第に暗転する一方だ。
この状況、如何に解決した物かとずっと内心ソワソワとしている気配が痛烈に伝わってくる。
双方、いつ飛びかかってもおかしくはない。
時間が経つにつれ場の緊張が酷くなっていく…
まぁ、互いに不利な状態であるため、実際飛びかかることはないだろう。
唯一の場合、彼女自身がどれほどの能力を内包するのかは知り得たことでなくも、相手が大学生の男子六人である時点で極めて不利である。
対する六人は、襲い掛かった時点で退学は免れない。
「それ以前に、ナイフやら武器を持っている時点で停学沙汰だ。なんてことを考えているんじゃないのか少年」
恐ろしく低い男の声が、場の悪い空気を一振りで消し去った。
「けっ、警察だとッ! どうしてここに」
正規の警察官である大柄な男は、尚武器を構えておろそうとしない男たちに物怖じせず応えた。
「こんだけの騒ぎを起こして、まさか誰も通報することがないなんてそんな奇跡的な悪態がこの日本にある訳がなかろう。お前ら、警察署には200件以上の通報が入っている。これだけの騒ぎを起こして警察が動かない、そしてお前たちが停学以上の処分にならない訳がないだろうな」
大柄な男が指を弾くと、後ろからぞろぞろと警察がやってきて、すぐにも六人の身柄を拘束した。
「つれてけ」
その一言で、六人は警察に攫われていった。
他の警察官が状況確認にあたっている中、二人は大柄な景観に絡まれた。
「一先ず、お疲れ様だな。お前ら、怪我とかないか」
「特には」「別に」
「……かなり白けた態度だな。俺が目の前に立って見たヤツは大抵怖がるもんだが、お前らは腰が据わっているんだな」
志和と唯一は一度目を合わせた。
「あんなクズにビクついてる暇があったら逃げていた方が得策でしょうね」
「極論、俺が殺気を向けてたらあいつ等腰抜かすだろうな」
大柄な警官は苦笑した。
「何と悠長な思考かな…」
「ま、いいわ。それよりもアナタ、名前は?」
「俺は大塚…」
「警察にタメ口使わないわよ。そうじゃなくてアナタ、高校の制服着てるキミに訊いてるの」
“大塚”は自分かと思って喜んでしまった自分に対して落ち込んだ。
それはどちらでもいいとして、
「俺にか?」
「そうよ、アナタによ」
「…重ねて問う、俺にか?」
「ええ、体育祭の際にシスコンだって公言されて、挙句暴露大会で頬フェチだってこと全校生徒に言い曝したアナタの名前を聞いてるの」
「……重ねて、」
「アナタ以外に、誰が、いるのかしら…!」
半分怒った様子で顔を寄せて来た。
「ああもうわかったわかった。だから顔を寄せるな」
「わかった言う前に名乗れよ…」
この少女気質的にヤンデレなのだろうか。そんな下らないことを考えていたが、それはさておき。
「志和臣継。お前と同じ一年生だッ…」
名前を言った瞬間に興味なさそうな顔して離れた。
内心、実は寂しかったりするのは伏せておこう。
「志和臣継……覚えてだけは置くわ」
なんてふてぶてしい。というか、知っているから言及するつもりはないのだがこの女、自分の名前は名乗らない。
唯一は投げた荷物を拾うと、さっさと歩きだした。
「帰るのか?」
「悪いかしら、これ以上ここにいても仕方ないからよ」
「身勝手な…。帰るのなら気を付けろよ。多分お前とは道違うしな」
「言ってろー」
唯一は本当に歩いて帰ってしまった。
「なぁ警官、アイツに事情聴く必要なかったのか」
「……」 黙りこけていた大塚は立ち上がると、何事もなかったかのように笑っている。
「正直、アイツをまともに抑えることはできねぇ。あー、なぜならあの娘っ子は…」
「園部【極東路】唯一。極東財閥の一角。中でもあの一家は特に警察との関係が深い」
大塚は正直驚いていた。
「……良く知ってんな。俺ァ自分が勉強しない分、頭の良いやつァ大切にするぜ?」
「実の警官が高校生勧誘とか……コネだけは有難く貰っとく」
「コネクションだけとか…そんな寂しいこと言うなよな」
二人は揃ってため息をついた。
暫くして、志和の方が先に動いた。
「やっぱ、あいつらも保留か」
「まぁ、今回は保留になるだろうな…ってなんでだ」
「あの中に、極東財閥に直接的に関係するヤツがいただろ」
大塚は本当に一瞬動揺した。直ぐにも顔だけ平静を装っていたが既に遅く、また隠しきれてない。
「やっぱそうなんだな。これ以上は聞かない、俺も帰っていいか」
大塚も神妙な顔をして少年に問いかける。
「お前は一体何者だ。俺も仕事上言えることは多くない。だが、こちらが既に把握していることをまさかそこまで詳しく知っているとなると、俺にはお前の素性を知る必要があるが。情報筋があるのなら言えよ」
志和はそれ以上何も言わなかった。
「黙秘権…か。今回は特に問い詰める気もないが、次合った時には教えてもらうぜ」
「…考えとく」
志和も、その場を後にした。
大塚は、これ以上収穫が見込めないことは元から分かっている為、引き上げるよう命じた。
そして、部下が次々と帰っていく中、彼は一人空を見上げた。
「……極東財閥の力、最近は国家をも動かしている。果たしてどうなってしまうことやら」
最後ま残った部下帰ろう時、大塚もその場を後にした。
□■■□
この夜はまだ終わらない。
そういえば志和はバイク通学をしている。勿論学校側の正式な許可を得て、普通自動二輪の免許も持っている。
本人曰く、原動機付き自転車の免許でもよかったが、どうせなら風になりたい。そんな理由から二輪の免許を持っている。
誕生日が4月2日で免許取得は4月4日。運転しだして1年が経つ。
それはさておき。
駐車代ケチって少し離れた大型デパートの無料駐車場にバイクは停めていた。
夜も近く、他の自転車はほとんど消えていた。
だからという訳でもないが、赤い車体のバイクが妙に目立っている。
もとより手前に止めていたため、出すにも不便のない状態となっている。
ポケットからバイクのキーを出したところで、近くに人が意図的に佇んでいることに気付いた。
いや、あれは…
「園部…唯一……か」
すると、声に気付いた緑髪の少女がこちらを向いた。
だが、特に何を言う訳でもなさそうだ。
しかし、志和のバイクの付近に立っていたということは、何かがあったのだろう。
「俺のバイク、やっぱ目立つか」
志和は挑発するよう言い掛けた。
「悪趣味ね……」
それだけ返してきたが、声だけで直ぐにわかった。
「やっぱお前さんか……」
話していて全く悪い気はしないのだが、なぜか面倒事に巻き込まれると推測できたせいで萎えてくる。
「お前などではない。せめて名前で呼べ」
それにしても、態度のデカさは一体何がそうしているのだろうか…
「わかった。じゃあ園部さん、本題に入ろうか。キミは一体なぜここにいる」
すごく不機嫌そうな顔して睨みつけてくるばかりだが、唯一も長く関わるつもりはないのだろう。
「それでは用件のみを簡潔に述べる」
頼みごとを聞いてください。果たしてこう言っては貰えないものだろうか。
怪訝そうに見つめてくる。
しかし暫くすると何を思ったのやら、どこか頭のネジが緩んだかのように呆けてしまった。
待てど暮らせど一向にそれ以上を言わない。
いや、状態からして言えないことなのか?
そんなことを考えているうち、次第に待ちきれなくなるのも事実。
「オイ。俺帰ってもいいのか」
只今の正直すぎる心情を吐露したが、唯一は全く聞いていない様子。
志和は気になって唯一の目の前で手を振ってみたが、見事なまでに動じなかった。
完全に固まってる。それほど言いよどむべき事とはなんだろう。
ふと、唯一が片手に持った風呂敷で包んだような荷物に目が行った。
あの包みに使っている布をつい最近のどこかで見たような…
まぁいい。どこで見たにしてもどこでも一緒のような物。今更気にしても仕方がない。
「帰るぞ」
ヘルメットを被り、バイクに真挙がってキーを差し込もうとしたその時、急に想像以上の力で手を掴まれてしまった。
声をあげて泣いても仕方ないってくらいに痛い。
「おい……何だってんだよ」
訊いては見たが、全く応じる気はない様子。
それにしても目が死んでいる。全く光っていないではないか。
ここまで死んだ目をして掴みかかってくるということは、それは相当な理由があるのだろう。
しかし、見るからに唯一の目線は一点に集中している。
唯一の目線の先を辿ってみると、今まで悩んできた理由の、全て真実がわかってしまった。
「もしかしてこのラバスト、お前のじゃない…よなぁ……」
途端、唯一の顔がより一層険しくなった。
彼女の顔が全ての真実を説いていた。
もはやこれ以上は語るまでもない。あの風呂敷のような荷物は、唯一がつい先ほどまで全身を隠すことに使っていたローブだろう。
あの店の中で聞いた声と、先程まで聞いた態度の大きな態度の声とを脳内で詳しく照合すれば、確かに9割以上の確率で一致する。
そして、実は見えていた。
「今日食堂でやってたゲーム、あれは『メガブラ』だな」
唯一の顔が若干緩んだ。
『メガブラ』 ―『MEGA BRAST』は今や二十年の歴史を持つ格闘ゲームだ。当時から引き継いできたコンボシステムは今尚変えられていないと往年のファンに評判高い。
一方で、近年の加速する3D化に対応するつもりはなく、それが原因なのか「マイナーゲーム」などとユーザーからの酷評を受ける。
「お前が必死こいてやろうとしてたのは、ひょっとしてだがベラトディックスのフェイタルコンボじゃねえのか」
唯一は呆気を取られた。
図星だ。
「あれはクロがやっても殆どできないからな。マジでやろうと思うんなら、少なくともベラのストーリィモードをレベル最高でオールノーダメクリアするくらいの腕が立たない限りは絶望的だぞ…」
「それって……無理があるでしょ」
ようやく喋った。
「気付いたか。なら手を放してくれないか」
「いやよ……」
まだ言い躊躇っている。既に感づかれていること自体は分かっているのだろうが、どうしても自分の口からは言い出せないのだろう。
その深慮、とてもじゃないが志和には汲み取れない。
多分、弱みを握られてしまったということに一番悩んでいるのかもしれない。
このままでは唯一は泣いてしまいそうだ。
この状況を打破するには、どうしても志和の方から切り出すしかなかった。
「……杞憂、だな」
唯一の期に触れた見たく、ただ掴んだだけの手を急に握り締められた。
痛いとは今更言ってられない。
多分、自分の趣味を存分に話せる相手とは巡り会えなかったのだろう。だから、今だここまで強く苦悩を覚えているのか。
「言ってくれないか。俺も知ってしまった以上は看過できない」
優しさだけで言ってはならない言葉かもしれない。
しかし、このまま唯一を放って置くことはできない。
できれば、彼女を苦しめる“孤独”を取り除けられればって、甘い考えは簡単に通用しない。
「何が…何が欲しい」
『当然だ』と言われれば否定しきれない言葉が返ってきた。
「お前が、私を追い込む目的はなんだ。金か? 物か? 体か? 知識か? それとも、豪奢ばる人間の屈する姿を見ることで得られる愉悦か? いや、この際何でもいいだろう。貴様が望む限り、貴様が欲する限り、私は限りなく貴様に施しを与える。…だから、……だから」
唯一はいつしか泣き出していた。しかし、一切恥じらうわけでもなく言葉を紡ぎたてる。
全ては、一人になりたくないから。その一心を志和にぶつけるように言い放つ。
「私の趣味を、他の第さム……ンムッ!?」
叫びは届かなかった。なぜなら志和が唯一の口を無理につかんだからだ。
唯一は思わず志和の手を掴んだ片方の手を放し口を掴む志和の手を解こうとした。しかし、かなり強い力で掴まれている為か、彼女の剛力を以てしても全然びくともしない。
その頃の志和は、憤っている。
「悪いな。俺はマンガの主人公みたく女の子に優しくすることすら出来ないほど不器用だからな。それに今、俺には言わねばならない主張がある。悪いがこのまま聞いてもらうぞ…!」
唯一が苦しみもがいているが、それを心配することも、笑うこともなく、ただ怒りを顕わにするばかりだった。
「先ず。俺がいつお前の秘密とやらを取引材料にすると言った。言っておくがお前の秘密を知ったからと言って別段変わった行動を仕立てるつもりはない」
それを聞いた唯一は過剰に暴れることからやめた。
少しは聞く気になっているからと言って志和は力を弱めない。
「次に。確かにお前の秘密を学校で明かして俺自身に損はない。また秘密を握っているのは好条件ではあるだろう。だがな、俺は秘密がキライだ。ある徳は人間関係をより親密なものにする場合もあるだろうが、その反面多くの損益を生みだす。結局損得の話をするだけでも損の方が明らかに多い」
正しく身勝手な持論だ。
「故に。俺は基本内緒ごとは受け持たない。しかし、強い要望があれば従うまでだ」
唯一は手をひっぺがそうと必死になっているが、確かに志和の言葉も聞いている。
現に、彼女の抵抗が、話を聞く度に弱くなっている。
「更に。俺が求めるのはいつも表向きな等価交換に尽きる。ゆすることは俺の中では断じてあってならないことだ。だから俺は宣言してやるよ。お前の秘密をいくら持ったとしても、それらを材料にお前に要求することは断じてしない。こればっかりは誓約しても全く不便ない」
唯一には抵抗する気がなかった。疲れたということもあるが、少なからず話がここにまで届いているからというのは強ち間違いではない
「最後だ。こればっかりは信じてもらってもそうでなくてもいい。だがな、俺の親父と祖父は事情を一人で抱え込んでしまったが為に殺された。拍子じゃない。確実に狙って殺された。だから俺は一人で抱え込む問題があってはならないと思ってるし、そして出来ることなら率先して相談に乗ってやりたいとも思う。殺されることがないにしても、自殺されることも困るしな……」
唯一にはわかっていた。志和は既にこちらを見て話していない。
本当に、死んだ親たちを目の前にして話しているようにも錯覚してしまうほど遠くを見ていた。
ここでようやく志和が手を放した。
同時、放したばかりの手で唯一の額を弾いた。
「あてっ…」
唯一は額をおさえた。そして、志和はというと唯一の頭を撫で笑っていた。
「改めて聞く。お前が抱え込んでいる事情。いや、お前が秘密だと言うその内容を、俺に聞かせてくれないか」
彼は本気だ。
その気を漸く察して取れた唯一は、まだ躊躇うところもあるが心穏やかに話す。
「……言わずもがなわかっている通り、私はゲームについて人一倍詳しいです。アニメに関しては深夜放送帯のものも欠かさず見てます。話題性のある物からそうでない完全な好みで選ったマンガやラノベも多く持っています。それは、私がオタクだと呼ばれて仕方がないまでに」
唯一は志和の顔色を覗いつつ話したが、彼には様子が変わるような兆候は一切見当たらない。
唯一は暫く黙りこくった。しかし、志和は特に言及しない。
「ねぇ。これだけはってことが一つだけある。言わなきゃダメ?」
「……できれば言ってほしい。聞いたことはできる限り俺の方でもバックアップできる体制を整えておきたい。それは、お前に現実喪失してほしくないからだ」
唯一にはどうしても排除しきれない不安があった。
「でも、こればっかりは完全に性癖だよ。正直ドンびく可能性も排除できない。でも、今の私は微かな否定でも心が崩れる。それでも聞きたいって、責任を持って言える?」
「勿論だ。でなければなんでお前に必要のない身勝手すぎる暴力を振るった。言ってくれなきゃ俺がただの暴力男になり下がっちまう」
「そっか……」
唯一は、尚悩んでいることがある。
「しつこいようだけど、今から行ってしまうことは私の生きがいだ。絶対に否定されてはならないから、だから誰にも言わないことだよ。それでも、アナタは私の命すら与る覚悟があるのかって、そう聞いたらことの重要性が伝わりやすいかな?」
「問題ない。俺の覚悟は決して変わらない。たとえ、限りない量の人間を敵に回したとしても、俺の決意が曲がることは断じてない。だから、何の心配もなく気軽に話してくれると、俺は限りなくうれしい」
唯一はそれだけを聞くと心を落ち着かせに入る。
相当悩めることだが、目の前に親身になって聞いてくれることを約束してくれる人がいる。それだけでも唯一には心強い味方だ。
彼女は決心した。
「あのさ……ホントにこれは表現次第なんだけどさ。私の基本的な精神構造は…」
唯一としても恥ずかしい事であるため、半泣きだ。
だが、志和は顔色一つ変えることなくただ聞き続ける。
二人は息を呑んだ。
「本質的には……おっさんなんだけど」
?
「言葉のあやかなァ!? いいや違うし。実際私の心はエロおやじみたいなもので、色恋沙汰には目がなくって、異性愛・同性愛はどっちもいける派なの。だからなんというか、エヘェ… 周りのみんなが全員総受けだったらなって、いつもそんなことばっかり妄想してるの」
危ないと言われれば否定できず、またどこか受け入れがたい内容であるが、自分が全て受け入れると言った以上は決して否定しない。
いろいろごちゃごちゃと考えていた結果、苦笑した。
「ハァアアアアアアアア!? アンタ否定しないって…アレほどぉ」
「ちっ違う。これは誤解だッ! 勘違いしないでくれ」
「ウソ仰い! アンタ確実に『こいつバカだな』って心の中で嗤ったな」
「そんなことはない! それは完全に冤罪だ!」
「ホントかぁ~~~」
「ホントだ。もっと俺を信用してくれぇ」
んふふっとからかうように優しく笑った。
そして、突如唯一は腕を伸ばした。
この咄嗟の事態に防御姿勢に入ったが、それより早く攻撃が通った。
デコピンだ。
「もうちょっと私を信用してほしいね。それとこれはさっきののお返し。ああ、あとこれから私の事はユイって気兼ねなく呼んでよね、オーミ」
「へ、は? おいっ、それってどういう……てかどこ行くんだよ」
「帰るの。あと『どういうこと』って聞くまででもない筈なんだけどね」
唯一はとても快い笑顔を絶やすことなく帰った。
後に次いで志和もその場を後にした。
そして、その現場をずっと見ていたある人物もその場を後にした…
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