決戦! 大金剛廬舎那仏 対 大怪異
【聖武天皇】
朕は、若草山の麓より、対峙する二つの巨大なる存在を見上げていた。
いや、朕だけではない。
この地にて、祈りを捧げていた僧や術者。
更には都に住まう者達の多くが、その二つの威容を見上げていたであろう。
片や、宙に浮かぶ、金色に輝く大金剛盧舎那仏。
片や、地を這う、黒き瘴気を纏いし大怪異。
その光景は、まさに聖と邪の戦い。
神仏と魔の対決そのものであった。
結跏趺坐のまま天に浮かび、大怪異を見下ろす大金剛廬舎那仏。
一方の大怪異は、かつて報告を受けていたように、巨大な人の如き形でありながら、彼方此方が歪んだ異形。
突如上空に現れた廬舎那仏を見上げ、何を思うのか。
朕を始めとしたこの二者を見る者達は、固唾をのむ。
だが、その時。
不意に、大怪異が、その首を朕の方へと向けた。
(朕を、見た……見られた……!?)
朕の全身を、怖気が貫いた。
無数の目とも穴とも判別し難きものが散りばめられた、異形の頭部。
その全てが、朕を、この場に集いし僧や術者たちを、見据えている。
驚愕する間もなかった。
大怪異は、異形の顎を大きく開き、その奥より、瘴気の塊を吐き出したのだ。
それは、渦を巻く嵐か、天を裂く竜巻のような、黒き吐息。
まっすぐに、朕たちへと迫り来る。
「陛下!」
「逃げよ!」
周囲の者たちが叫ぶ。
だが、朕の脚は、恐怖に縛られ動かない。
その瞬間。
大金剛盧舎那仏が、合掌を解き、片手を振るった。
すると、朕たちの前に、光の壁が聳え立ったのだ。
眩き、透き通るような、しかし確かな壁。
瘴気の吐息は、その壁に激突し、弾かれた。
壁に触れた瘴気は、瞬く間に浄化され、消え去っていく。
「な、何と!?」
「……御仏のご慈悲とは、かくの如くか」
その様に、術者らはどよめき、僧は感極まり御仏へ祈り始めた。
一方で朕は、かつて伝え聞いた伝承を思い出す。
かつて蘇我の兵が厩戸皇子とその家族を狙いし時、立てこもる寺に光の壁が聳え、兵の侵入を妨げたのだと。
その再現が、目の前で為されたのだ。
かような奇跡が、朕にも起きるとは。
言葉にならぬ震えが、朕の身体の内より湧き上がる。
しかし、大怪異の脅威は、朕らの想像を超えていた。
僅かに飛び散った余波が、大地に落ちる。
その瞬間、土が腐った。
緑豊かな草地が、瞬時に黒く変色し、汚泥と化したのだ。
その様は、光の壁の先であったが、はっきりと目にできた。
見るからに腐臭漂わんばかりの様に、朕は思わず顔を背けた。
(もし、かの瘴気が直撃していたなら……)
朕らを含め、即座に命を散らせていたのではないか?
いや、死ぬことすらできず、生きたまま腐り果てて居たやも知れぬ。
想像するだけで身が震え、同時に御仏への感謝と救いを求める念が、朕の心に溢れる。
一方、瘴気を防がれた大怪異は、今度は視線を変えた。
都──平城京の方角へ。
朱雀大路が、大極殿が、民の家々が並ぶ、都の中心部へ。
「まさか……!」
朕の予感は、的中した。
大怪異は、再び異形の顎を開き、瘴気を放ったのだ。
だがこれも、大金剛盧舎那仏の腕の一振りで現れた光の壁によって遮られる。
瘴気は浄化され、都には届かなかった。
その事に安堵すると同時に、朕は悟った。
大怪異が何を標的としているのかを。
かの怪異は、大怨霊を元とし、この日乃本を覆いつくした。
更には、朕が命じ全国に建てさせた国分寺によって浄化されかけ、これより逃れる為北へと逃れ、陸奥の国にて実体を成した。
その北の果てより、大和の国へ。
大怨霊として成り立ち、この地へと再び戻る長き道程の中で、大怪異は多くの怨念を取り込んできたのであろう。
時に朝廷に逆らい、無念の内に死んだまつろわぬ民。
古くより続きし帝の皇位継承争いにて敗れた者ら。
戦にて命を落とした兵たち。
疫病に倒れた人々。
それら積もりに積もった怨念の集合体こそが、あの大怪異なのだ。
故に、その標的は明確。
都と、朕──帝である。
その両方を、滅ぼさんとしているのだ、あの異形は。
そして今、二度瘴気を遮られた大怪異は、悟ったのであろう。
大仏を倒さなければ、その妄執を叶えられぬと。
遂に、大怪異は直接、空中の大金剛盧舎那仏へと狙いを定めた。
そして、再びの瘴気を吐き出す。
これに対して大仏は、再び合掌し、次の瞬間、大仏の全身から、強烈な後光が発せられた。
「ぬおおっ!?」
「目、目が!!」
「うぐっ……眩しくて見れぬ!」
朕は、思わず目を覆った。
周囲の者たちも、同様に目を眩ませているらしく、どよめきの如き声が辺りを覆う。
眩しい。あまりにも眩しい。
視界が、真っ白に染まる。
そして、その視界が効かぬ中、突如、轟音が天地を揺るがした。
「何事だ!?」
朕は、目を見開いた。
眩しさに零れた涙が、視界を歪める。
だが、朕は見なければならぬ。
他ならぬ朕を守る、大廬舎那仏を。
だが、視界が戻りつつある中、朕が目撃したのは、宙に浮かんでいた大金剛盧舎那仏が、大地へと引きずり降ろされている光景だった。
「ば、馬鹿な!」
「そんな……!」
「何が起きたというのだ!?」
驚愕と怯えが朕の胸を満たし、恐れが再び襲い来る。
周囲の者たちも同様であるのか、悲鳴にも似たうめき声があちこちで湧き上がった。
「大仏が……!」
「何が起きた!?」
都からもどよめきが聞こえる中、朕は地に下ろされつつも身を起こす御仏を見つめ続けた。
【アキト】
(アナタ、何が起きたの!? おおきな仏像が急に落ちたわ!)
ハルカが、慌てた様子で尋ねてくる。
あまり戦いに馴染んでいない彼女では、今何が起きたのか分からなかったらしい。
一方で俺は、状況を概ね把握していた。
(落ちた、じゃない。引きずり降ろされたんだ)
(引きずり降ろされた……? 一体、何に?)
(よく見てみればわかる。大仏に絡みついているものがあるだろう?)
俺は、大仏の腰や足辺りを指し示す。
そこには、無数の黒い蔦のようなものが、大仏の身体に絡みついていた。
まるで、地獄から延ばされた亡者の手ように。
(……何、アレは……?)
(あれは、先に二度放たれた瘴気、その残滓から生えたものだ)
先ほど、大怪異が放った瘴気の吐息。
それは光の壁に弾かれ、大部分は浄化された。しかし飛び散った余波は大地に落ち、そこを腐った汚泥に変えた。
その汚泥から、あの瘴気で黒く染まった蔦が伸びたのだ。
(蔦、なの? 何でそんなものが……?)
(恐らく、高木の神の化身である神木を取り込んだことで、大怪異は植物の特性も得ていたんだ。それ以外にも、散々山岳や人里離れた森林を通って来た以上、植物型の変異動物を取り込んでいてもおかしくない)
俺は、かつての時代に見かけた変異動物の数々を思いだしていた。
坂東──関東平野の辺りで、俺は蔦植物が馬のような姿で走り回ったり、動物に絡みついて養分とするところを見てきている。
また、イワレヒコが熊野の山地で遭遇し、危うく命を落としかけていたのも、動物に寄生していた変異植物だった。
山野を移動するうちに、大怪異がそういった変異植物を取り込んでいても不思議ではない。
その結果が、あの汚泥から伸びる蔦だ。
大怪異は瘴気と共に、魔に落ちた植物の種も放っていた。
その種が、亡者の手のような蔦植物として一気に育ち、空中の大仏を捕らえたのだ。
(実体の無い瘴気だけなら、後光の放射で浄化されていた筈だ。だが、蔦植物という実体を得ていたことで、浄化されきらなかった)
(だから、あの蔦に絡みつかれて、地に落とされたのね……!)
ハルカが、驚愕の声を上げ、即座に顔を曇らせた。
(アナタ、大仏は大丈夫なの……?)
(流石にあの程度でどうにかなりはしないさ)
大仏建造の途中で、俺はその強度を凡そ解析済みだ。
あの程度ではびくともしないだろう。
一応ハルカの声に応え、念のため大仏の様子を確認しようとする。
しかしその時には既に、地に降ろされた大仏は、蔦に絡まれながらも、ゆっくりと立ち上がっていた。
(……流石だな。魔力を帯びれば、肉体のような生体だけではなく、金属も強度が上がる)
ダンジョン産の金属。
しかも、製造中に多くの術者の術式と魔力を込められていた大仏の各パーツを構成する金属は、蔦の締め付けにも揺るがない。
魔鉄、魔銅、そして一部には神鉄さえ使われている。
その頑強さは、並大抵のものではない。
だが、その時、大怪異が、巨体を唸らせ、大仏へと飛び掛かった。
遠目にはわずかな、しかし実際には相応に開いていた距離が一気に無となり、両者が衝突する。
その瞬間、巨大な釣鐘を打ち鳴らしたような轟音が響き渡った。
衝撃波が巻き起こり、周囲の大気を揺るがす。
(アナタ! 空が! 雲が……!)
(……大した衝撃だ。天の雲にさえ届いて、歪ませているな)
上空の雲が、衝撃で歪んでいるのが見えた。
だが、ぶつかった両者は健在。
強固な大仏はもちろん、瘴気によって膨張している筈の大怪異も、幾らか瘴気を飛び散らせながらも目立った損傷がない。
だが、お互いの強度の差は明らかになった。
やはり全身金属の大仏の方が、強靭だ。
大怪異は、骨格こそ神木を取り込み頑丈だが、表層は明らかに大仏に劣る。
それを察してか、大怪異は神木による骨格を持つ巨体を活かし、大仏を打倒そうと両腕を振り上げる。
ハンマーのように、叩きつけようというのだ。
だが、その寸前。
大怪異の身体が、大きく後ろへと弾き飛ばされた。
(今のは……!)
俺は、大怪異の胴体部を確認する。
そこには、巨大な掌状の跡があった。
大仏が放った、密着状態での掌打。
それが、大怪異を強力に弾き飛ばしていたのだ。
(やるな……)
長年武を磨いて来た俺の目から見ても、大仏の掌打は十分な術理が備わっていた。
同じ掌打を人が繰り出せば、受けた者は内臓を破壊されるだろう必殺の一撃。
更に掌に込められていた浄化の力が、掌状の跡から広がって大怪異の身体を蝕もうとしている。
だが、瘴気で身体を構成する大怪異は、瘴気を弾けさせその跡を切り離した。
切り離された瘴気は大地に落ちつつ浄化される。
(流石に、大仏は強いな。何より、浄化の力が大怪異にとっては特攻だ)
(凄いわ! これなら、みんな助かるわよね?)
大仏の力に感心する俺達が見守る中、今度は両者地に立ちながら、やや間合いを広げて対峙する。
しかし、俺はあることに気がついた。
(いや、いかんな……ハルカ、大仏の足元を見ろ)
(え? 何が……あっ、あれは……!)
大仏の周囲に、さらに新たな瘴気にまみれた蔦が伸びていた。
掌打によって大怪異が受けた損傷から零れた瘴気。
そこから、それらは伸びていたのだ。
(……ダメージを受けるほど、そして瘴気がまき散らされるほどに、大仏は不利になるのか)
俺は、何が起きているのか、冷静に分析する。
更にもう一つ気が付いたことがある。
この戦いを見守る人々の動揺。それが、新たな瘴気となって僅かづつだが大怪異に流れ込んでいることに。
その事実を告げられたハルカが、驚愕の声を上げる。
(そんな……じゃあ、このままじゃ……)
ハルカが、何かを懇願するかのような瞳で、俺を見る。
……彼女の意図は判っている。
俺が力を貸すべきではないかと、言いたいのだろう。
だが、俺は首を振った
その瞬間、ハルカは何か言いかけたが、直ぐに口をつぐむ。
(……そうよね。もうアナタは十分に力を貸しているモノね)
ハルカは、俺が今まで貫き通して来た、人の世へのコアとしての力での干渉の否定を知っている。
例外は、ダンジョンそのものに影響がある場合。
今回も、コアを掘り起こされるという事態が起きかけたからこそ、試練のダンジョンを作るという働きかけを行った。
これ以上は過干渉だと、彼女もそう理解したのだろう。
だが、悲しげな彼女は一つ勘違いをしていた。
俺は、俯こうとする彼女を抱きしめ、ある方角を示した。
(大丈夫だ。もう、間に合っている)
(え……?)
安堵させるように、俺はハルカに告げると、彼女は俺が示す方角へと意識を向けた。
試練のダンジョン。
その方角へと。
そこで天地を貫くような、光の柱が立ち上がっていた。
まるで、全てを救わんばかりの輝きが。




