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Black Rings  作者: 弥百花
20/20

ノイズ

それは、壊れる前兆ではなかった。


信じる世界と、触れている現実が

わずかにズレたときに生まれる、

名前のない違和感。


まだ、崩れてはいない。

ただ——揺れているだけだ。

「何だかさっきから、壁が歪んでみえる」


ユウナギは足を止め、壁にもたれかかった。


触れた感触は、確かに“硬い”ままだった。

なのに、視界だけが、ゆっくりと波打っている。


指先に残る感覚は、どこか懐かしい。

遠い記憶の残響のようだった。


「……おかしい」


ユウナギは小さく息を吐いた。

「見えてるものと、触れてるものが噛み合ってない」そう口にしてから、自分の声が、少しだけ遠く聞こえた。


「大丈夫?」

ミルルはすぐに立ち止まり、ユウナギの肩に手を伸ばす。


顔色を確かめながら、周囲にも視線を走らせた。


「ミルル、Defence頼む」


「え? 何から守るの?」


ユウナギは首を振る。

「わからない……けど、嫌な感じがする」

言葉を選ぶように、少しだけ間を置いてから続けた。


「“外”からじゃない。……たぶん」


ミルルは一瞬だけ考え、すぐにユウナギの周囲にフィールドを展開した。


透明な膜が、呼吸に合わせるように揺れる。

その瞬間だった。


「へぇ、感がいいこと」


闇の奥から、低く楽しげな声が落ちてくる。


男は、歪む壁の向こう側で、

まるで最初からそこにいたかのように玉座に、寝そべっていた。

口角を、ニヤリと吊り上げて。


円錐形の空間に、ユウナギとミルルは足を踏み入れた。

天井は見えない。


あるはずの“上”が、最初から存在しないようだった。

中央には、ゆっくりと回転する大きな球体がひとつ。


無数に頭ほどの大きさの数珠が、壁を伝い軌道を描くように巡っている。


祈りにも、歯車にも見えるそれらが、低い唸りとともに回り続けていた。


その中心——


ソファー型の玉座に、だらしなく身を預けた男がいた。

男は、淡い翡翠色の髪に黒が混じり、美しいルビー色の瞳で二人を見下ろす。


顔から首に伸びる刺青が、彼の威圧を一層引き立てていた。腰をかける姿も、ただそこに在るだけで空間を支配するようだった。


「お前達が信じたいものだけを見れば良いものを」

背中には、宇宙外生物のような爬虫類が纏っている。


「あんたがここのボスか?」ユウナギは睨み付けた。


「……な、何の話をしてるの?」ミルルは身を屈めて聞いた。


「そっちの女は“閉じて”やがるのか。Defenceだな。外から入る嘘を、最初から弾いてる」

男は、つまらなそうに鼻を鳴らす。

「問題外」


ユウナギは、王を見ていた。


確かに、そこに“男”がいる。

声も、姿も、存在も――理解できる。


なのに、

どこか一拍、感覚が噛み合わない。


映像と音声が、

噛み合わないまま再生されているような違和感。

男の背で蠢いていた爬虫類が、ぴたりと動きを止めた。


次の瞬間——


それは、弾かれるようにユウナギへ跳んだ。

空気が裂ける。

ミルルが声を上げるより早く、

ユウナギは反射的に手を振り抜いていた。


衝撃。


乾いた音とともに、生物は壁へ叩きつけられ、

数珠状の球体の間を転がって床に落ちた。

静寂。

ユウナギ自身も、わずかに目を見開いていた。

——今のは、狙ってやったわけじゃない。

だが。


玉座の男だけは、違った。

一瞬、口を閉ざし。

次の瞬間、喉の奥で、低く笑った。


「……なんて可哀想なことするんだろうね、ま、避けないと頭ごと食べられてたけど」

その笑みには、(あざけ)りがなかった。


代わりに浮かんだのは、純粋な“引っかかり”だった。

「おかしいな」

男は、初めて姿勢を起こす。


爬虫類の残骸から、ゆっくりとユウナギへ視線を移した。

「さっきまで、ここにいるはずの“像”と……違う」


指先で、空をなぞる。

「お前、まだ――

 俺の嘘に、完全には乗ってない」


ユウナギは、壁に触れたまま息を整えていた。

視界は歪む。だが、崩れない。

「……何の話だ」

その声に、震えはなかった。


男の口角が、わずかに吊り上がる。

「へぇ~」

それは、評価している顔だった。

「久しぶりだ。

 “想定外”ってやつに会ったのは」


玉座の背後で、

街の鼓動と同じリズムで、光が一度、強く脈打った。王の真下ずっと深く、機械仕掛けの時計が回るように何か巨大なものを動かしていた。


男は、ちらりとミルルを見る。

透明な防壁は、微動だにせず、静かに脈を打っていた。


——だが、興味はすぐに失われた。


「俺の世界に“触れかけて”、

それでも、崩れないやつ」

指先が、わずかに震えた。

それは初めてだった。


「……ノイズだ」


王は楽しそうに笑った。

「同期しかけて、ズレる」


それだけで、この空間は不安定になる。


玉座の男は、指先を軽く鳴らした。

数珠状の球体が、一斉に回転速度を変える。


唸りが低くなり、

空間そのものが重さを持った。


「早く楽になりなよ」

声は軽い。

だが、その瞬間――

ユウナギの視界が、二重に揺れた。


壁が、ほどける。

いや、違う。

ほどけた“ように見える壁”と、変わらず存在する壁が、同時に見えた。


「……っ」


息が詰まる。

身体が、二つの感覚に引き裂かれそうになる。


ひとつは、

“王が見せている嘘の世界”。


もうひとつは、

触れて、立って、呼吸している――

現実の感触。


ミルルのフィールドが、きしりと音を立てた。

「ユウナギ!私どうしたら……」

声が、遠い。

ミルルの声だけが、現実に引き戻すように響いた。

それがなければ、立っていられなかった。


王は、目を細めた。

今度は、はっきりとした興味の色だった。


「……ああ、やっぱりそうなんだ」


数珠が、さらに光を強める。

街の鼓動と、完全に同期する。


「普通はな」

男は淡々と言う。

「どっちかに“寄る”。信じるか、拒むかだ」

指先が、ユウナギを指した。

「でもお前は違う」


「嘘を拒否しきれないくせに」


「こっちの世界に片足を入れてる」


ユウナギの足元で、床が波打つ。

だが、崩れない。


視界が揺れるたび、内臓の位置が一拍遅れてついてくる。

吐き気とも、眩暈とも違う。

膝が震える。


頭が痛む。

それでも――立っている。


「……やめろ」


絞り出すような声だった。

だが、確かに届いた。


王は、感心したように短く息を吐いた。

「へぇ、今――」

言葉を選ぶように、間を置く。


「壁を持ったまま、ノイズになったな」


「……お前、何者だ?」

王がゆっくり立ち上がる。


背後の円錐形の構造物が一瞬微かに揺れ、街全体の光もわずかに揺らぐ——

だが、それは自然な現象ではなく、王が意図的に演出したものだった。

ユウナギの“ノイズ”を浮き彫りにするための、巧妙な仕掛けだ。


まだ本人は気付かない。

だが、王は理解していた——


ユウナギは、ほんの一歩だが決定的に、

自分の力が王の作る世界に干渉し得る位置に到達したのだと。


——使える器ではない。

——嘘に従う存在でもない。


だからこそ、厄介だ。


玉座の男は、初めて

“試す”のではなく

“警戒する”目で、ユウナギを見た。



(第二十章・了)


嘘に飲み込まれる者は多い。

だが、嘘を拒みきれないまま

立ち続ける者は、もっと厄介だ。


ノイズは、異常ではない。


それは、

世界に“触れてしまった”者だけが残す痕跡。

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