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「何するのよっ!」
――バシッ。
駅裏の路地に響く鈍い音。
「いってぇ…ひどいなあ」
でも、なんだか幸せだった。
だって、やっと彼女―仲嶋結亜とキス出来たんだ。
バイトが終わって、駅裏を歩いていた。
なんだかまっすぐ帰るのも面倒で、どうやって時間を潰そうかと考えていた矢先だった。
「踏まないで!」
後ろから声が掛かった。
なんだ?と思って振り向くと、そこには彼女がいた。
その視線を追いかけていくと、鈍く光るものが足元に転がってくるのに気付いた。
それを身をかがめて拾い上げる。
「……これ、おネェさんの?」
声が震えなかっただろうか?
…1年前、彼女を見かけた。
バイト先のカフェ。
仲睦まじく、寄り添う二つの影。
男の手には小さな箱が握られていて、それを彼女が嬉しそうに受け取っていた。
それから、彼女の右手には同じリングがずっと飾られていた。
そして、2ヶ月前。
硬い表情で向き合う二人がいた。
先に男が出て行く。
その後、彼女の瞳にうっすらと光るものがあったのを俺は見逃さなかった。
はっきり言えば、一目惚れだった。
幸せそうに笑う彼女に。
俺があの笑顔を与えてやりたいと思うほどに。
でも、彼女の笑顔はあいつにしか向けられないのもわかっていた。
俺はただその二人を見てることしか出来なかった。
2ヶ月前のそのシーンを見て、別れたんだろうというのはなんとなくわかった。
だからって、彼女に近付くとか、告白するとか、そんなことは出来ない。
だって彼女は俺の存在を知らない。
「そうよ…大事なものなの。拾ってくれてありがとう」
彼女の微笑みに嘘は感じられなかった。
「…ふうん。大事なものねえ…」
別れたはずなのにそのリングはまだ…大事なもの…なんだ。
まだあいつのことを忘れられないんだろうか?
切ない想いが胸の中をよぎっていく。
「お礼もらってもいいのかな?」
「お礼…?」
彼女が首をかしげる。
きっと神様がくれたチャンス。
このチャンスを逃せば、もう彼女との接点はなくなってしまうだろう。
多少卑怯な手段を使ってでも、このチャンスを活かさなくちゃ。
彼女との距離を詰める。
きょとんと俺を見上げるその無防備な姿にはやる心を抑えられない。
…そのまま彼女の唇にキスを落とす。
…キスの代償は多少痛くついた。
でも、これで彼女の中に俺の存在が刻まれたことだろう。
「リング、返して」
彼女はぐいっと手の甲で唇を拭う。
そのしぐさに少し傷付いたけれど…。
「おネェさん、意外と気が強いんだね」
俺は幸せそうな彼女と傷付いた姿の彼女しか知らなかった。
こうやって気が強い彼女を見るのも新鮮で。
ますます彼女に惹かれていく。
自然と笑みがこぼれる。
「俺、舘葉桐梧。お姉さんの名前は?」
少しでもつながりを深くしたかった。
これでさよならなのも淋しすぎるから。
「名前、教えてくれないなら、返さないよ?」
意地が悪いのは承知してるけど、リングを盾にする。
こんなもの捨てればいいのに。
あんな男…忘れればいいのに。
「…仲嶋結亜」
仕方なく教えてるんだという態度がありありと浮かんでる。
「かわいい名前だね」
でも、俺は単純に嬉しかった。
初めてこの想いに気付いてから1年。
やっと名前を知ることが出来た。
その想いが溢れていく。
「きゃっ」
気が付けば彼女の手を取り、腕の中に引き込んでいた。
彼女の温もりが俺の心を満たしていく。
同時に、あの男を忘れていない彼女の心が欲しくなる。
「離して…」
彼女が俺の腕の中から逃れようと身をよじる。
いやだ。やっと捕まえたのに…。
彼女を逃がすわけにはいかない。
彼女を捕らえる腕に力を込める。
あんな男のことは忘れて…。
「俺のこと好きになってよ…」
思わず本音が口をつく。
彼女の肩に顔を埋めてしまうと、切ない想いで胸がいっぱいになった。
「俺…結亜さんが好きだ…」
04.04.22(初出)/10.02.11(改稿)




