この前掛けは、捨てません。──追放された宮廷料理人の私が、四代分の継ぎ接ぎに込められた"最後の魔法"を解いてしまった件
「お前のような平民上がりに、王家の祝宴は任せられん。──その薄汚い前掛けごと、城を出ていけ」
純白の料理着に、磨き上げた爪。
新任宮廷料理長ベルナール・ド・ロシュフォールが、鼻先で笑いながらそう言い放った。
ああ、来た。
私はぼんやりと、彼の指先を見ていた。
(あの手、鍋肌を触ったことすらないんですよね)
私の名はカレン。宮廷料理長見習い。──前世は現代日本の老舗料亭で、三十年下働きをした料理人だ。
最後は過労で倒れ、出汁を引く鍋の前で息を引き取った。
そして気づけば、この異世界の厨房で、また鍋の前に立っていた。
「聞いているのか。その継ぎ接ぎだらけのボロ。見ているだけで食欲が失せる。不衛生だ」
ベルナールが顎で示したのは、私が身につけた前掛けだ。
四代分の、異なる布を継ぎ接ぎした一枚。色も生地もばらばらで、確かに、何も知らない者の目には『薄汚いボロ』に見えるだろう。
周りの同僚たちがくすくすと笑う。
「あんなボロ、さっさと捨てれば出世できたのに」
「料理長に逆らうから」
私は喚かなかった。
ただ、静かに前掛けの裾を握り、深く頭を下げた。
「……お世話になりました」
それだけ言って、踵を返す。
背中で嘲笑が弾けるのを聞きながら、私は心の中だけで呟いた。
(この前掛け、四代前から“代々受け継がれて”きたものなんですけど)
(誰も、その意味を知らないんですよね)
初代の繕い目。二代目の刺繍。三代目の当て布。四代目の縫い直し。
そのひと針ひと針に、何が縫い込まれているか。
──それを知らずに、あなたは私を追い出した。
いいでしょう。
せいぜい、思い知ればいい。
* * *
城を出て三日。
私が流れ着いたのは、冒険者ギルド併設の場末の食堂だった。
「行き場のない子だね」
恰幅のいい女将が、私を一目見てそう言った。色褪せたエプロン、煮込みの匂いの染み付いた腕。名はマルゴというらしい。
「理由は聞かないよ。腹は減ってるかい」
「……はい」
「うちは身分も種族も聞かない。腹が減った奴に飯を出すだけだ。働けるかい」
私は頷いた。そして、厨房に立った。
まず、出汁だ。
適当に煮ていただけの寸胴を見て、私は無言で作り直す。
アクを引き、雑味を抜き、骨と香味野菜から旨味だけを抽出する。
前世で三十年、嫌というほど叩き込まれた段取り。
仕込みを整え、保存の利く常備菜を作り、まな板を熱湯で消毒する。
マルゴが鍋を覗き込み、一口すすって──目を見開いた。
「……あんた」
「はい」
「あんた、ただ者じゃないね」
私は少しだけ笑った。
「久しぶりに、誰かが私の料理を見てくれた気がします」
その夜だ。
カウンターの隅に、身の丈に迫る巨躯の男が座っていた。
漆黒の角と鱗。竜人だ。
誰とも目を合わせず、干し肉を齧り、真顔で呟いている。
「……これ、味がしない」
マルゴが小声で耳打ちする。
「ガロだよ。S級冒険者。強さは一国の軍勢並みだが、味音痴で人付き合いがなってない。いつも一人さ」
味がしない、か。
私は黙って、湯気の立つ椀を彼の前に置いた。
引いたばかりの出汁に、根菜と肉を溶かし込んだ汁物。
ガロが訝しげに、一口、すすった。
動きが、止まる。
「……うまい」
巨体が、震えた。
「なんでだ。……涙が、出る」
強面の竜人が、椀を握りしめて泣いていた。
(何百年生きてきたんですか、この人)
「……おかわり、いりますか」
私は何も言わず、おかわりをよそった。
* * *
それから、食堂の飯は評判になった。
ガロは毎日通ってきた。礼を言う代わりに、なぜか厨房口に希少な食材を黙って積み上げていく。
不器用な男だ。
「礼ならいいんですよ。普通に、ありがとうって言えば」
「……うるさい」
そっぽを向く竜人を、マルゴが腹を抱えて笑った。
穏やかな日々だった。
──だが、王国に異変が起きた。
ギルドに張り出された緊急依頼。冒険者たちのざわめき。
「国境の魔物除けの結界が、弱まってるらしい」
「建国以来続いてた『祝宴の儀式料理』が、機能しなくなったんだとよ」
「料理長が再現できないって、王宮は大混乱だ」
マルゴが眉をひそめる。
「国境の魔物除けの結界が、弱まってるらしいよ。建国以来続いてた『祝宴の儀式料理』が、機能しなくなったんだとさ」
祝宴の、儀式料理。
私はスプーンを握る手を止めた。
(……ああ。やっぱり、そういうことか)
建国の聖女の側近だった初代宮廷料理人。飢饉を救った伝説。
そして、四代にわたって繕われ続けてきた──この前掛け。
私は前掛けの繕い目を、そっと指でなぞった。
初代の縫い目を、一つ、ほどく。
──浮かび上がったのは、布に縫い込まれた古代魔法陣の、断片。
間違いない。
この前掛けの継ぎ接ぎこそ、失われた儀式料理の真のレシピ。
四代の料理人が、国を守る術を次代へ託すため、あえて目立たぬ姿で隠し伝えてきた聖具だったのだ。
それを、ベルナールは『薄汚いボロ』と切り捨てた。
「カレン、どうした」
ガロが覗き込んでくる。
私は前掛けを締め直し、立ち上がった。
「ガロさん。マルゴさん」
「ん?」
「私が辞めさせられたあの厨房、結界ごと落とす気ですか」
二人がきょとんとする。
「……は? どういうことだい」
私は、静かに微笑んだ。
「──仕方ない。出張ります。我慢の限界じゃありません。料理人として、放っておけないだけです」
これは我慢の限界じゃない。
料理人として、放っておけないだけだ。
* * *
王宮の大広間は、絶望の色に沈んでいた。
結界の崩壊まで、あとわずか。
儀式を再現できないベルナールは、青ざめた顔で部下に怒鳴り散らしている。
「だから! なぜ料理が完成しない! お前たちの腕が悪いのだ!」
他責もここまで来ると、いっそ清々しい。
「失礼します。結界を、立て直しに来ました」
私が継ぎ接ぎの前掛けを締めて広間に入ると、ベルナールの顔が引きつった。
「き、貴様……追放したはずの平民が、なぜ」
王が身を乗り出す。
「お前に、できるのか」
私は答える代わりに、前掛けの繕い目を、一つずつ、ほどき始めた。
初代の魔法陣。二代目の陣。三代目。四代目。
四枚の布に分かれて縫い込まれていた古代魔法陣が、繋ぎ合わさり、一つの完全な紋様を描き出す。
広間が、息を呑んだ。
「これは……失われた、儀式料理の真のレシピ……!」
「ええ。四代の宮廷料理人が、次代へ国を守る術を託すために、あえて『みすぼらしいボロ』を装って隠し伝えてきたもの。これが、失われた儀式料理の真のレシピです」
ベルナールの唇が震えた。
「そ、そんな……私が、捨てさせようとした、あれが……」
私は厨房に立ち、前世の段取り力で、不可能とされた大規模祝宴を取り仕切った。
仕込み、火入れ、盛り付け、加護の儀。一切の無駄なく、淀みなく。
料理に古代の加護が宿り、光が立ち昇る。
──国境の結界が、再生した。
歓声と安堵のため息。
そして、その中で。
ベルナールが、がくがくと震えていた。
自分が『薄汚い』『不衛生』と切り捨てさせようとしたボロこそが、国を守る聖具だったと知って。
顔面は蒼白。腰が抜けたように、その場にへたり込む。
私は彼の前に立ち、静かに見下ろした。
「ベルナール様」
「ひっ……」
「どのツラさげて私を追い出したんでしたっけ?」
怒鳴りはしない。
ただ、静かに微笑んだ。
それだけで、断罪は完成した。
* * *
「カレンよ」
王が玉座から、深く頭を垂れた。
「お前を宮廷料理長に任ずる。そして、聖具継承者の名誉を授けよう。望むものは何でも与える」
広間中の視線が、私に集まる。
地位。名誉。富。かつて私を追い出したこの場所の、頂点。
──でも。
私は、ゆっくりと首を横に振った。
「ありがたいお話ですが、辞退します」
ざわめきが起こる。
ベルナールですら、信じられないという顔で私を見た。
「なぜだ……地位も名誉も、すべて手に入るというのに……」
私は前掛けの繕い目を、そっと撫でた。
「私はこの前掛けを、次の誰かに繋ぐまで。ただ、美味しいものを作る人でいたいので」
地位が欲しかったわけじゃない。
初代も、二代目も、三代目も、四代目も──きっとそうだった。
だから彼らは、名誉ではなく『前掛け』を残したのだ。
無名のまま、ただ国の腹を満たし続けるために。
その矜持を、私は継ぐ。
広間を出ると、扉の外でガロが壁にもたれて待っていた。
「……終わったのか」
「ええ。帰りましょう。私たちの食堂に」
ガロは何も言わず、ただ私の隣を、巨体で守るように歩いた。
結界再生の最中、誰よりも先に私の背を守ってくれたのは、この不器用な竜人だった。
身分も、種族も超えて。
まだ、名前のつかない温度のまま。
* * *
食堂に戻った夜。
私はふと、自分の前掛けに気づいた。
──五枚目の、真新しい布が、いつのまにか縫い足されている。
四代分の継ぎ接ぎに、新しく加わった一枚。
(……私の、代の証か)
誰が縫ったのか。あるいは、前掛けが自ら次代を刻んだのか。
それはわからない。
ただ、温かかった。
「カレン、注文だよ!」
マルゴの声。私は「はい」と答えて、いつもの厨房に立つ。
出汁を引き、鍋を温める。何も変わらない、けれど確かに続いていく日々。
ガロがカウンターの定位置で、湯気の立つ椀を待っている。
その時だった。
食堂の扉が、おずおずと開いた。
痩せた身体に、大きすぎる古着。栄養不足で青白い頬。
けれど、その瞳だけは、飢えたように好奇心で輝いている。
孤児の少女だ。十歳くらいだろうか。
少女は、私の前掛けをじっと見つめた。
四代──いや、五代分の、継ぎ接ぎを。
そして、震える声で言った。
「……あたしも」
「ん?」
「……あたしも、その前掛け、繕える人になりたい」
私は、目を見開いた。
(かつて、誰にも評価されなかった私自身が、その瞳に映っている)
今は何も持たない、みすぼらしい少女。
──でも、それは。
四代の前掛けが、五代の前掛けが、そうであったように。
そのみすぼらしさの下に、まだ誰も知らない真価が眠っている、ということだ。
私はしゃがんで、少女と目を合わせた。
「名前は?」
「……リネット」
「そう。リネット。じゃあ、まずは手を洗ってきな。料理は、そこからだ」
少女が、ぱっと駆けていく。
その背中を見送っていると、カウンターから、ぼそりと声がした。
「……カレン。その、なんだ。……今日も、うまかった。ありがとう」
ガロだ。
顔を真っ赤にして、そっぽを向きながら。
(やっと言えましたね)
「……どういたしまして。おかわり、ありますよ」
前掛けは、また次代へ。
継がれていく。
名もなき献身が、温かいまま、ずっと先まで。




