開眼、大金剛廬舎那仏
【聖武天皇】
試練の魔穴が現れてより、既に一月が経過していた。
「陛下、大仏の建立、ほぼ完成に至っております」
橘諸兄の報告に、朕は僅かながら安堵の息を吐いた。
当初の予想を遥かに上回る早さで、大仏は完成へと近づいている。
その要因は、試練の魔穴にあった。
「よもや、大仏の素材も試練の魔穴で得られるとは……」
「神のご慈悲であろうな」
「誠に。また、試練の魔穴より得られる武具は、これまでの魔穴の比ではございませぬ。その質、その量、共に桁違いにございます」
参議の一人が、興奮を隠せぬ様子で報告する。
試練の魔穴の上層では、精錬済みの力を帯びた鋼が大量に得られたのだ。
大仏の建造地にほど近い試練の魔穴でこれらが得られることで、大仏の建造は大いに早まった。
更に試練の魔穴からもたらされる武器や防具は、これまでの魔穴とは明らかに異なっていた。
より多くの神秘なる力を帯び、より頑強で、より美しい。
それらも幾らか鋳潰すことで、大仏の建立は飛躍的に加速したのだ。
無論鋳潰すだけではなく、それらの武具を魔穴に挑む兵達にも使わせている。
その為、試練の魔穴の攻略は既に深層へと至っていた。
「神の試練に挑む者たちには、神が恵みを授けてくださっているのだな」
朕は、そう解釈した。
根乃国大神の慈悲であろう。
また、試練に挑みし者達は、その試練に打ち勝つほどに力を増していると聞く。
武だけではなく、知恵働きにおいても。
これはある意味気付きであった。
国を富ませるには、質の高い民が、官吏が必要である。
魔穴へと挑むことで、その質を高められるのであれば、この国難後も各地の魔穴を鍛えの場とする必要があるやも知れぬ。
試練の魔穴は、これまでの魔穴とは比べ物にならぬほど危険だった。
獣の類いも今までにないような姿をしており、強大。
さらには、人の姿をした小鬼や、骨だけで動く死者の姿、腐肉を纏いながら蠢く屍など、これまで見たこともない魔物が跋扈している。
しかし、試練の魔穴に挑む者達もまた、何れも強者である。
遠き百済の地にて、力奪われながらも他国の兵と戦い抜いた防人。
まつろわぬ北の民と幾度となく刃を交えた武人。
古き武人の戦いの技を受け継ぐ、力士。
野に在っては1町もの先の獲物を射抜くという狩人。
国難に際して、意を決し神域より自ら志願した浄化の巫女。
多くの書を嗜み、学んだ知識を実践せんとする陰陽の使い手。
法力を以って民に安寧を示さんとする僧。
山岳を駆け開祖にならい民を救わんとする修験の者。
易経より天然自然たる五行を操る五行使い。
それらが徒党となって、魔穴に挑んでいるのだ。
かの者らは必ずや試練を乗り越え、魔穴核岩を持ち帰る事を確信している。
しかし、同時に、問題も残されていた。
「されど、最深部の突破には、未だ至らず……」
橘諸兄の表情が曇る。
そして最深部には、更に強大な魔物が待ち受けているという。
「派遣した兵の中でも、最も優れた者たちが挑んでおります。されど、その魔物の前にあって、幾度となく撤退を余儀なくされていると……」
「どれほど手強いのだ」
「鬼と申すべきか、巨人と申すべきか……身の丈三丈を超える巨躯にて、鉄の棍棒を振るい、我が兵を薙ぎ払うとのこと。何度も挑んでおりますが、未だ討伐には至らず」
「……そのような、ものが」
「また、その鬼は眷属らしき配下も引き連れているとの事。中には、五行の力を操るモノもいるらしく」
「まさしく、最後の試練と言う事か」
朕は、唇を噛んだ。
魔穴核岩を得るには、その魔物を倒さねばならない。
だが、時間がかかりすぎている。
大怪異は、着実に都へと近づいているのだ。
その時だった。
「陛下! 急報にございます!」
使者が血相を変えて駆け込んできた。
「大怪異に、変化が!」
「何だと!?」
「大怪異は、これまで山地の魔穴を襲おうとしては、神獣に阻まれ迂回を繰り返しておりました。されど、突如その行動を変え……」
使者は、震える声で続けた。
「東北より畿内に至るまでに存在する、天を突くほどに巨大化した樹々を、食み始めたと!」
「樹を……取り込む、だと? 馬鹿な!? それらは高木の神の化身ではないか!」
朕の血の気が引いた。
この地には、古くより天を突くような巨木が何本も存在していた。
それらは高御産巣日神、つまり高木の神の化身とされており、各地にて信仰を捧げられている。
その巨木を取り込むとは、大怪異は神さえも蝕むというのか。
「かの大怪異は、それらを己の身体に取り込み、急激に力を増しております!」
橘諸兄が、更なる報告を読み上げる。
「各地の国分寺が発する浄化の力も、最早大怪異を足止めすることは叶わず。平地を、街道を、真っ直ぐに都へ向けて進み始めたとのこと!」
「何と……」
朕は、机に手をついた。
脚が震える。
「都への到達は……?」
「このままでは、あと数日かと……」
数日。
魔穴核岩を得るには、時間が足りない。
だが、大仏は既にほぼ完成している。
朕は、決断した。
「もはや待てぬ。魔穴核岩は置き、大仏を、大金剛盧舎那仏を目覚めさせよ!」
「陛下!?」
橘諸兄が、驚きの声を上げた。
「しかし、核岩無くして、大仏が真の力を発揮できるか……」
「構わぬ。今は迫る脅威に対抗するが先であろう。都中の僧を、術者を、全て集めよ。大仏に祈りを捧げさせるのだ。我らの祈りこそが、大仏を動かす力となる」
「では、試練の魔穴はいかがなさいます?」
「攻略は続けさせよ。大怪異が力を増したのであれば、大仏の核は必要となる」
「はっ!」
朕の言葉に、朝廷内が動き出した。
その日のうちに、都中から僧や神職、陰陽師に至るまで、あらゆる術者が集められた。
若草山の麓、横たわる巨大な大仏の周囲を、数百、数千の人々が取り囲む。
朕自身も、光明皇后と共に、その場に立った。
「皆の者、祈るのだ。この国を、この都を、民を守るために。大仏に、我らの祈りを捧げよ」
朕の言葉と共に、一斉に祈りが始まった。
読経の声が響く。
陰陽師たちが印を結ぶ。
神職たちが祝詞を奏上する。
それは、不眠不休で続けられた。
昼も、夜も。
人々は交代しながら、絶え間なく祈り続けた。
朕も、光明皇后も、その場を離れることなく、ただひたすらに祈った。
そして、大怪異が都に到達するとされた、その日。
夜明けと共に、異変が起きた。
横たわる大仏の全身から、眩い光が溢れ出したのだ。
「これは……!」
朕は、目を見開いた。
後光。
仏の放つ、神々しき光。
それは、大仏の全身を包み込み、やがて大仏の瞼が、ゆっくりと開いた。
開眼。
大仏が、大金剛盧舎那仏が目覚めたのだ。
【アキト】
(……凄いな、これは)
俺は、魔力の流れの中で、大仏の様子を見守っていた。
(ねえアナタ、あの大きな仏があるのは、アナタの知っているのと同じ場所なのよね?)
(ああ、位置は同じだ。だが、姿は全く違うな)
ハルカの言葉通り、この世界の大仏は、俺の生前に見た奈良の大仏とは大きく異なっていた。
まず、姿勢が違う。
座禅を組んでいるのではなく、仰向けに横たわっている。
まるで、眠りについているかのような姿だ。
俺は一瞬東南アジアでよく見られるスタイルの仏像を思いだした。
(涅槃仏……いや、違うか。あれは身体を横にしている)
構造や材質も、全く違う。
象徴として安置されるように作られた生前の大仏と違い、こちらは立像だ。
生前の大仏の内部は空洞に近いのに対して、此方は骨格的な構造と外骨格を組み合わせたような強固なもの。
その上で材質は銅からダンジョン産の魔力帯びた鉄や銅だ。
これらのダンジョン産の鉱物は、魔銅、魔鉄、魔銀などと呼ばれ、更に高純度のものの場合神鉄などの呼び方になる。
その上身に纏っている装束は本体の仏像とは別で造られていた。
ダンジョン産の防具を大量に分解し、大仏が纏うように新たに組み上げらえて居るのだ。
そして、何より、その大きさ。
(頭の先から足の裏まで……200メートル近いか?)
俺は、思わず感嘆の声を漏らした。
生前の奈良の大仏が、座高で約15メートル。
それに対して、この大仏は、横たわった状態で200メートル近い。
(こんな巨大な仏像を、よく造り上げたものだな……)
確か生前の大仏の場合、国中から銅をかき集めていたなんて話を聞いたことがある。
この大きさであれば、その何倍もの材料が必要になった筈だ。
だからこそ、ダンジョンの素材が必要になり、あのダンジョンアタックに繋がった。
(いっそ割り切って素材そのものをドロップさせて正解だったな)
その辺りの事情を理解した俺は、試練のダンジョンの上層では大仏の素材になる金属を直接ドロップするようにしたのだ。
その目論見は功を奏して、この巨大な大仏は凄まじい速さで完成に至っていた。
そして今。俺とハルカは、都中の人々が大仏の周囲に集まり、祈りを捧げる様子を見守っていた。
僧侶たちの読経。
神職たちの祝詞。
陰陽師たちの術。
そして、聖武天皇自身の祈り。
それらは全て、魔力となって大仏へと注がれていく。
(アナタ、凄い量の魔力が集まっているわ……)
(ああ、数日間、不眠不休で祈り続けた成果だな)
祈りという、膨大な意思を宿した魔力。
多くの人々の必死の想いを乗せたそれは、大仏の内部に蓄積され、やがて臨界点に達した。
そして、夜明けと共に、大仏の全身から、眩い光が溢れ出した。
(後光が……! なんて光だ!)
仏が放つとされる、神々しき光。
それは、魔力が可視化されたものだ。
そして、大仏の瞼が、ゆっくりと開いた。
開眼。
大仏が、目覚めた。
(動いた……本当に動いたわ、アナタ……あんなに大きいものが……)
ハルカが、呆然とした声を上げる。
大仏は、ゆっくりと身を起こし始めた。
200メートル近い巨体が、まるで生きているかのように動く。
地面が揺れる。
周囲の人々が、歓声を上げた。
そして、大仏は完全に身を起こすと、両手を合わせた。
合掌。
その瞬間、大仏の身体が、地面から離れた。
(浮いたわ……)
(いやまて、どういう理屈で浮いたんだ!?)
大仏は、宙に浮かび上がったのだ。
重力を無視して、ゆっくりと上昇していく。
(魔力による浮遊か……それとも、祈りの力が具現化したものなのか……)
俺は、その光景に言葉を失っていた。
そして、奇しくも、その時だった。
(アナタ、見て……!)
ハルカの声に、俺は意識を都の北東へと向けた。
鬼門。
その方角から、大怪異が姿を現した。
山をも超える巨体。
だが、以前よりも遥かに巨大になっている。
取り込んだ巨木を骨格のように体に組み込んだのだろう。その動きに不安定さは無く、確とした芯があった。
(仮にも信仰を集めていた巨木だ。瘴気で出来たその身には毒だろうに、それでも取り込んだ理由がそれか)
初めは巨木が貯め込んだ魔力を取り込もうとしたのだろう。
だが、巨木は殆どが信仰の対象であり、取り込めば瘴気の塊である大怪異は魔力を取り込むのと同時に身を焼かれたはずだ。
それでも、各地の巨木を取り込み続けたのは、瘴気で膨れ上がった身体を支える骨に出来ると察したからか。
(あれは……もはや、怪異というより、災厄そのものだな……)
大怪異は山を乗り越え、都の北東、平城京の外れの荒地へと歩み寄った。
そして、そこへ、浮き上がったばかりの、大仏と対峙する。
宙に浮かぶ、金色に輝く大仏。
地を這う、黒い瘴気を纏った大怪異。
光と闇。
聖と邪。
二つの巨大な存在が、向かい合っている。
(……始まるのか)
俺は、固唾を呑んで、その光景を見守った。
大仏は、合掌したまま、静かに大怪異を見下ろしている。
大怪異は、無数の触手を蠢かせながら、大仏を見上げている。
荒地に、静寂が訪れた。
だが、それは嵐の前の静けさ。
今まさに、戦いが始まろうとしていた。




