ダンジョンと貨幣の話
(う~ん……どうしたモノかな)
俺は、魔力の流れの中で作り上げた空間で、目の前に浮かぶダンジョン機能のコンソールを見つめていた。
ダンジョンのドロップ品として、何を出現させるか。
これは、この国の経済や文化に影響を与える重要な問題だ。
そして今、俺が悩んでいるのは――貨幣をドロップ品にするかどうか、だった。
(貨幣か……確かに、需要はあるだろうな)
俺は、生前の記憶を辿る。
日本の貨幣の歴史について、俺はそれなりに知識を持っていた。
更に、ダンジョンのデータベースからも情報を読み取ることができる。
(まず、この国で最初に作られた貨幣は……富本銭だな)
富本銭。
飛鳥時代、天武天皇の時代に鋳造されたとされる貨幣だ。
俺も、この目で見たことがある。
直径約2センチほどの円形で、中央に四角い穴が開いている。
表面には「富本」の文字が刻まれていた。
ただ、これは試作的な意味合いが強く、広く流通するには至らなかった。
主に都周辺での限定的な使用に留まっていたのだ。
(そして、本格的に流通を目指したのが和同開珎だ)
708年、元明天皇の時代に発行された和同開珎。
これは、富本銭とは違い、全国的な流通を目指して作られた。
直径約2.4センチ、重さ約3グラム。
銅製で、表面には「和同開珎」の四文字が刻まれている。
朝廷は、この貨幣を普及させるために様々な政策を打ち出した。
貨幣を使った者には位階を授けるとか、税を貨幣で納めることを奨励するとか。
(それでも、なかなか定着しなかったんだよな……)
当時の人々にとって、貨幣という概念そのものが新しかった。
物々交換が主流だった社会に、突然貨幣経済を導入しようとしたのだから、無理もない。
それでも、都周辺では徐々に浸透していった。
俺も、市場で和同開珎が使われる様子を、何度も目撃している。
(そして、その後も朝廷は貨幣を発行し続けた)
和同開珎の後、朝廷は次々と新しい貨幣を発行した。
これらは後世、皇朝十二銭と呼ばれることになる。
万年通宝。760年、淳仁天皇の時代に発行された。
和同開珎よりもやや大きく、品質も向上していた。
神功開宝。765年、称徳天皇の時代に発行された。
これは、道鏡が権力を握っていた時期の貨幣だ。
俺は、これらの貨幣が鋳造される様子を、魔力の流れを通じて観察していた。
職人たちが、丁寧に鋳型を作り、溶けた銅を流し込む。
冷えた後、一枚一枚丁寧に仕上げていく。
(そして、これからも貨幣は発行され続けるだろう)
俺は、ダンジョンのデータベースから未来の情報を読み取る。
隆平永宝。796年、桓武天皇の時代に発行される予定だ。
平安京遷都後、最初の貨幣となる。
富寿神宝。818年、嵯峨天皇の時代。
承和昌宝。835年、仁明天皇の時代。
長年大宝。848年、文徳天皇の時代。
このように、皇朝十二銭は、約250年にわたって発行され続ける。
(ただ、問題もあるんだよな……)
俺は、データベースから得た情報を整理する。
皇朝十二銭の最大の問題は、品質の低下だった。
後期になるほど、銅の含有量が減り、鉛や錫の割合が増えていく。
つまり、貨幣の価値が下がっていくのだ。
これは、朝廷の財政難が原因だった。
良質な銅を確保できなくなり、安価な金属で代用せざるを得なくなった。
結果として、人々は新しい貨幣を信用しなくなり、古い和同開珎を好んで使うようになる。
これを「撰銭」という。
(そして、最終的には国産貨幣の流通が衰退し、大陸の貨幣に頼ることになる)
平安時代後期から鎌倉時代にかけて、宋銭が大量に流入してくる。
宋銭は品質が高く、人々に信用された。
その後、明銭、そして江戸時代には独自の貨幣制度が確立される。
(貨幣の歴史って、本当に複雑だな……)
俺は、改めて貨幣というものの難しさを実感した。
貨幣は、ただの金属の塊ではない。
それは、国家の信用そのものだ。
人々が「この貨幣には価値がある」と信じるから、貨幣は機能する。
逆に言えば、信用を失えば、ただの金属に戻ってしまう。
(だからこそ、ダンジョンで貨幣を出現させるのは危険、か)
俺は、コンソールに手を伸ばしかけて、止めた。
もし、ダンジョンで貨幣が大量にドロップするようになったら、どうなるか。
人々は、ダンジョンに潜って貨幣を集めるだろう。
そうなると、市場に流通する貨幣の量が急激に増える。
貨幣の量が増えれば、その価値は下がる。
いわゆるインフレーションだ。
(生前の世界でも、貨幣の過剰発行はよくあった)
歴史上、貨幣を大量に発行して経済が混乱した例は、数え切れないほどある。
古代ローマ帝国の銀貨の品質低下。
中世ヨーロッパの小型化する銀貨。
そして、近代の紙幣によるハイパーインフレーション。
貨幣の価値が暴落すれば、経済は大混乱に陥る。
人々の生活は破壊され、社会不安が増大する。
(この国は、まだ貨幣経済が根付き始めたばかりだ)
和同開珎が発行されてから、まだ100年も経っていない。
人々は、ようやく貨幣というものに慣れ始めたところだ。
ここで、ダンジョンから貨幣が大量に出現すれば、せっかく築きつつある貨幣への信用が崩れかねない。
(それに、朝廷の財政にも影響するだろうな)
朝廷は、貨幣の発行権を独占することで、経済をコントロールしようとしている。
これは、国家の重要な権力の一つだ。
もし、ダンジョンが貨幣を生み出すようになれば、朝廷のその権力は脅かされる。
最悪の場合、朝廷が貨幣の発行を諦め、貨幣経済そのものが崩壊する可能性すらあった。
(うん、やっぱり貨幣は駄目だな)
俺は、結論を出した。
ダンジョンのドロップ品として、貨幣を出現させるのは止めよう。
リスクが大きすぎる。
今まで通りに、武具や道具などの実用的なアイテムに留めておくのが妥当か。
それですら、人々の生活へ影響を及ぼしているのだから。
(……鉱石辺りは、普通のダンジョンでも出るようにしていいかもな)
その代わりに、比率としては高く無いものの、大仏建立時に出現させた試練のダンジョンのドロップ品を、出すことにしよう。
鉱石や、外傷を癒す薬品などは、朝廷がダンジョン利用に積極的になった今、需要がある筈だ。
これなら、経済への影響も限定的になる筈。
(ふう……)
俺は、光の粒子を消し去り、深く息を吐いた。
(お疲れ様、アナタ)
隣から、ハルカの声が聞こえた。
俺が振り向くと、ハルカが穏やかに微笑んでいた。
(ん? どうした?)
(ううん、何でもないわ。ただ、アナタが一生懸命考えている姿が、微笑ましいなって思って)
ハルカは、俺の頭を優しく撫でる。
(この国のことを、本当に大切に思っているのね)
(……そうか、な)
俺は、少し居心地が悪くなった。
この世界の担当仏に告げられた俺の役割に、この国の発展自体は含まれていない。
あくまで破局噴火を防ぐその延長線上に、ダンジョン運営があると言って良かった。
だというのに、俺は既に日本の歴史に過度な干渉をしている。
ただ魔力がある事での影響を越えて……。
そこには、確かな罪悪感がある。
俺の個人的な意思が、日本の歴史を歪めているのではなないか?
そんな想いだ。
ハルカが言う様な優しさには、ほど遠い。
試練のダンジョンを作ったのは、コアを簡単に利用されない為だが、俺が抱える罪悪感の代償、贖罪の表れだったのかもしれない。
だが、同時に、俺の力には限界があることも分かっている。
ダンジョンは強力な存在だが、万能ではない。
できることと、できないことがある。
そして、できることの中にも、やるべきことと、やるべきでないことがある。
(貨幣は、やるべきでないことだったな)
俺は、改めてそう思った。
(やっぱり、アナタは優しいわよ)
ハルカが、そっと俺の手を握る。
(この国の人々のことを、本当に想っている)
(……そうかな)
(ええ、そうよ。だから、ワタシはアナタが好きなの)
ハルカの言葉に、俺は少し恥ずかしくなった。
でも、悪い気はしない。
むしろ、嬉しかった。
(さて、次は何を考えるか……)
俺は、気持ちを切り替える。
貨幣の件は終わった。
次は、別のことに取り組もう。
平安京の建設も進んでいる。
新しい時代が、もうすぐ始まる。
その時代に、俺はどう関わっていくべきか。
そんなことを考えながら、俺はハルカと共に、魔力の流れを見つめ続けた。
書き溜めが尽きたので、しばらく毎日更新が怪しいかもしれません。




