婚約者が優先する従姉妹に会いに行ったら修羅場と暴風雪に巻き込まれました
レナは婚約者からの手紙を読み終え、がっくりと肩を落とした。
「また、延期……」
デートの約束が三連続でキャンセルになったのだ。
一応、中止ではなく『来週にしよう』と書かれているけれど。
先週も、先々週も、同じように延期になった。
本来、月に二度しかない貴重な触れ合いの時間なのに。
できれば毎週会いたいのに。
毎日会ってもいいくらいなのに。
「ルーカス様……」
今度こそと期待していただけに、ショックが大きい。
レナは長椅子に倒れ込んだ。
子爵令嬢としてはお行儀の悪い体勢だが、起き上がりたくない。
「お嬢様、服がシワになります」
「ほっといて……」
侍女のカーロッタがジト目で見ているが、心の痛みは服の傷みより辛いのだ。
「なぜなの、ルーカス様……?」
クッションを抱きしめる。
瞳にじわりと涙がにじむ。
「なぜ婚約者である私よりも、従姉妹を優先なさるの、ルーカス様~!!」
バカバカバカ、ルーカス様のバカ、とクッションをボスボス叩く。
切なさに胸を詰まらせながら、レナはルーカスとの出会いを思い返していた。
※
それは夏の日のことだった。
外出先で供の者と離れた隙に、突然の豪雨に見舞われてしまい、レナは慌てて商店の軒先に逃げ込んだ。
ふと見ると、横に同じように逃げ込んだ人が。
それがルーカスだった。
彼は雨が止んで供の者が探しに来るまでレナの隣にいてくれた。
服が濡れて困っているレナに上着を貸してくれたその日から、ルーカスはレナの心の恋人になったのだ。
この時レナは十二歳。
そこからレナは頑張った。
周囲の大人を巻き込んで、上着の持ち主を探し出し、借りた上着を返すという口実で会いに行った。
お礼をと理由をつけて手作りのプレゼントを贈った。
思いを込めて手紙も送った。
頭が特別良いわけではなく、飛びぬけた美人でもないレナだけど、ここぞという時の行動力は人一倍。
こまめに理由をつけて会いに行き、理由がなくても会いに行った。
あなたが好きですとアピールした。
彼に婚約を申し込んでくれるように両親に頼み込んだ。
あちらの家にご迷惑なのではと案じる両親に、『絶対に迷惑かけない。あちらのご両親の前では大人しくするから! お行儀よくするから!』と誓いを立て、本気である証拠に苦手なピーマンも食べて見せた。
頑張って、周囲を説き伏せて、ついにレナはルーカスの婚約者になったのだ。
ルーカスを心の恋人と思い定めてから三年。
今、レナは十五歳。
三つ年上のルーカスは十八歳。
幸せな交際を続けてきたのに。
二人の間に亀裂が入りかけている。
きっかけはルーカスの家に従姉妹が同居を始めたことだった。
レナが会ったことのない、その従姉妹は彼の家に滞在してもうそろそろ一月になる。
一向に立ち去る気配のない彼女は何かというとルーカスを呼びつけて傍に置いているらしい。
ルーカスは彼女の傍を離れない、と噂が流れていた。
そんな噂を信じたくはないけれど、ルーカスがレナより従姉妹を優先させているのは事実だ。
デートの約束さえキャンセルするほどに……。
※
「……会いに行くわ」
ひとしきりクッションを殴ってから、レナはむくりと起き上がった。
頭は良くないし、飛びぬけた美人でもないが、行動力がレナの取り柄だ。
泣いて何もしないなんて、レナの流儀ではない。
「ルーカス様の従姉妹とやらに会いに行くわ! どんな女なのかこの目で見定めてやる!」
「さようでございますか」
「止めないでちょうだい、カーロッタ。これは女の戦いなのよ!」
「お止めはいたしません。むしろもっと早くそうなさればいいのにと思っておりました。盛者必衰、弱肉強食。先手必勝は世の習いでございます」
レナの行動力が人一倍高いのは、風変わりな侍女が助長してきたせいかもしれない。
ちなみにこの侍女、あの夏の豪雨の日にレナを野放しにしたお供である。
「先ぶれ無しで行くわよ! ついてきて!」
「おまかせください。奇襲攻撃は得意中の得意でございます」
こうしてレナはどこか物騒な侍女をお供に連れて、婚約者ルーカスの家に乗り込んだ。
※
エーベルハルト伯爵家の執事は困惑していた。
執事たるもの何があっても動揺を表に出してはならない。
だがエーベルハルト伯爵家子息ルーカスの婚約者、レナ・カールトン子爵令嬢が猛然と突き進んでくるのをどうするべきか。
決然たる面持ちで足早に進むレナを、その体に触れることなく阻止するのは容易ではない。
ましてやレナに付き従う侍女が並み居るメイドたちを蹴散らして、最短コースで例の客人のいる離れへ向かっているとなれば。
「ささ、お嬢様、こちらでございます」
「カーロッタ、どの部屋なのか知ってるの?」
「もちろん。いつでも踏み込めるように調査済みでございます」
なんということだ、当家の情報が漏洩している。
後できっちり調べねば。
だが今なすべきことはルーカスに警報を伝えることだ。
混ぜてはならない劇薬が、今まさに混ざろうとしていると。
※
従姉妹が滞在しているという離れを目指して早歩きしながら、レナの心は千々に乱れていた。
お父様、お母さま、ごめんなさい、いい子にしてると誓ったのに、レナは悪い子になりました。
伯爵家の使用人たちが止めるのを振り切って、離れに乱入しようとしています。
悪いことだとわかっています、でもどうしても確かめずにはいられないの。
ルーカス様が大切にしている人がどんな人なのか。
私とその人とどっちが好きなのか。
もしもその人の方が好きで、私との婚約を解消したいとおっしゃるのなら、私は、私は……。
レナは泣くまいと唇を噛んだ。
カーロッタに先導されて、離れの入り口を突破し、階段を上がる。
「さあお嬢様、泥棒猫はこちらでございます。ご対面~!」
扉をカーロッタが勢いよく開けた。
貴婦人向けに整えられた上品な内装のその部屋では女性が一人、白い猫を膝に乗せていた。
猫の爪切りの途中だったらしいその女性は……。
「あら?」
「えっ?」
……どう見ても三十歳以上、ひょっとしたら四十も超えているかもしれない、美しいけれど明らかに既婚者と思われる中年女性だった。
猫と爪切りを持ったまま、不審そうにこちらを見ている。
ちなみに室内にルーカスの姿はなかった。
「あの、ルーカス様の従姉妹にあたる方は……?」
「私です。ルーカス・エーベルハルトの従姉妹、ヴェロニカ・シュトラールですわ」
「……カーロッタ、私、何か勘違いしてたんじゃないかしら」
「さようでございますね、お嬢様」
従姉妹だと言うから、なんとなくルーカスと同年齢か少し年下くらいの、病弱で儚げな令嬢をイメージしていたのだが。
これはどう見ても年上、しかも親子ほどもある年の差。
それにべったり侍っていると思われていたルーカスは影も形もない。
離れず傍にいるという噂は何だったのか。
「ところで、あなたたちはどこのどなたなの?」
どう説明したらいいのだろう。
格上の伯爵家で、貴婦人の私室に飛び込んでしまった。
ノックさえしなかった。
冷や汗を感じながら、レナは名前を名乗り、カーテシーをした。
※
「……というわけなのでございます」
「なるほど。私とルーカスの仲を疑って、真実を確かめに来たというわけね」
「申し訳ございません。大変失礼な振る舞いをいたしました」
レナとカーロッタは小さくなって謝罪した。
部屋の主はヴェロニカ・シュトラール魔法伯夫人。
確かにルーカスの従姉妹だが、実に御年三十八歳。
「ルーカスの父親の一番上の姉が私の母なのよ。ルーカスの父親と私は叔父と姪だけど年が近くてね。小さい頃は兄妹のように育ったのよ」
「そうなんですね」
「ルーカスとも従姉妹というより、叔母と甥みたいな距離感ね」
「そうなんですね」
「確かにこの一月ほど私の都合で彼を振り回してしまったわ。あなたにも迷惑をかけてしまったわね」
「いえ、そんな。こちらこそ勘違いでご迷惑を」
「……レナさん」
ヴェロニカは慈愛と労わりの表情を湛え、レナの手を取った。
姿勢が変わったせいか、膝にいた猫が飛び降りた。
「あなたの気持ち、わかるわ」
「ヴェロニカ様……」
「不安だったのよね」
「は、はい」
「浮気の現場に乗り込んでやろう、そう思ったのよね?」
「申し訳ございません!」
「男ってね、浮気する生き物なのよ」
「……はい?」
ヴェロニカの指にぐぐっと力が加わった。
ちょっと痛い。
「生涯変わらぬ愛を誓ってもね、結婚してから色々あるのよ」
「ヴェロニカ様……?」
「二十年も経つと愛が枯れて憎しみが育ってくるのよ」
「手が痛いのですけど……あの……」
「愛ってね、憎しみに変わると出力が百倍になるのよ~」
ギリギリギリ……。
ヴェロニカの指がレナの手に食い込む。
ちょっと、いや、かなり痛い。
手を離してほしいと目で訴えるレナだが、ヴェロニカは気づいているのかいないのか。
彼女の目は瞳孔が暗く開いていた。
「男なんか信じちゃダメよ。あなたはまだ若いから婚約者を信じたいでしょうけど、男は結婚したら変わるのよ。うちの夫なんかね……」
鬼気迫る表情のヴェロニカ。
よほど腹に据えかねることがあったらしい。
心なしか室内の気温が下がってきた気がする。
猫は部屋の隅っこで縮こまっている。
カーロッタはヴェロニカの一言一句にうんうんと頷いている。
頷いてないで助けてほしいんだけど……と侍女を横目で見るレナ。
「わかる? わかるわよね? 男ってね、許すと際限なく裏切るのよ! 甘やかしちゃダメなのよ!」
ヴェロニカのボルテージがどんどん上がっていく、その時。
バーン!
「聞き捨てならんな」
誰かが乱入してきた。
さっきカーロッタがやったのとそっくり同じように、勢いよくドアを開けて。
「……アルヴィン。何しに来たの」
忌々しそうに名前を呟き、レナの手を離してヴェロニカは立ち上がった。
今だわ、と席を立ち、カーロッタに駆け寄るレナ。
『あの方は?』
『アルヴィン・シュトラール魔法伯かと。宮廷魔術師筆頭で、暴風の魔術師と呼ばれている方でいらっしゃいます』
『シュトラール……ということはヴェロニカ様の?』
『御夫君と思われます』
レナとカーロッタは部屋の隅でコソコソと言葉を交わした。
そんな二人を見向きもせず、魔法伯と魔法伯夫人は睨みあっている。
「一月ぶりだな」
「会いたくもなかったわ」
「つれないことを言う」
『ねえ、これってどういう状況?』
『家出した妻を夫が迎えに来た図ではないでしょうか』
レナとカーロッタはヒソヒソと囁き合い、闖入者を観察した。
魔法伯の年齢は見た感じ四十過ぎくらい。
やや冷酷そうではあるが、背が高く、なかなかの美貌である。
「離婚届にサインしてくれた?」
「なぜ? 別れる理由など一つもない」
「あなたに無くても私にはあるわ」
『ねえ、私たちこの場にいていいのかしら? 外に出た方がよくない?』
『同感ですが、部屋を出るには魔法伯様の背後を通りませんと。スニークミッション、チャレンジしてみますか?』
夫婦喧嘩の場に同席するのは気まずい。
気配を消して空気になれたらいいのだが、あいにくレナは存在感を消せないタイプだ。
……出よう。
レナとカーロッタは魔法伯の背後にあるドアを目指して、そろりそろりと移動を開始した。
「我儘な女だ。こうして私が迎えに来ているというのに」
「人を我儘だと言う人ほど、相手に忍耐を強いていることに気づかないのよね」
「私が何に気づいていないと?」
「あなただけが気づいていないことが山のようにあるわよ」
夫婦げんかがヒートアップしていく。
その一方で、確実に部屋が冷えてきた。
寒い。
どうしてこんなに寒いのかしら?
レナはそーっと移動しながら不思議に思った。
「不満があるなら話せ」
「何度話しても聞かなかったのはあなたの方でしょ!」
「女はすぐ感情的になる。筋道立てて説明できないのか」
「説明なら弁護士にしたわ。弁護士の話を聞いても理解できないなら、あなたの頭が悪いのよ」
室内だというのに小雪がちらついている。
そういえばエーベルハルト家は氷の魔術が得意な家系だったんだわ、とレナは思い出した。
エーベルハルト家の血を引くヴェロニカの感情が高ぶって、魔力が漏れているに違いない。
だからこんなに冷えるんだわ、と納得。
「私の寛容さにも限度があるぞ」
「あなたの寛容さですって! プププ、ごめんなさい、笑ってしまったわ。あなたも冗談が上手くなったわね。ありもしないものを実在するみたいに言うなんて」
室内にびゅうびゅうと風が吹き始めた。
魔法伯は何て呼ばれてるんだっけ?
カーロッタがさっき言った魔法伯の二つ名は風に関係していたような……。
レナは吹き付ける向かい風に逆らって歩いた。
顔に雪が当たって痛い。
室内で吹雪にさらされるなんて初めてだわ、とレナは思った。
もう少し、あと数歩で出口……。
「そこまで言うか」
「いくらでも言ってあげるわよ!」
「よかろう。もう帰ってこいとは言わん。勝手にするがいい。だが猫は返せ」
猫?
そういえばヴェロニカが膝に乗せていた猫はどうなったのだろう。
レナは足を止めて室内を眼で探した。
……いた!
テーブルの下で震えている。
……寒いのかしら?
少し考えて、違うと気づいた。
……寒いんじゃない、怖いんだわ!
「ネージュちゃんは私のものよ!」
「くだらん名前で呼ぶな。あれは私の実験動物、ミュータント21号だ!」
猫は大声でしゃべる人が苦手だ。
風の音もうるさい。
『お嬢様、いかがなさいました?』
カーロッタが訝し気に囁くが、レナは動くことができなかった。
小さな猫から目が離せない。
「雪のように真っ白だから雪なのよ! あなたこそ番号なんかで呼ばないで!」
「実験動物を番号で管理して何が悪い。白いのは実験の副作用で色素が抜けただけだ。おまえがペットを欲しがるから貸し与えていたが、元々は私のものだ。返してもらおうか!」
レナは思った。
この人たち、自分のだって言い合ってる割には、猫をちゃんと見てない。
あんなに怯えているのに。
怖い、怖い、って全身で伝えているのに。
「あの子は私の家族よ! あなたなんかに渡さないわ!」
「猫が家族だと……?」
風が爆発的に強まった。
窓が風圧に耐えかねてバーンと音を立てて開く。
はためくカーテンが花瓶を叩き落とす。
吹き荒れる暴風が叩きつけてくる氷の粒。
目を開けているのも辛いが、レナは見た。
風にあおられてテーブルが倒れ、椅子が倒れ、敷物がめくれ上がるのを。
猫のか細い鳴き声。
ふんばりが効かず、敷物から転がり落ちていく猫。
……カーペットにしがみつくことができないんだわ、爪を切られたばかりだから!
猫ちゃんが風に飛ばされてしまう!
窓の外に飛ばされたら……ここは二階なのよ!
「お嬢様!?」
……カーロッタ、ごめんなさい、体が勝手に動くのよ。
レナは夢中で猫に駆け寄り抱き上げた。
「アルヴィン!」
「ヴェロニカ!」
痛い!
氷の粒がバシバシ当たる。
これはもう雪ではない、氷の塊、霰か雹だ!
暴風もとんでもないことになっている。
渦巻く風で家具が浮き上がり、床の上を滑っていく。
ここって建物の中だったわよね!?
どうして竜巻の中みたいになってるの!?
レナは猫を胸に抱え込んだ。
魔力を持たないレナだが、体で包み込めば守れるはず……。
壁に掛けられていた絵画が宙を舞う。
もしもあれが直撃したら……。
嫌な予感ほど当たるものだ。
硬そうな額縁が複雑な軌道を描いて飛んでくる。
レナは衝撃を覚悟した。
……
……
……衝撃が来ない。
代わりに何か温かいものがレナをすっぽりと包み込んでいた。
「……レナ」
「……ルーカス様?」
レナの婚約者、ルーカス・エーベルハルト伯爵令息がそこにいた。
片手でレナを抱きかかえ、もう片方の手で大きな氷の盾を作り、飛来物を防いでいる。
「レナ、怪我はないか?」
「私は大丈夫です。猫ちゃんも……」
猫の無事を確認しようとして、レナは自分にルーカスの上着がかぶせられていることに気づいた。
パッと顔が熱くなる。
胸の奥もじんわり熱くなる。
体がポカポカしてきたのは、猫の体温のせい?
いいえ、きっと上着に残されたルーカスの体温のせい……。
「ええと、猫ちゃん……」
猫に呼びかけようとして、ハタと止まった。
この子の名前がわからない。
確か、飼い主夫婦の二人とも別々の名前で呼んでいた。
その二つの名前を思い出そうとしたが、夫の方が数字交じりで呼んでいたことくらいしか思い出せない。
レナは一度聞いただけの名前をスッと思い出せるほど記憶力が良くはないのだった。
ギュとかニャとか、そんな音だった気がするけれど……いえ、ミュだったかしら?
「……ミューちゃん?」
とりあえず思い浮かんだ音の中で一番可愛いもので呼んでみる。
猫が目を開けてレナを見た。
澄んだブルーの瞳だった。
「ミューちゃん、もう大丈夫よ」
ルーカス様が来てくれたから、と心の中で付け足す。
もう怖くない、もう寒くない。
「ミューちゃん」
ニャー、と猫が小さく返事した。
ルーカスの氷の盾がメキメキと音を立てて大きくなった。
すでに盾を通り越して壁サイズだ。
その氷の壁を彼は罵り合う夫婦の間に投げ込んだ。
ズドーン!
巨大な氷の塊が投げ落とされて、床にヒビが入る。
ハッとしてルーカスを見る魔法伯夫妻。
「ヴェロニカ、魔法伯殿。いい加減にしてもらえませんか。御覧ください、周囲の惨状を」
周囲の惨状……。
レナは辺りを見回した。
家具という家具は倒れたり、飛ばされて部屋の壁際に積み重なっている。
敷物はめくれて、床のあちこちに雪の吹き溜まりが出来ている。
壁には燭台が突き刺さっている。
絵画やタペストリーはすべて無くなっている。
花瓶や置物は原型を留めていない。
そこら中に何かの破片が散乱している。
強盗に入られた後でも、ここまで酷くは荒らされないだろう。
「ごめんなさい、ついうっかり」
「迷惑をかけた。弁償しよう」
謝罪を口にする二人。
ルーカスの視線は氷のように冷たい。
「ヴェロニカ」
「はい?」
「出ていってください」
「ええ……そうね、荷物をまとめたら」
「今すぐに。我が家の敷地から出ていってください。荷物は後から送ります。魔法伯の屋敷宛に」
「それは、だって」
「今すぐです。魔法伯、あなたもだ」
「即刻退去しよう」
そこからどうなったのかレナは知らない。
そのままルーカスにお姫様抱っこで運ばれて、離れを出て、本館に連れていかれてしまったので。
※
レナは婚約者からの手紙を読み返していた。
顔を崩すまいと思っても、笑み崩れてしまう。
ああ、幸福感が止まらない。
「またそれ読んでるんですか。よく飽きませんね」
カーロッタがミューちゃんのお皿の水を取り替えながら言った。
ミューちゃんはレナの猫になったのだ。
ルーカスに抱っこされるレナに抱っこされたまま本館に運ばれた猫は、レナから離れようとしなかった。
離そうとすると世にも悲し気な声で鳴くのだ。
最終的に、魔力嵐の危険にさらされたことへの詫びの一部として、猫は正式にレナに譲渡された。
今の名前はミューズ、愛称はミューちゃんである。
「だってルーカス様の心の中がいっぱい書いてあるんですもの」
レナは手紙を胸に当てて愛しい人の想いを抱き締める。
言葉の足らない不器用な婚約者は長い長い手紙をくれた。
従姉妹のヴェロニカは気性が荒く、数年おきに『離婚よ!』と家出を繰り返していること。
その都度、親戚の家に逗留しては魔法伯が迎えに来て元のさやに納まっていたこと。
今回はエーベルハルト家に逗留していたが、ことのほかヒステリーが酷く、感情が高ぶると魔力が漏れて周囲に被害を与えるため、家族が交代で監視していたこと。
あの日は魔法伯が迎えに来ると連絡があったので、やっと終わると安心して自室で泥のように眠っていたこと。
そうしたら婚約者と侍女一名がヴェロニカのいる離れに突撃していったと知らされて、寝耳に水だったこと。
駆け付けたらあんなことになっていて、ショックと怒りで我を忘れそうだったこと。
婚約者を危険にさらしたヴェロニカと魔法伯を許す気になれないこと。
ルーカスにとって婚約者がいかに大切な存在であるか、生涯守り抜きたい気持ちであること。
たとえ魔法伯相手でも、二度と不覚は取らない所存であること……等々。
「うふふふ、うふふふ」
嬉しすぎて笑いが止まらない。
「お嬢様、お顔が不気味でいらっしゃいます」
「ほっといて。それよりカーロッタ、あなた護衛騎士の鍛錬に混ざってるんですって? いったいどういう風の吹き回し?」
「今回のことで実力不足を痛感したのでございます。魔法伯ご夫妻の夫婦喧嘩を前にして、私ではお嬢様を守り切れませんでした。このカーロッタ、一生の不覚。吹き荒れる魔力嵐、飛来する額縁から主を守れずして何が侍女か」
カーロッタはぐぐっと拳を握りしめた。
「ヴェロニカ様のご年齢を探り出せなかったことといい、侍女としてまだまだ未熟。一から鍛え直す所存でございます!」
「あなたがどこを目指しているのか、私にはよく理解できないけれど……鍛えるのはいいことだと思うわ」
「ありがとうございます。一層精進いたします」
「お手紙の返事を書きたいから、レターセットを持ってきて」
「かしこまりました」
カーロッタが部屋を出て行く。
片手にダンベルを持って上げ下げしながら。
一風変わった性格だが、レナとは気が合う侍女である。
鍛錬を積んで、侍女として一段成長してほしい。
レナの膝の上に猫が飛び乗ってきた。
「ミューちゃん」
服に毛がつくけれど、気にしてはいけない。
猫がくれる癒しは服につく毛に勝るのだ。
「ねえミューちゃん、大変だったけど私たち、あの日に会えて良かったわよね」
ゴロゴロと喉を鳴らす白い猫。
もうレナがクッションを叩くことはない。
<完>




