鈴鹿山演義 ~弐~
【坂上田村麻呂】
「ここは……?」
洞窟の入口には、不思議な雰囲気があった。
自然の洞窟とは思えない、整った岩壁。
そして、奥から漂ってくる、清浄な気配。
(もしや、これは……魔穴か? 古いものであるようだが……)
魔穴の多くは人里近くにあるが、同時に山地にも数多い。
そして、山地の魔穴は特に古く、階層も深いと知られている。
更に言えば、魔穴は瘴気を浄化するとも言われているのだ。
故におれは、意を決して中に入った。
するとそこには――光り輝く霊鳥がいた。
「なんと……」
純白に輝く鳥。
その神々しさに、おれは目を奪われた。
間違いない。おれを導いた輝きは、この鳥の光だ。
「もしや、神仏の使いなのか……?」
問いかけるが、鳥は佇むのみだ。
だが代りに、洞窟の奥から、声が聞こえてくる。
「この地に、何の御用でしょう」
女性の声だった。
瘴気が満ちる山には場違いな、だがこの鳥の輝きの中では、これ以上ないほど相応しい、清らかな声。
霊鳥は、その声に警戒することなく、むしろ穏やかに羽を休めている。
神秘的で、どこか遠くから響いてくるような不思議な声は、俺に問いかけていた。
(神仏の類いの呼びかけ、か)
おれは、礼を尽くして答えた。
「どなたか存じませぬが、御無礼をお許しいただきたい。おれは、坂上田村麻呂と申す者。朝廷の命により、大嶽丸討伐の任を受け、この山に参りました」
しばしの沈黙。
そして、俺の声に応える様に、洞窟の奥から――見目麗しい天女のような美女が現れた。
「……ぁ」
おれは、息を呑んだ。
長い黒髪に透き通るような肌。
眉目秀麗にして静謐なる佇まい。
それでいて、その身にまとうのは、神威を漂わせる具足なのだ。
美しさと健気な凛々しさを秘めた彼女に、俺は自然と膝を折り頭を垂れていた。
その神々しさに、おれは思わず問いかける。
「もしや、貴女は……この山の神であらせられるか?」
美女は、曖昧に頷き、そして俺に告げた。
「田村麻呂様。あなたは、大嶽丸を討つと仰いましたね?」
「はい。それが、おれに課された使命にございます」
「……であるのなら、力をお貸ししましょう」
その言葉に、おれは喜びを感じた。
「何と有りが来お言葉か! しかし、山の神よ。お力をお借りいただけるとして、如何様にお呼びしたものか」
美女は、少し考えるように目を伏せた。
そして、遠き日を思い出されたのか、こう告げられた。
「……かつて、姫巫女と呼ばれておりましたが……如何様にも好きなように」
姫巫女。
神に仕える、尊き存在。
なるほど、古き御霊が神となられた方であるのか。
おれは、咄嗟に言葉を紡いだ。
「であるならば……鈴鹿の山の尊き姫、鈴鹿御前と、お呼びさせていただきたい」
その言葉に、美女は――驚いたように目を見開いた。
そして、しばし噛み締めるように佇む。
やがて、ほころんだように微笑んだ。
「……鈴鹿御前、ですか。良いお名前ですね。ありがとうございます、田村麻呂様」
その微笑みは、何という美しさか。
おれは時と場も忘れ、この方に見惚れてしまった。
【アマテラス】
(スサノオったら、あんなに嬉しそうに……)
私は、魔力の流れの中で、スサノオの様子を見つめていました。
弟は、ある若者を鍛え始めていたのです。
あの子の気まぐれは、今に始まった事ではないのですが、今回は特に楽しそう。
それが、とても微笑ましく、私はその様子を度々眺めていたのです。
そして、次第に……私は、その鍛えられている青年ばかり見るようになっていました。
領域に映し出される光景の中、弟にあしらわれながら、それでも挫けず向かい続けるその方。
坂上田村麻呂様。
その真摯な姿勢と、武にかける情熱は――遠く生前の記憶の中の、クニの長を務めていらしたお父様を思い出させるものでした。
クニの長と、武門の跡継ぎ。
有様は違いながら、それでもその真摯な瞳は、記憶の中のお父様のそれと不思議と似ている気がして。
(素敵な方……)
私は、彼の姿を追い続けました。
そして、ある日――田村麻呂様が、弟に一撃を入れるのを見届けた時。
何かを成し遂げたと自覚した、あの方の姿が、私の心に焼き付いたのを感じました。
あの方の事を考えるほどに、疑似的に作られている筈の心臓が、高鳴るのを抑えられません。
(ああ……これが、きっと……!)
それは、長年『恋することに恋していた』私にとって、衝撃的な出来事で。
ハルカやアキト様の関係を羨ましく思い、いつか自分もと夢見ていました。
ですが、まさか本当に、こんなにも心を奪われる方に出会えるなんて。
(私、あの方に恋をしてしまったんだ……!)
そう自覚してからも、私は田村麻呂の姿を追い続けました。
そしてある日、彼が鈴鹿山の大嶽丸討伐を任命されたことを知りったのです。
(大嶽丸……大怪異の瘴気から生まれた異形……)
北の果てから都までの道中で、大怪異が残した瘴気の残滓。
その中でも特に大きな汚泥の沼が生み出したあの怪異は、私の目から見ても恐ろしい存在です。
(でもきっと、弟に鍛えられた田村麻呂様なら……)
私は、討伐の成功を信じて、その旅路を追ったのです。
ですが、状況は厳しいものでした。
空さえ飛べる大嶽丸は、あの方の接近を知り、配下を伏せていたのです。
あの方は、配下の者を変異山賊から逃がすため奮戦し、囲いを突破しましたが、直後。せも大嶽丸の起こした嵐により分断されてしまいました。
結果、田村麻呂様は一人、嵐の山中を彷徨う事になってしまったのです。
(いけない……!)
私はもう座視したままではいられませんでした。
魔穴核岩──ダンジョンコアの力を使っての直接の干渉は、アキト様に禁じられています。
でも、写し身を使っての干渉は、許されていました。
私は、この地の魔穴を探し、安堵しました。運良く、田村麻呂様からほど近い場所に、それはありました。
更に、アキト様が各地に放っていらした霊鳥の一匹が其処に居たのです。
(あの方は、天運も兼ね備えて居るのね)
私はその霊鳥に命じてその身を輝かせ、田村麻呂を鈴鹿山の魔穴へと導きました。
あの方に、休息の場所を用意する為に。
ですが、その間も、大嶽丸配下の山賊は近づいているのです。
輝きはあの方を導きますが、変異した山賊たちも引き寄せてしまいかねません。
そして、霊鳥の輝きは、瘴気を退けますが元は人の山賊には効果が薄いのです。
(……お助けしないと)
私は、決心しました。
写し身を作り上げるのです。
かつて、スサノオが鬼の姿で現世に現れたように、私も田村麻呂様の前に現れましょう。
戦い方も、役行者様に従っていた際に、身に着けて居ます。
あの方の足手まといにはなりません。
そして――私は、作り上げました。
かつて、姫巫女と呼ばれていた時に近い──そしてほんの少しだけ成長した姿を。
そして、田村麻呂様の前に姿を見せたのです。
初め、彼は私を山の神だと思ってくだっているようでした。
その後大嶽丸討伐に協力すると告げると、喜んでくださったのです。
そして――
「鈴鹿の山の尊き姫、鈴鹿御前と、お呼びさせていただきたい」
その言葉を聞いた時、私の心は歓喜に満ちました。
(鈴鹿御前……私の、名前……!)
姫巫女と呼ばれることで秘してしまったかつての本当の名前。
何時しか呼ばれるようになったアマテラスの名。
それらに並ぶほど、彼から与えられた名は嬉しかったのです。
私は、心の底より溢れる微笑みに身を任せました。
そして、陶然と私を見つめてくださる田村麻呂様を見て――私は、完全に夢中になったのです。
ですが、その時――
霊鳥が、警告するように鳴きました。
私と田村麻呂様はその意味を察して、弾かれたように魔穴の入口を見たのです。
そこには――変異山賊が、霊鳥の発する光に怯みつつも、魔穴に押し入ろうとしている姿がありました。
「……光が、呼び寄せてしまったのですね。せめて一時田村麻呂様には休んでいただきたかったものを」
「……なんの。既に休ませていただきました。故に、ここはお任せを、鈴鹿御前」
「いえ、私も。この具足は見かけだけではありませんよ?」
私たちは、視線をかわし合い、微笑み、頷き合いました。
そして、武器を構えます
田村麻呂様は、剣を。
私も同じく、腰に佩いていた二振りの剣を。
ゆっくりと敵が、迫り来ますが、私は何も怖くありません。
田村麻呂様の武を、私は弟に並ぶほど知っているのですから。




