防衛の名を持つもの
防ぐことは、
壁になることではない。
誰かを遠ざけるのではなく、
そこに「在る」と認めること。
その選択をした時、
防衛は――
初めて、力になる。
放課後の教室で、ミラは超薄型のノートパソコンをカバンにしまい、ひとつため息をついた。
「越える必要のない壁だってある」
「何?なんか諦めたの?」カナタが顔をのぞかせた。
「カナタ、小腹すいてない?」ミラがそう言うとゆっくりと見上げた。
「何でわかったの?」カナタは、目を輝かせる。
「お腹が鳴ってるからじゃない?」ユウナギが割り込んだ。
ぐぅ~
「! ほんとだ、恥ずかしい」
そう言いながらも、カナタはお腹に響いた音を、どこか嬉しそうに受け止めていた。
ユウナギは苦笑した。三人は、近くのテイクアウトのみクレープ屋さんに寄った。
「ここに来て、いきなり脱落かもしれない」ミラは、カナタがメニューを選んでいる姿をボーッとみながら呟いた。
「Defenceの試験な」
ユウナギが、ぽつりと言った。
「嫌いなものを守るから?」カナタは呟く。
「カナタが言うと、
なんか“者”じゃなくて“物質”に聞こえるな~」
ミラは、乾いた笑いを漏らした。
「ねぇ、ミラ。
……まだ諦めてないなら、練習、付き合ってあげるよ」カナタは、そう言うと一言付け加えた。
「リンゴのクレープで、お願いします!」
「変わったね~」ミラは、大笑いした。
◇
訓練施設の屋上は、
まだ熱を残した空気と、
冷たい風が入り混じっていた。
高所特有の風が、足元から吹き上げ、
さっきまで張りつめていた感情を、無理やり外へ追い出していく。
三人は、簡易フィールドの中央に立っていた。
誰もが、少しだけ言葉を失ったまま。
「……ミラ、大丈夫?」
カナタが静かに声をかける。
「……もう一回、やってみたい」
ミラの声は、震えていたが、逃げてはいなかった。
カナタが一歩前に出て、的の位置につく。
ユウナギは、少し距離を取って見守った。
ミラは深く息を吸い、Defenceのイメージを組み立てる。
――守る。包む。受け入れる。
だが。
視界が、歪んだ。
目の前に立つカナタの輪郭が、別の存在に重なっていく。
背の高さ。視線。圧迫感。
兄。
喉の奥が、ひくりと引きつった。
「……っ」
吐き気がこみ上げ、指先が震える。
シールドは不完全なまま、霧のように揺れて、消えた。
「……ダメだ」
ミラは、その場に膝をついた。
「守ってるつもりなのに……」
「でも……相手を好きじゃないと、無理なんじゃないの」 ミラの声は、かすれていた。
少し離れた場所で、ユウナギが唇を噛む。
「Defenceって……ここまで、心を使うんだな……」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
その沈黙を、カナタがゆっくりと破る。
「私ね」
風に髪を揺らしながら、静かに話し始めた。
「人と、ものの区別が、つかない時期があったの」
ミラが顔を上げる。
「……それはね」
「自分が、“もの”だと思ってたから」
ミラは、何か言いかけて、口を閉じた。
胸の奥に、昔の言葉が引っかかっている。
――アンドロイドみたい。
冗談のつもりで投げた一言。
けれど、今になって分かる。
あれは、笑い話で済ませていい言葉じゃなかった。
「……ごめん、カナタ」
時を越えて、ようやく出てきた声。
カナタは、首を振った。
「謝ってもらうために、話してるわけじゃないよ」
冷たい風が、三人の間を抜けていく。
遠くで、金属音がかすかに鳴った。
カナタは、ポケットに手を入れた。
「これ、ミラにあげる」
差し出されたのは、一本の錆びたスプーンだった。
「……え?」
「それ、嫌いなものじゃ……」
「うん。でもね」
カナタは、少しだけ困ったように笑う。
「何か食べたい時に、なかったら困るでしょ。
だから持ってた。気づいたら……錆びてた」
ミラは、スプーンを見つめる。
「……カナタらしい」
ミラは、クスッと笑った。
緊張の糸がほころぶ。
「嫌いなやつもね、
錆びたスプーンだと思えばいい」
「……錆びた、スプーン」
ミラは、ぽつりと繰り返した。
やがて、ふっと息を吐き、ユウナギを見る。
「ねぇ、ユウナギ、
この錆びたスプーン……簡単に、ねじ切れる?」
「……ああ」
リングを解除したユウナギにとって、それは造作もないことだった。
指に力を込めると、金属はあっけなく音を立てて折れた。
ミラは、その光景を、黙って見ていた。
――壊せる。
――でも、わざわざ抱え続ける必要は、ない。
屋上に吹く風が、少しだけ柔らいだ気がした。
「次、出来そうな気がする」
ミラは、静かに息を整えた。
そして、もう一度――カナタに向けて、シールドを張る。
指先から、細く、あたたかな光が伸びる。
それは壁ではなく、
包み込む膜のように、無数に重なり合いながら
カナタの輪郭をなぞっていった。カナタが動く度に美しく光輝くシールド。
カナタは、ただそこに立っている。
避けもしない。
守ろうともしない。
自分を“守るべき存在”だとも、思っていなかった。
ただ――
そこに「在る」だけ。
対象物。
そして――
守ることを、拒まなかった対象物。
風の音に混じって、
ミラ自身の呼吸だけが、やけに大きく聞こえていた。
三分。
風が吹き抜ける屋上で、
シールドは揺れながらも、崩れなかった。
けれど、その途中。
一瞬だけ――光が、歪んだ。
シールドの表面に、細い亀裂のような揺らぎが走る。 ミラの喉が、小さく鳴った。
(――あ)
失敗、という言葉が脳裏をよぎる。
守れない、という恐怖が、胸の奥を掴んだ。
だが、カナタは振り向かなかった。 何も言わず、ただそこに立っている。
逃げない。
期待しない。
責めもしない。
その在り方が、 ミラの中で、何かをほどいた。
「……大丈夫」
自分に言い聞かせるように、ミラは息を整える。
光は、再び重なり合い、 今度は迷いなく、カナタを包み込んだ。
「ユウナギ」
ミラが、静かに言う。
「カナタが傷つかない程度でいい。
シールド“だけ”を壊すような攻撃、できる?」
「……いいよ」
ユウナギは頷いた。
「カナタもいい?」
「付き合うよ。どこまでも」
拳に、わずかに力を込める。
衝撃が走る――
だが。
シールドは、砕けなかった。
光が、跳ね返す。
「……っ!」
ユウナギの方が、一歩引いた。
「やった……」
ミラの声が、震える。
「やった……!」
それは、防いだというより――
受け止めた、という感覚だった。
遠く。
屋上の縁、そのさらに向こう。
影の中で、ひとりの男がそれを見ていた。
「へぇ……想定外だな」
声は低く、感情の揺れを一切含んでいなかった。
かつて、現れては消えた少年。
その視線は、
ミラではなく――
“対象物になることを選んだ少女”
――カナタ。
(第八章・了)
シールドは、壊れなかった。
それは強度の問題ではなく、
“守り方”が変わったからだ。
壊せるものを、
あえて壊さず、
それでも前に立つ。
防衛とは、
恐れを排除することではない。
恐れを抱えたまま、
それでも誰かの前に立つ――
その覚悟の名だ。




