ゼロの居場所
レベルがあることは、
強さの証明だと教えられてきた。
ならば――
レベルを持たない者は、
どこに立てばいいのだろう。
カナタ・アレイシア。
この場所で、ただ一人の“ゼロ”。
冷たい視線と、刺さる言葉の中で、
それでも彼女は立っている。
誰かに与えられた居場所ではなく、
自分の足で、ここにいるために。
新しい校舎は広く、
壁も天井も白く、
すべてが、感情を拒むように冷たく光っていた。
——ここには、感情の居場所がない。
カナタは推薦状を手に、胸の奥で小さく息を整える。
ゼロの自分が、なぜここにいるのか――誰も知らない。
教室に入ると、すでに候補生たちの視線が一斉にこちらを向いた。
「……あのゼロ、特殊科に入るの?」
低く冷たいざわめきが、空気を刺す。
言葉は刃のように、
視線だけでカナタを囲んでいた。
カナタの隣に座ったユウナギが、肩に軽く手を置いた。
「大丈夫、俺がいる」
それだけで、ほんの少し息ができた。
しかし、視線は容赦なかった。
声は低く、針のように刺さる。
誰も手を出さず、
「ゼロ」「邪魔」「足手まとい」
言葉だけが、静かにカナタを追い詰めていく。
昼休み、器具室に一人で向かうと、背後から小さな石がぶつかる音。
振り返ると、数人の生徒が薄笑いを浮かべていた。
その笑いに、悪意だけが含まれているのがわかった。
「ほら、ゼロだから重いもの持てないんだろ?」
「使えないやつは放置でいいんだ」
カナタは言い返せない。
感情はほとんど抜け落ちているけれど、胸の奥で小さな違和感がうごめく。
悲しみや怒りではなく、無力感に近い何か。
そのとき、ユウナギがすっと背後に現れる。
「やめろ」
その声に一瞬、騒いでいた生徒たちが硬直する。
ユウナギの視線は静かで鋭く、しかし決して攻撃的ではない。
「……一緒にやるんだ、ここで。カナタはゼロでも、俺がついてる」
カナタはただ小さくうなずく。
心のどこかで、守られているという感覚があった。
ゼロの自分でも、ここで生き延びられる気がした。
その日から、カナタは少しずつ学ぶ。
能力がなくても、自分にできることを探し、体力をつけ、心を学ぶ。
そして、本当に守りたい人のために、力を蓄える。
校舎の窓から差し込む光は冷たくても、
カナタの心の中には、微かな希望の光が生まれていた。
◇
早朝の川原は、まだ薄暗く、冷たい空気が肌を刺していた。
カナタは深呼吸を一つして、足元の砂利を蹴る。
今日も10キロ。
ゼロの能力を持つ自分に、何かを示すための毎日のルーティン。
足は重く、呼吸は乱れ、胸が痛む。それでも振り返ることはできなかった。
「……あと半分か」
独り言をつぶやきながら、遠くに川の反射で光る何かに気づく。
背の高い青年が、毎日同じように走っていた。
服装は質素で、能力者らしさは一切ない。
カナタの足は、自然とその青年のペースに合わせられた。
息が乱れても、なぜか競争心ではなく、安心感に近いものを覚える。
「……君も毎朝走るんだね。速いね」
不思議と、威圧はなかった。
青年が声をかけてきた。
カナタは少し驚いたように笑顔で頷いた。
まさか話しかけてくるとは、予測していなかった。
青色の髪、整った顔立ち。瞳はどこまでも深い青。
走る姿にさえ品があった。そして、目は柔らかく澄んでいた。
「はい。能力はないけど、走るくらいなら誰にも負けません」
少し照れながら、カナタは答える。
いつしかカナタは、多様な表情を身に付けていた。
青年は軽く微笑む。
その笑顔は、カナタが最近忘れかけていた――
“同じ世界で努力している誰かがいる”という感覚を呼び起こした。
カナタも自然と笑みを返す。
「あなたも……同じなんですか?」
「……?」
「いえ、なんでもありません」
カナタは、青年が同じくレベルに苦しんでいるものとして話したことに、少し気まずさを覚えた。
「同じかな? きっと同じだな」
青年は優しく微笑む。
川の水面に朝日が差し込み、二人の影を長く伸ばす。
能力の有無ではなく、ただ努力と意志で走る時間。
その瞬間、カナタの心に、ほんの少しだけ温かい光が差し込んだ。
「君、名前は?」
「え!? あ! いや、名前なんてありません」
突然の青年の言葉に、思わずパニックになるカナタ。
「えー! 無いわけないだろう? クスクス、面白いね君。失礼したね。先に私が名乗る方がいいかな?」
「え、はい、お願いします」
「エルナス・リュシオン」
どこかで聞いたことのある響き。
「私は、カナタ・アレイシアです」
「じゃあ、ラン友だね!」
エルナスはガッツポーズを見せて、お茶目に笑った。
「ラン友?」
カナタは真顔で返す。聞いたことのない単語だった。
「ランニングの友達ってことかな? ふふ、今作った」
エルナスの性格なのか、とても機嫌が良いように見えた。
「ここで、笑ったらいいのでしょうか……」
カナタは自分の名前を口に出して確認する。
そう、私はカナタ・アレイシアなんだ。
いつかの不思議な感覚が呼びさまされる。
この出会いが、未来にどんな意味を持つのかはまだ知らない。
ただ、ゼロであっても歩き続ける自分に、少しだけ誇りを覚えた。
川の流れの音だけが二人を包み、
朝の静寂の中で、物語はゆっくりと動き始めていた。
◇
訓練場の空気は、
いつもと違って張り詰めていた。
特殊科の生徒たちは能力別に分かれ、
Attack(攻撃)とDefence(防御)に振り分けられる。
二人一組のチーム分けが発表されるたび、
低いざわめきが走った。
カナタは今回、能力の反応が不安定なため見学。
ユウナギはAttack――攻撃担当だ。
「頼むぞ、ユウナギ」 Defence担当の生徒が、短く声をかける。
カナタの視線を背に、
ユウナギは小さく頷いた。
その目にあるのは、楽しさではない。
守るための決意だった。
教師が一歩前に出る。
「――それでは、シャインスフィアの制御訓練を開始する。
今回はひとつだけ、リングを2から3へ解除する。
各自、十分注意するように」
生徒たちは一斉に、自分の腕を見る。
リングの光が、ひとつ――静かに消えた。
シャインスフィア。
小型の光球に特殊エネルギーを凝縮した攻撃波。
投げ手の意思に呼応して現れ、
命中すれば衝撃と光で対象を弾き飛ばす。
だが――
制御を誤れば、
使用者すら、容赦なく巻き込む。
合図と同時に、ユウナギのチームが動いた。
手のひらに光が集まり、
球状に収束する。
ユウナギが放つ。
シャインスフィアが一直線に飛び、
Defence担当が展開した防御に激突した。
防御側がシールドで受け止め、
攻撃を完全に消失させれば、防御側の加点。
逆に――
シールドを破れば、攻撃側の加点となる。
攻撃力と守備力、
どちらも誤魔化しは効かない。
光と衝撃波が交錯し、
訓練場の空気が張りつめていく。
その時――
一人の訓練生が、制御を誤った――
少なくとも、そう“説明された”。
「カナタ!」
反射的に飛び出したユウナギ。
しかし間に合わず、シャインスフィアはカナタに直撃した。
轟音とともに、カナタはその場に倒れる。
「大丈夫か!」周囲の声が、遠くで響くように聞こえた。
緊急搬送されることになり、ユウナギは胸が張り裂けそうな思いで見送る。
「……守れなかった……」
守るべき相手を前に、特殊能力の資質を持ちながらも守りきれなかった悔しさが、全身に重くのしかかる。
*
カナタは、指の骨折と全身打撲で1週間の入院が必要だった。病院のベッドに横たわる姿を見て、ユウナギの決意は固まる。
「ごめん、カナタ」
「なんでユウナギが謝るの?」
ユウナギは目を伏せた。そして静かに決意する。
「もう二度と、こんな思いはさせない」
なぜ、先生はシールドをカナタに張らなかったのだろうか。ユウナギの胸に、不信感と疑問が募っていく。
*
カナタは病院のベッドで、まだ痛みが全身に残る中、ぼんやりと天井を見つめていた。
ふと、心の奥で――小さなざわめきが走る。
意識していないのに、体の奥で、なにかが反応している感覚。
手のひらに、微かに暖かい光の残像が浮かんだような――そんな気がした。
「……なんだろう、これ……?」
誰かに命令されたわけでも、意識的に力を出したわけでもないのに、勝手に反応した。
不思議で、少し怖くて、けれどどこか胸が高鳴る感覚だった。
この瞬間、カナタは知らない。何かが、ほんのわずかに自分を“前へ”押していることを――
◇
カナタは復帰して、少し遅れた朝の光の中、ユウナギと並んで学校へ向かっていた。
校舎のガラス窓に朝日が反射し、白い光が廊下をほんのり照らす。通学路はまだ静かで、冷たい空気が肌を刺していた。
「カナタ、俺、特殊部隊には将来行かない。いや、行きたくない」
ユウナギの声は切実で、普段の穏やかさは影を潜めていた。
「え?」
カナタが振り向くと、ユウナギの瞳には決意と少しの迷いが混ざっていた。
「一緒にもっと、ほら、文科系の学校に進まないか?」
言葉の端に、守りたいという感情が滲む。
「俺にはDefenceの能力ほとんどがない。攻撃力がレベル7って言うけど、この前のレベル3の解放で、あの力だ。こんなの嫌だ。傷付け合う力なんていらない!」
ユウナギは力を込め、まっすぐにカナタを見つめる。
カナタも頷いた。
「……うん。私もこの学校、好きじゃない。お母さんに話してみる」
二人は、まだ人の少ない校門をくぐり、教室へ向かった。
だが教室の扉を開けると、空気は一変した。窓の光が差し込む中、座席の間からささやき声が聞こえる。
「なんで、登校してんだよ」
「授業にも参加しないくせに、何しにこの学校いるんだろ」「ウケる」
ユウナギはカナタの肩を軽く抱き、穏やかに落ち着かせるように一歩前に出た。
「だまれ!」
普段なら柔らかい声の彼が、思わず声を荒げる。
教室は一瞬、静まり返った。
囁きは止まらないものの、視線の鋭さに、ささやき手たちは小さく俯く。
「ナイトきどり」「クスクス」
冷ややかな笑い声が空気を震わせる。
カナタは深呼吸をして、ユウナギの決意を胸に感じながら、席に向かって歩を進めた。
◇
朝の朝食を用意する母。
カナタは、夜には会えないので、今話すことにした。
「お母さん、話があるの」
「え?」深刻な口調に、作業の手を止めた母。
カナタから切り出された“話”は、これまでになかった。
「何の話?」
「学校をやめたい。転校したい」
「……」
「何があったの?」母は静かに訊いた。
「レベルゼロの私が辛いの!あんな特殊部隊候補生ばかりの学校が!」
自分でも驚くほど大きな声だった。
「……カナタ、ごめんなさい。それは出来ないの」
「なんで!?」
「約束なの」
「誰と?」
その問いに、母は答えなかった。
——その沈黙のほうが、
カナタには、ずっと重かった。
(第四章・了)
守られることは、
必ずしも、幸せではない。
守られる理由を知らされないまま、
前に進めと言われることほど、
苦しいものはない。
それでも――
カナタは、歩くことをやめなかった。
ゼロのままで、
立ち止まらなかった。




