第13話:孤高の獣、王の愛玩(ペット)となる
お待たせしました。
Sクラス最強の獣人・ルナvs魔力ゼロの主人公。
勝負の行方は……「わからせ」一択です。
森の空気が、凍りついたように静まり返っていた。
俺の腕の中には、Sクラスの実力者であり、レジスタンスの幹部でもある獣人の少女、ルナがいる。
彼女の足首を掴み、バランスを崩させて抱き留めた体勢。
至近距離で重なる視線。
俺の胸板に押し付けられた彼女の身体からは、早鐘のような心音が伝わってくる。
「……は、離せっ! この……ッ!」
数秒の硬直の後、ルナが我に返ったように暴れ出した。
その顔は真っ赤だ。恥辱か、それとも混乱か。
彼女は俺の拘束を振りほどこうと、鋭い爪を立てて俺の腕を引っ掻く。
――ガリッ。
鋭い痛みが走る。
防御障壁は解けている。生身の腕に、赤い筋が刻まれた。
「調子に乗るなよ、オス風情が……! たまたまボクの蹴りを防げたくらいで、勝った気になるな!」
ルナが犬歯を剥き出しにして吠える。
その瞳から、先ほどの「ときめき」が消え、野生動物の凶暴な殺気が戻ってくる。
彼女は俺の腕を強引に振りほどくと、バックステップで距離を取った。
「ボクは『黄昏の梟』の特攻隊長だぞ! キミみたいなひ弱な愛玩動物に、これ以上ナメられてたまるか!」
ルナの全身から、どす黒い魔力が噴き出す。
大気がビリビリと震える。本気だ。
さっきの蹴りは「挨拶」だった。次は、殺す気でくる。
「ルナ! やめなさい! 彼は敵じゃない!」
ノアが叫ぶが、血に酔った獣の耳には届かない。
ルナは腰のベルトから二振りの短剣を抜き放ち、低い姿勢で構えた。
「……手足の一本くらいなら、治療魔法で治るだろ。まずはその生意気な態度を、痛みで矯正してやる!」
地面を蹴る音。
速い。さっきとは桁違いの速度だ。
黒い疾風となったルナが、俺の喉元へと迫る。
(……ああ、やっぱりそうか)
迫り来る死の刃を見ながら、俺の頭の中は奇妙なほど冷静だった。
恐怖はない。
あるのは、静かな苛立ちだけだ。
どいつもこいつも。
「男は弱い」「守ってやる」「躾けてやる」。
そんな勝手なレッテルを貼って、俺という「個」を見ようとしない。
アテナの過保護も、シエルの蔑みも、そしてこの獣の牙も。
根っこは同じだ。
俺を「対等な人間」として扱っていない。
(……いい加減にしろよ)
腹の底で、どす黒いマグマのような感情が渦巻く。
それは地下書庫で感じた「王の力」の源泉。
理不尽な世界への怒り。
そして、その理不尽をねじ伏せたいという、俺自身の「傲慢な意志」。
俺は動かなかった。
防御の構えすら取らなかった。
ただ、迫り来るルナの瞳を、真っ直ぐに見据えた。
そして、俺の中の「王」に命じた。
――跪かせろ、と。
「……『待て』だ」
俺の口から漏れたのは、低い、地を這うような声だった。
魔法の詠唱ではない。ただの言葉。
だが、その言葉には、世界そのものを震わせるような、絶対的な「重圧」が乗っていた。
ドォンッ!!!!
俺を中心にして、不可視の衝撃波が炸裂した。
それは物理的な風圧ではない。
圧倒的な上位存在が放つ、魂の格付け(ランキング)を強制する覇気。
「――ッ!?」
ルナの動きが、空中でピタリと止まる。
いや、止められたのだ。
彼女の身体が、見えない巨大な手によって地面に縫い付けられたように、ガクガクと震え出す。
「な、あ……? 身体が……動か……!?」
ルナの短剣が、カランと音を立てて地面に落ちる。
彼女の瞳が見開かれ、そこには信じられないものを見るような驚愕と、本能的な「恐怖」が浮かんでいた。
俺はゆっくりと、彼女へと歩み寄る。
一歩進むごとに、森の空気が重くなる。
鳥の声も、虫の音も消えた。
ただ、俺の足音だけが響く。
「躾けが必要なのは、どっちだ?」
俺はルナを見下ろした。
彼女は動けない。金縛りにあったように、その場に立ち尽くしている。
額から脂汗が流れ、呼吸が荒くなっている。
そして――。
ジョロロロ……。
静寂な森に、場違いな水音が響いた。
ルナの足元から、レザーアーマーを伝って、地面に黒い染みが広がっていく。
「あ……ぅ……」
ルナの顔が、火が出そうなほど真っ赤に染まる。
Sクラスの強者。レジスタンスの特攻隊長。
そんなプライドの高い彼女が、ただ「睨まれただけ」で、恐怖のあまり粗相をしてしまったのだ。
それは、生物としての「格」の違いを、彼女の本能が完全に理解し、屈服してしまった証。
屈辱と、恐怖と、そして抗えない支配への絶望が、彼女の心をへし折る。
「キ、キミは……何なんだ……。魔力じゃない……これは……」
「質問に答えろ。……人様に牙を剥くのが、お前のやり方か?」
俺は彼女の顎を掴み、強引に上を向かせた。
いつもなら、この世界の女性にされる側の行為。
だが今は、俺が「支配する側」だ。
指先から、ルナの震えが伝わってくる。
彼女は獣人だ。人間よりも本能が鋭い。
だからこそ、抗えなかったのだろう。目の前にいる「オス」が、自分よりも遥かに上位の捕食者であるという事実に。
「ひぅ……っ、ご、ごめんな……さい……」
ルナの膝が折れた。
彼女は濡れた足元のまま、俺の前に崩れ落ち、震える手で俺のズボンの裾を掴んだ。
「ボクの……負けだ……。キミは……強い……」
殺気は完全に消え失せていた。
代わりにそこにあるのは、絶対的な服従と、熱っぽい陶酔。
彼女の頭上の狼耳がぺたんと伏せられ、尻尾が――本人の意思とは無関係に――ちぎれんばかりに左右に振られている。
(……うわ、わかりやすい)
俺はため息をつき、纏っていた覇気を解いた。
途端に、森に風が戻ってくる。
「……わかればいい」
俺が手を離すと、ルナはほっとしたように息を吐き、そして――あろうことか、俺の手のひらに自分の頬を擦り付けてきた。
「ん……いい匂い……。強いオスの匂い……」
ゴロゴロと喉を鳴らす勢いだ。
さっきまでの狂犬ぶりはどこへ行った。完全に懐かれている。
「ちょ、ちょっとルナ! 貴女、何してるんですか! それに……!」
ようやく動けるようになったノアが、慌てて駆け寄ってきた。
彼女もまた、顔を赤くして俺と、そしてルナの足元を見つめている。
「ミナト先輩……今の力は……?」
「わからん。……ただ、イラッとしたら勝手に出た」
「『王の威圧』……。文献でしか見たことがありません。まさか、実在したなんて……」
ノアは興奮したようにブツブツと呟き、メモを取り始めた。
一方、ルナは俺の足元から離れようとしない。むしろ、俺の腰にしがみついて上目遣いで見上げてくる。
「ねえ、キミ。名前は?」
「……湊だ」
「ミナト……。うん、いい名前」
ルナはとろけるような笑顔を見せた。
「ボク、決めたよ。今日からボクは、ミナトのモノだ」
「は?」
「レジスタンスとかどうでもいいや。ボクは、強いオスに従いたい。……ねえ、ボクのこと、飼ってくれるでしょ? 夜のお世話も、狩りの手伝いも、なんでもするよ?」
彼女の手が、いやらしく俺の太ももを這い上がってくる。
おい、思考回路が極端すぎるだろ。
「敵」から「ペット(自称)」へのジョブチェンジが早すぎる。
「飼わないし、ペットにもしない。……俺たちは対等な協力者だ。そうだろ?」
俺が諭すように言うと、ルナはキョトンとして、それから嬉しそうに目を細めた。
「『パートナー』……。響きがいいね。つまり、番ってこと?」
「違う」
「いいや、番だ。ボクの鼻は誤魔化せないよ。ミナトからは、ボクを惹きつけるフェロモンが出てる」
ルナは俺の首筋に鼻を押し付け、スゥーッと深く匂いを嗅いだ。
「あぁ……たまらない……。今すぐここで、マーキングしちゃいたい……」
彼女の犬歯が、甘噛みするように俺の首筋に触れる。
ゾクリとした快感が走る。
やばい。このままじゃ、森の中で獣人美少女に食われる(性的な意味で)。
「……そこまでにしてください、駄犬」
冷ややかな声と共に、ノアがルナの首根っこを掴んで引き剥がした。
「ミナト先輩は『黄昏の梟』の重要な賓客です。貴女の私情で汚さないでください。それに、その……汚れていますから、早く着替えてください!」
「なんだよノア! キミだってさっき、顔真っ赤にしてたじゃないか!」
「わ、私は学術的な興奮をしていただけです!」
ギャーギャーと言い争う二人。
先ほどまでの殺伐とした空気が嘘のようだ。
どうやら俺は、レジスタンスという名の「新たなハーレム要員」を手に入れてしまったらしい。
――その時だった。
ピリリッ。
俺のポケットの中で、何かが微かに振動した。
アテナから持たされていた「通話用の魔道具」だ。
マズい。長居しすぎた。
「……ッ、アテナだ」
俺が青ざめると、ノアとルナも一瞬で真顔に戻った。
「まずいですね。この森にいることがバレたら、私たちが貴方と接触したことも露見します」
「チッ、あの女狐か……。せっかくミナトといい雰囲気だったのに」
ルナが忌々しげに舌打ちをする。
俺は通話ボタンを押さずに、二人に向き直った。
「とにかく、俺は戻る。……協力体制については、また後日だ」
「はい。連絡はいつもの『栞』で」
ノアが頷く。
ルナは名残惜しそうに俺の手を握り、その甲にキスを落とした。
「またね、ご主人様。……ボクの身体はいつでも空けて待ってるから、早く呼び出してね」
意味深なウィンクを残し、獣人の少女は木々の上へと姿を消した。
ノアもまた、音もなく闇に溶けるように去っていく。
残された俺は、一人深呼吸をして、通話魔道具に応答した。
『――ミナト?』
アテナの声だ。
甘い。とろけるように甘い声。
だが、その裏に潜む「何か」を、俺の直感が警告している。
「ああ、アテナ。どうした?」
『ううん、なんでもないの。……ただ、ちょっと気になって』
通信越しでもわかる。彼女が笑っていないことが。
『ねえミナト。……今、どこにいるの?』
『あと、あなたの体から……微かに獣の匂いがするのは、気のせいかしら?』
――詰んだ。
この神官長様、五感が鋭すぎる。
俺は冷や汗を拭いながら、必死に言い訳を考えつつ、森の出口へと走った。
新たな仲間(下僕?)を手に入れた代償は、今夜の「尋問タイム」で支払うことになりそうだ。
ご覧いただきありがとうございます!
「王の覇気」炸裂回でした。
最強の獣人が、恐怖のあまり……という展開、いかがでしたでしょうか。
この「格付け完了」の瞬間が、作者としても書いていて一番熱くなります。
そして最後はやっぱりアテナ様。
GPSでもついてるんでしょうか、この神官長。
次回、「第14話:神官長の嗅覚と、拭えない『獣』の残り香」。
逃げ場なしの密室で、アテナ様による「上書き保存」が行われます。
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