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「俺…結亜さんが好きだ…」
一瞬何を言われたかわからなかった。
だって、まだ知り合ってから10分も経ってない。
リングだって返してもらってない。
確かにあのリングはもう意味のないもの。
別れた彼にもらったものだから。
未練があるつもりはない…もう、彼は別の人のものになってしまっているのに。
細くなった指にはリングのサイズが合わなくなっていることも気づいていた。
でも、なぜか手放せなかった。
たぶん…弱いんだ。自分の心が。
2ヶ月前、突然別れを告げられた。
「ど…うして…?」
理由を何度聞いても彼は何も言わなかった。
ただ、別れたいの一点張り。
二人でよく行ったカフェで、このリングをもらったカフェで…わたしたちは別れた。
突然すぎて、何が起こったのか理解するのに時間がかかった。
そのとき、目の前にカフェオレが運ばれてきた。
「先ほどのお客様からです」
若い男の子の声。
カフェオレのカップを手で包んでいると、少しだけ気持ちが和らぐ気がした。
視界がぼんやりと滲んだ。
考えを打ち切るかのように、視界の端で何かが動いた。
彼がわたしの肩に埋めていた顔を上げたのが見えた。。
正面からじっと真っ直ぐな瞳で見つめられる。
――逃げられない。
本能的にそう感じた。
あごを持ち上げられ、2度目のキスが降る。
初めて会った人なのに、半ば無理やりで、しかも同意もないキスなのに、嫌じゃないのは…どうしてなの?
そのキスを受け入れてしまっている自分が不思議だった。
でも…流されちゃいけない。
だってこんなのアクシデントに過ぎないし、若い男の子に好きだって言われて舞い上がってしまうほど、若くもない。
初めて会ったのに好きだって言われても実感もないし。
もしかしたらどこかで会ってるのかもしれないけれど、でも、覚えていなかったら同じだもの。
キスの間、彼の腕からは力が抜けている。
片方はわたしのあごをとらえているから、逃げるなら今がチャンスかもしれない。
心の中でタイミングを図る。
ふっと唇が離れた瞬間、思い切って駆け出す。
彼は追いかけてくるだろうけど、でも逃げなきゃ。
…走り出してから、リングを取り返していなかったことに気付いた。
でも、振り返ることは出来なかった。
結局、あの日、彼は追いかけては来なかった。
どうしてとか何故とか思い悩んでも、当事者が欠けている状態じゃ、答えは見つからない。
わたしに残されたのはあのときの彼の唇の感触だけ。
久々に街へ出た。
リングをくれた彼と別れてから、なかなか気持ちが外へ向かず、鬱々と過ごしてきたけれど、いい加減前へ進まなくちゃいけない。
ふと、よく行ったカフェを思い出した。
あそこにはいろいろな思い出がありすぎるけれど、でも…何故だろう。行かなくちゃいけないという想いが強かった。
そこはオープンカフェにもなっていて、今日のような天気のいい日は外の方が満席になることが多い。
でも、まだ早い時間帯だからだろうか、空いてる席もそれなりにあった。
その一つに腰掛ける。
しばらくすると、注文を取りに店員がやってくるはずだった。
それを待ちながら、ぼんやりと街行く人々を見ていた。
すると、目の前にすっとカフェオレが置かれる。
「え?まだ何も頼んでない…」
店員の方へ顔を向けると、そこには彼がいた。
「結亜さん、これ…」
カフェオレの次に置かれたのは、あのリングだった。
「これがないと落ち着かないんでしょ?」
そう言って、彼は右手の薬指を示す。
無意識に右手の薬指を触っていたらしい。
彼に言われるまで気付かなかった。
「俺、半端な気持ちでキスしたんじゃないよ?ここで結亜さんのこと見かけて、好きになって。あの日、最後のチャンスだと思ったんだ。逃げられたのはショックだったけど…。でも、こうやってリング返せてよかった」
それだけを言って、彼はそこを立ち去ろうとする。
…どうすればいいとか、考えたわけじゃない。
考えるよりも先に行動していた。
「え?」
彼が振り返る。
わたしは彼の腕を捕まえていた。
そのまま立ち上がる。
驚く彼の姿が視界に入る。
そのまま懸命に背を伸ばし、彼の唇に自分のそれを合わせた。
その瞬間、我に返り、顔が赤くなる。
「あ、え、ご…ごめんなさい!」
それ以上何も言えずに店を飛び出す。
――わたし、何してるの?
でも、結局…店の裏で捕まってしまった。
「俺、期待してもいいの?」
彼の表情が硬い。緊張しているのがわかる。
自分の行動がよくわからなかった。
でも、彼のキスを期待していた自分がいたのも嘘じゃない。
近付いてくる彼の顔。
そして…甘いキス。
04.04.24(初出)/10.02.11(改稿)




