線がひかれる日
選ばれることが、
いつも救いになるとは限らない。
名前が呼ばれ、
組み合わされ、
役割が与えられるたびに、
静かに、置き去りにされる想いもある。
それでも――
彼らは前へ進むしかなかった。
安全ではない強さが、
すぐそこまで迫っていると知りながら。
いつもの教室に、プラス先生が入ってきた。
いつもと同じはずの光景なのに、教室には妙な緊張が漂っていた。
「はーい! みんな元気か?
特別休暇はどう過ごしてた?
リングを二つ解除した生活にも、もう慣れたかな?」
軽い調子の声に、教室のあちこちから小さな反応が返る。
その中で、待ちきれないように手を挙げたのはバーチだった。
「ソウルメイト、どうなったんですか?」
「それな。今から発表する!」
プラス先生はにやりと笑う。
「まあまあ、そう焦るな、バーチ」
教室の空気が、ぴんと張りつめた。
「じゃあ、まずはバーチ。お前からだ」
「え!? いきなり?」
バーチは肩をすくめながら、わざとらしく胸に手を当てる。
「そうは言っても、心の準備ってもんが……ぼくの運命の相手とは――」
ちらり、とミラを見る。
「ああ……候補生の時の発表より怖い」
ミラが、ぼそりと呟いた。
「ソード・ノゼリアだ」
プラス先生の声が、はっきりと教室に響く。
「ヤローかよ!!」
即座に飛び出したバーチの叫びに、
「それは俺の台詞だ!」と声が重なった。
ソード・ノゼリア。
前髪のそろった赤い髪に、黒で統一されたアクセサリー。
耳元のピアスも、爪のマニキュアも、すべて黒だった。
「趣味わる」
「殺すぞ」
短いやりとりに、教室がどっと笑いに包まれる。
「やっぱり、ソウルメイトって似た者同士なのね」
ミラは小さく息をつき、ひとまず安堵した。
「続いて、ミラ」
「私!?」
ミラは背筋を伸ばす。
「シャド・リエンテだ」
「あ……どうも」
ミラは一瞬だけ視線を送り、すぐに前を向いた。
遠くの席で、シャドも静かに頭を下げる。
ユウナギと並ぶ優等生――
いや、それ以上かもしれない男だった。
その横で、ミルルが落ち着きなく身を揺らしている。
「続いて、ミルル・セーレン」
「はーい!!」
返事だけは、誰よりも元気だった。
「ユウナギ・カーレンだ」
「やった……!」
思わず漏れた小さな声。
教室のあちこちから、ざわめきが広がる。
「ちなみに――」
プラス先生は、そこで一拍置いた。
「カナタ・アレイシアは、組む相手なしだ。
まだ危険だと判断した」
その言葉が、静かに落ちる。
「続いて――不登校者ひとり」
先生の声は、そこでカナタの耳から遠のいた。
視線の先にいるユウナギ。
いつも隣にいた存在。
当たり前のように一緒だった時間。
その相手が、自分ではなかった。
胸の奥に、ぽっかりと穴が開いたような感覚が広がる。
「このあと、訓練施設に移動する」
プラス先生が続ける。
「特殊部隊隊長がお待ちだ」
その言葉に、教室のざわめきが一段と大きくなる。
――その瞬間。
カナタの胸の奥で、
何かが音もなく、崩れた。
*
特殊訓練施設は、地下深くに存在し、白一色の壁に囲まれていた。
音が反響しやすく、足音ひとつでも、必要以上に大きく響く。
空気は乾き、どこか無機質で、息を吸うだけで緊張を強いられる場所だった。
高い天井には均一な照明が並び、影が生まれにくい構造になっている。
その天井付近には、分厚い特殊強化ガラスの窓がはめ込まれ、外側から関係者が見学できるようになっていた。
プラス先生に率いられ、二十九人の生徒が施設へと足を踏み入れる。
施設の中央に、ひとりの青年が立っていた。
「え? うちらと同じくらいに見えるんだけど……」
「なんか予想と……」
「イケメン」
口々に、遠慮のない声が漏れる。
「静かにしろ。くれぐれも失礼のないようにな」
プラス先生が低い声で制した。
「特殊部隊隊長と言っても、肩書き以上の“レベル”を持っている方だ」
「ほんとかよ……?」
バーチは疑心暗鬼だった。
背丈も体格も、自分たちとほとんど変わらない。どう見ても年上には見えなかったからだ。
「タシト・レヴァントだ。今日から君たちの隊長だ」
「……」
教室とは違う沈黙が、施設に落ちた。
戸惑いを隠せない視線が集まる中、タシトが、まっすぐこちらを見た。
あの時の少年が、目の前にいる。
――本当に、同じ人物なのだろうか。
ユウナギは、言葉を失っていた。
その瞬間だった。
人ひとりしか立っていないはずなのに、
空気が、何層にも重なって押し寄せてくる。
怒り、冷静さ、覚悟。
そして――名づけられない感情の波。
それは、圧だった。
存在そのものが、空間を歪ませているかのような。
(……これが、人のものだと言えるのか?)
カナタも、同じだった。
そして、四年前。
抱き締められた感触が、唐突に蘇る。
――似てる。
なぜか、あの時と。
理由は分からないまま、
今さらになって、気まずさだけが胸に残った。
記憶の中の姿より、
タシトは、確実に背が伸びていた。
「先生は、カナタくんと一緒に、横で見てるよ」
プラス先生に促され、カナタは施設の隅へと移動する。
「隊長は、何歳なんですか?」
ミルルが、間髪入れずに声を上げた。
その場の全員の視線が、一斉にタシトへ向く。
「……」
一拍の沈黙。
「十四だ」
どよめきが走った。
「と、年下!? なのかよ……」
バーチは、口を開けたまま固まった。
そして、唖然とするユウナギを見て、思わず笑った。
「……あんたもそんな顔するんだな。俺も同じ気持ちだ」
「違う」
ユウナギは、タシトから視線を外さずに言った。
「……彼は、やばい」
「今から、リングを解放する」
タシトは自分の手首に視線を落とした。
静かに制御されていたリングの光が、
呼吸を止めるように、すっと消える。
微かな共鳴だけが空気に残り、
それが解除の合図だった。
空気が、軋んだ。
短い沈黙。
「次は――お前たちだ」
低い声が、床を這う。
「全員、すべてのリングを解放しろ」
「ま、待て……それは高位軍人の許可が――」
プラス先生が言いかけ、はっとして天井付近の窓を見上げる。
分厚いガラスの向こうに、人影。
胸元の軍のバッジが、照明を反射した。
「見学者?聞いてない」
「もちろん、数秒だ」
タシトは視線を逸らさない。
「そこで、本来のレベルと――どこまで解放が可能かを確認させてもらう」
「全部って……?」
「精神、持たないぞ……」バーチの声が震えた。
「壊れるなら、それまでだ」
皆は、息を飲んだ。
能力制御用のリングを二つ外しただけで、身体にはすでに強い負荷がかかっている。
「こんなの……未知の領域だよ」
不安を押し殺せない声が、あちこちから漏れた。
「ひざをついた者から、リングを再始動し、遠隔操作で制御を入れる」
タシトの声は低く、無駄がなかった。
「よかった、いち早くひざをつこう……」
バーチは小さく呟く。
「俺、レベル5だけど……ユウナギ、大丈夫か?
7だろ?」
「正直、わからないよ」
ユウナギはそう答えながら、自分の腕に視線を落とした。
右腕と左腕に並ぶいくつものリング。
その中で、能力を制御する二つだけが、静かに光を失っている。
「でも……いずれ使いこなすのが目的なんだろ?」
その瞬間だった。
ズン――――ッ!!
空気が、沈んだ。
肺が潰れる錯覚に、息の仕方を忘れる。
リングの解除が一斉に行われたのだ。
重力が何倍にもなったかのように、身体を床へと押しつける。
遠くで、プラス先生の持っていたクリップボードが裂けた音がした。
反射的に、先生はシールドを展開する。
カナタを含めた周囲を包み込むように。
床は特別な超合金製だったが、それでも――
みし、みし、と嫌な音を立てて軋んだ。
次々と、生徒たちがひざをつく。
ミラは耐えきれず、その場に伏せた。
気を失い、動かなくなる者もいる。
それでも――
バーチは、歯を食いしばったまま、ぎりぎり立っていた。
そして。
ユウナギと、ミルルは、立ったままだった。
「――そこまでだ」
タシトの一言で、圧が引く。
リングの制御が戻される。
どよめきが、遅れて施設を満たした。
プラス先生は、倒れた生徒たちのもとへ駆け寄る。 「大丈夫、気絶しているだけだ」
連絡を入れ、保健室の教員を呼ぶと、生徒たちは運ばれていった。
「やった……」 ミルルは、息を荒くしながらも、誇らしげに笑った。
「……まじ、やべぇ」 バーチは最後まで踏ん張ったものの、ついに膝を落とす。
「惜しかったな、バーチ」
抑揚のない声だった。
「……なんだよ」 バーチは息を整えながら、ぼそりと呟く。 (呼び捨てかよ)
「タシト隊長!」 ミルルが一歩前に出た。 「私、集中しました!」
誇らしげな声。
タシトは、ちらりと視線を向けただけだった。 「……意外だな」
それだけだった。
だがミルルには、それで十分だった。 胸の奥が、熱を持ったようにざわつく。
ユウナギは、肩で息をしながらも、タシトから目を離さない。 あの圧。 あの空気。 ――理解できない。それでも、目が逸らせなかった。
タシトは、皆に背を向ける。
「安全な強さに、意味はない」
静かな声だった。 だが、その言葉は、床よりも重く落ちた。
一拍の沈黙。
「明日から一週間、メア・フェールに行く」 振り返らずに続ける。 「準備しておけ」
ざわめきが、遅れて広がった。
(第十一章・了)
誰かの背中を、
追う者がいる。
誰かの隣に立てなかった者もいる。
それでも、進路は一つだった。
安全な場所を離れ、
“意味のある強さ”を試される地へ。
星々の向こうで待つものが、
救いか、破滅か――
まだ、誰にも分からない。




