長岡京は不吉の地として放棄され、都は平安京へと移された
【桓武天皇】
朕が即位したのは、混迷の只中。
父帝である光仁天皇は、即位当初から東国の反乱と怨霊の脅威に苦しまれ、志半ばで崩御なされた。
その遺志を継ぎ即位した以上、朕は父帝に成り代わりそれらを打破せねばならぬのだ。
若輩などと言って居られる場合ではない。
何としても、この国を立て直さねばならぬ。
その決意は、揺らがぬはずでああった。
しかし……朕が最初に直面したのは、前代からの負の遺産であった。
称徳天皇と道鏡による、仏教偏重の政治。
僧侶が政治に深く関与し、朝廷は仏教勢力に傾きすぎている。
仏法の尊さは認めよう。だが、それが政治の全てであってはならぬ。
(仏教勢力と、距離を置かねばならぬ)
朕は、そう決意した。
そして、仏教勢力の象徴とは、平城の都に他ならぬ。
であれば道は一つ。都を遷すのだ。
新たな都は、三つの河川の合流点にして、水運に秀で交通の要衝となる地とした。
長岡京。
新たな都の名である。
平城京から離れ、仏教勢力の影響力が及びにくいこの地に、新たな拠点を築く。
それが、朕の改革の第一歩であった。
同時に、朕は軍事力の強化にも着手した。
東国では、蝦夷が勢力を拡大し続けている。
九州でも、隼人が再び動き始める気配があった。
これらを鎮圧するには、強力な軍が必要である。
「全国の魔穴を活用し、朝廷軍を大規模に強化せよ」
朕は、そう勅令を発した。
魔穴は、この国が古来より持つ、特異な存在である。
そこで兵を鍛えれば、短期間で強力な戦力を得られる。
朕は、その力を最大限に利用しようとした。
長岡京への遷都は、順調に進んでいた。
新たな都の建設が始まり、朝廷の機能も徐々に移転していく。
朕は、希望を抱いていたのだ。
だが、それは突如として砕かれる。
藤原種継が何者かにより射られ、殺されたのだ。
種継は、長岡京造営の責任者である。
斯様な者が、何者かに襲撃され、命を落とすなど、それは朕の政策を妨げるものに他ならぬ。
朕は激怒し、首謀者を探すよう命じた。
朕の改革を妨げる者など、許しては置けぬのだ。
すぐさま、大伴竹良ら数十名が捕らえられ、斬首となる。
だが、この件はこれで終わらなかったのだ。
朕の命は、思わぬ方法へ進む。
調査の結果として知らされたのは、事件には早良親王が関与しているとの報告。
早良親王――朕の同母弟である。
早良親王の家政機関・春宮坊の官人が、複数この件に関わっていたのだ
「まさか……そのような事が……?」
朕は、信じられなかった。
だが証拠は揃っているという。
事実、種継の襲撃に、親王の手のものが含まれていたことが判明していた。
その後も藤原式家の者たちが、次々と証言を集めてくる。
それらの証拠を前にして、朕は苦悩した。
(弟が、朕を裏切ったというのか……)
朕も弟には、信任を置いていた。
だが、早良親王は皇太弟……朕に何かあれば、次代の帝となるべき者である。
その点が、朕に疑念を抱かせた。
次代の帝を狙う意思があるのではないかと。
その疑念と、朝廷の秩序を守らねばならぬという想いが、朕を動かした。
朕は、早良親王を廃太子とし、淡路へ流刑とすると命じたのだ。
しかし、それが朕にとっての悪夢の始まりであった。
早良親王は淡路へ流刑の途上、乙訓寺にて無罪を訴え食を絶ち抗議死したのだ。
その知らせを受けたその夜、朕の枕元にそれは現れた。
「兄上……何故……何故……信じて……居たのに」
それは確かに弟の影。
最後に見た姿から想像もつかぬほどやつれ果て、幽鬼の如くに成り果てた姿。
その姿を見た瞬間、朕は全てを理解する。
ああ、弟は怨霊へと成り果てたのだと。
同時に、その言葉に目を見開かされた。
「何故……式家の意を……あの者こそ……」
式家。
その名を聞き、朕は悟った。
冤罪だったのだ。
藤原式家の謀略に、朕は乗せられていたのだと。
考えればわかる事だ。
確かに弟は当初遷都に否定的であった。
しかし、長岡京の建設に尽力していたことは事実。
故に、遷都を主導する朕や種継を妨げる必要はない。
更に弟が失脚し利を得るのは誰か?
今次代の帝とされるのは安殿親王であり、その背を押すのは藤原式家らに他ならぬ。
彼らは、権力闘争の為に、早良親王を陥れたのだ。
そして、朕は……朕自身の手で、無実の弟を死に追いやってしまった。
微かに浮かんだ疑心により、取り返しのつかぬ事をしてしまったのだ。
「すまぬ……すまぬ……!」
朕は、枕元で叫んだ。
だが、怨霊は消えることなく、朕を見つめ続けた。
その目には、深い恨みと悲しみが宿っている。
それからだ。災厄が次々と朕を襲ったのは。
まず、母・高野新笠が病に倒れ、崩御した。
朕を育ててくれた、慈愛深き母。
その死は、朕の心を深く抉った。
次に、皇后が早逝した。
朕を支えてくれた、最愛の妻。
その命もまた、奪われたのだ。
「これも、弟の祟りなのか……」
朕は、恐怖に震える。
これでは、伝え聞く長屋王の大怨霊の様ではないか!
更に、災禍は我が身だけに留まらぬ。
西の地、九州。
元より定まらぬ地において、海賊が横行し、治安が悪化したのである。
それだけにとどまらず、大隈や薩摩の国の隼人たちが、再び反乱を起こしたのだ。
朕は、その理由を聞き、深いため息を吐く。
地方役人の横暴さが、古くからの土豪の反発を招いていたのである。
東国の蝦夷に多数の兵を差し向けていたことも、西国の果てたる薩摩で反乱がおきた理由となるだろう。
更に、陰陽師や僧らが言うには、先帝より続く怨霊の瘴気が強まり、その影響を受けたのではないかとの報告があった。
「……先帝もこの様な苦悩を抱えられていたのか」
隼人の乱を再び鎮圧したものの、朕の心には重い澱みの様なものが積み重なっていく。
だがこれで終わりではない。
新たな凶報が、朝廷にもたらされたのだ。
何と、東国の蝦夷征討の軍が、大敗したのである。
朕が魔穴を活用して鍛え上げた筈の、精鋭の軍が。
報告を聞いた朕は、愕然とし、詳細を問いただした。
「何故だ……あれほどの兵を送り込んだというのに……」
送り込んだ兵数、実に5万。
しかしその大軍は、蝦夷の将、阿弖流為に翻弄され、包囲された末に退路を断たれた。
たまらず敗走した際にも、勇士が血路を開きようやく成せたのだという。
そして、それら蝦夷の軍は、身体に瘴気を纏い恐るべき力を発したという。
討伐軍には術師らも参戦し、無数の術を振るったが、敵方も祖霊に祈り不可思議な力を発揮し対抗していたともある。
魔穴に挑み鍛えられた兵達と同様に。
朝廷軍は完膚なきまでに打ちのめされたのだ。
「阿弖流為……」
朕は、その名を噛み締めた。
蝦夷の英雄。
彼の者の前に、朕の軍は為す術もなく敗れ去ったというのか。
報告を受けた朕は、ただ呆然とするしかなかった。
「何が、足りないのだ……」
朝廷の兵は、力を尽くしている。
政策も、誤ってはいないはずだ。
では、この苦難は何故か?
その時、陰陽師や僧たちが、朕の元に参じた。
「陛下、これらは全て、早良親王の怨霊による祟りにございます」
彼らは、口を揃えてそう言った。
「早良親王の怨念は、井上内親王の怨霊と合流し、更に強大なものとなっております。各地の国分寺による浄化、その力をも上回ってしまっているのです」
「では、どうすればよいのだ……」
朕は、頭を抱えた。
弟を信じられず、怨霊へと貶めた朕こそが、この災禍の源である──彼らの言はその様にさえ聞こえたのだ。
朕は、己の不徳を悔いた。
(朕には、かの聖武天皇の様な徳が無いというのか……)
弟の怨霊を慰撫するには、どうしたらよいのか?
冤罪を成した藤原式家らを断罪するべきか?
しかし、既に政の中枢を担うかの者らを断罪したとして、この国難たる状況を余計に悪化させるのでは?
朕の心を無数の想いがかき乱す。
だがそんな朕へ、僧達がとある進言をした。
「早良親王に、『崇道天皇』として追尊なさいませ。怨霊として祀り、その怒りを鎮めるのです」
陰陽師も、続けた。
「そして、陛下。長岡京の霊的相は、極めて低いものとなっております」
「何……? 詳しく申せ」
「では。この地は、怨霊の影響を受けやすく、繁栄を阻む気が満ちております。陛下には、徹底的に霊的防御と繁栄を呼び込むような地への遷都をお勧めいたします」
朕は、彼らの言葉を聞き、深く考え込んだ。
(また、遷都をするというのか……)
長岡京への遷都から、まだ数年経たのみ。
都自体も、まだ完成とは言い難く、その在り様で、再び遷都を行うというのは朝廷として負担も大きい。
だが、このままでは、災厄は止まらぬのであれば……。
「……判った。新たな都の候補地を、探せ」
朕は、そう命じた。
陰陽師たちは、朕の意に応え、各地を調査し一つの地を選び出した。
「陛下、この地こそが、霊的繁栄を約束された場所にございます」
その地は、平城京の遥か北にあった。
四神相応の地。
東に青龍たる河川、南に朱雀たる大池、西に白虎たる街道、北に玄武たる山地。
全ての方角に守護が宿る、完璧な霊的配置を持つ都。
これほどの地は他に無いと、陰陽師たちは興奮気味に語った。
同時に、この霊地に都を築くのであれば、千年の繫栄が約束されるであろうと。
その言葉に、朕はようやく活路を見た気がした。
「ならば、その地へ都を建てよ。千年続く都を築くのだ」
朕は、そう宣言した。
怨霊に苦しめられ、災厄に翻弄され、若さゆえの過ちを犯した朕。
だが、それでも朕は、この国を守らねばならぬ。
平安京。
その名に込められたのは、朕の願いであった。
この都が、真に平安をもたらす場所となるように――。
そして、早良親王の怨霊が、安らかに鎮まりますように――。
朕は、新たな都の建設を命じる。
それは、千年の都の、産声であった。
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