『懺悔』【掌編・文学】
『懺悔』作:山田文公社
祈りを捧げる間もなく少女は逝った。毎年この国境付近には多くの難民が流れ着いて、国境を超えて行く。国境の向こうは自由が待っているが、ほとんどが国境を越えることなく死んでいく。それは長い間の飢えと町中に蔓延している疫病に付け加えて、越境を阻止する国民軍の手による粛正行為があるからだ。
狂乱するほどの嗚咽が響き渡る。それは先ほどの少女の母親だった。ひとしきり泣き喚き、祭壇の神とイエスを罵った。私はただ目を伏せて非難から逃れた。やがてひとしきり泣いた後になり、教会の扉は開き国民軍の兵士が3人ほど入って来て、先ほどの母親を連行していった。正規の逮捕だと公言しているが、恐らくは暴行して楽しんだ後に殺して、霧の深い西の森へと捨てるのだろう。
兵士の一人が小さな包みを祭壇に置き、祈りを捧げる。私は兵士へ洗礼をする真似をして、祭壇の供物をこっそりと回収する。そしてよるも静まり、表の扉を閉じてから私は自分一人である事を確認すると、祭壇に跪き懺悔するのだった。
「お許しください、どうかお許しください」
こうして人が集まる以上は、教会に人は集まってくる。集まってくる以上は国民軍は目をつけるのは当然で、教会を取り壊す動きがでたのも当然であった。私は素直にその事に従えば良かったのに、ここにとどまる事と、教会を存続させる事に執着してしまった。引き替えの条件は家族の身柄の拘束だった。私は家族を人質にとられ、教会に集まり越境する人間の情報を国民軍へと渡す役目を言い渡された。
すぐにでも教会を手放せば良かった……けれど家族の事を考えると、もう迂闊な事は何も出来なかった。彼らは息をするように私の家族をためらいもなく殺すだろう、それから私は軍の内通者として教会に来る土地の者ではない情報を報告するようになった。
そしてその日から私の『懺悔』は始まった。捕まえて収容施設に送るという話だったのに、女は遊ばれてから殺され、男は狩りの獲物として森に放たれて殺されるのが実態だった。若い新任の兵士が懺悔で告白したのを聞いて知ったのだった。
檻の中には家族……妻と最愛の娘が入っていて、その中には野獣が歩いている。野獣を妻と娘の方へ向かせない為に代わり生け贄を放り込み安息を得ているのだ。
「お許しください、どうかお許しください」
こうして一日の終わりは私の懺悔で締めくくられて終わる。かならず終わりの日が来ると信じて、だがその日は案外すぐに訪れた。
いつもの通り教会を開けると、まず地元の人がやって来る。礼拝が済むと彼らは帰っていく。そして昼頃から夕方頃に越境者はやって来る。その顔には厳しい困難を乗り越えて来た者特有の渋みがある。いつもの通り越境者と思わしき人々が見えた。私は電信にて報告する。その方法は実に簡単で、軍部に電話をかけてから二度切れば良い。受話器に一度も耳を当てる事なく報告がすむのだ。
報告を済まして教会の礼拝堂へ戻ると懐かしい顔が居た。それは都市部にいる妻と娘だった。妻は私に気づくと口に手を当てて驚き、娘は思いきり駆けてきて飛びついた。
「パパ」
「おお、大きくなったな」
娘を抱きかかえる姿をみて恐る恐る近付いてきたのが妻だった。
「嘘でしょ……死んだって聞いたから」
そう言い妻は私に泣きながらしがみついてきた。色々と気になる部分はあったが、私は久しぶりの再開に嬉しくて二人を強く抱いた。包容していると、男が大声を上げて入ってきた。
「ジェシカ!」
すると妻はその男の方へと振り返った。
「ジェシカ! エリンさぁ行こう」
どうやら娘と妻を呼んでいる様子だった。私が怪訝な顔をしていると、妻が下唇を噛みしめて娘の手を引いてその男の方へと歩き出した。私が声を出して呼び止めようとすると、男と妻が抱き合ってから出て行った。走って追いかけると、タクシーに乗り込み近くのホテルへと向かった。
私は後を追うべきか悩んだ。私は何度か礼拝堂の中と表通りを見比べた。そして表通りを走りだした。ホテルに着くとロビーへと駆け込んだ。エントランスには妻が居た。
「来ると思った……ゆっくり事情を話すから、ついてきて」
向かったのはホテルのカフェだった。お互い向かい合うように座り、妻はゆっくりと今までの事を話始めた。それは妻と娘と引き裂かれてからしばらくした頃に、軍部の者から私が死んだ事を聞かされたらしい、それでしばらくは未亡人でいたが、生活費の事もあり再婚したのだという。
「仕方なかったの……」
私の手は震えていた。それは怒りなのか運命の残酷さ故なのかは判らなかったけど、少なくとも私のしたことは、してきた事は何もかもが無駄であった。都市部に居る妻と娘の為に手紙や生活費を仕送りしていたが、この様子ではまったく届いて居なかった。何度か家族からきた手紙も……仕組まれた物だった。全て気づいた時に自分のしてきた愚かさを知る事になる。あの報酬の金も自分から出たものだった。つまり軍部の人間は一銭も出していないのだ。家族宛に送ったお金は、実は自分の報酬用に受け取っていて、貯めたお金は家族には届かずに一部が自分に返ってきていたのだ。
懺悔は許されていなかった……。それだけが事実であった。
「今日は……越境するな、教会にも来るな」
そう妻に言い残し私はその場を後にした。灰色の雲が空を覆い、道行く人々は疲れ切った顔をしていた。私は私で世界に絶望していた。今日ほどの困難など人生にはなかっただろう。行いはただ裁かれて、許しを請うても、時に許されないことがある。
祭壇を前に跪く、ただ一日祈りを捧げる。忠告が届くようにひたすらに祈った。
しかしそんな祈りも虚しく、妻は来た……娘の手を引く新しい旦那がいた。私は乱暴に叫んだ。帰るように叫んだ。彼女もまた何かを叫んでいる。だが何もかもが遅く、全てのタイミングが悪かった。国民軍は妻と娘を捕まえた、旦那も捕まった。私は膝から崩れ落ちた。祈りなどでは救えなかった。懺悔など許されるものではなかった。
扉の重く閉じる音だけが響き渡った。
静かな礼拝室の椅子が並ぶ廊下に、表の扉へと手を伸ばして懺悔を捧げる格好をした私だけが取り残された。
この日から神に祈る事を辞め、素直に人に祈るようになった。そして国境を越えてこの街で起きている現実を広める為に私は越境した。その間にも懺悔だけは欠かす事はなかった。犯した罪は消えなくても、罪を犯した事を忘れない為に懺悔を続けることにした。
ただ、終わることのない懺悔を……。
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