第9章 別れ
君の家に着いてインターホンを押すと、無表情の君が出てきた。
「携帯、返せよ」
「拓真くん……許さない……」
「だから誤解だって」
「じゃあ、メールを送ってきた人をここに呼んでよ」
それで君が納得するのなら、そうしよう。
「分かったよ。その人に電話するから、携帯持ってきて」
「うん」
君は僕の携帯電話を持ってきた。ともちゃんに電話をする。
「もしもし」
『どうしたの?』
「今から、佐沼駅へ来てほしいんだ。沙織が、僕とともちゃんが浮気してるって勘違いしてる。ともちゃんの口から、説明してほしいんだ」
『……分かった』
電話を切ると、僕は君に「じゃあ、佐沼駅へ一緒に行こう」と言った。
「ちょっと待ってて」
君はバッグを持ってくると、玄関の鍵を閉めた。
駅で待つこと数分、ともちゃんの姿が見えた。
「今日は」
ともちゃんは君に挨拶したが、君は無言でともちゃんを見つめていた。
「僕とともちゃんはただの友達だよな?」
僕が訊くと、ともちゃんは目を伏せて、
「友達なの?」
などと口にした。思いがけない言葉に僕は慌てる。
「そうだろ? ともちゃんは政和の元カノ。それだけの関係だろ?」
「私は、拓真くんのことが好き」
君は口を真一文字に結んでともちゃんの言葉に耳を傾けている。僕の首筋を冷たい汗が流れた。
「でも、僕は沙織と付き合ってる」
「それでも、好き」
ともちゃんははっきりと言った。
「……やっぱり浮気してるんだ」
君が恐ろしいほど冷たい声で言った。
「だから違うって」
君がバッグをあさる。そして取り出したのは――。
「さ、沙織……!」
「許さない」
君は包丁を両手で握った。刃先は僕に向いている。
「大丈夫だよ、拓真くん。ずっと一緒だって言ったよね。私も、すぐ後を追うから」
「沙織、止めろ!」
僕の足は震えていた。運悪く、駅には僕たち以外誰もいない。君が僕に近付いてくる。僕は怖くて足が動かない。嫌だ、こんなところで終わりたくない。
その時だった。
「沙織ちゃん!」
政和が叫びながら君に後ろから抱き付いた。
「政和……くん」
「駄目だ!」
「離して……私は拓真くんとずっと一緒にいるの」
「駄目だって!」
政和が君の手から見事包丁を奪い取った。僕は足の力が一気に抜けてその場に座り込んだ。
「どうして……? どうして止めるの?」
君は涙を一筋流しながら崩れ落ちた。
「沙織ちゃんのことが好きだからだよ!」
政和は君を抱き締めた。僕は何だか夢の中にいるようで、でも「大丈夫?」と言ってともちゃんが差し伸べてくれた手を掴んだとき、ああ、これは現実なんだと思った。
「私の……ことが……?」
「そうだよ。俺は沙織ちゃんのことが好きなんだ。俺なら沙織ちゃんとずっと一緒にいる。約束するよ」
僕はふと気になって政和に訊いてみた。
「何で、僕たちがここにいるって分かったの?」
「沙織ちゃんからメールが来たんだよ。『今から、佐沼駅で拓真くんを殺して、私も死にます』って」
そうだったのか。
「本当に? ずっと、一緒にいてくれるの?」
「ああ。だから拓真のことはもう、好きにさせてやれ」
「拓真くん……」
君が僕の方を見た。僕は、君を好きだった気持ちが一気に薄れて恐怖しか感じなかった。君は僕へ歩み寄ると、そっと口付けをしてきた。そして、僕の目を真っすぐと見て、言った。
「私、政和くんと付き合ってみる」
僕は解放された気持ちになった。
「さよなら、拓真くん」
まさか、そんな簡単に心変わりしてくれるとは思わなかった。これでもう、何通もメールが来ることも、何件も留守電に吹き込まれることもないんだ。僕はほっと息をついた。
「じゃあ、帰ろう。沙織ちゃん。家まで送るから」
「うん」
政和は君の肩を抱きながら、君の家へと歩いていった。駅には、僕とともちゃんだけが残された。
「良かった……拓真くんが殺されたら、私、どうにかなっちゃうところだった」
「ともちゃん、怖い思いさせてごめんな」
「ううん。拓真くんが殺されそうになったのは私のせいだもの。私の方こそ、ごめんね」
そして、ともちゃんは僕にキスをした。柔らかい唇。僕はともちゃんと付き合うことになるだろうな、とぼんやりと思った。十八の夏だった。