消されたページ
世界には、
記録されない出来事がある。
起きなかったのではない。
誰かが、残さなかっただけだ。
整いすぎた記録の中で、
欠けているものほど、
強く存在を主張していた。
コロニー・リオンド郊外の森の中。
ノクス:グレイン生態再編局
二階建ての広い施設。隣には、関連施設がいくつもある。
「50%が限界かあ」スコーラオは、悩む。
「スコーラオ様、X幹細胞が従来より劣化スピードが早くなっています」
窓の外を眺めるスコーラオ。
「んー、ちょっとトイレ行ってくる」
木が青々と繁っている。風は冷たい。
「看板、見なかった?
侵入者は殺します、ってやつ」
白衣の男が舌打ちした。
「……やれ」
音もなく、レーザー銃が光った。
次の瞬間、
床に、何かが落ちる音がした。
スコーラオは、いつの間にか一歩後ろに下がっている。
男は、その場に立ったまま――動かなかった。
数秒遅れて、
男は、二つに分かれるように崩れ落ちた。
残った二人が、悲鳴も出せずに後ずさる。
「待って待って」
スコーラオは、困ったように笑った。
「お土産、忘れてるよ」
転がった“それ”を、軽く放る。
二人は、叫びながら逃げ出した。
「半分になってたから、連れてきた」
スコーラオが間も無く研究室に戻ってきた。
「……助けてあげて」
「この人をどこで……」
入ったばかりの研究員は、言葉を失っていた。
その横で慣れた研究員は、空いてる装置を起動する。
「スコーラオ様、ちょうど50%の検体ですね」
◇
ルミナリア中央記録院・第二閲覧棟、
人もまばらで、空気が沈んでいた。
高い天井にわずかに反響するのは、紙をめくる音と、遠くで稼働する記録端末の低い駆動音だけだ。
川辺の向こうに建てられたこの棟は、街の喧騒から切り離されたように静かだった。
水面を渡ってくる風さえ、ここでは音を失っている。
ユウナギは、背の高い書架のあいだを歩き回り、古い見聞書を次々と引き抜いていた。
――四年前。
確かに起きた、あの倒壊事故。
アレイシア波動生体研究局。
施設の半壊、複数名の死傷者。
それだけの規模だったにもかかわらず、事件は大きな波紋を呼ぶこともなく、
いつの間にか、記録の底へと沈められていた。
(……不自然だ)
そう思うたび、指先が紙をめくる速度だけが、わずかに早くなる。
その時だった。
「同じクラスの特権、ですね」
不意に、隣から少し明るすぎる声がした。
振り向くと、薄いピンク色の髪に、細いフレームの眼鏡をかけた少女が立っていた。
ミルル・セーレン――同じクラスの女子生徒だ。
「え? ……君は、確かミルル・セーレン」
「あなたに話しかける日が来るなんて、不思議です。
私、ここによく来るんですけど……まさか、同じ学校で、しかも同じクラスだなんて思いませんでした」
「そうなんだ……全然気づかなかったよ。ごめん」
ユウナギは、わずかに笑ってから、再び本棚へ視線を戻した。
「俺、周り見えなくなるタイプだからさ。
君は、どんな本を探しに?」
「エネルギー系です。Defenceに、何か役立たないかと思って」
「……へえ、熱心だね」
「レベル6ですから。家族の期待も背負ってます」
ミルルは肩をすくめ、少し照れたように笑った。
「父は“なんでDefenceなんだ”って言いますけど。大きなお世話ですよね」
「暇なので、手伝いましょうか? 何か探してるんですよね」
「いや、大丈夫。ありがとう」
そのとき、ミルルの視線が、ユウナギの手元で止まった。
「あれ? その本……」
「これ? アレイシア波動生体研究局の資料だよ」
「その本、前に見ました」
「……そうなの?」
「はい。昔、父が修理工として派遣されていたので」
ユウナギの指が、ページの端で止まる。
「……いつ?」
「4年くらい前だったかな、衝撃的だったので」
「じゃあ……あの事故のこと、知ってる?」
「え!? あなたも、信じてるんですか?」
ミルルの瞳が、はっきりと輝いた。
「信じるもなにも……」
「……何ですか?」
「……いや、何でもない」
ミルルは言葉を継いだ。
「父が、見たらしいんです。
リングを外した戦いを。格闘も、特殊能力も、全部」
「父はレベル2ですけど、そういう話が好きで。
でも、そのあとニュースにもならなくて……嘘つき扱いされました」
彼女は、小さく息を吸った。
「だから、私、調べたんです。
でも……なかった」
ミルルは、開かれたページを指でなぞる。
「報告書は、事故として完璧すぎるんです。
まるで――誰かを“消すため”に、整えられたみたいで」
そして、少しだけ声を弾ませた。
「父の言う“あの少年”に、私も会ってみたいんです」
ミルルの瞳は、謎を引き継いだ次世代の探偵のように、静かに、けれど確かに輝いていた。
ユウナギは、
――自分が“その場にいた”という事実を、口にすることができないまま、
消されたままの空白のページを、ただ見つめていた。
記録院の外へ出ると、街のざわめきが、さっきまでの静寂が嘘だったかのように耳へ戻ってくる。
ユウナギは、足を止めなかった。
振り返れば、あの建物はまだそこにある。
だが――もう、答えはない。
記録は整いすぎていた。
欠けているはずのものだけが、最初から存在しなかったかのように。
(……消されたんじゃない。
“残さなかった”んだ)
胸の奥に、冷たいものが沈む。
ユウナギは再び歩き出した。
ルミナリア中央記録院を、振り返らない。
もう、ここに答えはないと分かってしまったからだ。
だが、真実が“無い”という事実だけが、
確かに、ここに残っていた。
――そしてそれは、
次に進むための、十分すぎる理由だった。
(第十章・了)
真実は、
見つからなかった。
だが、
何もなかったわけではない。
消された痕跡。
整えられすぎた沈黙。
それらすべてが、
「次へ進め」と、
無言で背中を押していた。
知らなかったのではない。
――最初から、
残されていなかったのだ。




